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後方腕組みウェブ読者ですが、転生先で異世界あるあるを語っていたら、なぜか救国の預言者と呼ばれるようになりました

作者: 時岡継美
掲載日:2026/01/20

 わたしが異世界転生したと気づいたのは3歳の時。

 その事実を比較的すんなり受け入れられたのは、前世でそういった小説やマンガをたくさん読んでいたからだ。

 前世の日本、ライトノベル界隈は空前の異世界転生ブームだった。

 前世の知識を活かしてかっこよく逆境をはねのけ問題を解決していく主人公の活躍は、男女問わず痛快でおもしろかった。

 

 わたしが命を落としたのは大学からの帰路の途中。

 スマホでウェブ小説を読みながら歩いていたのがいけなかった。

 当時の言葉でいえば「ながらスマホ」のせいでトラックに轢かれた。


 これはもしや転生トラック……!?

 道路に横たわりトラックのヘッドライトに照らされながら、死に際にそんなことを考えた。

 それが功を奏したのか、わたしは見事に異世界転生に成功した。

 

 異世界転生とは、命を落とした人物が別の世界(異世界)に生まれ変わって最初から人生をやり直すことをいう。

 ブーム初期は人間が人間に生まれ変わるのが一般的だったけれど、性転換したり動物や魔王様に生まれ変わったり、果ては武器や家電のような道具、はたまた下着へ転生したりと多岐にわたり、作家たちの大喜利状態だったと記憶している。


 わたしの場合は人間の女性から人間の女性への転生という、トラディッショナルな転生に落ち着いた。


「やった!」

 3歳のわたしは前世の記憶があることに気づいて大いに喜んだ。

 鏡をのぞけば、ライトブラウンの髪にエメラルドの目のわたしがいる。

「ソフィア様は鏡がお好きですね」

 専属メイドのアニーがクスクス笑う。

 

 だって、前世が日本人だったから緑色の目が珍しいんだもの!

 宝石みたいでとっても綺麗!

 わたしは暇さえあれば自分の顔を鏡に映して浮かれていた。

 

 ソフィア・リッチモンド。シューダール王国のリッチモンド男爵の次女。

 それが転生後のわたしの肩書だ。

 前世で17年しか生きられなかった分、今回はうんと長く生きてやる!

 この第二の人生にどんなイベントが待ち受けているのだろうか。


 聖女の才能が開花する?

 モブだって言ってるのに王子様に見初められちゃう?

 学園一の悪役令嬢になって、ざまぁされちゃう?

 陰謀に巻き込まれて断罪されてから死に戻る?

 冒険者になってドラゴンテイマーになる?

 魔王を倒す勇者パーティーの一員になる?

 

 わたしは期待に胸を膨らませた。

 それなのにだ。

 なーんにも起きやしない。

 わたしは本当に転生したんだろうか……? チート能力はどうした!


「ねえ、なにかないの?」

 メイドのアニーに問いかけると、アニーは小首を傾げた。

「なにもございません」

 アニーとこんなやり取りばかりを繰り返しているうち、これといったイベントがなにも起きないまま、わたしは17歳になってしまった。


 リッチモンド男爵家は家族の仲がとてもいい。

 両親は常識人で、実直に領地経営を行っている。

 母親は病弱なわけでもなく健在だ。ゆえに継母もいない。

 兄と姉もごくごく普通の人間で、姉妹格差もなければ兄に極端に溺愛されているわけでもない。

 

 貴族学校にも通っているけれど、同級生に王子も宰相の息子もいない。

 16歳でデビュタントを迎えたけれど、色恋沙汰に発展するようなイベントはなにも発生しなかった。

 

 おかしい。こんな異世界転生があっていんだろうか!?


 そしてわたしは悟った。

 転生すれば誰しもが何者かになれると思っていたのは迷信だったのだと。

 一応、それからもしばらくは抗ってみたのだけれど。

 だって、せっかく異世界転生したんだから今度こそ何者かになってみたかったんだもの!


 魔法が使えるかもしれないと魔導書を読んで勉強してみた結果、向いていないことがわかった。

 ちなみに潜在的な魔力もないようだ。

 当然癒しの能力もない。


 剣術もかじってみたけれど、剣が重たすぎて手首を痛めて挫折。

 それならば領地経営の手伝いを! とあれこれ勉強してみたものの、さっぱりわからず向いていないことだけはよくわかった。


 もしやこれは、グルメファンタジー!?

 そう思って料理やお菓子作りに手を出してみたこともある。

 この世界にない料理といったら、なんといっても和食だろう。

 しかし醤油がない! 醤油がなければ和食が作れない!

 魚醤? そんなもの、つくり方なんて知らない。

 

 ならばお菓子作りをと思ったけれど、そもそも前世でお菓子を作った経験などない。

 せいぜいバレンタインデーに、板チョコを溶かして型に入れて固め直しただけだ。

 材料と分量を正確に記憶したレシピなど何ひとつないし、カカオ豆からチョコレートを作る方法など知る由もない。

 パンケーキやふんわりパンは、このシューダール王国にはもともと存在している。


 前世のような上下水道の整備や蒸気機関車開発、科学技術を駆使した発明品など仕組みを知らないのだから提言できるはずもない。

 農業の知識?

 小学生の頃に朝顔とミニトマトを育てた経験しかないんだから、肥料の知識もないし畑の耕し方すら知らないわ!

 

 なんてことだ。

 前世で異世界転生したときのための知識を丸暗記したり、スキルを習得したりしておかなければならなかっただなんて!

 後悔してももう遅い。

 でも仕方ないじゃない。前世で命を落としたわたしはまだ大学生だったんだもの。

 理系ならまだしも文学部の日本文学科だった。

 あの頃覚えていた日本語文法や古文単語なんて、いまのわたしにはなんの役にも立たない。

 わたしはまだ何者でもないただの一般庶民だったのだ。

 だから転生したところで知識チートなんて発動できるはずもない。


 ちなみに神様からチート能力を与えられるようなイベントもなかった。

 ステータスオープンも当然ないし、精霊の加護もない。

 幸いにして男爵家の令嬢に生まれたことで経済的に苦労しているわけではない。

 前世で読んでいたラノベではどういうわけか、男爵家は貴族とは名ばかりの貧乏な家のように描写されることが多かったけれど、そんなことはない。

 だって貴族なんだもの!


 奴隷に転生とか、戦地にいきなり放り出されるとかじゃなくてラッキーだった。

 これからは前世のことは忘れて、この世界で実直に生きていこう。

 ようやくあきらめがついたのは、わたしの17歳の誕生日。

 目立たない善良な男爵令嬢でいいじゃないか。


 こうしてわたしは、ソフィア・リッチモンド男爵令嬢として、つつましやかにこの人生を謳歌しようときめたのだった。


 ◇◇◇


 きらびやかに光るシャンデリアの下、着飾った貴族の男女が躍るダンスホールに突如高らかなテノールの声が響き渡る。

「エリーゼ・トラント! 貴様との婚約を破棄するっ!」

 公爵令息がビシッと指さした先には、派手さはないものの清楚な美しさと気品を持ち合わせた伯爵令嬢が青ざめた顔で立っていた。

 公爵令息がもう片方の腕にぶら下げているのは、ハニーピンクの髪の平民あがりの男爵令嬢だ。


 ホールがしん……と静まり返る中、男爵令嬢に陰湿ないじめを行っていたとかなんとかと、公爵令息が得意げに朗々と断罪の言葉を並べ立てる。


 目立たないモブでいようときめ、あるがままの自分を受け入れた途端、周りのことがよく見えるようになったのかもしれない。

 学園や夜会で見知った光景をよく目撃するようになった。


 婚約者以外の女子と堂々とイチャこらしている高位貴族の男子生徒。

 陰湿ないじめを受けたと嘘をつき格上のご令嬢を陥れようとする愚かな女子生徒……。


 この世界は事件であふれている。

 わたしは異世界転生ファンタジー小説をたくさん読んでいたから、その知識だけは豊富だ。

 

 それにしても、だ。

「またピンク髪キャラが悪者のテンプレかぁ」

 わたしは壁際で秘かにため息をこぼした。


 かわいらしいピンク髪といえば、もともと女性主人公(ヒロイン)の定番の色だった。

 それがヒロインの恋の邪魔をする悪役の髪色の定番になってしまったのは、主人公が入れ替わってしまったためだ。


 このタイプの底辺からのし上がるシンデレラストーリーは、もともとピンク髪で平民あがりのかわいらしい男爵令嬢が正統派の主人公だった。

 そのアンチテーゼとして派生して台頭したのが「悪役令嬢は実は悪者ではない」「悪役令嬢に転生してしまったけどどうしよう!?」というテンプレだ。


 このテンプレが人気になったのは、魅力的な悪役を気に入っていて応援する読者が潜在的に多数存在していたからなのか。

 それとも、ピンク髪の可憐なヒロインが王子様に見初められるというテンプレ自体が飽きられたのか。


 その現象は、この世界でも起きている。

 髪色がピンクというだけで危険人物視される日も、そう遠くはないだろう。

 近い将来、高位貴族の親たちは、

「ピンク髪の小娘が近寄ってきたら逃げろ。でないと、人生が台無しになるぞ!」

 と、道を踏み外してほしくない息子たちに、あらかじめ言い含めるに違いない。


「とんだ風評被害よね……」

 悪役令嬢婚約破棄テンプレを遠目に眺めながら、果実水――フレッシュオレンジジュースをひと口飲んだ時だった。


「ふうん。どういう意味?」

「ひっ!」

 耳元でささやかれて、心臓が飛び出るかと思うほどに驚いた。

 

 音もたてずにいつのまにかわたしの隣に背の高い男性が立っているではないか。

 長く艶やかな黒髪をひとつ結びにし、仮面舞踏会でもないのにどういうわけか顔の上半分をベネチアンマスクで隠している。

 怪しすぎる。

 素性の心当たりは当然ないけれど、彼は貴人のお忍びかお尋ね者かのどちらだろう。

 逆に悪目立ちしていると気づいていないところがイタイ。

 

 正直、関わり合いになりたくない!

 

 わたしが壁に沿って離れようとすると、仮面男もススッと寄ってくる。

 こちらが嫌がっていることに気づいてもよさそうなものなのに、彼はおかまいなしに再度問うてきた。

 

「それで、風評被害とは?」


 手短に相手をして逃げるほうがよさそうだと判断したわたしは、小声で答える。

 

「根拠のないデマで被害をこうむることです。いずれ、ピンク髪の女にはかまうなって言われるのではないかと」

 

 自分がピンク髪ではなく、ごく普通のライトブラウンの髪で心底よかったと思っている。

 もしもピンク髪だったら染めていたにちがいない。


 すると仮面男は、あごに指をかけて「ふむ」と首を傾げた。

「統計的に優位なら根拠がないとは言い切れないのでは?」

 

 知るか!

 そんな議論をふっかけられても困る!

 たしかに仮面男の言う通りで、この世界においては身を滅ぼしたくなければピンク髪の女性にかまわないほうがいい。

 

「当り前のことですが、噂を鵜呑みにしてはいけませんよ。必ずご自身で確認したことだけを信じてくださいね」


 いま公爵令息が朗々と語っているエリーゼ嬢の罪の数々も、どうせすべてでっちあげだ。

 片方の言い分だけを信じ切ってしまうのは、そうであってほしいという願望なのだろうか。


「ただの噂の信頼度が高すぎると思います」


 前世でもSNSや学校で信ぴょう性の低いデマが飛び交っていたけれど、誰かの人生を左右するようなデマを信じ切って個人的に断罪するようなことが許されてはならないはずだ。

 この世界にだって司法機関はあるのだから正式に訴えればいい。

 

「もうひとつ言わせてもらいますが。たぶんこのあと、あのエリーゼ嬢をトンビがさらっていくと思いますよ」


 それだけ言うと、わたしはなにか言おうとしている仮面男に背を向けた。

 話はこれで終わりだ。

 わたしは断罪劇の続く夜会をあとにした。

 

 ◇◇◇

 

 翌日のゴシップ紙の一面には、隣国の王太子とエリーゼが見つめあう様子が大きく載っていた。


「やっぱり、トンビヒーローが現れたわね」

 わたしは紙面の記事をひと通り読むと、ティーカップを置いて立ち上がった。

 そろそろ貴族学校へ登校する時間だ。


 学校へ向かう馬車に揺られながら、昨日の夜会で少しだけ会話した仮面男のことをふと思い出す。

 あれは一体誰だったんだろう。

 彼はあのあと、エリーゼ嬢の断罪劇とトンビヒーロー登場からのかっさらいエンドをすべて見ただろうか。


 そんなことを考えていたのは、虫の知らせだったのかもしれない。

 なんと学校で仮面男に再会したのだ。


 偶然再会したわけではない。投稿するや否や、わたしは学長から呼び出しを受けた。

 学長室に入ってみれば、昨夜の彼が待ち構えていたというわけだ。

 

 まだ仮面をつけている。どうなっているんだろうか。

 顔に火傷があるとかいう設定だろうか。


 黙っているわたしの目の前で、学長と仮面男が言葉を交わす。

「探していたご令嬢です」

「それはよかったですわ。彼女は高等部の2年生でリッチモンド男爵の次女、ソフィアです」

 白髪の多いグレイッシュヘアをシニヨンにしている学長は、丸眼鏡の奥の目を細めながらにこやかに語る。


 そんなに簡単にこの怪しい仮面男にわたしの個人情報を漏らさないでいただきたい。

 人さらいだったらどうするんだ。


 なおも押し黙るわたしを見かねてか、学長が小さく咳払いをした。

 挨拶を促されているようだけれど、仮面男よ、おまえのほうこそ名乗れ!と言いたい。


 しかしこれでは埒が明かないので不承不承カーテシーをする。

 学長がここへ招き入れ、さらに人探しを手伝ったということは、昨夜の見立て通り仮面男は高貴な身分なのだろう。

 

「ご紹介にあずかりましたソフィア・リッチモンドです」


 仮面男が口元を緩ませる。

「昨夜は失礼した。きみの言った通りになって驚いてね、詳しい話を聞きたかったんだ」


 それより、あなた誰なんですか?

 

 ジト目で見つめるわたしの心中には興味もない様子で仮面男が学長を振り返る。

 

「歓談室をお借りしても?」

「ええ、もちろんかまいませんよ」


 学長のお墨付きを得た仮面男がわたしの手を取って歩き出した。

 冗談じゃない。

 わたしはその場から動かずに手を振り払った。


「もうすぐ授業が始まってしまいます。それに、知らない人にはついていくなと父に言われておりますので」


 すると仮面男は、狼狽したように懇願してきた。

「失礼した。手間は取らせないようにする。少しの時間だけ話をさせてもらえないだろうか」

 

「リッチモンドさん、心配いりません。この方はここの卒業生で、身元のはっきりした人物ですから」


 気安く素性を明かせない――それはつまり、彼がスパイか要人であることを意味している。

 少し前までのわたしなら、この不思議な出会いに歓喜していたかもしれない。

 だって、いかにもラノベのヒロインっぽいんだもの。

 しかしいまはちがう。

 わたしは人生に波風を立てず歴史に名を残さない、お気楽なただの凡人でいたいのだ。

 この世界で異世界恋愛ファンタジーのテンプレを傍観しながらほくそ笑むことに生きがいを見出したのだから、妙なことに巻き込まないでほしい。

 厄介なことになったと暗澹たる気持ちを抱えながら仮面男に手を引かれ、歓談室へと向かった。


 学校の歓談室は、その名の通りおしゃべりを楽しめる部屋で、ソファーとローテーブルが置いてある。

 わたしたちは向い合せに腰かけた。


「名乗れなくて申し訳ない。私のことはアルと呼んでくれないか」


 名前に「アル」がつく要人がいたかしら……。

 記憶をフル回転させてみたけれど、咄嗟に出てくる名前がない。


「アル様、わたしのことはソフィアをお呼びください」

「ありがとう、ソフィア。時間がもったいないからさっそく本題だ」

 

 アルが身を乗り出し、声を潜めて問うてくる。

「きみは予知能力でもあるのか?」

「まさか!」

 くすくす笑いが漏れる。

「昨夜のあなたの言葉を借りるとするなら、統計的に優位な結末をお話しただけですわ」


「突然現れてトンビのようにさらっていくことになぞらえて、トンビヒーローと言っていたのだろう? 感心したよ」

 わたしは、ふふっと笑うにとどめた。

 トンビヒーローは、わたしが考案した言葉ではない。

 誰か最初に言いはじめたのかはしらないが、実に言い得て妙の素晴らしい表現だと思う。


 トンビヒーローは秘かにヒロインに想いを寄せているものの、婚約者がいるため諦めようとしている。

 そこで起きたヒロインの婚約破棄に、それならば自分が彼女を幸せにしてみせると名乗り出るのだ。

 

「トンビヒーローは婚約者の男性よりも格上で、女性は美しい必殺カーテシーでその場を締めくくってトンビとともに退場するのです」


 わたしの説明に、アルは衝撃うけたかのように息を呑む。

「昨晩はその通りだった。やはりきみは預言者か?」


 ちがいます。ウェブ小説読者が転生しただけです。

 

 ここでアルは、しかし……と首を傾げる。

「カーテシーは、目上の者に対するただの挨拶だろう?」

「ええ、その通りです。その当たり前の行為を大仰に、スカートを大きく広げてゆっくりと頭まで下げる。あたかも、わたくしは完璧な淑女ですわ! とでも言いたげに」

 

 アルは感心したように、ほうっと息を漏らした。

「まるですべてを見ていたかのようだな」


 ええ、その通り。何十作、何百作も読みました。


「そこで、逃がした魚は大きかったのではないかと相手に思わせるのです。これぞ、ざまあへの布石です! 読者が喜ぶやつです!」


 異世界ロマンスファンタジーあるあるを語るわたしの手に力がこもる。

 楽しいっ!


 ここでなぜかアルは体をこわばらせた。

 訳の分からないことを言っていると思われたのなら逆に都合がいい。

 わたしは授業に戻りたいのだ。


 再びアルが声を潜める。

「きみの言うドクシャとはまさか、毒蛇(どくじゃ)のことか? 毒を吐くあいつのことだよね……?」

「まあ! 読者のことをそんなふうに言ってはなりません」


 わたしは驚いて否定した。

 そう。ウェブの読者は稀に歯に衣着せぬ辛辣な感想コメントを書くことがあるため、一部の作家から「毒者」と書かれてしまうことがあるのだ。

 なぜそれをこの人が知っているのかはわからないが、毒を吐くあいつなんて言ってほしくない。


「読者がいてこそ成り立っているんです。持ちつ持たれつです。彼らが一方的に攻撃していると勘違いしてはいけません」


 ちょっと強く言いすぎたかもしれない。

 アルは黙り込んでしまった。

「では、これで……」

 そろそろ退室しようかと立ち上がったわたしの手をアルが握った。


「やはり僕が見込んだだけはある。最後にひとつ教えてくれ。先ほど言っていた『毒蛇が喜ぶザ・マー』とはなんだ?」


 ざまあを説明しろってこと!?

 勧善懲悪モノのお話でよくあるやつだと説明して理解してもらえるだろうか。

 この世界には、シンデレラの物語も水戸黄門のドラマもないから具体例を挙げにくい。

 しかも、熱く語りはじめたら長くなりそうだから手短に説明しておこう。


「この世界には欠かせない最高のカタルシスです」


 マスクから覗くアルの琥珀色の目がキラリと光ったように見えた。

「それはどこにある!?」

「物ではないので、どこかにあるとかではなくてですね。タイミングのいいところで繰り出す断罪というか……」


 アルはソファーから立ち上がると、わたしの隣に移動して腰かけた。鼻息が荒い。

 相当、ざまあに興味があるようだ。


「そのザ・マーは、誰にでも扱えるのか?」

「どなたでもできるわけではありません。たとえば昨晩のケースだと、ざまあできるのはエリーゼ様になります」

「なんだと!?」

 そんなにおかしなことを言ったつもりではないのに、アルが裏返り気味の声をあげて狼狽している。

 

「となると、今日すでに隣国へ旅立っていったエリーゼ嬢に戻ってきてもらわないといけないということか……?」

 震え声で問うてくるアルには申し訳ないが、エリーゼはもう戻ってこないだろう。

「無理ですね。戻ってこいと言われてももう遅い!ってやつですから」

 戻ってこないことこそが、ざまあになるのだから。


「そんな!」

 アルが両手で髪をグシャグシャにした。

 ずいぶん落胆している様子だ。

 

「もしかして、エリーゼ様が好きだったのですか……?」

「妙な推測はやめてくれないか」

 アルが顔を上げる。

 どうやらわたしの勘違いだったようだ。


「僕は、国の存亡の話をしているんだが?」

 

 ああ、そっちか。

 真の聖女が追放先で能力を開花させる一方で、祖国がピンチになるテンプレの心配をしているのね?

 

「まあ、エリーゼ様ひとりがいなくなったぐらいで我が国が滅ぶこともないでしょうし」

 このシューダール王国は、国民ひとりを追放したぐらいでガタガタになるような国ではないと信じている。


「ザ・マーの術式を教えてもらえないだろうか!」

 ベネチアンマスクがズイッと迫ってきて、わたしは背中をのけぞらせた。

 まあまあ落ち着いてくださいと、両手でアルの肩を押しとどめる。


「術式っていうか……基本は、追放を言い渡された後に、実は自分の方がすごい身分だったって明かすだけなんですけどね。あんまりそれを長く引っ張りすぎると、読者が『早くざまあを!』って気持ちになるんですよね」

 

 アルがごくりと唾を呑み込んだ。

「毒蛇はザ・マーを受けるとどうなるんだ?」

「先ほども言いましたが、ざまあはカタルシスなので浄化です」

「浄化……だと……!?」


 そんなに驚くようなことだろうか。

「世の中には、即ざまあとかプチざまあもありますよ?」

「なに! 即ザ・マーにプチ・ザ・マー!?」

 ざまあを知らないとは、アルは普段どんな生活を送っているんだろう?

 

「つまり、多種多様なザ・マーをタイミングよく繰り出すことで、毒蛇を追いやることになるというわけか」

 

 結論がおかしい。

「なんで読者を追いやるんですか。お互いに気持ちよく、持ちつ持たれつで仲良くすればいいと言っているんです!」

 わたしがピシャリと言うと、アルはふらりと立ち上がった。

「ありがとう。また来る」


 いいえ! もう来なくていいです!

 そう告げる前に彼は立ち去ったのだった。


 ◇◇◇


 シューダール王国の第三王子・アルスは興奮気味に王城の執務室へ戻ってきた。

「ようやくヒュドラ討伐の手がかりを掴んだかもしれない!」


 国の南方にある広大な森には、巨大なヒュドラが棲みついている。

 3本の長い首をくねらせながら猛毒を吐くため「毒蛇(どくじゃ)」と呼ばれることもある。

 体はドラゴンのようで翼を持ち、硬い鱗に覆われている。

 厄介なのは凶暴な性格だけではない。

 多くの犠牲を払い苦労して首を切り落としても、すぐに再生してしまうことだ。


 森を猛毒で汚染し、近寄る者たちを見境なく襲う。

 国民たちはその森を大きく迂回しての移動を強いられている。

 ヒュドラ討伐を国王から命じられているのが、第三王子であるアルスだ。


 彼は、上のふたりの兄王子たちとは母親がちがう。

 正妃ではなく愛妾の子であるため、兄王子たちと容姿が異なる上に王室公式行事への参列も認められていない。

 父王に冷遇され疎まれている――アルスに同情的な、あるいは侮蔑的な視線を向ける者も多いが、本人はまったく意に介していない。


「この世に生を受けてから20年間ずっと贅沢な暮らしをさせていただいている。それだけで感謝しかない」

 というのがアルスの口癖だ。

 謙虚で生真面目な彼の目下の懸案事項といえば、もちろんヒュドラ討伐だ。


 生態もよくわからず不死身なのではないかとすら思う相手にどう立ち向かえばいいか――彼の頭はそのことで埋められている。

 だから藁にも縋る思いでヒントはないかと、人の集まる場所にお忍びで参加し、噂話などに耳を傾けているのだ。


 そして昨夜の舞踏会でとんでもない出会いがあった。

 ソフィア・リッチモンド男爵令嬢。

 彼女は、突如として始まった婚約破棄劇にまったくうろたえず、したり顔で「ピンク髪の風評被害」についてぽつりと漏らしたのだ。

 その達観した様子に興味を引かれたアルスが話しかけてみると、彼女は「このあとトンビが現れる」という予言を残して立ち去った。

 その予言がピタリと当たったのだから、アルスの期待値はさらに高まった。


 トンビの預言だけではない。

 今日さらに彼女から詳しく話を聞いたアルスは、対ヒュドラ戦への大きなヒントを入手したのだ。


「ザ・マーという古代魔法がないか調べてくれないか」

 アルスの指示に側近が眉根を寄せる。

「ザ・マーとは……?」

「ヒュドラの毒を浄化できるかもしれないんだ」

「なんと!」

 側近が目を見張る。


 ヒュドラを無毒化して共存すればいいとソフィアは語っていた。

 アルスにとってこの提案は、目からうろこだったのだ。

 ヒュドラをどう追い払うか、あるいは倒すかばかりに気を取られていた。


 しかし彼女の言う通り、実はいまも持ちつ持たれつの一面もある。

 周辺諸国はヒュドラを刺激することを恐れてこの国に手出しできない。

 ヒュドラの暮らす森が国境付近にあるためだ。

 森を通ればヒュドラとの交戦が待っている。迂回したとしても、その気配を感じ取って襲いにくるかもしれない。

 興味を引いてしまえば、自国についてくる可能性だってあるのだ。


 そう考えると、ヒュドラを無毒化できさえすれば、そしてそのことを公にしなければ、ヒュドラがいる限り我が国が南側から攻められることはない。

 アルスは急に目の前に道が開けたような高揚感を感じた。

 と同時に、噂を鵜呑みにするなとの助言はガツンと頭を殴られた思いがした。


「僕も手伝う。古代魔法を徹底的に調べよう!」


 アルスは、王族しか立ち入りを許されていない禁書が収められている書庫へと向かったのだった。


 ◇◇◇


 アルと不思議な会話をした2週間後、わたしはまた別の舞踏会へ来ていた。

 あの怪しげなベネチアンマスクをつけたアルがいませんようにと祈りながら。

 と思っているところへ、案の定声をかけられた。


「やあ、また会ったね。僕たちご縁があるのかな」

 あるわけがない。

 この人がスパダリでなければ、付きまとい行為はただのストーカーだ。


「というか、その変装は逆に目立つのでやめたほうがいいと思いますよ?」


 するとアルが息を呑んだ。

「まさかそれも、毒蛇への対抗策なのか!?」

「何をおっしゃいます。ただの個人的な感想です」


 仲間だと思われたくなくてススッと壁伝いに移動しても、アルがついてくる。

 ここで給仕係が果実水を持ってきてくれたため、トレーからオレンジジュースを選んで受け取った。

 

「ところできみは、ダンスもせずいつも舞踏会で何をしているんだ?」

 その通り。

 わたしは社交場で出会いを求めているわけでも踊りたいわけでもない。


「人間ウォッチですわ」

 異世界ロマンスファンタジーあるあるが観測できるこの場所が楽しくて仕方ないだけだ。

 というか、これだけを生きがいとしていると言っても過言ではない。


「傍観者として人を観察しているのだね?」

「悪趣味だという感想は甘んじて受け入れます」

「何を言う。きみの鋭い観察眼があってこそ僕は助かっているんだよ」


 助けた覚えはない。

 でも、もしかするとこの人もピンク髪ヒドインに騙されてざまあされかかっていたのかもしれない。

 それを回避する一助になれたのなら幸いだ。

 ここで給仕係が果実水を持ってきてくれたため、トレーからオレンジジュースを選んで受け取った。


「噂を鵜呑みにせず自分で確認しろという助言のおかげで、新たな発見があった」


 興奮ぎみのアルの言葉に、わたしは頷いた。

 ああ、そのことね。

 内容が刺激的であればあるほど、噂というものはものすごい勢いで拡散されていく。


 姉妹格差によって、妹や姉に「ふしだらな女」とい不名誉な噂を流され、それをまんまと信じるヒーローもいる。

 はたまた、婚約者には別に愛する女性がいると、噂や断片的な盗み聞きだけで信じてしまうヒロインも。

 これらの多くは、噂の真相をきちんと調べたり本人に直接聞けば解決する話なのだけれど――。


「正面切って立ち向かえればいいんですけど、そうもいかない弱さもあるのが人間なんでしょうね」

「さすがだな。その通りだ」

 アルが力強く首肯する。

 

 恋の悩みでもあるんだろうか。

 あれこれ蘊蓄を披露しているから勘違いされているのかもしれない。

 わたしは恋愛マスターではないから恋愛相談をされても困るんだけど……?

 ここで給仕係が果実水を持ってきてくれたため、トレーからオレンジジュースを選んで受け取った。


「ところで古文書を読んでいて知ったことなんだが……」

 妙な違和感を覚えながらアルの話に耳を傾ける。

「一度逃げたのに戻ってきたという記述があったんだ」


 唐突になんの話だろう。

「元鞘のことでしょうか?」

「モトサヤとは?」

「逃げたい、縁を切りたいと言いながら、結局最後は元に戻ることです」


 アルは首を傾げる。

「逃げたいのに戻りたくなるのか?」


 その疑問はよくわかる。

 タイトルに「逃げたい」「離縁してください」とついているものはたいてい、元のヒーローへと戻る。


「最初は本気で逃げるつもりで、実際に逃げ出すんですけど、途中で長所や陰ながらやってくれていたことに気づいてほだされるんですよね」

「なるほど……? しかしそれでは、ザ・マーをしても意味をなさないということか?」


 なかなかいい指摘をしてくるじゃないか。

 

「と言いますか、ざまあが弱いんですよね。これまでさんざん冷遇していたくせに、急にそれ?っていう」

 ヒロインを失うとわかったら突然の手のひら返し。

 これまでの冷遇はなんだったのかと読者が引くほどの溺愛と執着。

 できるんなら最初っからそうしとけ!とツッコミを入れたくなるやつだ。

 

 アルが息を呑んだ。

「ザ・マーが弱い……だと!?」

「はい。中途半端なざまあは逆効果になることもあります」

「なるほど……わかったような、わからないような」

 アルがなにやら唸っている。

 もしやこの人、異世界恋愛ファンタジー小説でも書くつもりなんだろうか。


「読者は『氷』に弱いので、元鞘相手を氷属性にしておけば風よけになることもありますけどね」

「毒蛇の弱点は氷なのか!?」


 氷の騎士、氷の辺境伯、氷の公爵……なぜ氷属性のヒーローにこんなにも惹かれるのかわからないが、わたしも大好きだ。


「コメント欄が荒れることもありますからね。読者同士が場外乱闘も稀にありますし」

「毒蛇同士が場外乱闘!? なんと物騒な……」

「納得のいく結果ではなかったら、どうしてもね」


 恥ずかしながら、わたしも一度コメント欄でほかの読者とレスバしたことがある。

 若気の至りだったと許してほしい。

 ひとつの小説をめぐり読者たちが激論を交わす。

 どんな形であれ、そこまで誰かの心を動かすことができるのはすごいことなんじゃないだろうか。

 

「場外乱闘など、どうすればいいのだ……」

「ブロックするという手もあります」

「ブロック!? 壁を作るということか?」

 

 わたしは頷いた。

「ブロックは自己防衛手段です。手当たり次第にブロックするのはどうかと思いますが、それで気が休まるのならいいのではないかと」


 ここで給仕係が果実水を持ってきてくれたため、トレーからオレンジジュースを選んで受け取った。

 ――――!!

 わたしは手に持つグラスを見てようやく気付いた。

 アルと話しながら何度も同じ給仕係からオレンジジュースを受け取っていたとこに。


 これまで受け取ったグラスはどこへいったの……?

 

「さっきからおかしくないですか? これ、もしかしてループしてません!?」

「ループ……?」

 首を傾げるアルにのんびり説明している暇はない。


「ずっと同じことを繰り返す世界です」

「つまりそれは、毒蛇の首のことを言っているんだな?」


 いや、なんのことかわからない。

 でも今はどうでもいい。


「次に給仕係が飲み物を持ってきても、絶対に受け取らないでください!」

 誰かがこの世界でループしつづけている。

 それに気づけたのは、別の世界の話をしていたからか、それともわたしが転生者だからか。

 

「ループを止めるには、まったくちがう行動をとったほうがいいんです!」

 知らんけど!と心の中でだけ付け加える。


「つまり……?」

 アルが理解できていないのも仕方ない。

 しかしまた、あの給仕係がこちらへ近づいてくる。


「ダンスをしましょう!」

「えっ!? きみはダンスをしないとさっき……」

「だからこそです!」

 戸惑うアルの手首を掴み、わたしは強引にダンスホールへと繰り出した。


 ダンスは貴族学校で習っただけで舞踏会で踊った経験はない。

 おまけにダンスはすこぶる苦手だ。

 それでもかまわない。


「たとえ恥をかくことになろうとも、ループを終わらせることを優先します。巻き込んでしまって申し訳ありません」

 わたしがカーテシーをすると、アルは口角を上げて優雅な所作で手を差し出してきた。

 手を取ると同時にワルツの調べが奏でられる。


「ひゃっ!」

 腰をグイッと引き寄せられて、思わず声が出た。


「これがループを止める術なら、いくらでも付き合うとしよう」

 アルはノリノリだ。

 しかもアルのリードが上手いため、ワルツを踊りながら会話する余裕が出てきた。

 

「ありがとうございます。これでご令嬢の努力が報われるでしょう」

 きっとこの舞踏会のどこかに、ひたすらループを繰り返しているご令嬢がいるはずだ。


「報われたらもうループせずに済むのだな?」

「ただし……」

 わたしは少し口ごもる。

 

「ループの原因は様々ですが、別ルートに入ってもやっぱり死んでしまうこともあるんですよね」

「それは仕方ない。一筋縄ではいかないということだろう」


 ワルツが続く。


「ループが終焉したあとに、またループが起きないか。それも大事な要素ですね」

「その通りだ。ループが再開しないという確固たる説得力が必要だな」


 どうしたことだろう。

 よくわかってるじゃないの!


「死に戻る側の立場になって考えてみれば、いくら生き返るからって一旦は殺されるんですよ? 痛くて苦しくて、それでまた殺されるってわかってて生き返っちゃうんです。だからこそループを終わらせてあげることが肝心です」


 わたしが熱弁をふるうと、アルがぎゅっと強くてを握ってきた。


「きみは毒蛇の気持ちまでわかるのだな」

「ええ、それはもちろん! だってわたし、読者歴が長いですから!」


 ここで曲が終わった。

 なぜかアルは立ち尽くしてこちらを凝視している。


「きみはまさか……毒蛇の生まれ変わりなのか……?」


 ――――!!

 しまった、わたしが転生者だとバレた!?


「そそそそそ、そんなわけないじゃないですかー! あははー!」

 アルの肩をパシッと叩いてごまかしたわたしは、逃げるために踵を返した。


「待ってくれ!」


 ここで思わぬ助け舟が登場した。

 手を伸ばそうとしたアルを、舞踏会に参加していたご令嬢たちが取り囲んだのだ。


「麗しの仮面様、次はわたくしと踊ってくださいまし」

「いいえ、ぜひわたくしと!」


 うん、わかる。

 ただでさえひとりだけ仮面をかぶっていて目立つ上に、ダンスが上手なんだもの。

 素性がわからないところがまたミステリアスだし、ご令嬢たちが放っておかないのも当然だ。

 助かった……!


 わたしは一目散で舞踏会から退散したのだった。


 ◇◇◇


 シューダール王国の第三王子・アルスが見事ヒュドラを封じたとの一報が王室に届いたのは、この3カ月後のことだった。


 必殺カーテシーでヒュドラの度肝を抜き、さらにはとても伝説の魔物の討伐中とは思えないダンスステップで距離を縮めることで首の再生を止めた。

 さらには、氷の壁でブロック!

 ほかのヒュドラが場外乱闘しても問題ないように、さらに二重の氷の壁でブロック!

 とどめは渾身の古代魔法ザ・マーでヒュドラの無毒化に成功。

 彼らはヒュドラを殺すのではなく、弱体化させて共生する道を選んだのだ。


 おそらく後世の人々がこの記録を読んでも、具体的に何をしたのかよくわからないだろう。

 しかしアルスは、

「これ以上書きようがない。すべては彼女のおかげだ。彼女は救国の預言者だ」

と、晴れやかな顔で語った。


 事後処理が終わり落ち着いた頃、アルスはソフィア・リッチモンド男爵令嬢に熱烈なプロポーズをするのだが――それはまた、別のお話。


【完】

 


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