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隻腕の王と男装の麗人  作者: 夏野 みかん
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おまえの二の腕が蜂に刺されたことが、始まりだった。

腫れだした腕を見て、『馬に乗せている荷物の中に薬があるから、取ってくる。』と抱いていたおまえを、下におろそうとしたのだが…蜂に刺されたことで、パニックになったおまえは、泣いて俺から離れず、俺はそのまま、また抱きあげナタリーに

『ここから動くな、すぐ戻る。』と言って、ナタリーをひとりにしてしまった。



そう言って、プリシラの頭を撫でていた手を手を止め、その手を握り締めると、苦しそうな声で

「だが、戻ったときには…ナタリーの姿は、そこにはなかった。」と搾り出した。



不安を感じながらも…、その不安を認めたくなかった俺はナタリーの名前を呼び、森の奥へと入っていったんだ。


不安…


それは…ナタリーのここ数ヶ月の様子が俺を不安にさせていた。



一度は愛する人の、子供を生むという気持ちが、ナタリーに生きる目的を持たせたが…三年と言う月日が経っても、現状は何一つ変わらない事が、ナタリーの心のどこかあった希望が、あきらめにも似た寂しさに変わり、心に影を作っていったように思えていたんだ。それをはっきり感じたのは、一ヶ月前にこの森で会った時だ。サザーランド国に放っていた密偵から、アルフォンス王が動き出したと言う情報が入った。その事を、ナタリーに告げたときだった。


あの時…ナタリーは…



『そう…』

それは本当に嬉しそうに微笑み、俺は思わず声を荒げてしまった。


『なに…笑ってんだよ。あいつはおまえを殺しに来るつもりだぞ!!』


『そうね…でも、会えるのは…嬉しいって…ここが…』と言って胸を押さえて、また笑みを浮かべたんだ。


俺は…ナタリーが消えていくような気がして、引きとめようと思わず抱きしめ

『何言ってだ!!殺されるつもりか!!チビはどうすんだよ!!』と叫んだよ。


そんな俺の叫びに、ナタリーは…

『…フレデリック…ごめんなさい。』としか言ってはくれず、ナタリーはただ黙ってに俺の腕の中にいた。プリシラ…覚えているか?おまえはあの時、黒い瞳を大きく見開き、ただポロポロと涙を零したことを…俺の大声に驚いたんだとは思う…だがあの時、俺はまるで……好きな人をあきらめることができないナタリーの心が、おまえに伝わったような気がした。子供の泣き方じゃなかった…それは心に秘めた思いを、誰にも…気づかせたくないと静かに泣く女の泣き方だったからだ。


今思えば、ナタリーの心は…大きく揺れていたんだろうなぁ…。

愛する男と娘と三人で、暮らしたい。でも…信じてくれるだろうか…プリシラと親子だと…今更言って、信じてくれるだろうか。もし…信じてくれなければ…自分だけじゃない、プリシラも殺される…



そんなナタリーの揺れる心を…決めさせたのは…あの時言った俺の言葉だったかもしれない。


『3年と言う月日を掛けて、おまえを追い詰めるあいつは…狂ってる。会ったら危険だ。』


ナタリーは『そうよね…』と呟くように言うと、おまえに駆け寄り抱きしめ…言ったんだ。


『ほどけないほど絡まった糸は…切るしかないのね。』と…



森の奥に進みながら、あの言葉を何度も思い出した。

【ほどけないほど絡まった糸は…切るしかないのね。】


それは…俺の勘違いでなければ…アルフォン王に撒きついた糸は自分だと…自分さえいなければ、アルフォンス王が正気に戻るのではないか…と思ったのではないかと。確かに…アルフォンス王が聞く耳を持てば、プリシラが生まれた月日から…娘だと気づくかも知れん。だが…ナタリーは肝心な事をわかっていなかった。アルフォンス王が正気を失ったように、ナタリーを追い詰めるのは…それほどナタリーを愛していると言うことを…絡まった糸はナタリーへの愛を紡いだ糸だと…わかっていなかった。



『まだだ…。まだ、あいつはここに来ているはずはない。』


そう口にしたのは…不安を打ち消すためだった。


まだ…そうまだだ。サザーランド国の軍はまだトルティ国には入っていない。軍の中にアルフォンスがいたことを確認したと知らせが来ている。きっと…森の奥で、鉢に刺され、泣いていたプリシアの為に、プリシラが大好きな花でも摘んでいるんだ…と…そう自分に言い聞かせながら森の中へ進んだ。



だが…不安は的中した。


それは‥‥プリシラのひとことだった。

『お母さまはなにをしてるの?』と指差した先には


透き通るような湖にナタリーが…赤い線のように見える血を、黒く長い髪に巻きつけ…


そして……浮かんでいた。


とっさにプリシラを胸の中囲い込んだ、『くそっ!』と口から言葉が零れ落ち…琥珀色の眼から涙が零れ落ちてゆくのがわかった。


『…ナタリー…。これが…おまえたちの恋だというのか…』

と掠れた声で、湖に向かって呟くと、この悲惨なことを気づかれないように、無理やり微かな笑みを浮かべ、震える声と体を堪えて、プリシラを抱きしめたが…だが、幼いプリシアに、俺の思いなど伝わるはずもなく。


プリシラは小首を傾げながら

『ねぇ…お母様は、なにをしているの?』またそう言って尋ねた。


『…ナタリーは…』と言って、俺はプリシラに…その先の言葉を言えなかった。


(おまえの父親は、馬鹿だ。愛する女を追い詰め…死と言う形でしか、自分の恋は成就出来ないと本当に思っていたとは…信じたくなかった。チビ…おまえはこうなるなよ。両親のような。縛られた世界で見つけた辛い恋だったとしたとしても…死と言う形で恋の成就を願ってくれるな。)


キラキラと木々の間から、木漏れ日が俺の背中で見えているのだろうか…プリシラが眩しさに少し目を細めながら、ナタリーと同じ黒い瞳で自分を見る姿に…心の中で思ったその言葉は言えなかった。


ただ…


「チビ……いいか、どんなことがあっても死ぬなよ。」としか言えなかったんだ。




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