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バクルー王が爺と呼ぶ大臣ケント公は、広い肩幅の後ろ姿に、眼を細め微笑むと、バクルー王の大きな机の傍らにお茶を置いた。その音に気がついたのだろう、バクルー王は軽く頷くとまた書類に眼をやった。
(また、無理をなさっておられるのか?)
ケント公は、バクルー王の眼の下のクマに気がつき、眉間に皺を寄せ、王の横顔をもう一度見て…鼻にかけた眼鏡をずりあげた。
本当に、自分のことはいつも後回しで、先代とは大違いだ。
先代の王は、無礼ではあるが、この国を潰すつもりなのかと勘違いするほど、享楽に溺れた王だった。いや、王だけではない王妃様も心が壊れた女性であった。次々に国を捨てる者が出る中、おふたりは流行り病に倒れ崩御され、そして25の歳に王位を受け継がれたのだった。だが、国を治め始めた当初、他国の君主たちは、若きバクルー王のあの逞しい体と整った容姿に惑わされながらも、どこか侮ってみていた。他国の君主たちが、ようやくバクルー王の凄さに気づいたときには、すでにときは遅し。わがバクルー国は、サザーランド国や、ノーフォーク国という両大国に肩を並べた。いや、ある部分ではこの世界では一番だろう。その部分とは社会保障だ。病気やけが、老齢や障害、失業などにより、自分の努力だけでは解決できず、自立した生活を維持できなくなったとき、個人の責任や努力だけでは対応できないリスクに対して、相互に連帯して支え合い、それでもなお困窮する場合には、必要な生活保障をわが王は立ち上げていた。
我が王の凄さは…あの並外れた剣の強さだけではない。本当の凄さは、その頭の回転の早さと、国や国民への愛情の深さだ。他国の侵略に怯え、屈辱にも耐え、国を見捨てずに一緒に頑張ってきた多くの国民へのバクルー王の深い愛情が、社会保障という制度を作り上げ、そのバクルー王の国民への深い愛情を受け取った国民は、バクルー王を慕いこの国を愛した。それが、最強と言われる軍隊を作った。この国、バクルー国の真髄は、この王を慕う国民の愛であり、またその国民を愛する王の熱い思いなのだ。そして、この私も老いてはおるが、いつでもこの国の為、この王の為に、この命を捨てる覚悟は、いつも持っている。ただ…心残りはこの優しい王が、その優しさを女性へと向けないことだ。
ふたりの寵妃様は、バクルー国内でも有数な鉱山を持つ領主の長女と、貿易商の三女で在らされたが、そのお二方を選んだのは…先代の王。現バクルー王が望まれた寵妃様方ではなかった。
いや、今までに自ら…寵妃様どころか、女性を望まれた事などない。
あぁ…そうだ。あれは王子や王女が、相次いで亡くなられた時だ。
王子と王女の母君であった寵妃様が、実家に戻りたいと王に懇願された。
憔悴しきった王と共に…寄り添って生きて行くのには…自分と王の間は、ただ子供だけの繋がりだったとは思いたくなかった寵妃様は…実家に戻りたいと王に懇願された。愛しておいでだったから、引き止めてくれることを願いながら…。だが王は、寵妃様のその密かな願いを汲み取っては下さらなかった。
寵妃様は私にこう言われた。
「負けるとわかっていた賭けに、すべてをかけてしまいました。」とほんの少し涙を零して、出て行かれた。寵妃様の馬車が、遠ざかっていくのを執務室の窓から、長い間見つめていた王の姿を知らないまま…
あの愛情深い方が、女性への愛情と向き合えないのは、幼い頃に前王妃様に受けた心が、今だ癒えていないからだろうか。
王は…愛を求めながら、その手を伸ばすことをなさらない。
自分のことは二の次にされる陛下がやはり心配だ。
わが身を大事になされない陛下は、まるで死に急がれているようで不安だ…。
ぼおっと、バクルー王を見つめるケント公に、書類に眼をやりながらバクルー王が
「爺。この書類をすぐに、マールバラ国に届ける様に手配してくれ。それから、しばらく休みたいので人払いを…」
ケント公は、バクルー王の声に、ぼんやりしていた事を気づかれないように「は、はい」と慌てて返事をして、書類を抱えると歳を感じさせないスピードで、出て行った。その後姿を見ながら、バクルー王は小さな声で笑うと、執務室の大きな書棚に向かって、今度はニヤリと人の悪い笑みを浮かべ…
「おい、出てきていいぞ。」と声をかけた。
その声に被さる様に…
「まぁ…さすがバクルー王、気づいていたの?」と言う声と、クスクスと笑う声まで聞こえて来た。
バクルー王は、嫌そうな顔を隠すこともしないで、
「そうやって、突然やってくるのは、マールバラ国の女性のマナーか…エリザベス。」
クスクス聞こえていた笑い声は、より大きくなって、部屋一面が、光に包まれた。
その光はだんだんと淡くなり…その淡い光の中から現れたのは…
……マールバラ国の女王エリザベスだった。




