10 口論と告白、そして別れ
「リディア!」
アベルがあたしを呼ぶ声と、ベアトリクスとイーヴォが何かを言い争う声が入り混じる。
あたしは宿に向かって一目散に走った。が、人形劇の小屋の裏あたりでアベルに後ろから抱き止められる。
「放して! 放してよ!」
激しく身をよじると、アベルは手を離した。が、あたしがまた走り出そうとすると、今度はスカートの腰のあたりをつかむ。
「それやめて」
「きみが逃げようとするからだろ」
「そんな力で。か弱い女に」
「か弱い? きみが?」
「服が破れたらどうしてくれるの!」
「じゃあ逃げるなよ」
「逃げてなんかいません。帰るだけですっ」
「帰る? どこへ?」
「家よ! ウィルデッケの荘園だわ。あなたもよくご存知でしょ。あたしのこと、偵察に来たんだものね」
「それは……ちょっといろいろと誤解が……」
アベルは口ごもった。
「侯爵家の恩を忘れて陰謀を企む老騎士。その様子を見に来たんでしょ」
「ちがうったら。ぼくは本当になにも知らなかった」
「じゃあ、なぜよ? なぜわざわざあの村に来たの?」
「…………」
アベルはむっと口をつぐむ。
「答えられない?」
「言うよ。言うから、きみも逃げるな」
「……逃げないわよ」
「じゃ、手を離すぞ。いち、に、さん!」
アベルはスカートをつかんでいた手をはなした。あたしもハッと息をつく。
お互い息を弾ませながら、見つめあった。睨み合っていると言ってもいい。
「……った……」
アベルが何かをつぶやいた。
「聞こえませんけど」
「見てみたかったんだよ! 自分の許嫁だったかもしれない相手をさ」
アベルは一息で言い切ると、「ああ……」と苦悶の表情を浮かべて顔をそむける。
「許嫁、ですって……?」
あたしは低い声で繰り返した。知らず知らずのうちに両手のこぶしに力が入る。
「父が言ったんだ。たまに軽口をたたく人で。幼い頃からたまに、どこかに嫁候補がいるだなんて話を聞かされていて、ぼくは冗談だと思っていた」
「そう、冗談……」
「父はそういう人なんだ。子供のころのぼくは無口だったから、笑わせたり元気づけようとしたりで、有る事無い事を……。
ただ、ぼくが最後に家を離れるときに、父が言った言葉が妙に心に残ったんだ。
『おまえは自分が孤独な人間だと思い込んでいるかもしれんが、それはちがう。忠実な部下にして友であるカスパル・ウィルデッケの娘を妻合わせいと思ったこともある。それだけお前が大切だ』ってさ。
だから、オルフラッハから旅立ったとき、近くにウィルデッケの荘があると知って、ふと好奇心がわいた。たとえ勝手な思いつきだったとしても、父がぼくの妻にと考えた女性は、いったいどんな人なんだろうって……」
アベルはここまで話すと、最後に「ごめん」と付け加える。
それがあたしにはカチンときた。
「ごめんって……なにを謝るの?」
「いや、きみには迷惑な話だろうと――」
「え〜え、大変迷惑でしたわ!」
あたしは思わず声をあげた。
数日前、青天の霹靂だった婚約破棄の通達を受けた瞬間の衝撃、その後の失望や憤り、アベルに出会ってからのときめきやらいら立ちなどの感情の揺れが、一気にあたしの中で爆発する。
「じゃあ、あたしが誰なのか知った上で、声をかけてきたってこと?」
「……うん」
アベルの耳が赤く染まる。
「で、あたしの反応を面白がっていたってわけ?」
「面白がってなんかいないよ」
「あたしのこと、面白いって言ったじゃない」
「それは言葉のあやだ。ひどいな」
「どっちがひどいの? あたしが何も知らないのをいいことに、自分は正体を偽って。悪趣味もいいところだわ」
「偽ったつもりはないよ」
アベルは心外だというふうに両手を広げる。
「オルフラッハのアベルだって名乗ったでしょ」
「どこでもそう名乗っている」
「ノイエンフォルク家の跡継ぎとは言わなかったじゃない」
「そりゃ、跡継ぎじゃないからな」
「あら。じゃ、あのお嬢様のお話は? なんだか事情が変わってきているみたいよ。あなた、いくらなんでも自分の家のことに無関心すぎるんじゃない?」
アベルの瞳にかすかに怒りの色が宿るのが見えた。
「ごめんなさい、出過ぎたことを言ったわ……」
あたしは謝った。
わかっている。あたしの怒りは半分は八つ当たりだ。
ノイエンフォルク侯爵さまとお父さまの間で軽口程度に交わしたアベルとあたしの婚約話。あたしは全く知らなかったし、アベルは冗談だと思っていた。
つまりは、そういうことなのだ。
あたしだって最初からわかっていた。
だからこそ、アベルの正体がわかった時には「これはまずい」と焦ったのだ。
すぐにでも理由をつけて、彼と離れるべきだった。
でもあたしも彼を知りたいという好奇心に負けて、一緒に旅を続けてしまった。
「いいんだ。きみの言うとおりだ。ぼくが考え無しだった。いろいろと……」
アベルも気まずそうに、視線を足元に落としている。
あたしは首を横に振る。アベルだけを責められない。あたしも同じだけ軽率だ。
「でも、リディア。これだけは信じてほしい。きっかけは好奇心だったけれど、今は、そのぅ――」
言い淀んだアベルは、こくっと唾を飲み込んでからまっすぐにあたしの目を見つめた。
「――きみと、ここで別れたくない」
「…………」
「ヴラトツァ修道院での用事が済んだら、一緒にノイエンフォルクまで来てくれないかと……さっきはそれを言うつもりだった」
あたしは力なく首を振る。
「ごめんなさい、修道院のことはウソなの」
「……そのようだね」
「あたしの旅の目的は、そもそもノイエンフォルク侯爵さまにお会いすること。さっきハルヴァーテン嬢も言ってたでしょう。あたしのお父さまにどんな嫌疑がかけられているか。侯爵さまにお会いして、お父さまの忠義の心を直接訴え、申開きをしたいと思った。でもその侯爵さまも、いまは行方不明なのね……?」
「う……ん……」
アベルは不安そうにうなずいた。疎遠ではあっても親子は親子。やはり心配なのだろう。
「だから、お願い。あたしをウィルデッケの荘園へ帰らせて」
「送るよ」
「だめだったら。自分の家族を優先して。アベル、あなたはノイエンフォルク家の一員なのよ」
あたしは、アベルの腕に触れて言った。その手をアベルがぐっと握る。
「――わかった。でも、リディア。必ずまた会いに行く。父のことが解決したら」
「あなたの婚約者が嫌がるんじゃない?」
「ベアトリクス? 彼女との婚約なんて、ぼくは知らない。父がまた調子のいいことを言ったのかもしれないが、そんなことぼくには関係ない。
きみのお父さんのパスカル・ウィルデッケのことも、ぼくがきっちり調べるよ。もし本当に毒が盛られたのなら、父からの手紙に何も書かれていないはずないだろ」
「そう言ってくれるのは嬉しい。でも、噂はどんどん広まっているの」
「信じてほしい、リディア。一人で何とかしようとなんて考えないで。ね、昼間のぼくたち、最高に息が合ってたじゃないか」
「そうね」
気持ちは沈んでいたけど、アベルの必死な様子につい笑いがこみあげてしまった。
彼の手をなんとかはずし、そっと肩を押して馬車の方へ送り出す。
従者のイーヴォが扉の前で、しびれを切らしたように立っているのが見えた。
祭りの音楽は、その激しい曲調から、すでに終盤を迎えている様子だった。
馬車が立ち去るよりも前にそちらにくるりと背を向けて、あたしは広場の奥の建物に向かって歩き出した。
アベルを信用しないわけじゃない。戦場や、昼間のような悪者相手の立ち回りなら、彼ほど頼もしい騎士もそうはいないだろう。
だけど、侯爵家をとりまく一連の事件に、ずっと家を離れていた彼がひとりで解決できるのかはわからない。剣や笛の扱いならいざ知らず、どうもアベルは人間社会のことには疎いみたいだ。
それに、ハルヴァーテン嬢がアベルの婚約者だと言うなら、本当にそうなのだろう。あたしと違って伯爵家のご令嬢だ。きちんとした後ろ盾も持参金もあり、家同士で正式な取り決めを交わしているはず。
(身を引いてさしあげますか……)
あたしはひとり、宿の部屋に入ると、未練を吹っ切るように勢いよく扉を閉めた。
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