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「義手?」
「はい、陛下。そうでございます。」
「別に、不自由はしておらんと言っておったではないか…」
「陛下。バクルー国は、ここ数年大きな戦いはしておりませんが、先代の王の世より、わが国では、四肢の欠損のために、日常生活に不自由を訴えるのものが多くおります。ですが…わが国では、まだまだ義肢装具士と言われる者もおりません。ですが、先日、サザーランド国より、わが国に庇護を求めてきた者が、義肢装具士だと…。」
「ほぉ~。サザーランドからか…」
サザーランド国と言う言葉で、バクルー王は、マールバラ王宮を一瞬に吹き飛ばした、あのカノン砲を思い出し眉を顰めた。サザーランド国を始め、海の向こうの大陸では近代化が進んでいる。自国も考えなければならないことだとは、思っていた。確かに技術者は喉から手が出るほど欲しい。
だがそれが…義手に繋がったことに、バクルー王は苦笑し、左腕を触った。
この腕は、このままでいい。
それは、自分の犯した罪や過失を償う贖罪の為だからではない。
なぜならそれは……これからも、人を利用し続けるつもりだからだ。
俺は国を守る為なら、これからも人を、いやそれが女でも子供でも利用する。
だが…昨夜見た夢が脳裏を過ぎった。
愛を囁いたこともなかった女、お互いの利害が一致しただけの女だった。
あの女とて、そう考えていると思っていた。だが…最後にあの女は、愛されていない、利用されているだけだと知っていたはずなのに…俺を助けた。
俺は…女を救えない男かも知れん…
矢を全身受けた女の姿が…
赤い線のように見える血を、黒く長い髪に巻きつけ…湖に浮かんでいたもう一人の女の姿と重なり…
バクルー王は、軽く頭を振った。
「陛下?」
ぼんやりとした俺に、大臣は戸惑ったように、声をかけてきた。
「あぁ…すまん。なぜ?俺なんだ?俺は不自由はしていない。今困っている者達をしてやれ。」
「陛下、それが…その義肢装具士が…どうしても陛下の腕をやりたいと申すのです。」
大臣のその言葉に、バクルー王の顔が変わった。
「…それは…どういう意味だ?」
バクルー王の周りの空気が、ひんやりと温度が下がったことだ、大臣はゴクンと思わず唾を飲み
「そ、その義肢装具士が言うのには、国のリーダーとなる王が義手をつけることで、四肢欠損をした者達が興味を持ち、そして俺も、私もと、義肢をつけてみたいと思うようになると…申すのです。」
バクルー王は、白い線のようになったとはいえ、傷あとが残る頬に手をやり
「…宣伝の為に、俺に…義手をつけろと、その義肢装具士は言っているんだなぁ…」
「ぁ、ああぁ…申し訳け有りません。で、ですが…陛下! 私はそうやっていつも、自分のことは二の次にされる陛下が心配ございます。わが身を大事になされない陛下は、まるで死に急がれているようで…。私は…」と声を詰まらせた。
70近くなった大臣は俺が3歳の時に、この城に連れてこられた頃からの付き合いだ。
この人の良い好々爺は、昔から俺を陰日向なく支えてきてくれ、時には俺の非道なやり方に、眉を顰めて泣きながら諌めることもあった。
唯一、俺が心を開いて話せる男だった。
大きな溜め息をつくと…自国の近代化の為に、取り敢えずあって見るか…。
それに…70近いこの好々爺の涙は…見たくないからなぁ…
「もう…泣くな。爺の涙なんぞ…見たくない。」と、また溜め息をつき
「わかった。その義肢装具士とやらに会ってみる。通せ。」
「は、はい!陛下。」
バクルー王の正面の大きな扉が開き、小柄な少年が入って来た。
年の頃は、16、7…いやもっと幼いようには見えたが、陶器のような滑らかな肌に、バラ色の頬に、赤い唇、そして黒い髪は顎のあたりで切りそろえられ、質素な服に身を包んではいたが、いや…その質素な服がより少年の危うげな美しさを際立てていた。
だが…その容姿とは相反する眼に…バクルー王の眉があがった。
それは長い睫毛が縁取る黒い瞳が、鋭い眼差しをバクルー王に向けていたからだ。
(ほぉ、良い眼だ。ただものではないなぁ…)
バクルー王は、玉座の肘掛に右ひじを置くと…足を組み、その少年の挨拶を待った。
だが…いつまでたっても…その少年の口は開かなかった。
その時少年は、視線をバクルー王から、バクルー王が座っている玉座へと動き、呆然としていたのだった。
まだまだ、サザーランド国に比べると文明が遅れていると言われていたバクルー国。
他の国を武力で、あるいは謀略で手に入れるバクルー国。
そんな国の王は、人を人は思わぬ暴挙の噂が耐えない人物と評判で、そんな男なら、自己顕示欲も強いのだろうと想像していた。だが…玉座に座る男は、白いシャツに、黒いズボン…そしてなにより権力の象徴であろう玉座は、装飾品は一切付いていない赤い椅子だった。
この大陸一の軍事力を持つバクルー国の王としては、あまりにも質素だったために、少年は用意してきた言葉がすっかり飛んでしまっていた。
バクルー王は、少年の眼が…驚いたように玉座をいっていることに気がつき…
「バクルー国の玉座は、※不倶戴天の象徴だ。他国では、俺を殺したいと思う輩は多い…いやそれだけじゃないなぁ…。王位の後続継承で争いが生じた場合は、玉座が血で赤く染まることが相場だ。それなら初めから赤い椅子のほうが、面白いと思ったのさ…」と言って、にやりと笑うと…
「坊主…いい加減に挨拶ぐらいしろ。いくら気に入らない男を眼にしているからと言って、その態度はないだろう。一応俺はこの国の王だぞ。」
少年は、眼を大きく見開き、青くなっていた。だが……だんだんとその顔は真っ赤になり…
「わ、わたしは…!」と叫んだ。
「……女?」とバクルー王は、口にし…怪訝な眼で、少年を見つめた。
確かに声は高い…だが声変わり前だったら、おかしくはない。
あの短い髪に、あの服。…ズボンを穿いてる…女なんて…いないだろう?
そう思い、また頭を横に振ったが…少年の体を包む大きな灰色のシャツに…眼がいくと…
小さく笑い、ゆっくりと玉座を下りると、少年の側へと歩き出し、そしてその前に立ち、少年のだぶだぶのシャツの上に、手を置きゆっくりと…胸を掴み…
その頂点であろう蕾を、人差し指の腹で撫であげ……にやりと笑った…
「……いい触り心地だ。」と言うと、指先で女の顎を引き上げ、呆然とするその女に…
「聞かせて貰おうか。その髪の短さ、そして服装…。男の格好でバクルー国に入り込んだ理由を…ついでに、義手の話も聞いてやる。」
そう言って、女の唇に軽く口付けを落とすと…
「だが…その前に名はなんと言う。」
そう言って、笑みを浮かべたが…その瞳には笑みはなかった。
※不倶戴天
同じ世界で一緒に生きていくことができないほどの深い恨みや憎しみのこと。
「不倶」は共存することができないこと。戴天」は同じ世界にいること。
「倶に天を戴かず」と訓読し、同じ世界に生かしてはおかないという意味で、もとは父親の仇敵のことを言った言葉。