第一話 浜高名物開かずの間
龍が往く NAGA IS GOING
登場人物
安倍晴明 (あべ はるあき) :主人公。倶利伽羅龍王の化身。文芸部。
池端芳恵 (いけはた よしえ): 安倍の彼女。文芸部。
伊藤敦志 (いとう あつし) : 安倍の親友。写真部。
永野裕子 (ながの ひろこ) : 伊藤の彼女。地学部。
矢野享 (やの すすむ) : 安倍の親友。驚くと女になる特異体質。地学部。
龍が往く NAGA IS GOING
第一話 浜高名物開かずの間
【1】
「チーッ !」
「ポンッ!ポン勝ちィ」
伊藤と安倍の声が、土曜日の放課後の地学部に交錯した。
安倍晴明は、ここ静岡県立浜名湖高校(※1)の一年生である。伊藤敦志の同じ。この二人は親友である。まだ五月で、この二人が逢ってからわずか一ヶ月しか経っていないのだが、既に意気投合している。
彼らが今やっているのは、「セブンブリッジ」である。トランプでやる略式麻雀だと思えばいい。
「へっへっへ、どうだ伊藤さん」
安倍はそう言うと、ポンした札を開いた。『4』ポンだ。伊藤の上家、大道憲吾が捨てたカードが、それを恨めしそうに見る伊藤の目の前で、安倍の前にさらされる。
「マジかよそれ。カンチャンぶち抜きだぜ」
伊藤がブツブツと呟いた。ちなみに伊藤のカンチャン待ちは『◇3』『◇5』で、『◇4』を待っていたのだ。
「おい晴明」伊藤は、安倍を睨みつけた。「お前、また俺の手を透視したんじゃねーだろうな?」
「そんなキタネー事しねえよ」
安倍は答えたが、実は安倍には伊藤の手も大道の手も丸見えなのだ。ちょっと意識を集中すれば、トランプの柄くらい完璧に見えてしまう。彼はそれほどの超能力者なのである。勿論、それを使ってゲームに勝とうなどと思った事は無い。たとえ、このゲームに金がかかっていたとしても、だ。
安倍と伊藤がそんな事を言い合っている間に、大道がツモッた。
「ホホホホ、ナーイスツモ」
大道は、唇を震わせる独特の笑い方をすると、手札を場に開いた。
「『7』ポン!」
大道の宣言と同時に、安倍と伊藤はずっこけて騒音を立てた。
「大道、てめえっ!このチャリ毛!」
「『7』ポンだけはやめてくれよ」
「セブンブリッジ」には、『つける』というルールがあり、場に出ている札に、チー札に連続する、あるいはポン札
と同じ手札をつけて、自分の手札を減らす事が出来るのだ。だから『7』をポンされると、それに続く『6、8』が浮いてしまうのだ。特に、『4』がポンされているので、
『5、6』は完全に宙ぶらりんになってしまった訳だ。
「大道、それ、分けようぜ」
安倍が苦笑いをしながら言った。「セブンブリッジ」では『7』のみ、チー、ポンに関係無く、一枚だけで
場に出せるのだ。安倍は、
そうしてくれと言ったのだ。
「うるさいな、俺の勝手だら」
しかし大道はそのままで通してしまった。
「ちょっとちょっと、どうしたの?」
ずっこけた騒音を聞いて、伊藤の彼女である永野裕子がやって来た。彼女の後ろについて、安倍の彼女である池端芳恵もやって来る。安倍と池端は中学以来の付き合いだが、伊藤と永野は浜高に入ってからだ。
永野は伊藤の後ろに回り込むと、彼の手を覗き込んだ。
「あらら、伊藤さん、『4』ポンに『7』ポンじゃ踏んだり蹴ったりだね」
「そーだろー、みんなして寄ってたかって俺をいじめるんだぜ」
伊藤が永野に向かってそう言った時、トランペットの音が遠くから聞こえてきた。
「お、ブラバン(ブラスバンド部)か。土曜日だってのに、頑張ってるねぇ」
安倍が呟いた。
「わたし達が頑張らなさすぎるんじゃないの?」
安倍のセリフに答えて、永野が皮肉を言った。
「ノンビリなのが良いんだよ」
安倍がそういった時、彼の後ろで急に池端が手を叩いた。
「あ、そうそう。ブラバンで思い出したけど、音楽室に変な噂があるんだってね」
「それなら俺も知ってるぜ!」
教室の奥で、矢野と「チンチロリン」(※2)をやっていた馬場昇が、突然会話に加わった。
「池端さん、『開かずの間』の事だら?」
「うん」
「あ!あ!あ!それならあたしも知ってる!」
今まで『ガラスの仮面』(※3)を読みふけっていた水野明子がはしゃいだ。
「あたしは知らない」
同じく『ガラスの仮面』を読んでいた佐藤晶――女の子である――が、のんびりと顔を上げて言った。
「馬場プロに水野も知ってるのか。――ところで、その『開かずの間』の話って、どんなんだ?」
安倍の問いに、馬場が話し出した。
「いや何でも、音楽準備室ってのがあるら。その中に更にもうひとつ部屋があってな、その部屋の中で数年前に浜高の生徒が首を吊っただって」
「えーっ」
佐藤が思わず声を上げた。
馬場は彼女をチラリと見やって、先を続ける。
「そんで、しばらくすると、その部屋の戸を開けておくと、中から泣き声が聞こえてくるようになったんだとさ
。シク…シク…シク…と」
「やだあっ」
永野が顔をしかめた。
馬場の能面のような表情でする怪談は、はっきり言って不気味なのだ。
「――で、それ以来、そこの部屋は鍵をかけて、ずーっと開けんでにいるだって事だに」
「へーえ」
馬場の話が終わると、安倍と伊藤は同時にため息をついた。そんな安倍に、矢野享が声を掛けた。
「おい晴明、お前、その部屋を調べたくてウズウズしてるだら?」
「良く判ったなキョウちゃん」
安倍はニヤニヤ笑いながら答えた。矢野の名前は、今まで誰一人として『すすむ』と読めた人がいないのである。
「うるせえ。――ま、それはともかく、晴明よお、一丁お前の超能力で調べてくれよ」
「そーよ、面白そうじゃん」
水野も、矢野に便乗する。
「そうだなあ…。機会があったらやってみることにしよまい」
安倍はそう言うとトランプを手の中で揃え直した。
「おい、伊藤さん、大道、まだ勝負はついてねぇぜ」
【2】
丁度その時、話題の『開かずの間』の前に、ブラスバンド部の顧問である阿部が立っていた。
彼は、この部屋のスペースを是非とも使いたかったのである。ただでさえ狭い準備室に管楽器のケースを部員の数だけ置くと、最早足の踏み場が無くなってしまうのだ。この『開かずの間』を開けて、中に荷物を入れれば、少しは準備室を広く使えるのである。
「さて、『開かずの間』だか何だか知らないが、開けるとするか」
阿部はそう言うと、『開かずの間』の鍵を取り出した。
そこへ、ブラスバンド部の高柳が入って来た。
「先生、本当にそこ、開けるんスか?」
高柳は入って来るなり言った。
「やっぱりヤバいんじゃないスかね、そこ開けるの」
「なあに、心配することはないよ。噂は、あくまで噂に過ぎんのだで」
阿部はそう答えると、鍵を鍵穴に差し込んだ。
ガチャガチャと何度か捻るが、なかなか回らない。
「おっ、固いな。錆び付いてるんかいや?」
阿部がそう言いながらガチャガチャやっているうちに、カチャリと鍵が開いた。
「お、開いたか」
「先生、考え直さん?」
「まあ見てなさい」
阿部は高柳の言葉を軽く受け流すと、ドアを開けて『開かずの間』に踏み込んだ。
部屋の中は、窓がないせいで真っ暗である。スイッチを試してみたが、電気はつかない。どうやら、電球が切れているようだ。
空気が埃っぽく、喉がおかしくなりそうなほどである。
「よく見えんな」
阿部は訝しげに呟いた。後ろのドアは開けてある。昼間なのだから、狭い部屋である、隅々までとは言わないまでも、大方部屋の内部は見えてもいいはずである。しかし、光は途中の空間に吸収されてしまうかのように、部屋の真ん中までも届かない。
と――。
「おや?」
阿部は思わず声を上げた。部屋の奥で青白い光がまたたいたように見えたのだ。
「なんだ、ありゃ」
阿部は、その光の正体を確かめようと一歩近付いた。
「大丈夫かよ、アベニューは」
『開かずの間』の中が見えないように――中を見るのが怖かったのだ――立っていた高柳がそう呟いた、その途端、
「ぎゃあっ!」
悲鳴と共に、阿部が部屋の中から吹っ飛んで来た。
「なっ!?」
目を丸くする高柳の目の前で、ドアがひとりでに閉まり、阿部は床に叩きつけられた。
床に倒れたまま、ぴくりとも動かない阿部を見て、不安になった高柳は慌てて脈を取った。
「ゲッ……、脈がねぇ……」
阿部の悲鳴は、三階の地学部まで聞こえて来た。
「おっ」
ツモろうとした安倍の手が止まった。
「何だ何だ?」
「噂をすれば、かな?」
大道と伊藤が口々に呟いている。しかし、安倍の耳には、それすらも入らなかった。猛烈な邪気を感じたのだ。盆の窪の毛が一本残らず逆立っている。
「おい、行くぞ」
安倍はそう言うと、椅子をひっくり返さんばかり勢いで立ち上がると、地学室を飛び出して行った。伊藤や永野、池端や大道も続く。
「こりゃ、面白くなりそうだに」
矢野と馬場は呟くと、やはり彼らに続いて走り出した。
階段を一気に駆け上がった安倍が音楽準備室に飛び込むと、高柳が懸命に、阿部に心臓マッサージをやっていた。
「どうしたんだ、おい?」
「どうしたもこうしたもねぇよ。アベニューの心臓、止まってんだぜ」
「なっ!?」
安倍と、彼に少々遅れてやって来た伊藤とが、驚きのコーラスをした。
「まじかよ、それ?」
伊藤は思わず高柳に聞き返したが、蝋人形のような阿部の顔色を見れば、それが冗談ではない事くらい、一目瞭然だ。
「冗談で心臓マッサージなんかやるかいや!」
思わず怒鳴り返した高柳を、安倍は押し退けた。阿部の顔から心臓のあたりにかけて、掌で触れるか触れないかの位置でなぞってみる。
安倍は、心臓の位置にビリビリするほどの邪気を感じた。何者かの邪気が、安倍の心臓の活動を阻止しようとしているのだ。これでは、いくら心臓マッサージをしたところで、再活動する訳はない。しかし、阿部自身はまだ死んでいない。生命の火はまだ消えずに残っている。実にラッキーな男だ。高柳の心臓マッサージが、生命の維持に役立ったのだ。
少々遅れてやって来た池端と永野、そして大道、矢野、馬場が、伊藤と高柳の後ろから伸びをして覗き込む。
「安倍さん、どうしたの?大丈夫?」
事情が良く判らないながら、池端が声を掛けた。
「大丈夫、まだ助かる」
安倍は、特に池端に答えるでもなく、言った。それを聞いて、高柳の顔色が変わった。
「助かるって、もう死んでんだぜ!」
それを聞いた池端と永野、そして更に遅れて来た水野と佐藤が息を呑んだ。
「まあ、黙って見てろや」
伊藤は動転している高柳を押さえた。そんな後ろの動揺に安倍は全く気付かず、阿部の心臓の上に軽く手を乗せた。そして、口の中でブツブツと偈文を唱え始めた。
「大慈大悲の地蔵菩薩よ、その本誓を以てこの男の魂を呼び戻し給え」
そこまで唱えると、安倍は気を右掌に集中して叫んだ。
「唵 訶々々(カカカ)微三摩曳莎訶!」
その途端、目に見えない気がしぶいた。目には見えなかったが、物理的な影響はあった。阿部の体が安倍の掌の下で激しくはね上がった。また、後ろで見ていた伊藤たちの髪の毛が突風を浴びたようになびき、池端たちのスカートが風を含んだように膨らんだ。
阿部の体は二回、三回と跳ねた。そして、心臓が再活動を始めた。地蔵菩薩の加持力で、邪気が消滅したのだ。
安倍は血の気が戻って来た阿部の水月に軽く気を叩き付けた。阿部の横隔膜が刺激され、呼吸が再開される。
阿部は完全に蘇生した。
「おお、やった!」
思わず伊藤たちが歓声を上げた。
「ウソだら?おい……」
呆然と高柳が呟いた。
「よし、ともかく保健室だ。矢野、保健のおばさん(※4)を探して来てくれ」
安倍は、高柳に動揺するヒマを与えず、指示を飛ばすと、まだ意識の回復していない阿部の体を持ち上げた。
幸い、保健のおばさんはまだ学校に残っていたので、阿部を見てもらった。阿部には見たところどこにも外傷は無く、胸と背中に打撲傷が認められただけだった。
「それにしても」と、伊藤。「背中は、倒れた時に打ったんだろうが、胸の打撲傷ってのは何でついただい?」
「清明がなんかやったからじゃねぇのか?」
「うるさいな、矢野」
安倍はそう言うと、今度は高柳に向かって言った。
「お前は一応、一部始終を見てただら?アベニューは一体どうなったでぇや?」
「いやそれがな、俺にもよく判んねーだけどや、アベニューが『開かずの間』に入ってしばらくしたら、悲鳴が聞こいて、中からアベニューがすっ飛んで来ただよ」
「すっ飛んで来たって、突き飛ばさいたような感じだったか?」
「ああ。でももっと強い感じだった。なにしろ、足が浮いてたからや」
「へえ……」
伊藤と矢野が溜め息みたいな声を立てた。
「あ、阿部先生、気がついたわ」
永野と二人で阿部を看ていた池端が言った。安倍たちは、早速阿部を取り囲んだ。
「お、お、お、どうしただいお前たち……。あれ、どうして俺はこんな所にいるだ?」
「何ボケた事言ってんだよ」と伊藤。「先生、一体全体あの中で何を見たでぇ?」
「あの中?」
阿部は何の話か判らない、というように目を丸くした。
「何の話をしてるだ、お前らは」
「何の話、じゃねえよ。先生、『開かずの間』に入っただら?」
伊藤にそう言われて、益々阿部の目が見開かれた。
「俺がいつ、あんなところに入っただって?」
伊藤も、安倍も思わず絶句してしまった。
「先生、覚えてねえのかよ。先生が入るっつったもんで、俺が何回も止めたら」
高柳が阿部に食って掛かった。
「何の事だか、さっぱり判らん」
阿部の言葉を聞いて、安倍たちは顔を見合わせた。安倍は素早く阿部の額に掌をかざす。
「な、何するでぇ?」
阿部が驚いて文句を言ったが、安倍は構わず目を閉じた。
「晴明、なんか判ったかいや?」
馬場の問いに、安倍はゆっくりと目を開けてから、答えた。
「ああ、面白い事が判ったぜ。先生は『開かずの間』に入った前後の事を、きれいさっぱり忘れさせらいてる」
【3】
とりあえずその日は放っておいて、来週になってから『開かずの間』について調べて見よう、という事になった。
そして月曜日。
朝のHRが終わると、安倍と伊藤は担任の忠内英夫を掴まえた。
「え、『開かずの間』について知りたいって?」
「そうなんだ、忠ちゃん。悪いけど、職員室で他の先生方に聞いてやあ、何でもいいで調べてくれない?」
安倍はそう言うと、忠内に手を合わせた。浜名湖高校広しといえども、自分のクラスの担任に面と向かって"忠ちゃん"などと呼べるのは、安倍と伊藤をおいて他にない。
「そうか、土曜日の一件で、興味を持ったって訳か」
「そう」
「安倍としては、『開かずの間』の由来話は眉唾だ、と思ってるだら?」
「その通り。流石だね」
安倍はそう言って笑って見せた。忠内は不思議な能力を持っていて、一目見ただけで相手の考えている事を見抜いてしまうのだ。
「そうなのか?」
伊藤が安倍に向かって尋ねた。
「ああ。もっと面白そうな話だと思うだよ」
「よし、判った。じゃあ、調べておくで、放課後、掃除が終わったら、英語研究室まで来てくれや」
忠内がそう言った時、チャイムが鳴った。
「いけね、32HRで英語があるんだ。じゃ、またな」
忠内はそう言うと、すたこらと階段を降りて行った。まだ若い、教師らしくない教師である。
四 時間の授業が終わって、昼休みの時間になった。安倍たちは何時の頃からか地学室に集まって昼食をとるようになっていた。今日も今日とて彼らは地学室で思い思いの昼食をとっていた。
「ところで晴明、あの事で何か判ったかや?」
矢野が、弁当を食いながら安倍に訊いた。
「あ、そうそう。昨日、図書館行っただら、池端さんと」
伊藤も口を揃える。
「最後の一言は余計だよ、伊藤さん」
安倍はそう言うと、卵焼きを口に放り込んでから、言葉を続けた。
「生憎、何にも判らんかった」
「うん。中央図書館に郷土史料館ってあるでしょ。あそこでね、過去十八年間の浜松市内で起こった殺傷事件について調べてみたの」
「十八年間!?」
安倍の言葉を継いで言った池端の言葉に、水野と永野が驚きのコーラスをした。
「ちょっと、どうやって調べたよ、そんながんこ(膨大)な量」
永野が、もっともな質問をした。
「私は、一年分しか調ベられなかったわよ」池端が笑いながら答えた。「私なんか、それだけでも肩が凝って眼が痛くなっちゃったけど、安倍さんはその間に十七年分全部調べちゃったの」
「えーっ!!」
永野、水野、佐藤が大声を出した。
「ど一やったら、そんなのを一日で調ベられるだや?」
永野がそう言うのを、伊藤が横から説明を加えた。
「永野さん、晴明をただの人間とー諸にしちゃいかんに」
「その通り」矢野も同調する。「晴明は化物だもんで、人間では絶対不可能な事もやっちまうだよ」
「うるさいな」
安倍はそう言うと、さらに弁当に取り組んだ。
「それにしてもやあ」と大道。「新聞っつったら、休刊日を考えに入れたって、大体一年で三百四十部はあるら。それが十七年分だらぁ。……単純計算だって……五千七百八十枚(※5)の新聞記事を調べなきゃならないんだぜ。やっはり気違い沙汰だ」
「悪かったな、気違い沙汰で」
「ところで、そうやって調べた結果はどうだっただいや?」
馬場が、ようやく話を元に戻した。
「あ、そうそう」と安倍。「十八年間――つまり、浜名湖高校の創立以来、浜松市内の事件、特に自殺やケンカによる致死事件なんかを徹底的に調べただけどな、あいにくそんな話はー度だって無かっただよ……浜高に関しては、な」
「と言うことは、『開かずの間』の話は全くのデマだったって事か?」
そう言う矢野に、安倍は首を振って見せた。
「いや……まあ、自殺者がどうのって話は眉唾だが、それでもあの『開かずの間』に何かがあるのだけは、確かだに」
「何か感じる訳か?」と伊藤。
「そう。この間の件以来、妖気をビンビン感じるに」
安倍はそう言うと、気を通して髪の毛を何本か立たせて見せた。
「ゲゲゲの晴明ってか?」
馬場が言った。安倍のジョークに対する絶妙の間の突っ込みだ。大しておかしくもない亊だが、大爆笑になってしまった。
「だもんで」
笑いをかみ殺しながら、安倍が口を開いた。
「今日、忠ちゃんに『開かずの間』について調べてもらうよう頼んどいたからさ。何か判るかも知れんよ」
五時間目の公民、六時間のLHRが終わると、安倍と伊藤は掃除もそこそこに、英語研究室へ行った。LHRが終わってすぐ忠内は職員室へ行ったようで、英語研究室には誰もいなかった。そこで勝手にソファでくつろぎ、勝手にコーヒーを入れて飲んでいるところへ、忠内が入って来た。
「お、お前ら、もう来てたのか。ちょっと待っててくれ。少し仕事があるもんでな。――あ、安倍、悪いけど、俺にもコーヒー一杯入れてくれ」
彼はそう言うと、何やら書類を引っ張り出して、書き込み始めた。忠内の机は、キレイにまとまっているのだが、書類立ての中にー冊『うる星やつら』(※6)があったりする。年寄りに言わせれば『新人類』なのである。
安倍はコーヒーを淹れると、忠内の机へ持って行った。
「で、どうだったの?忠ちゃん」
安倍の問いに、書く手を休めて忠内が答えた。
「いや、それがな、そういった話は全然無いだよ」
「やっぱり」
安倍と伊藤が呟いたのを見て、書類書きを再開しながら、忠内が言った。
「無い、と言ってもな、数年前に自殺者が云々っていう話はちゃんとあるんだぜ。本当の事件についてはともかく」
安倍が調べて来た事実を、既に知っているかのような口調だ。
「ちゃんとあるってのは、どういう事?」
伊藤が訊き返した。忠内の洞察力の鋭さには、いちいち驚かない。もう慣れっこなのだ。
「いやね」忠内が言った。いつの間にか、また仕事が止まっている。「実は、ある仮説を立ててみてね、それに沿って調べてみただよ。先ず、ちょっと古株の野末先生に話しを聞いてみた。あの人は『数年前に、ある生徒が』って事しか知らなかった。次に、結構古株の村上先生と布川先生その他に聞いてみた。やはり、『数年前』と『ある生徒』、という位しか知らなかった。それではってんで、最後に最古株の校長と用務員のおじさんに聞いてみた」
「やっぱり、数年前、ある生徒ってか?」
「そっ、その通りだ伊藤。つまり、この『開かずの間』の話は、浜高創立以来からあるんじゃないかっていう俺の仮説は正しかったって事だ。『開かずの間』の話自体は、まあ所謂『ガッコウの怪談』だ」
忠内はそこまで言うと、また仕事を再開した。
「なるほどね…」
コーヒーを啜りながら安倍が呟いた。
「こいつは、自殺だなんだ、なんていうジャンルの問題じゃなさそうだね」
「じゃあ、何だってんだ?」
と、伊藤。既に空になったコーヒーカップを弄んでいる。
「それは、これからのお楽しみだよ」
安倍はそう言うと、コーヒーを流し込んでから立ち上がった。
「よし、それじゃあ、今週の土曜日は観測会(※7)だな」
伊藤がそう言いながら、安倍に次いで立ち上がった。
「そーゆーこと。じゃあ、忠ちゃん、どうもありがとう。せっかくだから、今週の観測会、来てよ。じゃ、さよなら」
安倍は言いたいことを言うと、さっさと英研を出てしまった。伊藤も、忠内に何か言われる前に、素早く出てしまう。
「あ、お前ら、待てや。自分が使ったカップぐらい洗ってけ」
忠内の言葉は、もう遅かった。
【4】
さて、土曜日。
半ドンの授業が終わって、一度家に帰った地学部員たちは、午後六時に、再度地学室に集合した。勿論、実は地学部員ではない安倍や伊藤、池端もいる。
思い思いに天体観測をやっている、真面目な地学部員を残して、安倍、伊藤、矢野、大道、馬場、忠内は、五階の音楽準備室『開かずの間』へと向かった。
池端、永野、水野、佐藤らには、絶対について来ないように念を押した。この一週間で、安倍の感じる妖気は、危険なほどに強まっていたのだ。
実は今回の観測会、正式に学校側の許可を取っていない。それに、真面目な地学部員の活動を邪魔するというので、電気を点けることが出来ない。彼らは、手にした懐中電灯の薄気味悪い明かりを頼りに、音楽準備室の前までやって来た。
「か~っ、こりゃ、凄い妖気だ」
思わず安倍が呟いた。何しろ、特に霊感の強くない伊藤たちでさえ、異常な悪寒を感じるくらいである。
「う~、バカ気持ち悪りい…」
「来んじゃなかった…」
大道と、伊藤が口々に言うのを無視して、安倍は戸を開けた。
その安倍の顔に、まともに瘴気が吹き付けて来た。この強烈な瘴気は、全員が感じたようだ。思わず皆が咳込んだ。
「これはこれは。俺の想像を遥かに越えてるな」
忠内が呟いた。口に掌を被せているので、声がこもっている。
「よし、行くぞ」
安倍は呟くと、片手を上げて、指で皆を促すと、部屋に足を踏み入れた。
中に入ると、息苦しさが増した。異常な息苦しさに耐えられなくなった大道が窓を開けたが、それでも依然息苦しさは無くならない。
「マジかいこれ…」
矢野が呟いた。脂汗をかいている。安倍と忠内以外は同様だ。
「今にも何か出て来そうだら」
馬場が恐る恐るそう言った時、彼の背後で突然戸がガタンッ!となった。思わず全員が飛び上がった。
「なっ!?」
冷や汗をぬぐいながら振り向いた安倍は、やっぱり、というように溜め息をついた。
「来んなって言っただに…」
皆が振り返って見ると、池端、永野、水野、佐藤がおっかなびっくり部屋に入って来るところだった。
「だって、心配だったんだもん…」
池端が、猫なで声で安倍に言った。超能力者の安倍も、こんな池端に掛かっては形無しである。怒る気も失せてしまった。
「はいはい、判りましたよ。でも、気を付けてくれよ。今ので、矢野が女になったらどうすんだ?」
「もうなっちゃったよ」
矢野が言った。声がいつもより一オクターブ高い。彼は、驚くと女に変身してしまう「特異体質」なのだ。
「おい矢野、元に戻してやろうか」
大道が言った。矢野が女になったら、くすぐれば元に戻るのだ。しかし、自分でやっても効果は無い。他人にくすぐられないと駄目なのだ。
「いいよ」と、矢野。「そんな事より『開かずの間』だ」
「よし」
安倍は、ひとつ深呼吸をすると、『開かずの間』の扉の前に立った。
「開けるぞ」
彼はそう言うと、鍵穴に気を打ち込んだ。錆びた鍵は、あっという間に壊れて外れた。その勢いで扉も開く。
突然、気が爆発した。扉の近くに立っていた矢野と伊藤、大道が吹っ飛ばされて床に転がった。
途轍もなく強烈な妖気が、部屋に充満した。
「気をつけろ!」
忠内が叫んだ。安倍は言葉も無く、まともに吹き付ける妖気と闘っている。
と、不意にその妖気が薄れた。
「あっ!ジャキさん?」
「大丈夫?」
次の瞬間、永野と池端が、悲鳴に近い声を上げた。突然、佐藤が頭を抱えてうずくまったのだ。
「妖気に当てられたか?」
安倍が呟いて、気を注ぎ込もうとすると、まるで人形の様なぎこちなさで、佐藤が立ち上がった。
「あ、ジャキさん、大丈夫…」一瞬輝いた池端の顔が、また曇った。「…じゃあ、ないみたいね」
池端がそう呟いた時、佐藤が口を開いた。
〈おぬしら、よくぞ封印を解いてくれた。礼を言うぞ〉
普段の佐藤の声からは全く想像すら出来ないような声だ。低いダミ声で、その声の裏に、ドロドロとした怨念すら感じ取れる。
「ジャキ…さん?」
永野は絶句した。他の者も同様だ。大体、安倍以外にこのような憑依現象を見るのは、生まれて初めてなのだ。
佐藤は、凄まじい形相をしている。両の眉が吊り上り、鼻にしわを寄せて、歯をむき出している。普段の佐藤を知っているだけに、正視に耐えない。
「お前は何者だ?」
安倍は、トランス状態にある佐藤に尋ねた。
〈儂は、武田軍遠江征伐隊頭領、石倉丞之進景綱〉
佐藤―いや、亡霊が答えた。佐藤の発声の限界以下の低い声を出そうとする為、言葉のところどころがかすれて聞こえるが、相手は確かに「武田軍」と言ったようだ。
「武田軍って言う事は、お前は古戦場からさ迷い出た亡霊って事だな」
〈儂一人ではない。犀が崖(※8)で無念のうちに命を落とした多くの武者達も、儂と共に来ておるわ〉
皆、声も無く安倍と亡霊の掛け合いを聞いている。
「じゃあよ、えーっ石倉殿。貴殿は何故、このような場所に留まっているんだ?」
〈復讐だ〉
「復讐?誰に?徳川家康か?そんな奴、とっくに冥土へ行ってるぜ」
〈徳川などどうでも良い。我らは遠江の人間、日の本の人間、この世に生きる全ての人間に復讐してやるのだ。四百年間の我らが恨みを晴らすには、この世に生きる全ての人間の生血が必要なのだ!〉
「……」
安倍は言葉を失った。ただ復讐の為だけに怨みを募らせるあまり、狂気と化したこの亡霊を、どうやって鎮めたらいいのだろうか?
〈我らが復讐は、二十年前から行うはずだった。だが、裏鬼門にあのような寺を建ておったので、我らの力が全てはね返され、この地に滞ってしまった。しかし、この二十年間、全き無駄では無かった。以前よりも我らは強い力を手に入れた。今こそ、鬼門を開き、この世を地獄と化すのだ!〉
亡霊がそこまで言った時、安倍の忍耐が切れた。安倍は、印呪を佐藤に向かって放った。
「阿尾羅吽欠!」
その途端、佐藤の体内に大日如来の光が充満し、亡霊が悲鳴と共にはじき出された。
亡霊の支配から解放された佐藤は、その場にヘナヘナと崩れ落ちた。永野と池端、水野が慌てて介抱する。
亡霊は、今や目に見える黒い渦として、部屋の天井の隅にわだかまっていた。渦の中心は、どろりとした闇だ。安倍はその渦に向かって怒鳴った。
「この野郎、黙って聞いてりゃあ、つけ上がりやがって。何が『全ての人間の生血が必要』だ。お前らの無念も判らんでもないがな、今さら八つ当たりされても、こっちが困るんだよ!踊り念仏(※9)で満足出来なかったのかよ」
〈たわけ。あのような物で我らが怨みが消せるとでも思うたか。確かに、あれが行われて直ぐは中々に功徳があったらしく、儂の部下も少しは成仏したようだ。しかし、時が経つにつれ、あれは形骸化した。今や何の力も持っておらぬわ〉
「そうか。良く判った」
安倍はそう呟くと、小さく溜め息をついた。
〈判ったのなら、手を引け。邪魔立てをいたすな。いずれこの世は地獄となるのだ。もがくだけ無駄な事だ〉
亡霊・石倉はそう言うと、哄笑を残し、壁をブチ抜いて虚空に飛び上がった。
〈我が怨みの念力で、この日の本が、やがてはこの世の全てが地獄の業火に焼き尽くされるのだ!〉
そうわめいた石倉に向かって、安倍は印呪を放った。
「南麼三曼多伐折羅赧悍!」
その途端、巨大な火焔が渦の中心で爆発した。
〈ぐおあっ!〉
亡霊が悲鳴を上げた。
「ごたくを並べるのもいいい加減にしやがれ!」
安倍は毒づくと、孔雀明王の印呪を唱えた。
「唵摩臾羅訖蘭帝沙婆訶!」
そのまま宙に躍り出ると、亡霊と同じ高さにまで浮かび上がった。
「ふざけるのも限度ってものがあんだぜ。俺が今からお前に引導を渡してやるから、そこへなおれ!」
安倍がそう言い放つと、亡霊が怒鳴り返した。
〈ぬかせ!貴様から先に地獄へ堕としてくれる!〉
次の瞬間、闇の渦が成長を始め、十メートルほどの大きさになった。徐々に何かの形を取り始める。
「なっ、何だ、ありゃあ?」
壁の大穴から様子を見ていた矢野が、指を差しながら―その仕草まで女っぽくなっている―叫んだ。
「ぬえ?」
その形を見て、思わず忠内と馬場が同時に呟いた。が、それは「ぬえ」とは違っていた。
「あ、ありゃあネズミだら」
伊藤が結論を出した。亡霊は、巨大な半人半鼠の姿になったのである。
〈我らが復讐の邪魔はさせぬぞ!〉
亡霊は吠えると、鋭い爪の生えた腕を、安倍に向かって振り降ろした。
安倍は素早くそれを躱すと、亡霊の上空に位置を取った。
「仕方がない。降伏してやる」
安倍はそう言うと、印を組んで真言を唱えた。
「唵布祗歩醯布伽跛底吽莎訶!」
その途端、安倍の身体が光に包まれ、その光が細長く伸びた。三十メートルはあろうか。そしてその光が消えた時、そこには全身金属の様な光沢を持つ、黒い鱗に覆われた龍の姿があった。神々しいまでに美しい黒龍だ。
「すげぇ……」
伊藤が思わず呟いた。他の連中は声も無い。全員、安倍が超能力を持っている、という事は知っていたが、まさか龍に変身するとは思いもしなかったのだ。
「凄い……神様みたい……」
池端がかすれた声で言った。目尻に涙を浮かべている。本当に感動しているのだ。
〈ギャオッ!〉
亡霊が吠えて、龍に襲い掛かった。龍はその図体からは想像出来ないほどの素早さで攻撃を躱すと、口から炎を吐いた。
亡霊が燃え上がった。悲鳴を上げて悶えているのを、龍の尾が叩きのめした。亡霊はグラウンドに叩きつけられ、数メートル地中に埋まった。
〈グオオウワオオアッ!〉
亡霊が悲鳴のような怒声を上げて、立ち上がったところへ、龍が印呪を放った。
〈倶利伽那迦囉惹銘伽扇儞曳莎縛訶〉
亡霊の身体が青白い炎に包まれた。その炎の中で、鼠男の体が徐々に崩れて行き、最後には炎に包まれた野球のボール程の大きさの塊が残った。
龍はその塊の周りを自分の長い体で囲み、静かに真言を唱えた。
〈唵阿慕伽廢魯者娜摩訶畝陀羅摩抳鉢頭麼人縛攞跛羅韈譚野吽〉
真言を唱え終わった時、亡霊の成れの果ての小さな塊は、まるで陽炎のように消えた。
【5】
浜名湖高校に、また静寂が戻った。亡霊が消えたのを見届けると、伊藤たちは腰が抜けたかのようにその場にヘナヘナと座り込んでしまった。
「やいやい、まるで怪獣映画を3Dで観たみたいだったな」
矢野が女座りをしたまま呟いた。
「『海底軍艦』(※10)っていう映画に出て来た、マンダって怪獣を思い出したね」
馬場はそんな事を言っている。
「マンダで悪かったね」
不意に安倍の声がしたので、全員が驚いてその声の方を見た。そこには、いつもの通りの安倍が、壊れた壁の穴の所に立っていた。
「安倍さん!」
その姿を見て、池端はとうとう泣き出してしまった。
「えっ?あっ、ち、ちょっと池端さん、どうしただい?」
安倍は見事にうろたえて、池端の側へ行った。何とか慰めようとするが、全くどうしていいか判らず、途方に暮れている。龍に変身するほどの力を持っているくせに、女の子の慰め方ひとつ知らないのだ。
「ねえ芳恵、どうしたの?安倍さん大丈夫だったのよ」
たまりかねて、永野が助け船を出した。
「だって、だって、安倍さんが心配だったんだもん……」
池端はしゃくりあげながらそう呟いた。
「よっ!晴明、色男!」
「ニクイよ安倍さん!」
「ヒューヒュー」
伊藤と水野、矢野が口々にはやし立てる。
安倍は照れ隠しも兼ねて、プイと壁の穴に向かって立った。印を組んで、真言を唱える。
「唵布祗歩醯布伽跛底吽莎訶」
真言を唱え終わると、不思議な現象が起こった。
崩れたコンクリートの破片が、次々と元に戻り始めたのだ。まるでフィルムを逆回しで観ているようだ。壁に開いた大穴は、壊れた時と同じ早さで復元してしまった。
「あらあら」
永野が目を丸くして呟いた。
「すごーい、手品みたい」
元気を回復した佐藤が、のんびりと言った。
「ところでさあ、晴明」と、矢野。「ほら、あの、龍……がさ、亡霊の鼠男の成れの果てになんかやってただろ、ありゃ、何だったんだ?」
「ああ、あれか」
安倍は、元通りになった壁に背を向けると、説明を始めた。
「あれはな、光明真言破地獄秘法って言ってな、引導を渡す一つの方法なんだ。ほれ、マンガの『孔雀王』(※11)の二巻だったかな、餓鬼が出て来る話。あれにも出てただろ。今回は、破地獄曼荼羅を描いてる余裕が無かったから、自分の体で代用したって訳だ」
「なるほど……」
矢野はそう呟いて、尚も何か聞きたそうだったが、それを制するように安倍が言った。
「ちょっと疲いた。俺はひと眠りするで、『開かずの間』跡を調べるのは、夜が明けてからにしよまい」
安倍はそう言うと、ようやく落ち着いた池端を促して、さっさと部屋を出て行った。
地学部室に降りて来ると、何も事情を知らない地学部員たちが、今さっきの怪獣総進撃(※12)について喧々諤々の大論争を展開していた。しかし、安倍たちはそれには取り合わず、さっさと毛布にくるまって眠ってしまった。
午前六時、太陽が顔を出すと、観測会は流れ解散となった。普段なら、観測した事の報告会をやってから解散するのだが、龍対鼠男の怪獣無法地帯(※13)を見てしまったので、それどころではなくなってしまったのだ。
地学部員がゾロゾロと帰って行くのをすり抜けて、安倍たちは、問題の『開かずの間』跡へと赴いた。
『開かずの間』の扉は、昨晩から開けたままになっていた。でしゃばりな矢野が、今だ女のまま、その中に真っ先に入っていった。
しばらく中をゴソゴソと見ていた矢野は、何かを見つけたらしく、安倍を呼んだ。
「晴明、晴明、ちょっと来て」
安倍と伊藤は中に入ると、矢野が指で指し示す物を見た。
「ほほー、ネズミのミイラか」
安倍は、なるほどというような顔で頷いた。
「これが何なんだ?」
伊藤が、ネズミの死骸を顎でしゃくりながら訊いた。
「石倉の亡霊は、事もあろうにこのネズミに取り憑いただよ」
安倍の言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。
「――ははあ、なるほど。この真下に地鎮の賽があるんだな」
忠内が、ふと気付いたように言った。
「忠ちゃんの言う通り」と、安倍。この部屋の真下にはね、地主神を鎮める為の鎮石があって、真上に神を祀る為の御幣があるんだよ。御幣ってのは、魔を寄せ付けないのと同時に、魔を封じ込める力も持ってるんだ。石倉がさ、『あのような寺』って言ってたろ。あれは鴨井観音の事でね、あそこではね返された亡霊の妖気が、この部屋で死んだネズミの魂にひっかかったんだ。恐らくこのネズミ、毒ダンゴか何かを食べちまっただら。その断末魔の苦しみに、亡霊が吸い寄せられたんだ。そして、吸い寄せられたが最後、御幣の力でここから出る事が出来なくなった、という訳だ」
「なるほどねぇ…」
矢野が、判ったような判らなかったような顔をした。
「何だかとろくさい感じだやあ」
馬場が身も蓋もない事を言う。
「でもさあ」突然、水野が口を開いた。「『開かずの間』なんていうお話が、これでこの学校から無くなっちゃうなんて、ちょっともったいない気もするね」
「だったら、無くさなければいいだよ」伊藤はそう言うと、永野にウインクして見せた。「だってそうだら?今のこの『開かずの間』の話の結末を知ってるのは、俺たちだけなんだでさ、俺たちさえ黙ってれば『開かずの間』はやっぱり『開かずの間』なんだよ」
「ほお、伊藤、上手いこと言うなあ」
忠内が、さも感心したように言った。
「でもなぁ……」
ふと、安倍が溜め息混じりに呟いた。
「でも、どうしただい?」
そう尋ねる伊藤に、顔半分だけ向けて、安倍が答えた。
「いやね、黙ってるのはいいだけど、この中には、異常に口の軽い奴らがいるからなぁ」
そう言いながら、安倍の目は、馬場、水野、矢野を見た。
「何だよ、俺もかよ」
そう文句を言ったのは矢野だった。安倍はゆっくり矢野に近付くと、いきなりくすぐった。
「うひゃ、やめろよっ」
矢野がそう言った途端、男に戻った。
「さて、諸君!」
はしゃいでいる安倍たちを、忠内が制するように言った。
「観測会は終わりだ。家へ帰って、疲れを取って、月曜日にはまたちゃんと学校に来いよ」
「はいはい」
安倍たちはそう答えたが、忠内には彼らの考えが全て判っていた。
元気な奴らだ。
忠内は胸の中で呟いた。
その元気な奴らは、外に出ると自転車にまたがりながら言った。
「じゃあ、これから『あさひ屋』(※14)でうどん喰って、それから『リノ』(※15)行きまい」
と、馬場は言うなり、自転車をこぎ出した。
「おう、じゃあ、皆先に行っててくれ。俺と伊藤さんは、女の子を送ってくから」
安倍はそう言うと、自転車をこぎながら叫んだ。
「ちょっと遅れるかも知れんで、『あさひ屋』で待たんで『リノ』に行っててくれ。そこで合流する!」
終わり
1989年作
本編註及び解説
1、静岡県立浜名湖高校 ― 浜松市にある、静岡県立浜松湖東高校がモデル。週間少年サンデーに連載された『帯をギュッとね』(河合克敏)の浜名湖高校に同じ。
2、チンチロリン ― サイコロを3つ使って遊ぶ賭け。2つが同じ目であれば、3つめのサイコロの目の数の大きい方が強い。3つとも同じ目ならもっと強く、1のゾロ目は最強。
チンチロリンの語源は、どんぶりにサイコロを振る時に立てる音からか?
3、『ガラスの仮面』 ― 美内みすず作の演劇マンガ。演劇マンガの中では出色の出来であろう。
4、保健のおばさん ― 死語。保健看護員の事。
5、五千七百八十枚 ― つまり、地方欄だけを調べたのであろう。本来この数×25。
6、『うる星やつら』 ― 少年サンデーに連載されていた、高橋留美子の大ヒット作。余談だが、作者は、このマンガは、絵が定着した後半しか好きになれない。
7、観測会 ― 湖東高校に真夜中に集まって、天体観測をする事。五回に一回は、学校側から許可を得ていない、非合法の会も行っていた。
8、犀が崖 ― 歴史に詳しい人は、知っているかもしれない。三方原の戦いの現場である。
9、踊り念仏 ― 源は空也上人。ここでは犀が崖に武田軍の亡霊が出る為、それを鎮めるために始まった、浜松の伝統行事。
10、『海底軍艦』 ― 数十年前の東宝特撮映画。故・円谷英二が監督。
11、『孔雀王』 ― 萩原真の、誤解を招きまくる密教マンガ。映画にもなった。
12、怪獣総進撃 ― 東宝の怪獣映画。ゴジラ率いる味方怪獣対キングギドラの対決物。はっきりいってドラマ的にはつまらない、のひとこと。
13、怪獣無法地帯 ― 『ウルトラマン』の中のエピソードのひとつ。ピグモンやレッドキングが初登場した。
14、『あさひ屋』 ― 東海地方にしかない弁当屋。本物の馬場が、ここのうどんの愛好者であった。
15、『リノ』 ― 浜松市にあるゲームセンター。小さい店だが、作者たちはよくここで待ち合わせをしたもの だ。