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「…まさか今になって…弓を引かれるとは…」
そう呟くと、バクルー王は、右手にエミリオ抱きながら、爪先ぎりぎりに、突き刺さった矢を見つめ、矢を放った者がいる場所へと、視線を動かすとバクルー王は大きな体を正面の楠に向け
「さすがだなぁ…。出て来い…ルイスであろう。」
鋭く光っていた瞳は…驚いたように見開き…うな垂れると、楠の横から出てきた。
…バクルー王の言うとおり……ルイスだった。
「陛下…」とひとこと言ったきり、黙り込んだルイスに
「……ルイス…どうして…」
幼いエミリオの震える声が、ルイスの顔を歪ませたが、唇を噛み新たな矢を放とうと構えた。
そんなルイスに、バクルー王は
「2年前…サザーランドの密偵はやめて…この国に来たのではないのか…なぜ今更…」
バクルー王のその言葉に、ルイスの声は驚きを隠せず、大きな声で
「…は、初めから…私がサザーランドの元密偵だと…」
「あぁ…」
「な、なぜ、そんな私をお側に…」
「おまえがここに仕官して来た時、庭先で遊ぶエミリオを優しげな眼差しで、長い間見つめる姿に信用した。」
「…私は…」とルイスは口を開いたが、エミリオが大きく目を見開く姿に…口を閉ざした。
バクルー王は、エミリオを見るたびに動揺するルイスの姿に…自分を狙う理由が益々わからなかった。狙うなら…2年前にやっていただろうに…なにがあった?いや誰にそそのかされた?バクルー王はルイスの後ろにいるであろう人物に問いかけるように
「…なぜ?今、俺を狙う。」
「……陛下が!!陛下が妹を…殺したから…」
「妹?」
「2年前、マールバラ国で全身に矢を浴び死んだ妹です。」
「ルイス…おまえが…マチルダ…の兄だと?」
時が止まったように…静まり返った。
ルイスは、弓を構えたまま
「先日エリザベス様の結婚式で…マールバラ国のポリエッティ伯爵様から…妹が…あなたに利用され、殺されたと…聞きました。他の人からなら鼻で笑っていた話でした。ですが、ポリエッティ伯爵様は…マールバラ国の重鎮、そんな方が私などに偽りなど言う理由はありません。」
「ルイス…父上を信じられないの?」
エミリオの声が聞こえないように、小刻みに頭を振ったルイスは搾り出すように
「私達兄妹は幼い頃に両親が亡くなり、私と妹は孤児院からサザーランド国軍の大佐の下に、引き取られました。密偵となる人間を作るためだと…わかっていましたが、それでも妹と一緒に、生きていくためには…その道しかありませんでした。ですが…所詮、人を拐かし…殺すような、密偵の仕事を妹には、もうこれ以上させたくなくて…私は約束したんです。妹を密偵から外してくれとその為なら、私はどんな仕事でもやるからと…。人様には言えないほどのことをしました。今でも夢でうなされるほど…むごい仕事を…。なのに!私が任務で妹の側にいない間、妹は…密偵としてマールバラ国に送られ、そして死んでしまった。私は…もう国が信じられなくて、国を捨て…放浪しているときに、陛下にお会いしたんです。陛下…私は…」
そう言って、次に出てくる言葉を噛み殺し、ルイスは弓矢の弦を力いっぱいに引いた時、バクルー王とエミリオのいる近くの茂みから、プリシラが飛び出した!
「プリシラ!!」
叫んだバクルー王の脳裏に…2年前のペールブルーのドレスの裾が見えた。
自分の名を呼びながら…倒れていく姿とプリシラの姿が重なり…
左手を伸ばした…肘から下がない左手に、バクルー王はまた獣のような声をあげ、自分の体をプリシラにぶつけ突き飛ばし、バクルー王はルイスへと体を向けながら…
「ルイス!」と叫んだが…大きく息を吐き、静かな声で
「俺だけでいいだろう。おまえを慕うエミリオや…プリシラは関係ない。」
「父上!!」
立ち尽くすルイスだったが、弓は引いたままだった…
シーンとした中、
「わかっているんでしょう?」と言う声が響いた。
その声に、ルイスの目が揺らぎ、手が震えるのを見たプリシラは、ズボンに付いた砂を払いながら、立ち上がると、ルイスに鋭い視線を向け
「…わかっているんでしょう?…バクルー王が女を盾に生き延びようとする人でないこと。」
ルイスの腕が、ブルブルと振るえているのをプリシラは見ながら
「私は、エリザベス様が話していらっしゃるのを聞いたわ。左腕が石像の下敷きになり、動けなかったバクルー王を矢から守る為に…マチルダさんは自ら盾になったと…マチルダさんは…好きだったのよ。命をかけるほどバクルー王を…」
そう言って…プリシラはバクルー王へと視線をやり
「そして…左腕を切り落としても、マチルダさんの下へと行ったバクルー王も…」
バクルー王とプリシラの視線が絡まった。
(プリシラ……)
プリシラはバクルー王から視線を外し、ルイスへと視線を動かして
「あなたがこの2年あまり仕えて来た人は…女を盾にして生き延びようとする…そんな王だった?マールバラ国のポリエッティ伯爵が、どんな人か知らないけれど、その人はバクルー王より信じられる人なの?私も…バクルー王を殺したいほど憎んでいた。でも…たったひと月で…わかったわ、傲慢で、バカにした物言いで…でも不器用なくらい優しいって…私だってわかったのよ。2年も側にいたあなたがわからないはずはないでしょう。」
ルイスの手から弓が落ち、座り込むと…
「…たったひとりの家族だったんです。戦争だったから…密偵だったから仕方なかったんだと思いながらも…仇を討ちたかった。陛下は、そんな卑怯な方ではないと…思いながら、でも…誰かを恨まないと…私は…」
バクルー王は、涙を堪えるエミリオの頭を撫でると、バクルー王はルイスに向かって
「マチルダが俺に近づいて来た時に、俺は利用することしか考えていなかった。王として俺は…あの状況にまた戻れたとしても、マチルダを利用するだろう。そんな考えの俺だから、おまえに恨まれてもしかたないと思っている…だがまだ死ぬわけには行かないんだ。エミリオに王位を譲るまでは、まだ死ぬわけには…行かない。王位を譲った後…おまえがまだ俺を許せないのなら…俺は…おまえに撃たれよう。」
「へ、陛下!!私は!」
「ルイス……ここにいろ。バクルー国に…俺の側にいろ。」
「でも…私は!陛下を…」
「嘘をつくな!おまえの腕なら、最初の矢で俺を撃ち抜いていただろう。最初から、俺をここで殺す気はなかったんだろう?」
ルイスは…地面に伏して、大きな声をあげ泣いた。
そんなルイスにエミリオは堪えていた涙を零し、ルイスの背に抱きつき
「ルイス!!ルイス!僕と一緒に…国を守って…ルイスとなら頑張れるから。」
「…エミリオ様…」
「ルイス。エミリオは俺からおまえを奪って、自分の右腕にしたいと言っているが…どうだ?」
「なにを…仰っておいでですか!私は主に弓を引いた者。死を持って償うべき人間です。」
「嫌だ!!ルイス…僕の側にいてよ。僕の下では無理?…」
「あぁ…私は…」
「ルイス、おまえがエミリオを見る目は、いつも愛情に溢れていた。そんなおまえだから言っているんだ。うちの王太子を頼む。」
「陛下…」
頭を下げ、また泣くルイスの肩を叩くと
「おまえがいないと…国は回らん…頼む、俺やエミリオの力になってくれ。」
声にならなかったのだろう。何度も頷くルイスと、その背にしがみつき泣くエミリオに、バクルー王は少し微笑むと、プリシラへと視線を移した。




