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1-7 ストーカー、再び

「で、結局あの野郎は何だったんだ?」

「さっき言ってたサガの事? あれよ、あれ。ノワの家に毎度通ってはいやらしい眼で見てる男の中の一人」

「クレス姉様もあまりいい印象は持っていませんでしたね」

「つまりはストーカーか」


 小さく質素な部屋でラクード達は先程の出来事を話していた。ラクードの隣にはノワ。そしてその正面にはジェネスだ。

 ここはレイルーブの警察署。その取調室である。つい先程まで、クラーヴィス家での説明と同じことを若干詳しく警官に話し終えたばかりである。そこを見計らってジェネスが訪れたのだ。


「ま、考えても見なさいよ。家柄は文句なしの文武両道美人三姉妹。その癖、驕る事も無く人当たりも良い。男どもが熱を上げるワケ」

「そんな大したものでは無いんですが……」


 そんな二人の会話を聞きながらラクードは成程、と納得する。先ほどノワが呟いていた『慕われるだけなら』という言葉の意味はつまりはそういう事なのだろう。普通に強さや人柄を慕うのでなく、もっと単純な欲望目当ての者も多いと言う事か。


「このご時世、通り魔紛いの事をやっておいて放置なんて無いから安心しなよ。逃げられはしたけど捕まるのは時間の問題よ」

「そりゃ心強い」


 ラクードが叩き伏せたサガだが、あの後警官と共に戻った時にはその姿が無かった。今は手配が周っているのでジェネスの言う通りだろう。


「では私たちの用事もこれでおしまいですね」


 ノワの疲れた様子にジェネスも苦笑しつつ頷いた。


「らしいよ? 取り調べご苦労様~。これからどうするの?」

「そうですね……日も暮れて来たので今日は家に戻ろうかと思います。いえ、思っていたのですけど……」


 伺う様に隣のラクードを見るとラクードも頷いた。二人からの事情聴取はそれなりに長引き、日は既に沈みかけている。これから元に戻る手がかりを探し始めるには少々遅い。


「どのみち手がかりはねえんだ。闇雲に探すよりはお前の姉貴の情報と、ここの警官達がアズラルを探して得た情報。それが出そろってから動いても良いだろ」


 下手に動いてアズラルのいる方向とは逆に動いてしまったら目も当てられない。その為にラクードも同意したのだ。


「そっか。じゃあ早速帰るとしよう! そして今晩の対策を考えなきゃね!」


 何故かテンションが高めのジェネス。ラクードは意味も分からず首を傾げる。


「対策? 何の話だ?」

「自覚を持てそこの野生児! アンタは今ノワと繋がれてるのよ。お風呂とか寝場所とか色々問題あるでしょうが! ……所で繋がっているってよくよく考えるとエロい響きよね。おねーさん、ちょっとワクワクして来た」


 若干顔を赤らめて涎を垂らすジェネスを前にラクードは思う。コイツもさっき話した欲望に塗れる男共の同類なんじゃないかと。

 

「いいからいいから。じゃあ早速ノワの家へゴー! ノワ、今日は泊まっていい?」

「私は構いませんよジェネス。私も貴方が居てくれた方が……」

「嬉しい事行ってくれるじゃない!」

「ま、それでそっちが納得するなら俺は良いけどな」


 呆れた様なラクードの言葉を最後に、三人はノワの家へと戻っていくのであった。





「騒がしい連中だ」

「はは、良いじゃないですかセシルさん。若い証拠ですよ」

「私も十二分に若いんだがな」


 どこか納得いかない風に呟きつつセシルは煙草を灰皿に押し付けた。自警団の詰所ではノワが嫌がるからあまり吸わないが、本来セシルは喫煙派である。目つきの若干の鋭さや、時折のキツい口調故に初対面の人間はセシルに押される事が多い。しかし今目の前に居る人物、この警察署の署長は気にした様子も無く呑気に笑っていた。


「セシルさんは姉御肌だからねえ。まあそれは良いとして、例のアズラルとかいう男。情報は今取り寄せているが中々の有名人の様で」

「ほう」


 現段階で集まっている情報がまとまった書面を署長が差し出す。セシルもそれに目を通し思わず呆れた。


「爆破に殺人。誘拐に脅迫。清々しいほどのクズだな」

「だねえ。クズの見本市みたいな男の様だよ。まだ色々情報は集まってきてるけどどれも似たり寄ったりさ」

「こんな危険人物が何故野放しになっている? これだけ派手にやれば軍部の眼にも止まるだろうに」

「既に止まってるよ。けど毎回名を変え顔を変え逃げ延びてる様だね。それでも不自然だから協力者が居るんじゃないかという噂さ」


 署長の答えにセシルは嘆息する。確かに彼の言う通りだろう。


「成程な。まあ引き続き情報は頼みますよ」

「任せたまえ。しかしこれでは君が署長の様だね。どうだい、代わってみるかい?」

「ご冗談を。私に萎びたジジイの統率なんて……面倒だから嫌です」

「相変わらず切れ味凄すぎて泣きたくなるなぁ」


 言葉とは裏腹にほっほっほっ、と笑う署長は、続けて書類をもう一束取り出した。


「もう一つの頼まれごとはこっちだよ。こっちは情報が少なくてまだ精度にかけるけどねえ」

「結構です。少しでも情報が欲しかったので」


 そうしてセシルが受け取った書類。そこにはラクード・ウルファースの名が記されていた。





「……で、だ」

「は、はい」

「これは何だ?」


 クラーヴィス邸。夕食の終わったそのダイニングでラクードとノワは硬直していた。二人の前のテーブルには綺麗に撒かれた黒布が置いてあり、その向こうでブレーナがとてもいい笑顔をしていた。


「あのね、やっぱりノワちゃんもお風呂に入りたいと思うの。だけどラクード君に見られるから嫌なんでしょう? ならラクード君が剣になってこの布で撒いてしまえばいいと思うの」


 妙案だとばかりに手を合わせて嬉しそうなブレーナ。その隣でクレスが複雑な表情で姉を見ていた。そしてそれはノワも同様だ。


「い、いえ、ブレーナ姉様。理屈は分かるのですが、同じ湯に浸かると言う事自体がですね――」

「不安なのね? 大丈夫よノワちゃん。お姉ちゃんが一緒に入ってあげるから」

「いえだからそうでなくて――」

「勿論クレスちゃんも一緒よ。ジェネスちゃんもね」

「ちょ、姉様!?」

「私巻き添え!? ああだけどクラーヴィス三姉妹と一緒に風呂だなんてどうしよう私自由にハジケていいですか!?」

「いい訳ないだろう!?」


 興奮するジェネスとそれに怒鳴りつけるクレス。そんな光景を眺めつつラクードは布を手に取った。


「つまり俺に包帯男、じゃなくて包帯剣になれと」

「良い案でしょう?」

「どちらかと言うとあんたの姉妹が問題な気がするが」


 流石に反応に困りポリポリと頬をかく。いや、むしろ大歓迎でもあるのだが。


「それではみんなで行きましょう~」


 妹達の叫びなどいざ知らず。クラーヴィス家の長女は意気揚々と姉妹を引きずり浴場へと向かって行った。





「見えないんですよね? 本当に見え無いんですよね!?」

《ああ、見えねえよ》

「本当だな!? 嘘だったら貴様を叩き折るぞ!」

《うるせえな。だから本当だって》

「ごめんなさいねえラクード君。後で貴方もお風呂入れてあげるから我慢してね」

《どうでも良いからとっとと済ませてくれ》


 うんざりした様なラクードの声が浴場に響く。その声は布で厳重に撒かれた故か妙にこもってしまっていた。そんなラクードを手に持つノワは警戒する様に、しかしどこか諦めも含んだ顔で必死にラクードに確認し、姉であるクレスもラクードから離れた所で睨んでいた。無論、ラクードには見えないのだが。


「ほらほらノワちゃんもクレスちゃんもツンツンしないの。早く温まりなさい」


 唯一何も気にして無いようなブレーナが呑気な声で促し二人は渋々と頷く。どちらにしろここまで来たら、この姉から逃げられない事を二人は長年の生活で理解していた。あの黒布で巻かれたら外部が全く見え無い事は確かなのだ。そこは一度ノワが刀に変わって確かめている。ならば下手に暴れて長引かせるより、とっとと済ませてしまおうと言う魂胆だ。

 クラーヴィス邸の浴場はそれなりに広く、三人同時に入っても余裕がある。三人は一通り湯を流すと湯に浸かる事にした。


「ふう」


 少々熱めだが冬季にはこれくらいが丁度良い。ノワは湯船に肩まで浸かると、昨日今日の疲れを吐きだす様に息を付く。そんな姿に隣のブレーナが苦笑した。


「お疲れねえノワちゃん」

「ええ、色々ありましたから」

《まだ何も終わってねえぞ》

「分かっています」


 ラクードは剣の状態のまま浴槽の外に立てかけられている。必然的にノワも端で浸からなければなら無いがこれくらいなら問題無かった。


《所であの変態女はどこ行った? 気が付いたら居ないが》

「ジェネスの事ですか? そうえいばどこに……?」

「ジェネスなら先ほど出ていったぞ。家に呼ばれたらしい」


 ノワ達とは対面の端でラクードを警戒する様に湯船に浸かるクレスが報告する。


「家へ?」

「ああ。なんでも父親に呼ばれたらしい。どうせまた街で妙な事をしでかしたんじゃないのか?」


 言われてノワは思い出す。昨日街中で住民に注目を浴びながら妙な事を口走っていた事を。一日遅れで父親の耳にでも入ったのだろう。だとすると今晩は徹夜で説教コースか。気の毒に。


「まあ自業自得ですが」

「あら? けどおねーちゃん、ジェネスちゃんみたいに自分に正直に生きている子は好きよ? 分かりやすいからコントロールしやすいもの」


 ブレーナはにこやかに何やら酷い事を言っている。


《……おい、お前の姉貴が何か黒いぞ》

「姉様は能天気お姉ちゃんキャラと見せかけてその実、腹黒系謀略魔女の顔も持ち合わせています。私とクレス姉様は一度足りて姉様相手に勝利したことがありません」

「ノワちゃん、何かおねーちゃんのお話してる?」


 ひそひそと言葉を交わすノワとラクードにブレーナが反応する。しかしノワは慌てて口を紡ぐと首を振った。


「な、なんでもありませんブレーナ姉様」

「そうなの? 所でノワちゃん。この黒い布なーんだ?」

「え? それはラクードの剣に巻かれた物とよく似て……って姉様!? 何でラクードの布を剥そうとしてるんですか!? というか何時の間に!? 」

「大丈夫よノワちゃん。ラクード君の位置からはノワちゃんしか見えないわあ」

「全然大丈夫じゃありません! 謝ります! 謝りますからやめて下さい!」

《騒がしい姉妹だな》


 必死に謝り倒すノワとどんな手品を使ったのか、ノワを乗り越えてラクードに巻かれた布の切れ端を摘まんで笑みを浮かべるブレーナ。そんな光景に対面のクレスがため息を付いた。


「確かにな。暢気すぎる気もする。……所でラクード、お前に聞きたいことがある」

《なんだよいきなり》

「お前の事だ。私たちの家の事や姉妹の事はある程度教えたが、お前の情報が全くと言って無い。確かに昼にお前が言った通りお前があの男を追う理由については詳しくは聞くまい。だがお前自身に付いては多少なりと知っておきたい。嫌とは言わせんぞ。大切な妹と否応なしに一緒に居るんだからな」


 クレスの居る様な目が布に包まれたラクードを射抜く。ノワとブレーナも気がつけば大人しくなり、ラクードの言葉を待っていた。


《いきなり風呂とは怪しいとは思ったが、つまりはこういう事か》

「ごめんなさいねえ、ラクード君。これなら君が逃げられないと思ったの」

《俺が今すぐ人間に戻って逃げるかもしれないぜ? いや、それどころかお前らに襲い掛かるとは思わねえのか?》

「そうだとしたらつまりお前はそういう人間だったと言う事だ。私も遠慮なくお前を斬る事が出来る」

「私も容赦なく呪いをかける事ができるわあ」

「私も容赦なくあなたを叩き折れます……できるかどうかは別として」

《怖ぇ姉妹だな……》


 若干引いた様にラクードが呻く。そしてそうだな、と少し考えた後続けた。


《1から0まで語るつもりは無い。だけど簡単な生い立ち位なら話せるな。まず俺はこの国の人間じゃない。ノックスの生まれだ》

「ノックス……。あの軍事大国ですか」

《大国かどうかは知らんがまあ、それなりに豊かな国だったとは思うぜ。その辺はこの国もお隣さんだしよく知ってるだろ》

「ああ。同時に前の戦争で最も争った国でもある」

《まあそういう国で生まれたって事だけでいいだろ。で、俺は戦争孤児だったらしく物心ついた時にはどこぞの傭兵団に拾われて小間使い見たいな事をしてた。その最中に戦い方を学んできた訳だ。それでまあ戦争が終わった後もそれなりに仲間内でワイワイやってたが、そこであのアズラルのクソ野郎が喧嘩を売ってきた。その喧嘩を俺が買って今に至る。どうだ、よくある話だろ》


 随分と端折られた説明だったが、これ以上は話す気が無いと言う事だろう。

 アズラルがラクード達に何をしたのかは分からない。だがノワは気づいていた。ラクードが途中、『俺が喧嘩を買った』と言った事に。『俺達』では無いと言う事はその仲間達が関係しているのだろう。そしてそれがあまり楽しい話で無い事も想像がついたので、その件については聞くことはしない。


「旅はどれくらい続けているんですか?」

《どれくらいだったか。よく覚えてねえな》

「おい、いくらなんでも忘れるのが早すぎだろう。今の話とお前の年齢から考えるにどう考えても10年以下だぞ」

《知るか。俺の話はこれで終いだ》


 明らかに何かを隠そうとしている様子のラクードだが、これ以上は語るつもりは無いのだろう。クレスの問いを簡潔に放棄すると一方的に会話を終わらせた。結局大したことは知れなかったが、ノワとしては今この場ではこれ以上の詮索は無駄だと分かっていたため何も言わなかった。





「さて、着替え、風呂と来て最後は寝る訳だが」

「…………ぅぅ」


 クラーヴィス家のノワの寝室で腕を組んだラクードの発した言葉にノワは頭を抱えて座り込んでいた。


(わ、私はどうしたらいいんですか!?)


 姉達は今は居ない。風呂から出た後直ぐに突然『用事が出来た』などと言い残して二人共消えてしまった。その話を聞いた時、ノワは目の前が真っ暗になる感覚に襲われたものだ。何せ、姉二人が居ないと言う事は自分は隣のラクードと二人きりで寝なくてはなら無いのだから。


(何故姉様達はいきなり居なくなるんですかなんでこんな事になってるんですか私はまだ嫁入りどことか特定の男性とお付き合いした事すらないのは知ってる癖にああああああとにかくどうしましょう)


「おい、いつまで唸ってんだ。お前が動かなきゃベッドに行けねえだろ」

「べ、べぇっどぅ!?」

「面白い発音だとは思うが俺は眠いから採点はまた明日だ。ほら、とっとと行くぞ」

「え、きゃあ!?」


 ひょい、と首根っこを掴まれまるで猫の様に運ばれ流石にノワも抗議する。


「私は猫じゃないんですよ!」

「ああそうかい知ってるよ。ほら、着いたぞ」


 ぽいっ、とベッドに放られ思わずノワは姿勢を正した。因みに今の服装は今朝の様な薄着でなく、がっちりと着こんでいる。当然だ。


「じゃあ寝るか」

「じゃ、じゃあってあなたは何で先ほどから冷静極まり無いんですか。慣れてるんですか、慣れてるんですね? けどだからと言ってもう少しこちらの葛藤とか悩みを――」

「あーはいはい。じゃあお休み」

「お休みっていきなり!? ちょ、ちょっと待って下さ…………え?」


 ノワをベッドに放ったラクードはベッドの横に座り込むと、ベッドの端を背もたれにする様に胡坐をかいた。


「何を、しているんですか?」

「何をって、寝るって言っただろ。お前も疲れてるなら早く寝ろよ。安心しろ。お前の姉達に殺されたくないし襲ったりしねえから」


 言うが否やラクードは俯き本当に直ぐに寝てしまった。後に残されたノワはしばらくぽかん、として、そしてなんだか馬鹿らしくなった。


「何を、慌てていたんでしょうね私は」


 つまり彼は本当に眠かっただけで。元々同じベッドで寝る気は無かったと言う事だ。なんだか先ほどまで慌てていた自分が急に恥ずかしくなる。

 よくよく考えれば、今朝も自分が起きるまで大人しくしていた様であるし、その後のジェネスの尋問も自分の張り手も甘んじて受けていた。風呂の時も何だかんだで大人しくしていた。所々失礼な発言がある男ではあるが、そういった分別は出来ていると言う事だろう。


「しかしこれはよくありませんね」


 自分と彼の間に上下関係は無い。なのに自分だけベッドで寝て、彼だけ外で座ったままと言うのは流石にどうかと考えてしまう。だがだからと言って同じベッドで寝るのは幾らなんでも無理だ。

 どうしたものかと考え、そして結論を出すとノワは静かに立ち上がった。





「本当にノワとあの男を二人きりにしたんですか? いくらなんでも軽率では?」

「けどねクレスちゃん。あの鎖がある限りこれからもこういう事はあるでしょ? それに毎回毎回誰かが付いていなくちゃいけないのも大変よ? お風呂だって、今回は私たちが一緒に入ったけど出来ない日だってあるわ。なら早めにあのラクード君の事を見極める必要があると思うのよねえ」

「だからと言って二人きりで寝室に入れるなんて……。もしあの男が不埒な真似をしたらどうする気ですか。少なくとも私は首を飛ばしますよ?」

「なら私は消し炭にするだけよぉ」

「唯でさえ周りが暗いのに笑顔で恐ろしい事を言わないで下さい。姉様が怖いです」

「クレスちゃんの斬首トークよりはマイルドだと思うのだけど」


 そんな事を話しながら明かりの落ちたクラーヴィス家の廊下を歩くのはブレーナとクレス。ノワには用事があって出かけたと伝えたがそれは事実でなく、本当の目的は会話の通りだ。早い話、ここでラクードが手を出そうとするのなら信用ならないとして文字通り処分も辞さないつもりである。

 既に日付も変り真夜中と言ってもいい時間だ。ノワ達の部屋の状況は魔導器を通し音だけなら拾っている。そこから物音一つでもしようものならいつでも飛び込む準備が出来ていた二人だが今の所それは無い。それならそれで問題ないのだが、安心する前に一度この眼で確かめようと言う話だ。

 二人は部屋に近づくと会話を止め、静かに扉に手をかける。ブレーナが音も無くゆっくりと扉を開いていき、クレスは腰に差した剣をいつでも抜ける様にして警戒する。やがて中が伺える程に扉が開き二人はそっと、中を覗いた。

 うす暗い部屋の中、ノワのデスクの上の小さなランプがぼんやりと部屋を照らしている。だがその淡い光に照らされるベッドに二人の姿は無い。


「あら」

「む……」


 ならどこに居るかと言えばそのベッドの隣。床に座りベッドに寄りかかる様にして二人は毛布に包まり寝ていた。二人の間にはやはり距離があるが、逆に言うならそれだけだ。争った形跡も無ければ、よからぬことをしようとしていた気配も無い。


「考えすぎだったかしらねえ」

「……まあ、油断はしませんが疑いすぎるのも考え物ですね」


 二人は顔を見合わせるとブレーナは苦笑し、クレスは複雑な表情ではあるが頷き扉を閉じた。そして音を立てず部屋から遠ざかっていく。


「…………真面目な事で」


 彼女らが去った後、ちらりと薄目を開けて隣を見たラクードは小さく欠伸をすると再び目を閉じた。





 これは夢だ。

 ノワは直ぐにそう気づいた。どこかあやふやな平衡感覚。ぼやけているのか滲んでいるのか。ハッキリしない景色。空は赤く薄暗く、そしてその下で炎が轟々と焼けている。そしてその火を囲む様に老若男女がたむろっていた。

 特に火に近い場所では大柄な男が酒を飲んでおり、その隣では黒髪の少年が酒を注いでいる。まだ幼くあどけなさが残るその少年は隣の男の酒を飲む姿に呆れている様だった。


 ちゃりん、と音が鳴り場面が変わる。


 今度は快晴の空の下だ。先ほどの少年と今度は別の男が向き合い剣を構えていた。少年の顔は既に泥や傷にまみれており涙目である。気の弱そうな印象を持つが、それでも剣は捨てず構えており、向かいに立つ男はそれを楽しそうに眺めていた。

 少年が声を上げて男に斬りかかる。その件は刃引きされており訓練用だ。だがそれなりの力で叩けばダメージは与えられる。だが男はそれを簡単にいなすと、少年の脚を引っかけ、さらにバランスを崩した少年の背中に自らの剣を振り下ろし地面に叩き付けた。少年が悲鳴を上げて泣き、それを周りで見ていた物は野次を飛ばしたり、心配そうに声をかけたりしている。

 やがて男もやり過ぎたと思ったのか苦笑しつつ少年を助け起こす。それを見て周りで見ていた者達も集まりだした。


 またしてもちゃりん、という音と共に場面が変わる。


 次に見えたのは少し成長した少年の姿。小さな村の広場らしき所でやはり訓練をしていた。先ほどの様に涙目ではないものも、やはり相手に何度もたたき伏せられている。しかし直ぐに立ち上がると何度も何度も繰り返していた。

 その光景を少年よりも小さな子供たちが目を輝かせ観戦しており時節応援していた。傍を通りかかった主婦が呆れた様に笑い、一言だけ応援の言葉を投げかけると去っていく。そんな少々騒がしくも、楽しそうな光景が広がっている。


「これは一体?」


 自分の記憶にこんな光景は無い。だが唯の妄想にしては違和感がある。まるで現実味がある様な、無いような。いまいち言葉に表せない違和感。

 この光景はあの少年を中心に再生されている事は分かる。だがそれが何を指しているのだろうか? そもそもアレは誰だ? どこかで見た事ある様な、しかし覚えがないその顔にノワは首を傾げる。

 その間にも景色は次々と変わっていき、少年を中心としたビジョンが再生されていく。ノワはどうする事も出来ず、強制的に見せられるそれを観客気分で見ていた。そしてまた景色が変わる。


「え?」


 次に映ったのは雲一つない青空に上る黒煙だった。その煙の正体は村が焼ける炎であり、そして―――――人が焼ける炎だった。


「……酷い」


 先ほどまで映っていた村は壊滅していた。炎が上がり、地面は血に濡れ、物言わぬ躯が数多く横たわっている。そんな光景を晴れ渡った空が鮮明に映し出すのがどこか皮肉気であった。

 そしてその炎と血。そして躯に占拠された村の広場の中央に男女が立っている。二人の体は血で赤く染まっており、男の手には血に濡れた剣と銃が握られていた。


「っ、駄目――」


 剣を持った男が動く。無造作に、そして素早い動作で剣を突出し目の前の女性へと突き刺した。刺し貫かれた女性は目を見開き、口から血を吐きながら手を伸ばす。それを振り払う様に男は銃を持つ手を上げその銃口を女性の頭に当て、発砲。

 乾いた発砲音とびしゃぁっ、と何かが散らばる音。それを撒き散らして女性は倒れた。後に残った男はその女性の躯をしばらく見つめ、そして小さく笑った。


「何だと言うのですか……」


 凄惨な光景を強制的に見せつけられたノワはこみ上げる男への嫌悪感とこんなものを見せられた事の苛立ちに声を荒らげる。それに反応したかのように急激に景色は白に埋まっていった。まず空が消え、燃える家々が消え、躯が消え、そして最後に残った男も徐々に消えていく。やがてその男が完全に消える直前、こちらに振り返った時ノワは息を止めた。


 その顔は先程の少年の顔だった。





 ばっ、と飛び上がる様にしてノワは飛び起きた。


「はあ、はあ、はあ、はあ」


 荒くなった息を整えながら辺りを見回す。窓の外は既に明るさを見せており、その光に照らされる室内はよく知った自分の部屋の物。その事にノワは安心した。


「んっ……」


 座って寝ていた為に若干体が痛い。それに妙な夢を見たせいで若干寝足りない気もしていた。しかし二度寝をするのは負けな気がしたので我慢することにして隣を見る。

 鎖で繋がれたラクードは相変わらず寝ておりノワが起きた事にも気づいた様子は無い。何故こんな体勢でここまで熟睡できるのだろうか。何かコツでもあるのなら今度聞いてみようと思いつつ、彼を起こす事にした。今日こそは朝からアズラルの行方を探さなければなら無いからだ


「ラクード。起きて下さい。ラクード」


 声をかけつつ手を伸ばし、肩を揺すろうとした時だった。突然ずどん、と大きな音と揺れが屋敷を襲った。


「きゃっ!?」


 バランスを崩して倒れそうになるのを何とか支え辺りを見回す。本棚から本が零れ落ち、窓際に置いていた花瓶が床に落ちて割れてしまっている。その他にも部屋のあちこちから物が倒れ、そして落ちてしまったために一瞬にして散らかってしまった。


「一体何が……」

「ってぇ……。何だよいきなり」


 見ればラクードも不機嫌そうに起きた所だった。どうやら振動でこちらがバランスを崩した際に鎖で引っ張られて倒れてしまったらしい。眠そうな顔で辺りを見回し、そしてノワに問う。


「何が起きたんだ?」

「分かりません。とりあえず音がした方に――」


 行きましょう。そう言おうとしたノワだが再び屋敷に轟音と振動が走る。今度は先程より大きく、そして近かった。何故ならそれはノワの部屋の壁が壊れた衝撃だったからだ。


「なっ……!?」

「目覚ましにしちゃ激しすぎだろ!」


 ノワとラクードが二人転がる様にして扉に叩き付けられた。痛みに顔を顰めつつ立ち上り前を見ると、部屋には大きな穴が開き外の景色が不必要なまでによく見える。同時に冷気も入り込み、部屋の気温は一気に下がっていった。

 そしてその穴の中心。そこに男が一人立っていた。その男の姿を見た途端、ノワは顔を顰め、そしてラクードは冷や汗を流しつつ呆れた様に呻く。


「おい、この街のストーカーは少々アグレッシブ過ぎないか?」


 それは昨日ラクードに叩きのめされた男、サガであった。


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