01
※横読み推奨。
入学して五日。今いるのは男子生徒の腹の上。
有名な私立校は中高エスカレーター制で、高等部からの外部入学は珍しくその大抵が馴染めずに孤立する。
日野原康太もその一人でクラスメイトと話が合わず浮いてしまっている状態だ。
早速、登校が億劫になっていると見事に寝坊した。
朝飯も食べずに家を飛び出し、満員電車に詰められ駅からダッシュして運動神経が良い訳でもないのに柵を越えようとした結果が冒頭に至る。
慌てて飛びのきすぐさま謝罪をする。
この学校の生徒に怪我をさせたのではさらに居づらくなる。
「すみませんっ!お怪我は……」
下敷きにしてしまった彼が上体を起こして頭を振る。
乱れた髪から覗く顔のかっこよさに、言葉が出なくなった。
切れ長の目は他人を寄せつけない雰囲気がある。けれど顔全体を見るとそんなことはなく、さらに破顔すると無邪気な笑顔に胸を打たれた。
心の中でガッツポーズ。
「あの、大丈夫ですか……?」
尻をパンパンと払いながら立ち上がった彼は背が高く見上げながら尋ねる。
「平気平気」
平然とした声は低く耳に届いた。
声変わりをしてもあまり低い重みはなく、叫べばキャンキャンと吠える子犬のような声の康太には憧れの声だった。
低く、どこか安心感のある声が、今度は康太に聞いた。
「お前、委員会入った?」
「はぇ?」
唐突な質問に思わず情けない声が出た。
彼は無骨な手で乱れた髪を整えながらもう一度言う。
「委員会だよ」
「は、入ってないです」
「そりゃ良かった!」
ぱっと子供のような笑顔になって見とれていると、ぐいっと腕を引かれた。
そのまま歩き出す背中に、転ばないようについていきながら当然の質問を投げた。
「あのっ……どこにっ?」
歩幅が全然違い、息が上がる。
彼は振り向きもせず
「ついてこい!」
と叫んだ。
だからどこに。
授業があるんだけどなあ、と思いながらも康太は足を止めなかった。
向かった先は図書館だった。
この学校には校舎から少し離れたところに図書館が建ててあるのだが、校舎内に図書室を設けて以来、図書館は今や『旧館』と呼ばれ利用者はいなくなったらしい。
鳥かごのような形をした建物に入り、利用者がいない静かな図書館は柔らかい陽光が差し込みどこか神秘的で思わず感嘆の声が漏れた。
円形の壁にみっしりと本が並びそびえている。
入口の真正面の壁に本棚はなく、階段が設えてあった。
繋がるところは壁から張り出した廊下で、およそ二階と思しき高さに扉があった。
目的地はどうやらその部屋のようだ。
腕を引かれながら階段を上がり扉にかかるプレートには「生徒会」の文字。
ますます連れて来られた理由が分からなくなった。
彼は遠慮なくその扉を開けた。
部屋は思いのほか広く、目に飛び込んでくるのは大きい事務机と、その壁には太陽光をいっぱいに取り入れる窓。
その逆光を浴びながら事務机に座っていた人の影は顔を上げた。
「リオーっ新入り連れてきたぞ!」
高らかに宣言して、彼はずいっとその影に康太を押し出した。
リオ、と呼ばれた影は立ち上がって静かに歩み寄ってくる。
身長は平均的、日に透けた髪は茶色っぽい。
肩幅も狭く、顔も小さい。影だけだと性別は制服を見ない限り分かりづらかった。
影が薄まってようやく顔が見えた頃、柔和な笑顔が康太を見やった。
穏やかに微笑みかけられると、つい肩の力が抜けてはにかんでしまうようなそんな独特の雰囲気がある。
また、心の中でガッツポーズ。
「成路、また無理やり連れてきたんだろう」
せいじ、と呼び付けたリオは咎めるように、それでも怒られている感じのしない柔らかい睨みと、器用な視線を投げた。
睨まれているほうは、やはり怒られているとは微塵も感じずにへらっと笑った。
「俺に貸しがあるから無理やりでも大丈夫だろ」
「良くないよ。ごめんね?えーっと……」
口ごもりながら、リオは成路を見やる。
何を言われているのか分からない彼は、きょとんと首を傾げた。
リオの要求に思い至った康太は声を出した。
「日野原です。日野原、康太」
「ごめんね。俺は柳利緒。こっちが香椎成路…………貸しとかは気にしなくていいから」
「あの……どうして連れてこられたんでしょう……?」
質問すると、リオは目を丸くした。
そして厳しい目つきをして、成路に首を向けた。
「名前も聞かず、理由も教えずに連れてきたの?」
「そんな時間なかった」
「はあ…………ごめんね、日野原君」
「あ、いえ……」
「生徒会が人数足りなくてね、人員募集中なんだ」
「それで俺……?」
「見たところ外部入学だからね。うちの生徒よりは仕事してくれそうだからだとは思うんだけど……」
ちら、とリオは成路を見る。
頭痛がしたのかこめかみを押さえた。
「ごめんね……」
可愛らしく困った顔をされると、とんでもないと口をついて出た。
おそらくこの表情を見た誰もがそう答えるだろう。
すべての理不尽な思いは消え去って、貴方は何も悪くないと、そう当然のように思った。
リオは安堵したように胸を撫で下ろしてふんわりと笑った。
きゅんと胸が高鳴るのを悟られないように懸命に隠す。
それからリオはまた困ったような顔をした。
「あのね、無理やり連れて来られたのに悪いんだけど本音を言えば入ってくれると助かるんだ……その、あんまり難しいことはないから良ければ考えてみてくれないかな?」
申し訳なさそうに眉をひそめたリオに上目遣いで伺うように懇願されて康太は一も二もなく即答した。
「やります!」
快諾した康太にリオはぱっと顔を明るくした。
康太にはそれがあるだけで十分なのだが、そこに成路が加わり申し分なかった。
美形男子二人が戯れているだけで頬が緩む。
康太はいわゆる腐男子というやつだ。
これからのことに思いを馳せると自然とにやけてしまった。
リオが授業の遅刻は何とかすると言っていたため、教師に咎められることはなかった。
放課後空いていたらあの図書館に来てくれと言われ、帰りに立ち寄ると、リオが事務机に座り、成路はその斜め右にある皮張りのソファに腰掛けていた。
よく考えると学校の生徒会室にしては広く設備も整っている。
事務机から見た右側には大きめの楕円テーブルと椅子がいくつか並んでいた。
ソファとローテーブルがある壁には扉があり、さらに奥の部屋があるのだと思われる。
「広い……」
「こっち座れ、リオは仕事中だから」
「あ、はい」
成路にこっち、とソファを叩かれ大人しく従う。
柔らか過ぎず硬すぎず、程よく康太の体を受け止めるソファは二人が並んで座っても余裕があった。
「俺に仕事は……?」
「まだまだ。リオから指示がないと俺もわからねぇ」
「そうなんですか……。……二人は仲良いんですね、ずっと一緒で」
「幼なじみなんだよ」
幼なじみ属性か、と心の中で呟く。
成路のほうが強引そうなのにリオの指示待ちというのも可愛らしい。
逆らえないのだろうか。
「リオ、そろそろ休憩しろよ」
「これ終わったらー」
窘めても、リオは顔を上げずに答える。
成路は唇を尖らせる。
すると生徒会室の扉が静かに開いた。
視線を投げる前に成路が入ってきた人物に声をかけた。
「みちるー待ってた!」
嬉々として身を乗り出す。
入ってきたきた人物は、長い艶のある黒髪を肩に流し清楚で可憐という言葉を全身で表したようなお嬢様。
可愛いと名高い我が校の純白の制服は彼女のためにあるかと思うくらいにしとやかな彼女には似合っていた。
この学校では康太たちの学年から制服が変わり、一年生は白いブレザーに水色のシャツ、男子は赤いネクタイで女子は大きなリボン。
二、三年生は襟元と袖口に白い線が入った黒のブレザーに白のシャツで男女ともブルーにシルバーのストライプが入ったネクタイとなっていた。
大幅に改変する者はいないが、リボンやネクタイ、シャツなどを規定外のものを着て来る生徒は多い。
だが彼女は見本のようにきちんと制服を身に纏っていた。
彼女は礼儀正しく頭を垂れた。
「永田みちると申します。よろしくお願い致します」
小首を傾げて微笑まれるとほんのりと頬が赤く染まる気がした。
「あ、っと日野原康太です!こちらこそっよろしくお願いしますっ」
「役職は一応書記、でもみちるはティータイム担当」
「ティータイム?」
「すぐ入れますね」
「今日は何?」
「今日はショートケーキです」
ふんわりと笑って、この部屋にあるもう一つの扉へと消えた。
「あっちの部屋って何があるんですか?」
「キッチン」
「……およそ生徒会室にあるものではないですよね……」
みちるはティーカップやポットを運んで、ローテーブルに置いた。
向かいのソファに座って、今度はケーキを用意する。
大きい苺が乗ったショートケーキ。スポンジとスポンジの間にも零れんばかりの生クリームと苺がぎっしりと詰まっている。
苺以外の飾りはなく、シンプルなのがまたいい。
「どうぞ」
みちるがそう言う前に成路はショートケーキに口をつけていた。
康太も一口大をフォークですくってぱくっと口に含む。
生クリームとスポンジの程よい甘さが口の中で溶け合った。
「うまあ……」
「今日のは気合入ってんな、すげー美味い」
「腕によりをかけました」
照れくさそうにみちるは腕を顔の隣で折り曲げ、力こぶを作ってみせた。
可愛らしい仕草に微笑ましくなる。
三人で談笑していると、みちるはおもむろにテーブルに手をついて身を乗り出し、成路の口許をハンカチでぬぐった。
にっこり笑って、クリームがついていましたと言う。
さんきゅ、と返す成路とのやり取りはまるで恋人のよう。
その役目は柳先輩なのに!
と、まだ会って間もない彼女に叱咤してしまいそうになった。
危ない危ない、と頭を振って冷静になろうとすると、みちると目があった。
ふっと微笑まれてなんとなく脳内の邪な気持ちが見透かされた気がして目をそらした。
「リオ」
成路は自分の食べかけのケーキが乗った皿を持って立ち上がり、仕事をするリオに歩み寄る。
呼ばれたリオが顔を上げたとき、ショートケーキの上に乗った苺をフォークで刺して、それをリオの唇に押し付けた。
リオは少しむすっとした表情をする。
「何」
「休憩」
しばらく睨みあっていた、というか見つめあっていたのだが、やがてリオが諦めたようにため息をついた。
そして唇に押し当てられたままの苺をぱくっと口に含む。
もぐもぐと頬を膨らませながら咀嚼して紙を成路に見せた。
「あとででいいから会長のサインちょうだい」
「ハイハイ。いーから休め」
適当に流す成路に仕方ないなとリオは立ち上がる。
康太はあまりにも悶える光景に蹲りそうになりながらも、なんとかみちるの隣に移動した。
理由は言うまでもない。
二人の邪魔をするわけにはいかないからだ。
康太が気を遣った甲斐あって、成路の隣にリオは腰を下ろした。
みちるが入れた温かい紅茶を飲んで、フォークを手に取る。
「そもそも君が仕事してくれれば俺の仕事は減るんだけど」
「俺がするよりリオがしたほうが早いだろ」
そうだけど……、と不満そうに呟きながらケーキを一口。
美味しかったのか、甘いのが好きなのかリオはふにゃっと笑った。
絶好のシャッターチャンスだった。
公然と携帯カメラを構えられるはずもなく、後悔が押し寄せる。
心にとくと刻んでおこう。
じっと見つめる康太に気付いてリオは照れたように眉をひそめた。
「ごめんね、今日は仕事ないんだけど、生徒会のメンバー表に一応サインしてもらえるかな」
「あ、はい」
康太が返事をすると、リオは書類を取りに行くべきだけどケーキも食べたいからどうしようとフォークを加えて思案顔。
写真に収めたい衝動に駆られながら
「食べてからでいいですよ……?」
「あ……、うん。ごめん。ありがと」
リオは一気に言って気付かれた恥ずかしさをごまかすように笑った。
食べる姿は可愛く、けれど上品で、やっぱりお金持ちが揃う学校は違うなと感心させられる。
がさつな成路とそれを咎めながらも実はやる時はやる男なのだと信頼しているリオを授業中想像して過ごした。
6時間にも及ぶ妄想はあながち外れでもなかったかもしれない。
ケーキ皿が片付けられた康太の目の前に、すっと紙が滑り込んだ。
「これのここんとこ、名前書いて」
成路が、とん、と指をさす。
ボールペンをテーブルに置いて、成路は事務机に向かった。
「リオ、サインすんのコレか?」
「あ、うん。それとあともう一枚」
「あいよ」
そう言って、ポケットに片手を突っ込んだままさらさらとペンを走らせた。
気だるそうにしているのだが、それが妙に様になっている。
康太が見惚れているとリオは少し眉をひそめた。
「急に成路がやる気になってて怖いんだけど……」
「休憩しろって言ったろ、ケーキおかわりでもしてろ」
「ん……じゃあそっちのも目通しておいてくれる?」
「おう」
リオは満足顔で心おきなくケーキをたいらげ、みちるが用意したおかわりに手をつける。
そこでふと気になった。
「香椎先輩が会長なんですか!?」
「お?うん」
リオの仕事振りを見て完全に会長はリオだと思っていた。
「じゃあ……柳先輩は?」
「リオでいいよ苗字で呼ぶ人いないから。俺は副会長だよ」
先程差し出された書類を見ると、たしかに副会長は柳利緒と達筆に記されていた。
会長を押し倒す生徒会役員という下克上を想定していたために、そのイメージを変えざるを得なくなる。
そう考えて、はっとなった。
あまり仕事をしない会長を咎めながらも幼なじみ故に仕方ないなと呆れ、仕事を代わりにこなし、生徒会を事実動かしているのは副会長。そのご褒美にと秘めやかに生徒会室で行われるあれやそれ。
これだ……!
たまにはきちんと仕事をする会長に惚れ直すのだ。
そんな妄想が瞬く間に広がった。
「ごちそうさまです」
思わず一礼。
何のことだか分からずにリオは首を傾いだ。
分かられては困るのでさっさと話題を変える。
「この会計の田倉英臣さんは今日いないんですか?」
「家の用事とかで今日はね。明日は来ると思うよ」
「そうなんですか」
「日野原君と同じ一年だから仲良くしてあげて」
「はい」
どんな人物なのかと思いを馳せながら、これからの妄想が楽しみだと書記と書かれた欄に名前を埋めた。
続きます…!
中3くらいから考えてた話を、ようやく書き起こしました。
考えてた当初からずいぶんと人数減りましたが…。
まだオチは思いついていません!
始まったばかりで分かりづらいことも多いと思いますが、お付き合いくださいませ。