第一話・怪奇! コスプレ男!
「待て!」
颯爽とブレイブは告げた。
立ち止まったのは新緑の外皮と漆黒の仮面の凶悪なる怪人である。寒気の走るような奇怪な鳴き声を上げてから、ゆっくりと振り返る。
「げっげっげっげっげ! 来たか魔人ブレイブ! 今日こそは貴様の息の根を止めてやる!」
「こちらのセリフだ! 罪のない子供を苦しめる怪人め」
対峙する怪人へ向けて、ブレイブは立てた親指で空に十字を描いた。
「その悪、勇気の刃が断つ!」
吹きすさぶ逆風へ抗うように、ブレイブは地を蹴って飛び出した。
「ブレイブウェッジ!」
突き出した拳が怪人の胸を貫く。
「げげーっ!」
負けじと怪人も携えた大きな武器で殴りつけてくる。
「ブレイブウィップ!」
鋭い蹴りでそれを弾き返し、生まれた隙を見てブレイブは上空へと飛び上がった。ここで放つ技はもうたった一つしかない。それは――。
『ぶれいぶすら~っしゅ~』
「……おい待て、お前ら」
気の抜けた掛け声に水を差されて、ブレイブは思わずしゃがみこんだ。
「ここ、一番イイ場面だろ? そこで張り上げた声がヒーローの背中を押すんだぜ」
力説するブレイブに抗議の声が次々と上がる。
「え~だって~、その怪人の話、先週聞いたし」
「しかもまたブレイブスラッシュだし」
「新しい魔人出ないの?」
「お腹空いた~」
仮面の奥でブレイブは眉間にシワを寄せる。怪人の作戦内容に多少アレンジを加えたはずだが、構成が同じなのがバレているとは思わなかった。最近の小学生は低学年でも恐ろしく冴えているようだ。
「あのな、前も言ったけど、俺の得意技はブレイブスラッシュだし、俺はたった一人で世界を守ってきたヒーローなんだよ」
「はいはい、そーゆーせってーね」
「ぎゃははは、せってーせってー」
全く理解してくれていない。ブレイブはため息を吐いた。近頃の子供はどうにも賢しくて困る。
「ほら、今これしか持ってねぇけど、やるよ」
ポケットから取り出した駄菓子を配ってやると、子供たちは目を輝かせて食いついてきた。
「うお、『んまい棒』じゃん」
「チキンコンソメ味か……」
「文句あるならやらんぞ。あと、一人一本だからな」
「ありがとーブレイブのにーちゃん」
ヒーローとして子供の声援を得るのは大事なことではあるが、お菓子で釣らなければならないこのやるせなさにブレイブはまたため息を吐いた。
「よし、それならもう一度行くぞ。……せーの、ブレイブ」
「あ、もうこんな時間だ」
「帰ろっか?」
「んー帰ろ帰ろ」
「お、おい、ちょっと待て」
「ばいばーい。ブレイブのにーちゃん」
手を振って応え、子供たちはその場を去っていった。
辺りは静かになり、取り残されたブレイブはやるせない気持ちをぶつけるように叫んだ。
「ブレイブスラーッシュ!」
跳び上がり宙を舞い、華麗な手刀で空を切り裂いた。そのまま膝、足、手の平で三点着地を決める。
完璧な、アクションだった。
「流石は俺だ。今日もバッチリ最高のブレイブスラッシュだ」
だというのに、薄情な連中だ、とブレイブは子供たちの去った跡を見渡した。誰もいない空き地に仮面の男が一人、なんとも侘しい光景だ。
「……魔装解除」
ヘルメットを脱ぎ、ブレイブは風見鶏翔人に戻った。身に着けたスーツの袖口で額の汗をぬぐい、軽いストレッチで身体をほぐしてから、誰にともなくつぶやいた。
「帰ろう」
トボトボと歩きながら、ポケットの中に入れっぱなしだった携帯電話を取り出す。折りたたまれた電話機のランプが点灯し、着信アリを知らせていた。
嫌な予感がする。恐る恐る開いて確認すると、着信は四件、どれも同じ人物――夕凪かなめからだった。顔を引きつらせながら翔人は、留守録に残っていたメッセージに耳を傾けた。
『はぁ……あのね。今日も呑気にどこをほっつき歩いてるのか知らないし、どうでもいいんだけど、せめて電話には出なさいよ。夕食の買い物しておいてほしいの。スーパーで18時のタイムサービスで豚肉が安いんだけど、間に合いそうにないから。リストはメールで送るわ……頼んだからね』
それだけか。メッセージが終わって翔人は胸をなでおろした。かなめは電話に出ないのを嫌がる。だが、声色からすると今日はそこまで不機嫌ではない。買い物をそつなく済ませて謝っておけば問題ないだろう。
リストを開こうと携帯電話を操作し――ていたところで、翔人は思わず目を見開いた。
「17時……53分!」
弾かれたように翔人は駆け出した。ここからスーパーまでは歩いて二十分はかかる。もし間に合わなかったら――肝が冷えた。
こんな時、スーパーヒーローならと思わずにはいられない。秒速百メートルの脚力、ビルを飛び越える跳躍力、いや、自在に空を翔る特殊能力も捨て難い。
だが、残念ながら風見鶏翔人はただの人間である。正確には、ヒーローに憧れるも、怪人より恐ろしい同棲相手に買い物を頼まれて焦りながらスーパーへとひた走る、ただの人間である。