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21年前、3歳だった私にどこまで記憶があるのかと、問われたら偉そうには言えない。
でも、記憶の断片はあった。
一枚の絵のように抱き合う女性と頬に傷がある男・・
森の中の湖・・
鐘楼や市庁舎などが建ち並ぶ町の中心部、アルム広場内にある銅像の前で
「ここで待ってて…」と言った女性の首元を、飾っていたチョーカー・・
「おまえ…ちっちぇなぁ、ちゃんと食ってんのか?」と言って私の頭をクシャクシャにする大きな手・・
「チビ…いいか、どんなことがあっても死ぬなよ。」と、微かな笑みを浮かべた傷のある頬・・
なにがあったかは、はっきりとはわからない。でも…その断片を繋ぐ出来事があった。
1年前だ。父と名乗る男が、店にやってきた。
薄汚れた格好の初老の男は、自分はノルマン伯爵だと名乗り、私を娘だと、長い間探していた娘だと言った。だが、正直私には、目の前の男の記憶は全然なく、出てきた言葉は…
「でも、21年前に、屋敷に火の手が上がり、屋敷と共に父は亡くなったと…」
そう言って困惑する私に、父と名乗る男は苛立つように
「じゃあ、おまえ、ナタリーを、母親は覚えているか?首にいつもチョーカーをしていたろう。
父と名乗る男の声に合わせるように、浮かんだ映像は…
鐘楼や市庁舎などが建ち並ぶ町の中心部、アルム広場内にある銅像の前で、
「ここで待ってて…」と言った女性の首元を飾っていたチョーカー・・だった。
私の顔色が変わったことで、父と名乗る男は、
「そうか、そうか…ようやく思い出したか…」
そう言って、深く椅子に座ると…出された紅茶を一気に飲んで、
「なんだ…この薄い茶は…」と目の前に座る、私の育ての親でもあり、師匠でもある親方に、文句を言い出した。
「や、やめてください…」と言う私に、70を超えた親方は、真っ青になりながらも、私を気遣うように首を振り、気にするなと微かに微笑むと、気の良い親方は少しおどおどしながらも、
「…入れなおしましょう…」と席を立った。それを待っていたかのように、父と名乗る男は、前のめりになって、ゴクンと唾を飲むと真っ青な顔で…
「プリシラ、ナタリーが密会していた男を覚えていないか?」…と聞いてきた。
密会…していた男?
あれは、そうだったのだろうか…まさか?…と思ったが…知りたかった。あの断片的に見えるあの映像を…そして捨てられた理由を知りたくて、おそるおそる私は口にした。
はっきりとは覚えいないがと言葉を濁しながら…
一枚の絵のように抱き合う男女を見たと、そして男には頬に傷があったと…
私の言葉に、父と名乗る人は歯軋りをし、吐き捨てるように
「やっぱり、そうか。…やっぱりバクルー王だったのか…」と言い切った。
森の中の湖・・
(それは、あの2人の密会の場所だ。)
鐘楼や市庁舎などが建ち並ぶ町の中心部、アルム広場内にある銅像の前で
「ここで待ってて…」と言った母の首元を、飾っていたチョーカー・・
(あの日、おまえの母親は、バクルー王と逃げるつもりだったんだ。だがおまえと一緒には行けない。でも、おまえを手にかけることが出来ず、置いていったんだろう。)
記憶の断片を、父と名乗る男が繋いだ、だがそれは…私が思っていたより、記憶の断片は、ギザギザで…父と名乗る男が繋ぐ度に、断片はそのギザギザで…私の心を傷つけ、血を流させた。
あぁ…でもあれは、なんだったのだろう。あれは…
「おまえ…ちっちぇなぁ、ちゃんと食ってんのか?」と言って私の頭をクシャクシャにする大きな手・・
「チビ…いいか、どんなことがあっても死ぬなよ。」と、微かな笑みを浮かべた傷のある頬・・
あれは…なんだったのだろうと呟いた私に…
父と名乗る男は…
「プリシラ、おまえには優しいお兄さんだったんだろうが、その優しさは、おまえの母親に近づくための嘘だ。」
母に近づくために?
「なぁ、プリシラ。あの男はどうやって国を奪うか知っているか?今じゃ軍事大国とは言っているが、バクルー国は兵を進めた戦は、それほど多くはない。兵をあげれば金がかかるからだ。 資源もなく、険しい山に囲まれた国だ。今はそれなりに、裕福な国だろうが、サザーランド国やノーフォーク国に比べるとまだまだだ。そんな国があそこまで大きくなったのはどうしてだと思う。それは……詭計を用いて、他国を奪うからだ。」
「詭計…?」
「そうだ…あの容姿だ、それを利用し、女の心と体を奪い…調略するんだ。そうやって女から情報を手に入れ、それを用いて他国を攻める。20年前、バクルー国は頭角を現してはいたが、まだまだ小国だったあの国は、サザーランド国に恩を売る為にトルティ国に入り込んだ、そして国境に領地を持っていたノルマン家に、ナタリーに近づいたんだ。貞淑な妻で優しい母親だったナタリーは、バクルー王の手練手管に心も体も奪われ、祖国トルティ国を裏切った。トルティ国が敗戦を受け入れた日……バクルー王と一緒に行くつもりだったんだろうが、バクルー王は来なかった。利用され、捨てられたことにようやく気がついたナタリーは…自殺したんだ。」
父と名乗る男は、私の手を握り
「プリシラ…あの男せいで、ノルマン伯爵家は潰れ、おまえの母親は、おまえを捨て……そして死んだ。俺は、あいつに復讐したい!なぁ…プリシラ、父と…この父と一緒にやらないか…」
記憶の断片は、私の心臓に深く刺さり……そして黒い血を流させた。
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一人残された広間で、プリシラはぐるりと回りを見渡し、溢れてくる涙を拭うと、赤い玉座に眼をやったが、すぐにうな垂れたように下を向いた。
王宮に入り込み、ようやく会えたが、これ以上はもう近づけない。
義手を作るのなら、四六時中一緒にいることも不自然ではなかったが、ただの職人の私が、王に近づくことはもうないだろう。もう…
『だが…女として、俺に会いたいのなら…話は別だ。いつでも…ベットに入れてやる。』
バクルー王の声が聞こえた気がした。
バカなことを…。母が私よりも選んだ男に、身をまかすなど……滑稽だ。
引きつったような笑いを浮かべ、プリシアは、扉に手をかけ、広間を出ようとしたが…
堪えていたものが、溢れ出し我慢できなかった!そして言わずにいられなかった!
「私は、母も…そして…私の人生を変えたバクルー王も許さない!」
そう言って、振り返り…
主のいない赤い玉座を睨み、プリシラは、大きな音を立てて扉を閉めた。
※詭計 人をだまし、おとしいれようとする計略