紅茶
「ただいま」
おれは、蒼井さんと別れて、おとこ部屋に帰還した。
彼女は、ひととおり泣き終わると、いつもの笑顔に戻っていた。
「ごめんね。ありがとう」
そう言い終わると、ふらふらと部屋に戻っていったのだった。
「おう、遅かったな」
部屋から出ていった時に比べて、金田は少し疲れているようだ。おれも、なんやかんやで疲れていた。
「どうした。疲れたのか?」
「うん、そんなところだ」
「たしかに、昨日、アニメ一挙放送で徹夜した後だしな」
「うん、うん」
どうやら、本当に眠いらしい。
「仮眠したらどうだ?」
時刻は八時だった。トランプ大会は九時からの予定だ。
「一時間したら、起こしてくれ」
「ういっす」
そう言うと、金田は寝息をたてはじめた。
おれは手持ち無沙汰になったので、ダイニングに向かう。
「持ってきた小説でも読むかな」
おれは、読みかけの小説を手に階段を下りた。
「おや、山田さん。どうされましたかな」
管理人さんが、笑顔で出迎えてくれた。
「金田が眠ってしまったので、邪魔にならないように下りてきました」
「坊ちゃんは、遠足前に眠れなくなるタイプですからな。ぼっちゃんらしいです。紅茶でも飲みますか?」
「ありがとうございます」
管理人さんと一緒に紅茶を飲んだ。
「わたしはこれで仕事が終わりなので、ちょっと失礼しますよ」
そう言いながら、管理人さんは自分の分の紅茶にブランデーをたらした。
「おしゃれな飲み方ですね」
「坊ちゃんの趣味に合わせているんですよ。これは、有名なSF小説の登場人物がよくする飲み方でしてね」
「へー、おれも飲んでみたいな」
「あと、数年お待ちください」
そう言いながら、管理人さんはやさしそうに微笑んだ。何事も熟成が必要らしい。
「なにをお読みですか?」
「これです」
「『オラクルナイト』。≪神託の夜≫ですか。坊ちゃんが好きそうなタイトルですな。アメリカ小説がお好きなんですか?」
「この前、金田に見せたら、厨二病心くすぐられるぜって言ってました。国内よりも、海外小説を読むのが好きなんですよ」
「そうでしょう、そうでしょう」
管理人さんは金田のことになると、とてもにこやかな表情になる。まるで、孫を褒められた祖父のような顔つきだ。
そして、タイトルを見ただけで、≪アメリカ小説≫とわかるとなると、管理人さんもかなりの読書好きだと思う。
「今日は楽しかったですかな」
「はい、とっても」
「それはよかった。坊ちゃんも喜びますな」
「かなり張り切って準備してくれたみたいですからね」
「そうですよ。毎日のようにわたしにメールをしてきましたからね。美味しい食材をそろえておいてくれとか、料理はなにがいいとか」
「目に浮かびます」
「でも、坊ちゃんがとても楽しそうで良かった」
「あいつはいつもあんな感じですよ」
「なら、あなたがたは、本当に良いお友達なのでしょうな」
「照れますね」
「坊ちゃんは我慢強いタイプですからな。心配しておりました」
「……」
「将来、家を継がなくてはいけないという責任。人当たりよくしなくてはいけないという責任。小さいころから、少しずつ無理をしていて」
「少しわかります」
なんとなく、本心を隠しているんじゃないかと思う時がある。
「自分を押し殺すのが、癖になっているせいか、自分の本心までわからなくなっている時があるんですよね」
おれがそう言うと、管理人さんはやさしくうなづく。
「他人が求める理想像に、無理に近づけようとするところがあるのですな。そこが美点でもあり、欠点でもある」
おれもそれにうなづく。
「だからこそ、山田さん。坊ちゃんと仲良くしてください」
「はい、もちろんです」
「では、わたしは、自宅に帰ります。あとは若い人たちで」
そう言いながら、管理人さんは帰っていった。
おれの頭には、≪神託の夜≫という言葉が繰り返し浮かんでいた。




