14 リディア、危うし!
クルック、クルック、クルック……。
鳩の鳴き声で、あたしは目覚めた。
窓の鎧戸を押し開けると、羽ばたきが聞こえ、鳩は朝の空に飛び去っていく。
(はぁ…………)
寝ぼけ眼をこすりながら、あたしはため息をついて外の景色に背を向けた。
ここヴィルダの街の宿。
窓の外には、広場の真ん中の噴水が、キラキラした水飛沫をあげている様子が見える。
ゆうべ、アベルと楽しい時を過ごして、次の瞬間どん底に突き落とされた場所――。
記憶が一気によみがえってくた。
一晩経って冷静になっているだけに、よけいに細部がハッキリ思い出されてつらい。
真っ先に目の前に浮かぶのは、 伯爵令嬢ベアトリクス・ハルヴァーテンの、底意地の悪い言葉と態度だ。
性格とは裏腹に、お人形さんのように愛くるしい容姿。
思い出すだけでゲンナリする。
そして、あたしのスカートをつかんだアベル――。
彼が「ごめん……」と言ったときの、恥じらいと困惑の入り混じった視線の動きが、脳裏に焼き付いて離れなかった。
それがアベルの本当の気持ち、全ての答えなんだと、あたしは昨夜、悟ったのだった。
どんな言い訳をちりばようと、アベルにとってあたしとの旅は、「ちょっとしたお遊び」の類にすぎなかったということ。
だからこそ「ごめん」だなんて謝罪の言葉が出たわけで。
そりゃアベルは、あの後にも嬉しい言葉をかけてくれた。けど、あの時の彼の態度から身も蓋もない真実を悟ってしまったあたしには、ほかのどんな甘い言葉も響かなかった……。
お父さまの言葉を思い出す。ワインで上機嫌になった食事のときなどに、昔の武勇伝とともによく口にする文言だ。
「よいか、リディア。戦場で人を見極めるのは、言葉ではないぞ。その者がどう動くか、だ。口先だけの甘い策には耳をふさぎ、その者の行いや闘いぶりを観察するのだ」
今になって、その教えが身に染みてきた。
お父さまに何も言わずに、家を飛び出してしまったのが悔やまれる。
せめて事前に、ノイエンフォルク侯爵家についてお父さまがご存知のことを教えてもらっていれば……。うっかりアベルに恋をしてこんな屈辱を味わうこともなかっただろう。
(え、待って! もしかして……二度目の破談を食らっちゃったってこと……?)
二度目の「破談」は厳密には、あたしの方が身を引こうと決意したわけだけど。
でも、ほかに選択肢ってあった?
ベアトリクス嬢という存在を目の前にして、しがない貧乏騎士の娘が、貴公子アベルさまからの言葉を真に受けて粛々とプロポーズを待つ、だなんて。
悪いけど、あたしはそこまで夢みがちで世間知らずな娘じゃない。
そもそもあたしは、お父さまの汚名を晴らすために旅に出たのだ。
『破談になった縁組を復活させてください』なんて、物乞いみたいなお願いをするためじゃないのだから。
なえた気持ちを奮い立たせるため、両手で自分の頬をぱんっと叩く。
それから、ウィルデッケ荘園へ帰るための身支度をはじめた。
(借りたスカートを返さなくちゃ。粉屋のおかみさんにはなんて言おう?)
おかみさんは、あたしとアベルが駆け落ちをしてきたと思い込んでいる。
破局した――なんて大騒ぎもされたくないし、一人で出発しなければならない良い言い訳はないかしら……?
そんなことを考えながら、布袋の中身を整頓していると、奥からお父さまから(こっそり)借り受けた例の手紙が出てきた。
ノイエンフォルク家の紋章の浮き出た、紅い封蝋が目に染みる。
若き日の侯爵さまが、あたしの父に書いた私信だ。
手に取って、手紙を開いてみる。
『忠実なる騎士、カスパル・ウィルデッケ。娘の誕生を心から祝う。このまま余と貴殿の友情が続くのであれば、いつかわが子息に妻合わせて、真の家族になるのも楽しかろう』
文を読んだだけで、心がズキリと痛くなった。
なぜ侯爵さまは、こんな戯言を手紙に書いて父に送って寄こしたのかしら。いくら親しい間柄だったからといって、侯爵さまと父では身分も違う。常識的に考えて、縁談なんてあり得ないのに。
「…………ん?」
あたしは手紙をひっくり返した。
最初に見た時には気付かなかったのだが、手紙の文章には続きがあった。紙の裏面に、さらに数行綴られている。
裏側の文字は小さい上に、長い年月の間に擦れて薄くなっていた。水に濡れたこともあるのか、ところどころ滲んでいる。
日の光でもっとよく読もうとして、あたしは窓辺に近づいた。
すると――。
バタンッ!
突然の突風に、半開きだった鎧戸が大きく開いた。夏の風がさっと部屋に吹き込み、まだ一本に編んでいないあたしの髪をなびかせる。
あたしはとっさに髪を押さえた。
その瞬間、指に軽くはさんでいた手紙が、ひらりと風に巻き上げられた。
「あっ……!」
急いで手紙をつかもうとしたが、遅かった。
伸ばした両手をすり抜けて、手紙は窓の外へと舞って行く――。そして、外壁を覆いつくすように茂っているツタに引っかかった。
「いけないっ……! 大切なものなのに……!」
手紙は、巣立つ訓練をしている小鳥の羽のように、パタパタと風に揺れている。あたしは窓から大きく身を乗り出し、片手を伸ばした。
その時だった。
バサバサバサッ!
羽ばたきの音とともに一羽の鳩が飛んできた――と思うと、ツタの先でヒラヒラしている手紙をくわえ、あっという間に飛び去っていった。
手紙が風に巻き上げられてから鳩に持ち去られるまで、ほんの数秒の出来事だった。
「し、信じられない……」
あたしは呆然と立ち尽くした。
窓の下、何かの植物の赤い実がいくつか散らばっているのが見える。早朝から何度かやってきた鳩がくわえていたものだ。この町の鳩は赤いものが好きらしい。手紙の封蝋は紅かったから、鳩はその色に惹かれて持ち去ったのかしら……?
いや、呑気にそんなことを考えている場合じゃない!
お父さまの大切な手紙を失くしてしまったのだ!
「バカっ! あたしのバカっ! どうしよう……!」
額から一気に血の気が引くのが、自分でもわかった。
(とにかく落ちついて、考えなくっちゃ……)
あたしは窓枠に両手をついて、新鮮な空気を肺に送り込みながら、自責と後悔でがくがく震える身体を支えた。
と――。
突然、後ろから手首を摑まれ、ぐいっと背中にねじり上げられた。
「きゃっ!! な、何――」
叫ぶよりも早く、何者かがあたしの口をふさぐ。
「う……うぅ……」
「騒ぐな……! 命まではとらねえよ……!」
耳元で、男が押し殺した声でささやいた。
どこかで聞いたことがある声だ。
「おぉい、旦那。そこの縄を取ってくんな!」
男はひとりではないらしい。背後の誰かに声をかけた。
もう一人がやってきて、後ろからあたしの口に猿轡を噛ませようとする。指があたしの口をこじあけた。その瞬間、あたしは思いっきりそいつの指に嚙みついた。
「ぐあぁッ!!」
悲鳴があがった。
あたしの口の中に血の味が広がる。それを「ペッ!」と吐き捨てるのと同時に、ガツンッ!と後頭部に衝撃が走った。
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