7 祭りの夜 - 中断された告白
「おぉい、ねえちゃん! もっと踊れ!」
「にいちゃんの笛もなかなかじゃねえか」
アベルの笛とあたしたちの大合唱は、ヴィルダの街に着くなり、広場で繰り広げられていたどんちゃん騒ぎに吸収された。
半ば絶望的な表情でテオとエンマを探していた粉屋の夫婦は、あたしたちを見つけると涙ながらに喜んで、あたしたちを祭りの中心に誘ったのだった。
街には何日か前から、人形遣いと音楽隊が来ているという。昼間は子どもたちのためのお祭りだが、日が暮れた後は大人たちのお楽しみの時間だ。
「みんな。ご親切な騎士のにいちゃんとお連れのねえちゃんに、ビールをやってくれ! うちのガキどもを助けてくれたんだ!」
野宿やら何やらでヨレヨレになっているから、粉屋の亭主はアベルの身分に気づかない。アベルも基本、きさくな性質だから、何やかんやで街の人々の中に入っていく。
粉屋のおかみさんのはからいで、あたしは町娘のスカート姿にさせてもらった。広場に戻ってきた時には既に踊りは始まっていた。アベルはというと、ちゃっかり太鼓とリートの楽隊に混じって、即興でピロピロやっている。
「アベル!」
手を振ってそちらに行こうとしたが、すぐにカップルや単独で踊っている人々につかまり、気がつくと誰かに手を取られて軽やかに回転している。
こうなったらもう止まらない。元来、踊りは好きなのだ。あたしは街の人たちと一緒にステップを踏み、太鼓に合わせて跳ねたり回ったり、歌ったりしてひとしきり楽しもうと決めた。
ひと踊りして傍へ下がると、粉屋のおかみさんがビールをくれる。
「若い娘さんはいいわね。ほら、騎士さまも見惚れてるよ」
おかみさんが指差す方を見ると、ちょうどアベルと目が合った。彼は一瞬唇から笛を離すと、白い歯を見せて大きく笑う。
彼と初めて出会ったときに見せた笑顔と同じだ。手をちょっと振って応えてながら、あたしは少し苦しくなった。
「あんたたち、相当若そうだけど、駆け落ちでもしてきたかね」
おかみさんもアベルと楽隊たちを見ながら、尋ねてきた。
あら、そんなんじゃなくて……と、笑いながら言いかけて、ふと、そうでもなければ不自然極まりない今の状況に気付く。
あたしは、張り付いたような笑顔のまま、おかみさんを見返した。
「と、遠い親戚ってことに……してくださいます……?」
「もちろんよ。ダンナにもそう言っとくから。でも、あんたたちがいい仲だってのは、誰が見たってわかっちまう。騎士のにいさんの、あんたを見る目つきとかさ。ほらぁ、ご覧よ」
おかみさんがわけ知り顔であごをしゃくった。
アベルはリュート弾きの男に話しかけられ、うなずいたり笑ったりしているが、視線はほぼこちらに向けられている。頰が少し紅潮していた。
リュート弾きも、ちらちらとあたしを見ているようだ。たまにニヤッとしてアベルの肩を小突いている。
人々の嬌声がやかましくて二人の話し声なんてまるで聞こえないけれど、内容は察せられてしまうものだ。
十中八九、リュート弾きはアベルとあたしの仲をからかっている。そしてアベルは――。
「幸せにおなりな」
おかみさんはわけ知り顔であたしに目配せをして、ちょうど人をかき分けて呼びにきた亭主と一緒に去っていった。
ずっと続いていた音楽がいったん止んで、踊っていた人々が拍手をしながらバラけていく。
アベルが立ち上がるのが見えた。
あたしは急いで、広場の真ん中に据え付けられた人形劇小屋の陰にかくれる。
自分の耳にも聞こえるのかと思うほど、心臓が激しく打っていた。
アベル。
いつのまにか婚約させられ、それすら知らぬうちに破談になっていた相手。
身分の違いなど忘れてしまうほどの気さくな貴公子。
出会ってたったの数日で、こんなに好きになってしまったなんて……!
お父さまに申し訳ないという気持ちが、急に湧き上がってきた。
ヴィルダの街に来たのは、お父さまの受けた屈辱を晴らしたいが一心だったはず。
なのにあたしときたら、お父さまを侮辱した相手方の男と、(純潔は保っているとはいえ)親密に旅をして、歌ったりダンスをしたりして浮かれている。
昼間に触れたアベルの手の温もりがにわかによみがえってきて、小さな子どものように泣いてしまいたい衝動にかられた。
こんな気持ちは生まれて初めてだ。あたしは、どうなってしまうのだろう……!?
「リディア」
いきなり耳元でアベルの声がして、あたしは文字通りに飛び上がった。
「アベル! びっくりさせないで!」
「大げさだなぁ。さっきからずっと呼んでいたのに。――どうしたの?」
あたしが少し涙ぐんで顔を赤らめていたのに気付いたのだろう、怪訝そうに尋ねる。
「どうもしない。ビールをがぶがぶ飲んで、たくさん踊ったからかしらね」
両手で顔をぱたぱたあおいで、できる限り明るく元気な声を絞り出した。
「具合でも悪いのか?」
「あは、ちがうちがう。息が上がっただけだってば」
「本当に?」
「本当よ」
あたしは満面の笑みを作った。
「ならよかった。きみは元気だな、リディア。出会ってからずっと驚かされっぱなしだよ」
「あなたもね、アベル。横笛の名手だってことは知ってたけど、ここまでの腕前だなんて、思ってもみなかったわ」
他にもいろんな意味でね……と、心の中で付け加える。
「ははは、どうも。商売変えでもしようかな」
アベルは照れたように笑い、それからふと真顔にってあたしを見つめた。
「とても、きれいだ」
「……え?」
あたしは彼から目をそらして、ほつれた前髪やスカートの皺を直す。粉屋のおかみさんの娘時代の服だから、色あせてところどころほつれ糸も見えている。
「サイズが少し大きいの。あちこち誤魔化しているのよ」
「リディア」
アベルは、ぎこちなく動き回るあたしの両手首をそっとつかむ。
「な、何を――」
「リディア……」
もう一度、アベルはあたしの名を呼んだ。眉がきゅっと引き締まって、真剣そうな表情だ。
「な、なぁに……?」
「聞いてほしいことがあるんだ」
あたしの手を握るアベルの力が強くなる。
「アベル、痛いわ……」
これまでの彼なら、こう言えばすぐに「ごめん」と力を緩めるはずだ。けれど、今この瞬間のアベルは違った。思いつめたようにあたしを見つめて、何かを言いかけては口を閉じたりを繰り返している。
人形小屋の向こうで歓声が上がった。
「また音楽が始まるわ。アベル」
そう言ってから(しまった……)と思う。アベルの視線が宙をさまよい、離れたところから響いてくる太鼓の音に意識を移したのがわかったからだ。そして同時に、あたしの両手を放した。
「そうだね」
アベルはうつむいて、はにかむようなほほ笑みを浮かべる。
「先に戻っていて。あたしはもう少し涼んでから追いかける」
「それが姫のお望みなら」
「また後でね」
「待っている」
アベルは、あたしの頰にかかった後れ毛の束を指先でもてあそんでから、ゆっくりとした足取りで広場へ戻っていった。
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