ゆっくり達の基礎から始める小説講座番外編!『経験と空想』アッシュ・物字・クロウリー
「オッスオッスお前ら、待たせたなアッシュだ。
そういえば私のフルネームが公開されたな、作中でもあったように私はハーフでな。セカンドネームは物字と読むんだ。『ものじ』ではないからな、間違えないでくれ。
ん、何?
あぁ、ちょっと本編の講座では触れないような内容だからな。こっちで番外編としてだな……。
え、そうじゃない?
何だって「頭身がおかしい」「自己紹介はどうした」だって。
お前らはそういう細かい事をいちいち気にするからモテないんだよ、人として生まれたからには恋に落んで何とする。人生は何事においても、死ぬまでの経験の積み重ねだぞ。
さて、よく創作をするうえでこんな話題を耳にするな。
『いろいろな経験を積まないと良い作品は創れない』なるほど、確かにそうだな一理ある。今でも毎月プラモが出ているロボットアニメを生み出した人や、三鷹に美術館がある有名映画スタジオの監督がよく口にするな。
確かに実体験があったほうが臨場感がある物が作れるだろうな。
だけど、その一方でじゃあ殺人事件の犯人の気持ちなんていうのは実際に人殺しをしなきゃわからん。
サスペンスの創作者のほとんどが殺人犯になってしまう事になる、怖いな。
経験を積むよりも、いろんな物事、状況をパラノイア気味に考えメモを残し膨らます方が良いという作家も多い。
この主張をするのは国民的なポケットから取り出す道具で大抵の事を解決する青狸の作家や、妖気を感じると毛が逆立つちゃんちゃんこを着てゲタを履いた片目の少年の作者が提唱している。
何が言いたいかというと、どちらも大事であり兼ね合いが大切だという事。
人によってはその比率も違うかもしれないが、創作者たるもの経験ばかりを全面に押し出してもよろしくないし、空想ばかりでもよろしくないという事だ。
適度に外に出て、いろんな事に挑戦して、同じくらいに机に向かって、寝る前に物思いに更けれって事だな。