殺人・死体遺棄 2
強行係になって3年目の秋、空がやっと明るくなった早朝に通信指令室から『水が枯れた河川内に人が倒れているので臨場せよ』との指令が入った。あと少しで当直勤務が終わるのに。
秋が深まり寒い朝だった。暖房が入っていない仮眠室に一般当直が初捜を起こしに来た。検房のためにそろそろ起きなければいけない時刻だったので文句は無い。
「川に人が倒れて死んでいるらしいです。」
「朝から変死か。儂と強行と鑑識とあと1人は知能、残りは検房に行ってくれ。」
班長の指示で4名で臨場することになった。
現場に到着するとパトカーが2台と救急車が既に到着していた。灰色のジャンパーとジーンズ姿の一見若そうな人物が俯せで倒れているが誰も救護活動はしていない。パトカーの乗務員が、
「救急隊が心肺停止を確認していますし、硬直が来ています。機動警邏係が救急車より先に到着したので現場を荒らさない様に足跡が無い位置に足場を置いて救急隊に降りて貰いました。仏さん裸足です。両岸捜しましたが靴はありませんし仏さん足の裏きれいです。足場を置きに降りた時仏さんの周りに足跡はありませんでした。」
「おっ、上出来じゃ。そんでもお前が言う通りなら死体遺棄は確定やないか。土居、一課招集。当直司令に機鑑と捜一呼ばせ。機動警邏は規制線張って派出所来るまで現場保存。」
暴力犯が専門でも流石ベテラン、初捜班長的確な指示だ。
捜査用車から無線で応援要請と現状の一報を入れ現場に戻ろうとしたら変な奴が歩いてきた。もの凄くぎこちない歩き方で現場に近付いて来る。喜劇に出てくる出来の悪いロボットみたいな歩き方だ。そいつは規制線の手前まで来て、
「あっ!人が殺されとる!」
と叫んだ。一寸待て、何で殺されてると分かるんじゃ。近付いて行って、
「おい、なんで殺されとると思うたんじゃ?あれは倒れとるだけじゃないんか?」
「あ、あっ、いやあの女はな………。」
死者は小柄ではあるが、灰色基調のスタジアムジャンパーにジーンズで、髪型は耳がはっきり出ているショートカットだ。俯せだから僕には女性には見えない。
「何であれが女性と分かるんじゃ?面白い奴やな。ゆっくり話聞かして貰おうか。」
そいつの着衣を掴んで逃げられないようにしてから班長を呼んだ。
「班長こいつ面白い奴です。ロボットみたいな歩き方でやって来ていきなり、
『人が殺されとる』
『あそこに倒れとるんは女じゃ』
って言うんですけどね。」
「何、あれが女てどうやって分かるんじゃ。何で殺されたと思うんじゃ。」
ロボット人間、二日酔いのブルドッグみたいな顔をしたおっちゃんに睨み据えられて焦りまくってる。
「まあええ、ゆっくり話聞かして貰おう。」
丁度近くの所管区員が現場保存にやって来たので、ロボット人間を捜査用車に押し込んで知能係の先輩と所管区員で見張って貰うことにした。
事件確定で一寸嫌な気分だったが解決は早そうだ。鑑識が現在の状況を撮影し、僕が近所の聞き込みをしたりしていたら程無く機鑑・機捜が到着し現場鑑識、聞き込みをしてくれ始めた。続いて招集に応じた一課員も到着し課長と一係長もやって来た。仏さんにはブルーシートを掛けて見えないようにしていたが、課長と本部の検視官が現場を確認したので位置関係の計測をした後ブルーシートに包んで死体搬送車で署に運び本格的な検視をし、その後司法解剖をすることになった。
課長が、
「土居刑事、お前容疑者と一緒の車で帰れ。後ろの席でな。分かっとろうけど、焦っとる内に取れる情報は全部取るんぞ。こっちの情報は一切渡すな。お前兄貴と2年も一緒にやったんやからな、その位は分かっとるやろうけど。」
「分かりました。」
初捜の鑑識は現場に残り引き続き現場鑑識作業。初捜の知能犯係が、来た時の車を運転し初捜班長と僕と容疑者と呼び出された僕の主任で帰署することになった。後部座席で容疑者を中に挟んで僕と主任が両隣に座った。さて容疑者のお加減伺いをしようと思ったら主任がいきなり、
「何で殺したんぞ!」
と容疑者を怒鳴った。おいおい人の邪魔をするなよ。
「主任、課長から話を聞け言われたんは僕です。」
「いや僕は土居刑事の上司だから僕が。」
「喧しい!おのれみたいな半端がしゃしゃり出るな!黙って座っとれ!」
班長の振り向きざまの一喝に主任固まっている。ついでに容疑者も。
「課長は土居に指示したんや。お前みたいな役立たずに言うたんやない。黙って座っとれ。」
班長は夏にあった殺人・死体遺棄事件の時、届け出受理時の不始末の責任を僕が全部引き受けて以来僕に好意的だ。石原部長は他人の失敗をあげつらわなかった人で、庇って貰った人が皆部長に好意的だったが、言い訳をしなければこういう特典もあるんだ。
「あの人と何があったん?」
「………。」
「あの人のこと知っとんやろ?来た時、
『あの女はな…』
って言うたやないか。今更知らん人や言うても通らんで。」
「あ、いや、その。」
「名前は?歳は?」
帰るまでに車の中で被害者と知り合いであることを認めた。被害者の名前も言った。犯行を認めたのも同然だ。現場臨場用の画版に挟んだメモ用紙に記録しながら二人の関係、知り合ったきっかけ等を聞いたのだが、知り合いであることは認めたがどういう知り合いかは言葉を濁す。被疑者が目を逸らしたり下を向いたりしている内に署に着いてしまった。
大した話は聞けなかったので課長に怒られるかなと思ったら、帰ってきた課長は僕の主任に、
「誰がお前にしゃしゃり出い言うた!役に立たんもんが邪魔までするな!」
班長が課長に、主任が僕の邪魔をした事を言ったみたいだ。大した邪魔では無かったが黙っておこう。
調べ室に入れたらすぐに犯行を自供したので緊急逮捕した。被疑者が供述した犯行時刻、状況は、死体の外見・死後硬直の状態・直腸内温度・遺棄現場の状況全てに合致する。こちらが現場で見た状況と検視結果については一言も言っていないから全て犯人だけが知り得る秘密の暴露だ。留置場に入れて課に戻ると課長に呼ばれた。皆がいる前で課長が、
「土居刑事、この件はお前が取調担当官じゃ。強行一係長に指導を受けて事件送致せい。」
驚いた。他の課員達も驚いている。まだ強行係3年目の巡査の僕が殺人事件の取調官だなんて。
課長が、
「土居刑事、一寸来い。」
と言ったので付いて行くと、さっきまで今回の被疑者を入れていた空いた調べ室に入るように言われた。
「この件どう片付ける積りじゃ。」
急に言われても。でも自分なりの考えを言わなければ。ここで黙っていたり間抜けな返事をしたら僕は終わる。
「はい、まずは被害者と被疑者の関係性、日頃の接触、感情的なものを明確に聴取し犯行の動機・過程を明らかにし裁判になって言い逃れが出来ず極力重い刑が科せられるように取り調べをしたいと思います。」
「そうやな。弁護士に唆されて裁判であじゃこじゃ言い逃れをされるのは調べ官としての恥じゃ。兄貴はそこらは抜かりなかった。儂も一係長も石原教室の生徒は皆そうじゃ。起訴猶予は執行猶予に、執行猶予は実刑に、実刑はできるだけ重く、いうのが石原教室の合言葉じゃ。細かい事はさて置いてそこを理解しとったらそれでええ。分からんことは儂と一係長に聞け。係長には現場で土居刑事に調べさす言うとる。」
「はい、分かりました。一所懸命やります。」
「兄貴に恥かかすなよ。」
以前放火殺人の取調時石原部長の後ろで事件送致の手順、取り調べの進め方を見聞きしてノートに書き溜めていたことがやっと役に立つ。でも課長これを僕にやらせるというのは僕を評価してくれたんだろうか?そうじゃないな。この件を偶発的で、複雑な裏が無い単純な犯行と見て、以前石原部長が
『一遍だけチャンスをやってくれ。』
と言ってくれたことへの回答だな。ここで失敗したら石原教室から絶縁になる。今既に破門に近いのに。課長にしても僕に対するお眼鏡違いで下手を売る。石原部長に付いて回った時はすぐ傍で取り調べと送致の手伝いをし、調書も何遍も読ませて貰った。その時それより前の放火や殺人の書類を書庫から引っ張り出して何度も読んだ。調書を取るとき何をどの順番で聞くかを、事件毎に整理してノートに箇条書きで残している。砕けてはいけないが当たってみなくては。
逮捕状が出たので被疑者に示した。それに引き続き勾留請求の書類を作った。被疑者がロボット歩きで現場に来たのは今朝8時前頃だったので勾留質問は明日の午後だ。できた書類を夕方強行一係長に見せたら、
「まあええやろう。」
僕がホッとした顔をしたら、
「字が下手やな。でも下手なりに丁寧に書いとって読めるからまあええわ。」
朝早く認知した事件で、時間を置かず被疑者を確保したので夕方には今日の分の仕事は終わってしまった。僕は的確な職務質問で速やかに被疑者を確保した功労で署長即賞を貰えた。相手が勝手に寄って来ただけなのだが。職務質問をした時の状況をありのまま話したら、課長以下皆が苦笑していた。
「捜査係にとって運は大事じゃ。どこぞの主任やったら黙って行かしとったかもしれんぞ。上出来じゃ。」
翌日は午前中に送致係が検察庁に書類を持って行き、午後は被疑者が勾留質問に行くので留置場の運動と称する喫煙タイムが終わったタイミングで午前中だけ調べをした。朝早く出勤して書き溜めたノートを読み返し聴取をどう進めていくか再度確認してから。
被害者は24歳。無職だったらしい。殺人事件は被害者の行動に起因する要因も多いのでまずは被害者の人物像から。結構奔放で自由気ままな女性だったみたいだが、そこは被疑者の言う事なので眉に唾を付けながら。午後一係長の許可を得て被害者の周辺を当り、被疑者・被害者周辺相互の言い分を突き合わせた。やはり被疑者は被害者の普段の言動を大袈裟に言っている。死人に口無しは石原部長だったら絶対に許さない。
周辺の話では被疑者・被害者共覚せい剤を常用していたみたいだ。死人と当分出てこられない奴のことは周りも言い易い。被害者に前は無いが、被疑者には、窃盗、暴行、傷害、詐欺、覚取り法何でもある。被疑者には昨日尿の任意提出をさせている。今すぐ覚取り法で逮捕する訳では無いから予試験はせずに鑑識課に鑑定嘱託をした。被害者は司法解剖で採取した検体で検査をして貰う。勾留状は問題なく出た。捜査員達は令状等が簡単に発付されることを『飛び繰り出る』と表現するが今回はその表現が当たっている。
翌日から調べを始めた。新品のノートを1冊用意し、この件の手控えとすることにした。一係長に、
「数日間少しずつゆっくりと話を聞いて、それから調書にします。」
と言うと、
「数日とは言わず最初の勾留期間が終わる前頃まで順序立てて話を聞き、そのことを取り調べノートに記載して逐次儂に見せろ。」
と言われた。
「ノートは?」
と聞かれたので、持っていたこの件に関する新品のノートと自分なりの手順を書いた以前からのノートを見せたら。
「やったら出来るじゃないか。何で今まで横着しとった?」
と笑いながら言われた。この時点では何とか合格みたいだ。
その後係長は、
「勾留延長は間違いなく出るし余程の下手を打たん限り起訴になる。多分シャブも出るやろうから起訴になった後再逮捕かな。そこらは後の事じゃ。本件に関して誰が見ても抜けが無い被疑調を取るのが差し当たっての仕事じゃ。」
「分かりました。これからも色々聞きますがよろしくお願いします。」
「おお、分かった。」
翌日から調べを始めた。取り調べノートは取り調べ毎にその状況を記入し、その日の分を一係長に見て貰う。調べ中はメモ用紙に聞いたことを書いておき、午前中の分は昼休みに、午後の分は調べの後直ぐに整理してノートに書き写し夕方係長に渡して確認して貰う。メモはメモで保管する。今のところダメは出されていない。
被疑者の尿と被害者から採取した検体の鑑定結果が出た。どちらからも覚せい剤・フェニルメチルアミノプロパン及びその塩類が検出された。周囲への聞き込みでは、被害者は被疑者が小売りしていたシャブを使っていたらしい。被疑者は覚せい剤の小売りをしており、その一部を女性にくれてやる代わりに自分と性交渉をするよう仕向けていたらしい。見た目はしょぼくれた冴えないおっさんなのだが結構もてていたみたいだ。シャブを回してくれるのと、とにかく女性に優しかったらしい。でもその女性に優しい男が何で女性を殺したんだろう。
初捜班長が僕に用事があると言ってきたので刑事二課に出向き調べ室で話をした。被疑者は暴力団員としての登録は無いがシャブを捌くためにある組がケツ持ちをしているらしい。今回の件で暴力団周辺者として背番号を付けて検挙原票を切りたいらしい。先に一係長に持ち掛けたら、
「調べ官の頭越しはいかんからまずは土居にと言われたんじゃ。それはそうよの。じゃからお前に仁義切ろうと思うての。」
「有難うございます。気を使わせてすみません。僕に異存はありません。と言うよりも僕ごときが班長に楯突くわけないです。」
ブル連隊長顔を綻ばせて、
「うん分かった。再度一係長に言う。それとお前シャブ関係の捜査に関わったこと無いやろう。うちの主任がそういう事得手とるから手伝わす。それと被疑者の周辺うちの対象者が多いからそこへの聞き込みも協力するけんの。」
「有難うございます。」
「なに、持ちつ持たれつじゃ。」
課に帰ってすぐに一係長にこのことを報告し、周辺の捜査等に協力してやると言われた旨を伝えると、
「日頃愛想のない親父じゃが、土居の事少しは気に入っとるみたいじゃの。媚びることは無いが縁は大事にの。お前は一番有難い縁を自分で切り掛かったんやから。兄貴が我慢してくれとるんやからそっちの縁も大事にせいよ。」
「はい。反省してます。酷い思い上がりでした。」
「それとお前、今本部でマル暴の情報主任しとる奴とここの留置場で一緒やったらしいの。」
「はい。僕の事なんか言ってました?」
「あいつは兄貴と一緒でそこに居らん人間の悪口を言わん奴やけど、お前の事一切褒めんから、世話になった兄貴にさえ礼を失する奴ならさも有らんと思うただけや。」
「済みません。でもあの先輩僕と一緒に処分受けたのによくそのすぐ後昇任できましたね。」
「完全な巻き込まれやからな。兄貴が本部の部長クラスに強力に押したらしい。」
「え、部長そんなことするんですか。」
「自分の事は一切せんけど、他人の世話は
『ここまでやる!』
言う位する。今回儂と課長がセットで来たのも兄貴の力や。只、やるのは仕事が出来て人柄が良い人物、自分で言うのも何んやけどな。または力量があるのに不遇な目に遭うとる者を着くべきポジションに着けるだけや。自分の気に入りを力に見合わん優遇したりは絶対せん。元々仕事をせん奴、できん奴は嫌いやからな。」
「石原部長ってそんなに力あるんですか?」
「ある。仕事出来て手を抜かんまともな人間やいうのは元々皆が知っとる。本部の幹部連中も兄貴に子供の就職世話して貰うたり、親の介護施設入居をアシストして貰うたり。大勢が私生活も何かと世話になっとる。議員や県の幹部にも顔が効いて予算の折衝も手助けするし。それに昔兄貴を嫌うた上の奴等も大部分退職していったし、世話になった奴等がかなり伸して来たからな。皆の世話をするためにあちこちの福祉施設に結構な寄付もしとる。自分も尚美さんも、もう親は居らんのに。他にもゴルフ場、飲食店他自分の顔が利くとこで仲間が気分良う楽しんで息抜きできる様にも算段してくれるし、辞めた奴の就職の世話もだいぶしとる。」
「ええっ。」
「情報主任とこも親の施設入居世話して貰うた。行き届かんぼろい施設に親入れるんが嫌で自分で見とったんやけど、自分の体が悪いのに親の介護しとるのを兄貴見かねて立派で行き届いた老人マンションに世話した。あいつの親は元医者で金には困って無かったんやけど、高級老人ホームで完全介護いう所の空はなかなか無いらしい。」
「僕にはそんなとこに親や爺さん入れるのは無理ですね。」
「入所時の費用と担保金は兄貴が出したらしい。月々の費用があいつの給料よりだいぶ高いらしいけど、親が元医者で大分貯めとるらしゅうて、後30年位は大丈夫や言うてた。あいつは親が歳取ってからの子やから親父はもうすぐ90で母親も80近いし、母親の方が病弱で介護要るようになってからもう10年位になるから大分残るやろう。その金も兄貴の世話で有利な運用して貰うとるらしいし。」
「僕も随分良くして貰ったけど………。」
「あいつは儂等とは兄弟分やからな。兄貴の弟分や。お前は自分で離れたみたいやけど。」
係長皮肉な笑い方してる。
調べは順調だ。逮捕後すぐの検証・捜索では被害者の物と思われる衣類・所持品が室内に有った。被害者の所持品の中には覚せい剤のパケも。それと室内には争った痕跡も。そこらを匂わせると殺害と遺棄についての詳細を話し始めている。
被疑者と被害者の関係は、被害者の友人女性が被疑者が経営するいけない薬局の客であったことかららしい。そのことは既に把握しているのだが、お薬に関することは殺人を固めてからと言われているので今は触れない。被疑者には覚せい剤が陽性だったことはまだ告げていない。素人じゃないから自分の白黒は分かっているのだろうけど。聞き込みで出た噂では、被疑者はシャブを欲しがる女にシャブを与え一緒にシャブを喰って性交渉をするのが性癖らしい。初捜班長の部下の人が、被疑者のケツ持ちでは無い他の組周辺で聞いたところではシャブの隠し場所は自宅では無く何処か別の所らしい。それは簡単には言いそうにない。
最初の勾留が終わる頃には何となく被疑者が少しは僕に気を許し始めたのか、得意げに自分の女性関係・遍歴を喋り始めた。僕には彼女がいないと言ったら、恋愛指導までしてくれ始めた。まあいい、喋り癖を付けて貰おう。毎日の会話をノートに記載して一係長に報告すると課長と係長は面白がって僕のノートを楽しみにしていると送致係が笑っていた。連載小話じゃ無いんだから。
最初の勾留が切れる日に一係長が僕を呼んだ。僕のノートをコピーした用紙に赤ペンで削るところ足すところ、調書にする順番を記入して渡してくれた。
「有無を言わさず一気に巻いてしまえ。大筋はこれで、もし足らんとこが出ても大した事にはならんから簡単な補充調書で済む。まず要らんけどな。」
「分かりました。」
自分の席に戻って明日からの事を考えながら準備をしていたら、主任が唐突に、
「土居刑事、あんたのやり方は間違うとる。」
と言い始めた。
「何処がですか?」
「あんたは被疑者を悪い方に悪い方に追い込んで
『出来るだけ重い罪を負わせてやる』
言うて張り切っとるけど、それは間違うとる。」
「はぁ?」
「被疑者にも人権がある。殺人犯も人間だからもう一度社会に復帰できるように警察官が率先して暖かい目で見てやるべきだ。」
「それが出来たらいいですけどね。でも現実は厳しいですよ。」
「それがいかん。人間は元々良い心を持って生まれてきてる。それを伸ばすのが社会であり司法であるべきだ。」
何を言うてるんやこいつ?最初っからおかしな奴やと思うとったけど、おかしいだけやのうて病んどったんか?それとも神様が降りてきたんか?
「そしたらどうしたら良いんですか?」
「厳しく調べて悪いところばっかりを調書にするのでは無く、良いとこを捜してやって調書に書いて裁判官が被疑者の良いところも理解できるように調書を作成するべきだ。」
「被疑者が不利益を受けんためには刑事訴訟法等の法律があります。公判では必ず弁護士がついて被疑者の利益のために働きます。」
「国選のやる気が無い弁護士だけでは被疑者の利益が守られているようには見えんから警察官も一方的に被疑者を責めるだけでは無なく必要に応じ被疑者の立場も代弁するべきやと思う。」
「そしたら被害者の立場はどうなるんですか。理不尽な目に遭って一番辛い思いしてる被害者は!辛い思いしとる被害者の気持ちを踏みにじるのが弁護士だけやのうて警察官までやなんて有り得んでしょう。被害者浮かばれん!」
「いや、僕は犯罪者にも人権があり、警察も含めての社会が温かく迎えて更生させるべきであり、それを考えれば土居刑事が間違ってると言ってるんだ。」
「寝言は寝て言え!お前みたいな阿保の言うこと聞いとったら僕まで皆から馬鹿にされる。二度と詰まらんことを言うな!それ以前にこれ以後僕に話しかけるな!」
「僕は土居刑事の上司だぞ。部下は上司の指示に従う義務がある。僕は警察の組織を管理するために警察官になったんだ。そのためには自分の部下である今の土居刑事のやり方を許すことはできん。」
「地方公務員法の第32条には上司の職務上の命令に従う義務を定めていますが、それは無条件・盲目的な服従を要求するものではありません。上司が、法律的・倫理的に間違っていると思われる指示をしたら上司の上司または監査機関に報告することが認められています。強行三係長今の主任の言ったこと聞いておられたと思いますがどう思われます。」
強行三係長は急に振られて戸惑っている。それを見た課長が、
「主任の言うことは理想ではあるな。しかし現実ではない。間違った指示とは言わんが合理的な指示では無いな。警察は善良な市民を守るのが責務でそれが優先事項じゃ。犯罪を犯す不良な人間を社会から隔離するのが仕事じゃ。今回被疑者は止むに止まれん切実な理由で犯罪に走ったわけでも、善良な市民が偶発的に犯罪を犯した訳でもない。常習として犯罪を犯す反社会的な者が自分が快楽を得るために引き起こした犯罪じゃ。それに対し土居刑事が明確に違法な調書を録取した訳でもないのに今それをするなと指示するのは間違うとる。土居刑事は理想だけの、被害者を守らん現実にそぐわん勝手な思い込みの指示に従う必要は無い。被疑者を法の許す限り厳しく処断する調書を録取するのは捜査員として当然じゃ。勿論やり過ぎはいかんし人権に配慮する必要はあるがな。」
主任は不服そうな顔をしているが何も言わない。
「主任よ、お前は警察組織を管理するために警察官になったと言うけど、儂はお前みたいな人間に管理されるんはまっぴらご免じゃ。儂に人事権があるのならお前に管理業務をさすことは無い。他の職員に迷惑が掛かりにくい寂しい部所で静かに勤務さすな。」
近い将来間違いなく人事権のあるポストに就くであろう課長に断言された。
その後三係長に呼ばれた。笑いながら、
「突然振るなよ。たまげたやないか。そやけどお前の思う通りにやったんでええんじゃ。儂もやけど、課長も一係長も悪いことした奴には可能な限りきつい処罰を受けさすのが筋やと思うとるけん。前のあんたの主任さんは顔色一つ変えずに一番きつい仕置きをする人やったしな。それにしても地方公務員法第32条、すぐに出たなー。」
「あれは留置場勤務の時相勤だった先輩が上の無茶振りに対して言った事です。」
「おお、その話は聞いたことがある。本部警務部の幹部を黙らしたらしいな。彼も石原さんの弟分やったな。あんたも良い先輩らに気に掛けて貰うて結構なこっちゃ。」
「有難うございます。思い上がりで道間違えかけましたが正しい道に帰れるようご指導お願いします。」
再勾留が認められた後は係長の指示事項に従って細部をもう一度聴き直し一気に調書を巻いた。その調書は一発でOKが出た。課長は、
「つまらん調書やったら目の前で破り捨ててやろうと思うとったんやけど残念や。まあ水準はある。」
と笑いながら言ってくれた。係・主任クラスの同僚達は複雑な面持ちだ。失敗すればいいと思っていた者もいるだろうけど、僕の1年前に刑事になった先輩だけは本当に喜んでくれていると感じた。思い上がらずこういう同僚とは石原部長達のグループの様にずっと切磋琢磨しなければ。
殺害の動機は突き詰めれば性交渉を拒まれた事だ。被害者と、被疑者からシャブを入手していた被害者の友人女性は、女性同士ではあるが恋人同士だったらしく、見た目通り被害者が男で友人が女だったらしい。周囲の話では、男役が女性を隷属させているような関係だったみたいだ。金が無い友人女性は自分が使う訳では無いシャブを男役に貢ぐため被疑者に体を開いてていた様子だが、犯行当日は女性の体調がすぐれず、どうしてもシャブを喰いたかった被害者が被疑者に連絡を入れ取りに行ったらしい。
被疑者は手当たり次第に女性と関係したがる奴で、以前街で被害者が、自分の所にシャブを手に入れに来る顔見知りの女性と歩いているのを見た時に目を付けていたらしい。普段は自宅以外で取引をするのだが、好みの女性だけは自宅に呼んでいたみたいだ。被害者の友人女性はシャブ代を金銭以外で支払うために、度々被疑者の自宅を訪ねていたらしい。その日は体調不良で被害者が取りに行くが、代償行為は後日と言うことで話が纏まっていたらしいのだが。
しかし被疑者は以前から興味を持っていた女性がシャブを取りに来るのを奇貨として自宅を取引場所にして言葉巧みに招き入れたらしい。そして
『いつも行為の代償としてシャブを渡しているから今日はお前が相手だ』
と持ち掛けたそうだ。即答で拒絶され、
『約束通り後日女が来るからシャブをくれ』
と言われシャブを渡しはしたが、その気になってしまっていたので諦め切れず、相手は小柄な女性だし
『シャブを買いに行ってやられました』
とは警察に言えないだろうから大丈夫と思い、抑え込もうとしたら思ったよりも抵抗が激しく、最初は叫ばれないために口を押さえていたのだが気が付いたら首を絞めていたそうだ。仰向けの被害者に馬乗りになって両手で首を押さえつけていたら、最初は両手を振り回し両足をバタつかせて抵抗していたが段々大人しくなっていったそうだ。それでも夢中で押さえていたら全く動かなくなって、ハッと我に返って手を放し脈を取ったがもう呼吸も心拍も無かったらしい。夢中で押さえていたのでどのくらいの時間首を絞めたのかは分からない。随分長かった様な気もするが、気がしただけで短かったのかもしれない。実のところは何分間絞めていたかと問われても正確には分からない。でも首を絞めて殺してしまった事には相違ない。
我に返った被疑者は
『死体をこのままにはできない。隠さなければ。でも隠す所を思い付かない。いっそ何処かに捨てるのが手っ取り早い。幸い深夜のことで人通りは無い。おまけに月が無く近くの川までなら人に見つからず行けそうだ』
と考えたらしい。
被害者が小柄な女性で日頃力仕事をしない自分でも運べそうだというのもその考えを加速させた。借りている一軒家から辺りを伺うと案の定人通りは無い。死体を担ぎ上げてみたら思いの外軽く、簡単に運べた。大急ぎですぐ近くの川まで運び、市道に沿ったガードレール越しに川に投げ捨て後ろも見ずに逃げ帰った。家の前で振り返り辺りを見たが人影は無く慌てて戸を閉めた。でもすぐに
『この後どうなるだろうか』
という不安が押し寄せ、あれこれ考えたがすぐには良い考えが浮かばなかった。どうしようどうしようと思っていて、
『通りがかりの第一発見者になる』
のが良いんじゃなかろうかと思いつき、その線で行こうとして家を出たらもう既に死体は発見されていた。引き返そうかと思ったら警察官丸出しの若いのがじっと自分を見ているので、
『ここで急に引き返したら怪しまれる』
と思いやむなく近付いて、通り掛かりを装った積りだったのだがバレてしまった、ということらしい。あれに気付かんかったらどうしようもない。いや僕の主任なら………?」
当時の状況はそんなところだ。殺害状況の供述は殺害現場の実況見分と合致する。死体を捨てに行った時の状況も発見現場の見分・付近の検索状況と合致するし誘導したと疑われることが無い様に注意を払って調べを進めている。僕が調子に乗らない様に一係長が手綱を絞って指導してくれたお陰だ。自分が主体で取り調べをしてみると石原部長の凄さが良く分かる。
石原部長は誰の指揮・指導も受けず淀みなく調べを進め事件を送致し、確定させる。石原部長の調書は刑事教養の模範調書として採用されているので、ここ10年位で刑事になった者は皆読んでいる。まだ石原部長と出会う前、刑事専科で入校した時は内容についての良し悪しは今一つ分からなかったが、綺麗な字で読みやすく内容が整然として分かり易い調書だとというのを感じた。調書の始めの文字と終わりの文字が同じくらい綺麗で集中が途切れない人なんだなという思いも。そのことは一緒に仕事をしてさらに良く分かったはずなのに、何であんな事を言ったかな。
書類を送った後直ぐに検事調べがあり再勾留が終わる日に被疑者は起訴された。その日課長に呼ばれ、
「初めてにしてはまあまあじゃ。」
と言って貰えた。後日課長がこっそりと一席構えてくれるそうだ。課長としても課員の一人だけを贔屓していると思われる訳にはいかないので。でも実際のところ贔屓して貰ってはいない。何と言っても僕は石原部長に楯突いた大馬鹿野郎だから。
起訴された後は初捜班長が覚取り法で逮捕状を請求し再逮捕した。調べは班長のところの主任がすることになり、僕は手伝い名目で勉強をさせて貰っている。被疑者は再逮捕された上に調べがマル暴になって焦っている。僕は石原部長の真似で、及びはしないが理詰めで取り調べをしていたが、さすがマル暴半端無い。被疑者は覚取り法で逮捕され服役もしたことがあるが、その時の扱いは防犯の薬物係だったらしい。自分が暴力団周辺者に分類されていることを知り困惑している。服役する刑務所、刑務所での処遇、仮釈放、全てが厳しくなるらしい。僕は知らんよ。僕の調べは終わったから。
課長から飲み会の誘いを受けたのは師走の中頃のことで、場所は初めて行く店だった。若竹程立派では無いが、古くても清潔で気配りが行き届いている感じだった。纏まって行くと皆の目があるので、課長・一係長・二係で僕の一年先輩、4人が夫々別々に署を出て一係長から個別に所在地と名称を告げられた店に集まった。
店に着くと定元部長とコーヒー好きの先輩、前の課長と留置係の時一緒だった先輩も来ている。その他に何処かで見掛けたことがある、腕が切れるという評判で、結構有名な本部や他署の捜査係の人達も10人以上いた。この人達も石原グループなのか。舞の新ママとホステスさんも数人。二係の先輩緊張している。僕もだけど。
全員揃ったところで宴会が始まった。河豚らしい。課長が、
「今日は同じ志で犯罪捜査に従事する仲間が集まる忘年会ということで。」
と簡単なあいさつで始まり、前の課長の乾杯の音頭で宴会が始まった。石原部長が関係する会らしく乾杯はシャンパーニュで。それに合わせて僕の好物の河豚の唐揚げが。僕が座れと言われた席は会場の中央付近で定元部長とコーヒー好きの先輩が両脇に居る。そしてその向かいは新旧の刑事一課長だ。
乾杯の後課長が、皆に聞こえる様に、
「今日はこの街近辺で勤務する石原教室の生徒が殆どですが、見慣れんのがいると思ってる者のために紹介しときます。まず去年・一昨年と兄貴の下働きをした土居刑事です。ただ残念なことに石原教室を自主的に辞めました。」
「お前か!兄貴に上等切ったんは!」
僕はビビってしまい何も言えない。でも周りは楽しそうに笑っている。次いで先輩が紹介され、先輩は緊張しまくって四方にお辞儀をしている。別の先輩が、
「ちゃんと礼儀正しいやないか。」
「この男は例のパチンコ事件でバカ係長の巻き添えを食った可哀そうな奴です。兄貴に付いとけば土居より役に立ったはずですが運が悪かったとしか言い様がありません。今後皆で指導して一人前にしてやってください。」
「よっしゃ!分かった。」
「広域捜査官は石原教室の顧問です。鑑識の定元部長と強行特捜の先輩もこの会の顧問としてこれからもこの2人を鍛えて貰おうと思っていますので宜しく。」
「兄貴が居らんなったとたんにまともな刑事が育たんなったいうのは恥やし、この県の捜査の損失やから頑張らないかんな。」
「儂らはお前らを厳しゅう鍛えて育てるけん、お前らも時期が来たら次の者鍛えて石原イズムを伝えるやぞ。」
「分かりました。」
何故か先輩と僕の返事が揃っていた。
この店の女将さんが挨拶に来て、
「今日の河豚は石原さんが山口県から取り寄せてくれました。その他の食材も。お酒も普段うちには回って来ん様なええのが沢山届いていますし、過分な持ち込み料と座敷代も頂いています。どうぞ心ゆくまで楽しんでください。」
定元部長が、
「ここは儂とは親戚になるんじゃ。女将は儂の従姉や。」
「定兄の従姉!?嘘じゃろう。こんな美人が?」
「定兄は道端に落ちとって拾われた子やな。」
「違う、違う。定兄も生まれた時はそこそこ可愛らしかったんやけどな、母ちゃんに抱っこされとった時おむつにウンチしたんや。それがあんまり臭いんで母ちゃんたまげて定兄を土間に落としてしもうたんや。その時顔から落ちたもんやからこんなに恐ろしい顔になってしもたんや。」
「見てきた様な嘘こくな!儂は県警の渡哲也じゃ。」
「土居、相手にするなよ。」
「僕を巻き込まんでください。」
「土居、儂誰に似とる?」
「あ、………。」
「渡哲也にそっくりじゃろうが。」
首を絞めながら言われても。
「定元部長は、僕の初捜班長のブル連隊長にそっくりです。」
警察官全員大爆笑。受けた。
「何ィ!!!!!」
警察官には分るけど舞のお姉さん達には通じていない。分からなくても良い。何かの拍子に初捜班長に聞こえたら、
「定元と儂を一緒にするなー!」
って怒鳴られる。
座が解けてきたので留置場で一緒だった先輩に挨拶に行った。当時の非礼を詫びると、
「少しは常識的な行動がとれだしたみたいやの。」
「はい。世の中甘く見てました。もう一回最初からやり直しますから今後とも宜しく。」
「お、もう一遍留置場からやり直すんか?」
「え、それは。」
「間違うとった時点まで戻らんとやり直せんやろう。」
厳しい。でも目は笑ってるから、
「刑事になった時点で堪えてください。」
と言って平伏した。
「最初の間違いから言うたら物心ついた時まで戻らんといかんじゃろうからその辺で仕方ないか。」
僕達のやり取りを見ていた一係長が近づいてきたので、
「今日石原部長はどうしたんですか?」
と聞くと、
「お前と顔合わすんが嫌らしいぞ。」
「ええ。」
僕が困ったような声で戸惑った顔をすると、
「それは嘘じゃ。美佳ちゃんの学校のことで県外に用事があるらしい。美佳ちゃん来年度から県外の名門女子中学校に転校する予定があるらしい。」
「一人で県外出すのって心配でしょうね。」
「バカ、そんなことする訳が無いじゃろうが。」
「そしたらどうやって。」
「アホ、付いて行くに決まっとるやないか。もう家でも建てよるんじゃないか。」
「ああ、部長ならできるし、やるでしょうね。」
そうか。恩返しが全く出来てないのに。
「そんでも経済的基盤はこの県にもあるし、大きな実家も先祖の墓もあるし、行きっ放しではないらしい。」
「また会えますよね?」
「兄貴が嫌がらんかったらな。」
『そんなはずは無い』
とは言い切れない。
この店は初めてなので親戚筋の定元部長に今日此処になった理由を聞いてみた。
「お前が来たことなかっただけで、石やん前から使うてくれとった。若竹に店構えは負けるけど味は負けて無いやろう。値段はこっちが大分安いぞ。尤も今日は石やんの奢りで食材がええけど、普段は良心的な値段の分若竹よりは素材が落ちるけどな。」
「それやったら僕らの財布でも来られます?」
「ああ。使うてやってくれ。座敷はここだけで、人数もこのくらいが一杯やけど。」
「僕あれ以来若竹も舞も行って無いんですよ。」
「どっちも繁盛しとる。石やんが頭下げて回っとるから。此処のことも良心的でええ店や言うて宣伝してくれとるからそこそこええ客が入って従姉も感謝しとる。」
警察の中で自分の立場を良くするような行動は一切取らなかったのに。他人のために動く人だと知ってはいたが。
「若竹と舞は値段を苦にせん人等が仰山行って儲かっとるみたいやぞ。でも舞は儂等にだけは優しい値段で飲ましてくれるけんお前も行ってみい。今日は皆で行くことになるし石やんが会計済ましてくれとるやろうけど。」
中締めの後皆で舞に行った。課の宴会だと一次会だけで帰る人が結構いるが今日は誰も帰らない。それに皆酒が強い。そういえば石原部長も強かった。乱れたことは勿論、酔ってると思わせることも無かった。定元部長だって酔っぱらって無茶苦茶しているように見えるけど、本当に酔っているのかどうかは分からない。
僕は舞で一寸した腫物だった。和子さんに振られた事店の人全員が知っているみたいだ。新ママ、皆に言ったの?でも消息通の定元部長が何も言わない。僕に気を使ってくれているのだろうか?そんなはずは無い。傷を見たら塩だけでは無く唐辛子を摺り込みかねない人だ。
少し酔ってしまった。酔った勢いで、
「石原部長どうして辞めたんですかね。最後まで皆の目標になって指導してくれたらよかったのに。」
と言ってしまったら、傍にいた一係長から拳骨を貰ってしまった。
「上等切って自分から離れた奴が言う事じゃない。」
あ、拙い。目が怒ってる。
「済みません。つい残念に思ったもので。」
周りの人達も厳しい目で僕を見ている。気づいた課長が静かな声で、
「そしたら如何して学ぶことを止めたんじゃ?」
しまった。
「兄貴は何も言わんかったけど、他から
『考えが浅い』
『考えずにものを言う癖がある』
とは聞いとったが噂通りやな。」
「済みません。」
言い訳のしようが無い。
「兄貴から
『考えろ』
言われとるんじゃろう。
『考えろ』
いうのは捜査のことだけじゃない。自分の言動全てに付いてじゃ。」
「………。」
「そこが改まらんことには仲間としては処遇できんな。」
さっきまで騒がしかったのに急にしらけてしまった。困った。
「悪い悪い。しらけさせてしもうた。言い始めたついでじゃ。兄貴が辞めた訳を言うとく。これは辞める前に儂だけを呼んで、儂と尚美さんにだけに言うてくれたことじゃが
『隠しとけ』
と言われた訳じゃあ無い。皆が思うとる様に
『気に掛っとった連続放火を解決できた』
いうのは訳の一つや。それと
『儂らの将来のことを考えて』
という理由がある。儂らは皆警察の世界しか知らん捜査馬鹿じゃ。皆は自分の事やから分かっとろうけど。それに加えて、
『給料が安い』
世間一般から見たら決して安くは無いかもしれん。しかし事件が有ったら長期に渡って休みなしで夜中まで働かないかん。蕩ける変死も処理せないかん。拳銃・猟銃持った奴の前に立ち塞がらないかんこともある。
『きつい』『汚い』『危険』
何でもありじゃ。それ考えたら安い。それに情報取ろうと思うて身銭を切ることもようある事じゃ。仕事のことだけじゃない。これから皆も年取って親の介護もあるじゃろう。子供の県外への進学もあるじゃろう。そこらのことを儂らが出来るだけ心配せんでええように、兄貴が自分で稼いで儂らの将来の不安が出来るだけ無うなる様にバックアップしてやろうという考えじゃ。儂らは犯人捕まえることはできても金は稼げん。兄貴にはそれができる。昔から飲み代は全部払うてくれる人やった。
『汚い格好するな』
言うて服や靴も買うてくれた。今年になって儂が時々
『捜査費じゃ』
いうて皆に渡す金も兄貴から出とる。刑事部長の金玉握って上から貰うとる金じゃ無い。今兄貴は大阪近辺で学生時代の友達と事業をして稼いどるらしい。以前は出資者やったけど今は共同で事業を経営しとるし、その他にも実家の家業があるし、手持ちの結構な資金で相場も張っとる。そこらで稼いで先ずは老人介護施設をこの街で立ち上げる。もう土地の確保はできとるらしいし法人の認可も降りるらしい。次いでは県内に何カ所かの老人ホームを建てる。そこでは儂等の親を優先的に見てくれる言うとった。費用を補助するとも言うとった。それ以外にも儂らが将来安心して警察官続けて、家族が安心して暮らせるように色々考えてくれとる。すべての警察官をというのは無理じゃし、兄貴自身にもその気はないじゃろうけど、自分を慕うてくれる仲間だけはという気持ちじゃ。お国の福祉は信用ならんけん。そういう理由で兄貴は警察辞めた。以上じゃ。」
課長の言葉でまた盛り上がって来た。定元部長のお得意のパフォーマンスもすぐに最高潮になった。二係の先輩目を丸くしている。でももう他の先輩達に気に入られ打ち解けて色々話をしている。僕も話し掛けては貰えるが今一つ会話が弾まない。
翌日課長に呼ばれた。調べ室で言われたのは、
「酒の席のことを仕事中に言うのは不本意じゃが、やっぱりお前は
『考えが浅い奴』
みたいじゃ。思うたことを全部口に出して何が悪いと思うかもしれんが、あの場面では
『お前が言うな』
じゃな。皆が不愉快になって、なんじゃこいつと思うことが分からんかったか?もう一遍言う
『考えろ、捜査の進め方だけじゃのうて言動全て』
お前の評判は
『小器用に小手先のことはできる』
とは聞いとった。しかしそれは反復したら誰でも考えんでもできる様になることじゃ。儂らの仲間にはできて当たり前のことじゃ。お前の言動は軽い。周りを不愉快にするだけじゃのうて取り調べに支障をきたすレベルじゃ。今回は単純な事件やったけど、供述一本で行く否認事件で思いつくことを全部口にも顔にも出す奴は使い物にならん。後々
『言わんかったら良かった』
と思うようなことは最初から言うな。自分を顧みろ。もっと考えろ。それは普段何でもない時から心掛けとらんとできん。他に言うことは無い。」
課長は言うことを言ったらさっさと調べ室を出て行った。
僕が下手を売ったらしいということは何となく雰囲気で皆に知れたみたいだ。二係の先輩は僕と違って要らんことを言う人ではないからそこからではない。僕が今回調べをさせて貰ったことに反感を持つ人達は喜んでいるみたいだが、僕と反目の僕の主任は鈍感だから課の雰囲気に気付いていない。自分が他の課員から相手にされてないとは思って無いみたいだ。自分が課長に言われた事も単なるその場の注意で自分の能力を否定されているとは思っていないみたいだし。でも僕も他人から見たら主任の同類なのかも。今年度の始め
『傍から見たら昨年度の僕は主任の同類に見えた』
と言われたことがあったな。その時は
『そんな馬鹿なことが』
としか思わず何もしなかったが、あそこで
『そう見えるのは何故か』
と考えるべきだったのかも。というよりも考えるべきだった。
せっかく良い方向に行きかけたのに、考えも無く自分が掘った穴に落ちたみたいだ。すぐに浮かれるお調子者は足元が見えない。見えないというよりも見てない。
『考えろこの馬鹿!!!!!』




