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カチカチッ。フーッ……。「どうやら今日も無事無駄足だったみたいだな……」踊り場で一人紫煙を吐きつつ、俺はそう呟く。
自主的にキューの警護を始め、早一ヶ月が過ぎようとしていた。きっかけは勿論、件の『Dr.スカーレット』脱獄ニュースだ。
―――ママは凄い研究者なのよ!今度アラン君にも会わせてあげるね。
記憶封印前、キューは実母をとても尊敬していた。そんな健気な娘を、しかも敵地に囚われた、迎えに来ない親などまずいない。それに、
―――私の家族の中には、動物とお話出来る子もいるのよ。凄いよね。一体どんな風に聞こえているのかな?
もしあの台詞の示す人物が同僚、数学教師アダム・ベーレンスを指しているのだとしたら……安穏な日々に浸っていた俺達と逆に、『ホーム』の連中は何年も前から周到な準備をしていた事になる。家族全員の奪還と言う、難儀な計画の支度を。
(加えてハイネの話に因れば、奴は保健医の木咲とも繋がっている……全く、つくづく侮れない下宿人だぜ)
あの様子なら、恐らく他にも色々と掴んでいる事だろう。大家の権限を使い、洗い浚い訊き出したいのは山々だ。が、一旦秘密と決めたあいつの口を無理矢理割らせれば、折角築きかけた信頼関係に罅が入りかねなかった。
(しかし幾ら生徒相手とは言え、俺が掴めなかった尻尾をあっさり出すとは……いや。他ならぬあいつだから、か……?)
保護者代理として認めるのは非常に不本意だが、ハイネは他の生徒と決定的に何かが『違う』。子供らしくない達観した物言いなど、所詮はその片鱗に過ぎない―――異端。教育者として、そんな単語は使いたくはないが……。
半分程になった煙草を持参の吸殻入れに仕舞い(せめてマナーは守らないとな)、半階上を見上げる。今頃暢気に寝支度に勤しんでいるであろう、幼馴染の部屋を。
当然の事だが、キューにボディガードの件は伝えていない。ただ脱獄当初、母から最近物騒だとそれとなく警告があった。素直な彼女はその言に従い、毎夜コンビニにも行かず自室に籠もってくれている。お陰で幸い、まだ一度も気拙い鉢合わせは無かった。
(だが万が一、本当にベーレンスがやって来たら……平謝り、するしかねえよな)
犯罪絡みだったとは言え、大切な家族の記憶を弄ったのは事実だ。誠心誠意謝罪し、場合に因ってはその足でキューの部屋へ押し掛けよう。三人で膝を突き合わせればきっと過去、母達や政府館が考え付かなかったような解決策が見つかる筈だ。
(見た目からして頑固そうだから、最初の話すら聞かない可能性も十二分にあるが……どうしても悪い奴には思えないんだよな)
仮令逆上を買っても、それも無理からぬ事。俺が殺されれば遺された両親、とりわけ母は大いに悲しむだろう。一人息子の上、一年前には伯母二人が事故死したばかり。親不孝にも程がある。
(ハイネは、あー……ま、いざとなればダイアンがいるし、あいつに関しては大丈夫だろ)貞操以外は。
死後への不安が一段落した時、一階から上って来る靴音が耳に届く。耳慣れないリズムだ。一ヶ月の張り込みの副産物で、この時間帯帰宅する住民の足音は全員記憶していた。しかし今聞いている物は、その内の誰とも該当しない。
「いよいよ、か……」
再度金属製のドアを仰ぎ見、パジャマ姿であろう初恋の女性の顔を思い浮かべる。
「何も心配要らないぞ、キュー……もうすぐ『俺達』が助けてやるからな」
誓いを立て、胸に蟠る恐怖を払い除ける。代わりに満ちた決意を固め、やって来る迎えを待ち構える体勢に入った。




