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助けてくれたチョビ髭に連れられ、成り行きで近くの喫茶店へ。一杯千は下らないコーヒーを平然と頼み、私の奢りだ、何でも好きな物を頼みなさい、そう男は言った。
「……先に薬飲む。冷やと、あとこのDXナポリタンって奴一つ頼む」
「畏まりました。御注文は以上で宜しいですか?」
「ああ」
ウエイトレスは気を利かせ、すぐに水を持って来てくれた。礼を言い、早速渡されている頭痛薬を口に含む。
「痛むのかい?」
「まだ。けど、もうすぐズキズキしてくるから早目にな」
胸を叩いて錠剤と水を落としつつ、改めて正対した相手を観察する。着ている茶色のスーツと言い、ピカピカの黒の革靴と言い、如何にもな高級品だ。髪も臭えぐらい整髪料利かせているし、どっからどう見てもやり手の事業家然。
「で、君には何が見えていたんだい?」
「……関係無えだろ、あんたには。不注意は謝るからさ」
そう突っ撥ねると、そうか、オッサンは厭にあっさり引き下がった。
「あんたこそ、さっき俺を妙な名前で呼んだだろ。アダム、だったか?生憎人違いだ。俺はシン・アンダースン。そんなハイカラな名じゃ――――っ!?」
今までの比では無い、強烈な激痛が米神に走る。そして閃光の奥から紛れも無い、彼女の声が聞こえて来た―――アダム、と。そう確かに俺を呼ぶ声が、
「くそっ!何だってんだ……?」
そろそろと痛みの引いた箇所から指を外す。そして自分なりに、今し方の現象を考察してみようと試みかけた。が、
「無理に思い出さない方がいい、アダム。恐らく自力では解けない術の筈だ」
「何で、あんたにんな事が分かる……?」
大体、登場の仕方からして既に胡散臭い。未だに名乗ってもいねえし、こいつ一体何者だよ?
「さあ、深呼吸するんだ。すぅー、はぁー、すぅー……」
スーツの下で動く胸板は分厚く、現在進行形で身体を鍛えている事を如実に示していた。釣られて肺の空気を出し入れする内にブレンドコーヒーが来た。
「大分落ち着いたようだね。―――うん、良い香りだ。先に頂かせてもらうよ」
そう断り、カップを傾ける。
「ああ、済まない。自己紹介がまだだったね」ゴソゴソ。「私はこう言う者だ」
胸ポケットから差し出された名刺には、『ラブレ中央学園理事長 コンラッド・ベイトソン』と印刷されていた。聞いた事がある。確か“赤の星”の学校で、最新鋭設備が整った小中高一貫校だった筈。ただ生憎、野球部はそこまで強くないらしいが。
「君の噂は聞いているよ、アンダースン君。一ゲームで大会史上最多、十本のホームランを叩き出した不動の四番バッターだそうだね」
「あんなの、ただのまぐれさ。ま、お陰で高校でも早々に同じポジション取れたし、別にいいけどな」
「はは。もう少しうちが強ければ、今からでも是非スポーツ特待生として迎えたい所なんだがね。楽しいかい、野球は?」
「当たり前だろ」
そう答えつつも、見透かされた気がして内心厭な気分になった。
確かにホームランを打つ爽快感や、ホームベースに帰還時の安堵感は何物にも代え難い。しかし正直、何故か未だに『チーム』と言う奴には馴染めないでいた。勿論、表面上は巧く誤魔化しているつもりだが。
「んな下らねえ事より、あんたの目的を言え」
ガシガシ。
「それに、何故俺が記憶喪失だって知っている?一体何の用で現れ」
「一つ訂正させてもらおう。私が君の所へ来たのは、別に今日が初めてではない。定期的に足を運んで、もう彼是五年になる」
「はぁ?嘘だろ?じゃあ何で」
「勿論、君が車に轢かれそうになったせいだよ、アダム。まぁ、そろそろ接触のタイミングを見計らっていた所だったから、私としては渡りに舟だったのだが」
ナポリタンが来たので礼を言い、早速空きっ腹へかっ込み始める。
「良い食べっぷりだね。こちらも奢った甲斐があると言う物だ」
「あっそ」
半分程パスタを平らげ、そろそろ目玉焼きを頂くかとフォークを突き刺した時。オッサンは隣の革鞄を開け、徐に一枚の写真を取り出した。
「アダム。君が見たのは、もしかしてこの子ではないのかい?」
「ん?あ……!!!」
差し出された紙片に視線を向けた瞬間―――白身を口に突っ込んだまま、俺の動作の一切は完全に停止した。