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留置場

警察官になって3年が過ぎた。刑事勤務する者の殆どが経験する留置係になった。海千山千の犯罪者達と24時間相対することになる。まあ成る様に成るだろう。成る様にしか成らないし。

 4月1日、

『警務課留置係を命ずる』

という辞令を貰った。派出所に引き続き3交代勤務だ。派出所は午前9時で勤務が終わり、書類の引き継ぎ等が終われば午前中に帰れたが留置係は押送等があり時には夕方まで帰れないことがあるらしい。それも仕方ないか仕事だから。その分の超過勤務手当をきっちりくれれば文句は無いが多分それは無理だろう。


 辞令を貰った日が早速当務だった。実務修習中の研修と派出所勤務中の補勤で留置場の手伝いをしたことがあり、収容されている連中の癖の強さを知っているので少し不安だ。でもそこを見せては舐められるから気を付けなければ。


 ここの勤務は1班4名で3交代。他に場外と呼ばれる押送等の勤務を日勤でする勤務員が係長以下5名。留置場は1房2名が定員で22房あるから満室になると44名。満室は稀だとは聞いたが4人で44名は厳しそうだ。原則はプラス1対応で、洗面・入浴等で被留置者を房外に出す場合、対応できる警察官数が房外の被留置者数を1人上回らなければならないが一寸無理。手伝いに来た時でも酷い時は場内に居る警察官数の倍以上被留置者が留置場内の房外を歩いていた。その時の看守勤務者は『放し飼い』と呼んでいたけど。被留置者数は普段大体30人前後、年末年始は一桁になるらしい。


 勤務に就いたとたん被留置者が僕と今回の異動で何処かの署の駐在所勤務からこの署の留置係になった先輩をじっと見ている。留置係を何年もしている僕の班の主任さんから

「初っ端が肝心。被留置者の中でも留置場慣れしてる奴は監守の中の弱い奴を捜して自分に都合よく動かそうとするから。」

と言われた。

「弱いところを見せないために強気の言動をして、それが行き過ぎると言葉尻を捉えてそこに付け込んできたりもするから気を付けろ。」

とも言われた。


 今回異動で一緒の勤務をする様になった2人の先輩の内、元からいる先輩は外に出せない人らしい。一般の人と接する仕事をさせると次から次に苦情が来るらしい。派出所で間違いだらけの書類を書いたり、いい加減な道案内をしたり。巡回連絡をさせれば常識外れの時間に尋ねて行ったり、台風の日にびしょ濡れで玄関ドアを開けさせたり。その分被留置者が何を言っても気にしないし反応が悪いので被留置者が相手しないらしい。今度の異動で来た先輩は華奢な感じで弱そうに見えるから少し心配。


 留置係になって10日ほど経った頃僕が心配していた事が起こった。留置場の日課には、『運動』と称する喫煙タイムがあるのだが、その時間接見をしていて喫煙できなかった奴が華奢に見える先輩に絡み始めたのだ。助けに行かなければと思ったら主任は笑って見ている。先輩は房のカギを開けて文句を行った奴を房外に出し運動場と称している喫煙場所に連れて行った。被留置者は自分の無理が通って意気揚々としている。しかし先輩は煙草を取りには行かなかった。


 5分余りで戻ってきたが、被留置者は先輩にペコペコ頭を下げまくっている。先輩はいつも通りの優しそうな表情だ。主任さんが、

「あの馬鹿一番絡んだらいかん相手に絡んだんや。今留置係で一番ヤバいんはあいつや。一番柔そうに見えるんもあいつやけど。」

「先輩ヤバいんですか?」

「留置係だけやのうてこの署、いや県下でも屈指やな。」


 その優しそうな先輩は以前この署でマル暴刑事をしていたらしいが、病気療養のため南の方の小さな町の静かな駐在所に転勤になっていたそうだ。ある程度体調が落ち着いたのと、この街に住むご両親が高齢なのでその介護をするため勤務時間がはっきりした看守勤務を希望したらしい。刑事時代は顔色を全く変えず暴力団員相手に厳しい調べをするので有名だったらしい。口調がきついだけではなく手も足も出るタイプで、他の刑事なら起訴猶予で済むところが起訴されて執行猶予になり、執行猶予で済みそうな事件が実刑になっていたそうだ。その上身体にダメージは最悪だ。恨んだヤクザに襲撃されたが返り討ちにしてダンプカーに撥ねられたかと思うほどの大怪我をさせたとか。今回逆らったのは組に知り合いがいる程度のチンピラだったが、代紋貰った組員なら絶対に逆らわないそうだ。主任に、

「あいつ殴られた様子無かったですよ。」

と聞くと、

「腹か腎臓・肝臓辺りに貰うたんやないか。外から分かるようなやり方はせん。あいつがうちの班に居る限り組の飯食うた奴らは横着言わん。」


 うちの班が当務の日は留置場が静かだと皆が言い始めた。うちの翌日、翌々日の留置場は騒がしいらしい。特に翌々日の班の当務はカオスらしい。当務の朝うちの班が交代で留置場内に入ると悪人どもが、

「さあ明日までは静かに休憩じゃ。」

等と言っているのを聞いた。


 その先輩は若い頃今の僕のような立場で監守をしていた時、房の中から好き勝手を言う留置人に腹を立て、ものも言わず顔色も変えずにストーブの上で沸いていた熱湯を房の中にぶちまけたらしい。留置人は狭い房の壁に張り付いて熱湯から逃れたらしいが、先輩は笑って見ていたらしい。先輩はその件で訓戒処分を受け昇任・昇給で不利益を受けることになったらしいが表情は全く変わらず淡々としていたと聞いた。人は見掛けに依らない。言葉遣いに気を付けよう。


 僕達の班は先輩のお陰で逆らわれたり横着を言われたりすることも無く平穏に勤務を続けていたが他の班は大変みたいだ。僕達の翌日が勤務の班は仕事に出てこなくなった人が居る。今年の異動で来た人だが数日勤務をしただけで、

『留置人が怖いので仕事を代えて欲しい。』

と言い出し、却下されたら診断書を出して休み始めたらしい。場外勤務の人が交代で穴埋めに入っているが外は外で押送等忙しいのに。夏の異動までは補充ができないので、派出所勤務の人が交代で補勤に入るみたいだ。うちの班の先輩にも勤務変更の打診があったらしい。先輩を日勤にして場内を巡回して貰い、せめて平日の日中だけでも場内の喧騒を抑えようということらしかったがあっさり断られたらしい。

『病院通いと両親の介護のために3交代勤務を希望しているのだから日勤はできない。最初からそういう約束でここに来ている。人が嫌がる仕事は受けるが、勤務形態は譲れない。無理にと言うなら診断書を出して休む。治療中の心臓病があるから直ぐにでも貰える。』

と言われたらしい。うちの班から出ていかれては困るので安心した。主任も喜んでいる。


 看守勤務が4ヶ月を過ぎた頃僕達の前日に当務をする班に問題が起きた。今回僕と一緒に刑事を目指し看守勤務を始めていた大卒の先輩がおかしくなった。なんでもうちの班には大人しいが他には攻撃的で粘着質の言動をする被留置者に脅されて心が病んだらしい。


 その人は被留置者が規則に反することをしつこく要求するのでついめんどくさくなって、一寸した事だからまあいいかと思い要求に応じてしまったらしい。するとそれをネタにして次から次にと不当要求をしてきて、断ると最初の規則違反を場外に言うと脅しをかけ、その人は規則違反がバレたら刑事になれないと思い更に規則違反をしてしまったらしい。要求に応じるたびに深みにはまり家族のことなども聞き出され、要求に応じなければ家族に危害を加えるという脅しまで受けていたらしい。冷静に考えればチンピラにそんな事が出来ない事くらい分かりそうなものだけど、混乱しているその人は正常な考えが出来なくなっていたみたいだ。


 そのことが分かったのは、別の被疑者が取り調べ中自分の担当刑事に留置場内の話として言った事がきっかけだったらしい。その被留置者を担当する課に相談して出来るだけ早く移監して貰うよう頼んだのだが、余罪の調べが済んでいないので無理だと言われたらしい。うちの班の先輩にも言い聞かせるように頼んだらしいが、その被留置者は県外から連れてきた奴で先輩とは面識が無いらしい。一応先輩が言い聞かせたら、地元のヤクザが大人しくなる人相手だからそれなりに聞き分けた様ではあるがさて。


 先輩に聞くと、

「ヤクザは面子があるから警察にやられたとは言いにくい。加減をして痛めつけたら大丈夫やけど、素人の犯罪者は恥も外聞も無いからほんの些細なことでも暴力を振るわれたことをネタに弁護士等を巻き込んで騒ぐからやりにくい。ましてやこの街に縁がない奴なら何を言い出すか分からん。」

「そしたらほっとくんですか?」

「他人責めるんなら自分でやれば。」

「………。」

「始末書の書き方なら教えるよ。」

「………。」

それ以来先輩は僕を無視。


 心を病んだ看守は病気休暇を取った。問題行動の被留置者は先輩の進言で頭がおかしい被留置者と同房になった。そいつは昔何処かの組員で覚せい剤の常用者らしい。現在は絶縁処分を受けているらしいが、組にいた頃先輩に締め上げられたことがあるらしい。今も先輩にはすごく大人しい。でも行動が突飛なので留置場でも刑務所でも単独房で処遇される奴らしい。


 問題行動をする奴は数日で音を上げた。身を守るため夜も眠れないらしい。担当刑事にも音を上げて、

『二度としません。』

と言わせてからその房を出した。でも心を病んだ同僚は休んだままだ。先輩が他所の署に居る顔が広い捜査主任に頼んで、評判が良い精神科の医師を紹介して貰ったらしいが今どうなっているのかは分からない。


 先輩の休憩時間中主任に、

「休んでいる看守が困っている時、その人は独身寮で仲良くしてくれていたので助けたいと思って先輩に

『このことをほっとくんですか?』

と聞いたら、

『他人に言うなら自分でやれば。』

と言われて、それ以来無視されてるんですよ。」

と言うと、

「それは土居が悪い。自分がせんことを他人にせい言うても通らんじゃろう。」

「僕には出来んけど先輩ならと思って。」

「あいつが逆ねじ食うて処分されたら土居はどうする?」

「………。」

「自分がせん事出来ん事を他人がするのが当然やと思うのが間違うとりはせんか?」

「でも同僚だから助け合うのが。」

「土居はあいつの事何か助けたことがあるか?休んどる奴の事何か助けてやったか?」

「いえ、何も。」

「自分は何もせんけど他人は何でもするべきやと言える心臓が羨ましい。儂も土居とはもの言いとう無いな。」

「僕は警察官になって間がないんで、できることが無いもんで。」

「それが言い訳か?」

それからは二人とも僕には仕事で必要なこと以外は話しかけてこない。


 覚悟はしていたが看守勤務は面白くない。やれと言われた事が出来て当たり前。加点されるポイントは無いと言っていいが失敗は必ず減点。拘留請求、検事調べ、引き当たり、移監等毎日何かしら押送業務がある。場外だけでは手が足りないときは非番が押送業務を手伝わされる。週末に逮捕された被疑者は土・日が拘留請求になり、日勤の場外勤務員が休みなので非番の看守が夕方まで押送業務だ。残業、それもサービス残業が多いのには皆文句を言っている。勿論僕も。その上相勤者が素っ気ない。自業自得と言われればそれまでなのだが。


 でも元マル暴の先輩は仕事には一切文句を言わない。主任に依れば元々不平不満を言わない人らしい。言われたことは黙ってきっちりやる。被留置者にも強いから皆が頼りにしている。面倒な被留置者を押し付けても黙って引き受けてくれるから、係長もその分大人しい被疑者の押送等に先輩を使わない。サービス残業も少なくなる。他の勤務員も扱いにくい被留置者を押し付けている手前文句を言わない。


 留置場での勤務は想像以上にきつい。面白くない上に時間が長い。朝は午前7時に出勤だ。朝の運動と称する喫煙タイムのために人数が必要だからその日当務の者と非番の者、それプラス場外が運動場に入り一度に10人以上被留置者を房外に出す。週2回の入浴日には非番が最後まで残って入浴中の被留置者の見張りをする。その上に移監・拘留請求・引き当たり等の押送があり非番の日に午後8時を過ぎてまで勤務をさせられることがある。働いた分全て超過勤務手当を貰ったら僕の様な基本給が安い巡査でも10万円を超えるはずだがその5分の1にも足りない。尤もサービス残業は留置場だけではなく警察全体の事だけど。今場外勤務をしている先輩は他所の署で鑑識係をしていた頃、1ヶ月50時間くらいの残業の上に、夜間・休日に14回の時間外呼び出しがあったらしいが超過勤務手当は1万4千円余りしか無かったことがあるらしい。看守勤務中は身勝手を絵にかいたような犯罪者達が好き勝手を言い、こちらのミスに付け込んで自分を有利にしようとするため看守の一挙手一投足を見ている。最初の1ヶ月で嫌になった。3ヶ月が過ぎた時はやっと4分の1が終わったと思い、4カ月が過ぎた時はやっと3分の1が終わったと思い少しだけ嬉しかった。


 1年間の予定である僕の看守勤務がやっと半分終わった6ヶ月目を過ぎた頃僕達の班にも問題が起きた。僕達が当務の日深夜、被留置者が自殺したのだ。業務上横領で逮捕されていた団体職員で、留置された時から注意するよう言われていた被留置者だった。自殺の恐れが濃厚な被留置者には、『対面監視』といって房のすぐ前に1名付きっ切りで監視をするのだが、そこまでは必要としないが15分おきの場内巡回は勿論それ以外の時間も行動を注視せよと言われていた人物だったのに。


 日中は複数の看守が留置場内にいるのだが、夜間就寝時刻を過ぎると1名になる。午後10時を過ぎると深夜に看守台に座る者は仮眠をとり、起きている2名の者も1名は場外で書類作成等の業務をする。午前2時から2名で行う深夜の看守勤務も1名が看守台に座り1名は場外で雑用をする。


 その日の深夜勤務は主任と元からいる外に出せない先輩が当たっていた。場内の1名は看守台から房を見張り、15分に1回ずつ場内の巡回をして警戒をするのだが元からいる先輩は居眠りをして巡回を怠ったらしい。その先輩は看守勤務が3年目になるのだが、これまでも当直司令が深夜巡視に来た時居眠りをしていたり、深夜に看守台でお菓子を食べ散らかしお菓子が食べられない被留置者から苦情が出たりしていたらしい。以前には看守台でカップ焼きそばを作って食べてその臭いが留置場内に充満し、食べたくても食べられない被留置者達が留置係長に

『あれは苛めだ。』

と抗議したこともあるらしい。


 留置場は上下2段の扇形になっていて、上の段から少し下がった位置にあるる看守台から上下の各房が見易い構造になっている。こちらから見易いということは相手からも看守台が見え易いという事なのだが、先輩はそういう事を考えない人らしい。尤も主任も僕も深夜勤務の時は看守台で雑誌を見たりパズルを解いたりしている。寝付けない時暇に飽かせて看守を監察している被留置者の話では、今年来たヤバい先輩はそういうことを一切しないらしい。場内の巡回もきっちり15分に1回来るし毛布で顔が見えない様な寝方をしている者に顔を出す様に言う等きっちり規則を守らせるらしい。


 今回巡回を怠った先輩は居眠りをしたため巡回と巡回の間が30分以上開いていた模様だ。自殺者は毛布を細長く裂いて端を鉄格子に括り中央に作った輪の中に首を入れ座り込んだ状態で死亡していたらしい。死者の房は看守台の正面で一番見易く何かあっても対応し易い位置だったし、単独で房に入れていたのでは危ないから同房にしっかりしている様に見える被留置者を一緒に収容していたのだが。

「死んだ奴も見えやすい位置からどの看守の時が一番やり易いか観察してたんやないか。後になって思えばな。」

と主任が言っていた。


 毛布ってそんなに簡単に裂けるものなのかと思い場外の先輩に聞くと、

「ここの毛布は安物の羊毛に石鹼水の様な水分をかけて押さえつけ羊毛同士を絡ませたものだから、その逆に切りたい部分に気長に水分を含ませたら裂けても不思議ではない。やってみたことは無いけど。」

と言われた。


 当然のことながら監察が入った。看守勤務者は全員個別に事情聴取を受け、死者の留置場内での言動、看守勤務の体制、不備があったと思われる点等に付き聞かれた。何と答えて良いのか分からなかった僕は監察の質問に曖昧な返事しかできず、

「何が問題だったのかも分からないんですか。」

と厳しい口調で言われたが返事が出来なかった。


 留置場内には、規定に定められた文書では無いが

『被留置者言動記録簿』

と言うメモ書き代わりのノートがある。僕はろくに読んだことが無かったのだが今年来た先輩が、死んだ被留置者に付き何度か注意喚起を書き込んでいた。もっとはっきり言ってくれていたら良かったと先輩に言うと、

「自分のやるべきことを確認するために毎当務このノートを読んで問題を共有するのは当然のことやから一々読んでくれと言う必要は無いやろう。読むべきものを読まんかったのはあんたの怠慢じゃ。するべきことをせんかったのを他人のせいにするのはどうかと思う。あんたはそれが当たり前みたいやけど儂はそうは思わん。」

と呆れた様に言われてしまった。


 先輩は監察からの事情聴取にも、

公衆接遇に問題があるからといって看守でもさせとけというのがそもそも問題だ。

これまで度々問題行動があった人間が、大きな失敗は無かったという理由で大した指導も無く勤務を続けていたのも良くない。

結果が発生したから帳尻合わせに誰かを処分して終わりというのでは問題解決にならない。

等正論を吐いたらしいが、どこまで届くことやら。


 結局居眠りをした先輩と留置係長と主任が訓戒、僕達相勤者と後何人かが注意の処分になった。勤務評定が下がり昇給・昇任試験等で不利になると言われたがピンとこない。主任は少し落ち込んでいる様子だが今年来た先輩は全く意に介していないみたいだ。

「処分されて嫌じゃないんですか?」

と尋ねたら、

「儂処分初めてじゃないし。恥ずべき行為で処分を受けるのは嫌だけど、今回は巻き込まれただけだし、これまでの2回はやりすぎただけで破廉恥なことをした訳やない。」

「昇任や昇給に響くらしいですけど。」

「昇任したいという気があったら日頃からもう少し愛想ようしとる。儂幹部になって他人の超勤手当ピン撥ねせないかん程金に困ってない。介護せないかん両親は居るけど、介護は手間だけで費用は親が十分持っとるし。階級は低うても警察官という職業があれば世間である程度信用される。それが欲しいだけ。金に困らんでも無職でぶらぶらしてる奴は怪しいからな。」

「奥さん何も言いません?」

「儂結婚したことない。心臓病持ちで介護が要るジジ・ババ付きなんか誰も結婚したがらん。」

「………。」


 被留置者の不当要求で心が病んだ同僚は結局退職した。病気休暇をとった後休職をして回復後別の職務に着くよう勧められたらしいが、心の傷がひどく警察官の職務が続けられなくなったらしい。精神科医を紹介した他所の捜査主任に先輩が頼んで、外部との接触をあまりしなくてよい就職先を世話して貰えたらしい。警察を辞めたら急に気分が晴れて今は元気に働いているそうだ。先輩に、

「僕警察辞めたら仕事世話して貰えます?」

と聞いたら、

「あんたは自分の事棚に上げてものを言うタイプやから紹介しにくい。」

と、はっきり言われてしまった。

「辞めた彼は自分で抱え込むタイプで注意が要るけど、何でも他人に撥ね掛ける奴よりはましかな。」

とも。容赦ない。お世辞を言うタイプだとは思わなかったが。


 秋も深まり僕は3日に1日同じことを繰り返している。休んだ人辞めた人の代わりの人も入ってきた。刑事希望が一人と使えない人が一人。僕は今年度が終われば看守勤務から離れられるが(多分)、専務係になる当てがない人でこの勤務が嫌な人はどうなるのだろう。もうすぐ勤務評定が始まるのでそこに異動の希望を書くのだろうけど、歳を取って留置場の勤務になった人は他で使えないと言われたようなものだから。希望して来ているヤバい先輩はよその係からのお誘いが一杯有るらしいけど、希望して来た訳では無いその他の先輩達はなかなか引き取り手が無いらしい。


 12月に入って留置場にひと揉めあった。警察本部警務課の留置管理責任者が訳の分からん事を言い始めたのが発端だった。他所の署で被留置者同士の場内での喧嘩があり、一方の当事者が止めようとした看守に備え付けの消火器を投げつけたらしい。それを聞いた本部の留置管理責任者が、

『留置場内から消火器を撤去せよ。』

と言い出したらしい。副責任者が、

『消火器の設置は消防法で定められていて撤去はできません。』

と言うと、

『消防法は警察が決めた法律ではないし守らなくても罰則は無いから撤去しろ。』

と言ったらしい。

この署でもそう指示された留置係長がその日当務だった僕達の班に、

『消火器を撤去せよ。』

と言ってきたのだが、それを言われた先輩は、

「儂はやりたくないから係長が自分でやってください。」

「いや、これは本部からの指示だから。」

「やったらいかんことを指示されても困る。儂はやらんから係長の責任で自分でやってくれ。」

そう言われた係長は傍に居た僕に撤去する様に指示して来たので僕はそれに従った。先輩は知らん顔をしている。


 日頃普段の仕事で言われたことに従わなかったことが無い先輩が何故今日に限ってと思ったがあまり深くは考えなかった。その後しばらくしてこの署を含む地域ブロック内警察署の留置係を集めて講習があった。全員出席はできないので週休だった僕達の班が超勤と言うことで出席した。サービス超勤なのは分かっているけど。そこには警務部長と警務課長も出席していてその二人の挨拶と訓示の後壇上に上がった留置管理責任者が、

「先日留置場内の消火器を撤去する様に本部から指示をしたがそれを聞かなかった看守勤務者がいると聞いた。」

と言い始めた。係長がチックったんやな。続けて、

「私は留置場内で勤務する看守勤務者の安全を守るために、警察以外が一方的に決めた規則で看守勤務者が負傷することが無い様に消火器を撤去する様に言ったのだがそれを無視した者がいる。勤務員の安全を考えて決めた事なのに、守ってあげようとした相手に理解されず残念だ。消防法の消火器設置義務には罰則はない。だから設置しなくても処罰を受けることはない。それよりも上司の指示にに反する方が良くない。」

と言ったら、先輩が手を挙げて発言を求めた。

「消防法自体には処罰は無いかもしれませんが地方公務員法には処罰が規定されてますよ。」

「警察組織内では上司の指示に従う義務がある。」

「地方公務員法の第32条は上司の命令以前に法令・条例等を遵守する義務があると定めていますよ。法令は上司の命令よりも優先すべきものだと解釈されているはずですが。」

「いや、ここで地方公務員法は………。」

「法令に反する上司の指示は法令に処罰規定があろうがなかろうが従う必要が無いというのが常識だと思いますよ。逆にそういう法令無視の指示は上司の上司若しくは監察機関に報告するべきですが、上司の上司である警務課長も警務部長もこの指示に疑問が無いみたいだから監察官室で確認して貰った方が良いみたいですね。」


 責任者黙ってしまった。勤務員のためと言うお題目を思い付いたので良い格好をしたかったのだろうけれど、地方公務員法の懲戒処分については考えが及ばなかった様子だ。そこを指摘しなかった警務部長と警務課長もどうなんだろう。留置責任者は暫しの沈黙の後、その他の指示事項を話し始めたので先輩が、

「で、結局消火器の撤去はどうなるんですか?」

「いや、そこは検討して。」

「地方公務員法の法令順守義務違反には懲戒処分がありますよ。誤った指示に従って法令違反をしてしまって懲戒処分を受けるのは嫌なんですけど、警務部長はどう思われます。」


 本庁からきている30歳前後の警務部長は突然発言を求められ動揺しているみたいだ。

「あ、いや、現在右往左往しているように見えるかもしれませんがそこは検討して結果を知らせますので。」

右往左往しているのはお前だろう。先輩はそれ以上は追及しなかった。出席者が笑いを噛み殺している。その後の指示事項等はグダグダだった。先輩は涼しい顔をしているが主任と係長が困っているのがはっきり分かる。


 帰りの車の中で係長が先輩に、

「上にも立場があるからあれはいかんで。」

「係長、あんたは上が間違うたことを言うてきたらちゃんと言わないかん。間違うとるかどうかも分からんのはそれ以前の問題やけど。上が言うたことをそのまま下に流すだけなら屋根の樋と一緒じゃ。係長じゃない。」

係長黙ってしまった。


 翌日勤務中に先輩が居ないところで主任に、

「先輩って言いたいこと言うんですね。」

「あれが本性じゃ。理不尽なことには一歩も引かん。」

「最初見た時は弱々しい人かと思ったんですけど。」

「見た目に騙されて突っ掛る馬鹿が居るけど、ヤクザも本官も全部返り討ちじゃ。」

「結構歳いってるのに巡査長なのはそのせいですか。」

「あいつは時々やりすぎて懲戒処分受けるからその後暫くはなんぼ成績が良うても昇任試験に合格せん。それに加えてなんぼ正論でも上司に反抗するいうのは懲戒にはならんでも、もっと駄目じゃ。」


 結局消火器のことは曖昧になった。僕達が知らない間に元の位置に戻っている。先輩も何も言わない。そうこうする内に年末を迎え被留置者の数がどんどん減って仕事納めの頃には一桁になった。これは楽だ。年末年始は押送もないし。小さな署で留置係をしたことがある他所の班の先輩によると、小さな署では年末年始は勿論だけど普段でもたまに被留置者ゼロのことがあるそうだ。

「それ良いですね。」

と言うと、

「ゼロはいかんな。看守の仕事が無いと交通取締りに行かされる。1人は居ってくれんと。」


 仕事納めの後は突発事案の現行犯逮捕だけだから押送もほとんどない。酒酔い運転位は酔いがさめてごめんなさいしたら拘留もないし。年中これなら看守勤務も楽なものなのだが。


 歳が明け松が取れるころになったら各課身柄を取り始めた。1月末には被留置者の数も25人位になり二月中には30を超えるらしい。その後は異動時期に少し減り、新年度が始まれば各課その年の実績を揃えるために手を一杯に広げるので忙しくなるのだそうだ。成る程、去年の夏前頃には35人を超えていた。でも僕の留置場勤務は今既に4分の3が終わっている。多分そのはずだ?でも捜査に要らないと言われたら………。


 僕は盗犯係の刑事勤務を希望しているので非番や週休で押送が無い時は刑事三課で手伝いをしている。今留置係で刑事勤務を希望する若手が場内に3人と場外に1人いる。場内の1人は補充で来た人なので来年度も留置場勤務らしい。本人は中途からの勤務なので嫌な留置場勤務が短くて済むと喜んだらしいが、実際は今年度の残りが余計な時間と分かりショックを受けている。実質は3人。その3人共が盗犯係希望だ。理由はマル暴は係員がみんなヤバそうで、知能は専門性が高そうだし、強行は死体を扱う。でも全員が盗犯に採用は厳しそうだから誰かは強行やマル暴に回るだろう。仕事の手伝いもだが留置場勤務での評判も大切らしい。一寸焦る。主任も先輩も僕を高く評価してくれてはいないみたいだし。他人任せの要らん事を言わなければ良かったと後悔したが、覆水盆に返らず。よく現場に連れて行ってくれる盗犯刑事にそれとなく聞いてみたが、僕に悪い評判は特にないらしい。捜査の手伝い回数・時間と手際はそこそこ評価されているみたいだ。只その人は僕の主任とは以前一緒に勤務したことがあるらしく時々話をするらしいが特に褒めてくれたりもしてないらしい。先輩はどうかなと思ってそれとなく聞いたら、

「あの人は陰口をたたく人じゃない。元々その場に居らん人間の事を話題にしたりせん。」

とあっさり言われた。それも分からんのかと言わんばかりに。藪蛇だった。


 1月は行く、2月は逃げるであっという間に3月が来た。3月が去ってくれればもう少しでこの面白くない勤務が終わる。







 


 



 

 








 


  


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