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殺人・死体遺棄

刑事勤務を始めて3年目の夏殺人事件が発生し、被疑者が判明した時には逃げられた後でした。その被疑者は時効寸前まで逃亡を続けるのですがその始まりは。

 今僕は大地に横たわっている。時は盛夏、新月の晩の丑三つ時。場所は市街地から遠く離れた山中で、杉木立に囲まれた叢の中。暑い、のどが渇く、でも水はない。


 何故こうなっているかというと、僕が捜査の失敗を誰かの責任にするための

『スケープゴート』

に選抜されたからだ。先週の土曜日、当直勤務中の僕にその不幸がやって来た。


 真夏の暑い日の午後、一応ぼろクーラーは動いているが狭くて窓も無い待機室に、

『嚙みつきませんか?』

と聞いてからじゃないと近寄れない様な見た目のおっさん達と座っているのは苦行だ。そんな時一般当直員が、

「出頭人が多くて手一杯なんです。どなたか家出の捜索願受けて貰えませんか。」

と言ってきた。今年度から初捜5班の班長になったマル暴係長が、

「おい、若い衆、手伝うてやれ。」

と僕の方を見て言った。


 班長は、この人こそ噛みつくこと間違いないブルドックの様な顔をした人で、石原部長風に言えば

『紙にマジックで狂暴・不愛想と書いてパンツを履かせたら出来上がる』

様な人だ。見た目だけではなく性格も怖いらしい。とてもじゃないが不服そうな顔を見せられないので、

「はい。」

と即答して待機室を出た。


 そこには隣の県から来た初老の御夫婦が待っていた。僕はこれまで交番で数回捜索願を受けたことが有り、マニュアル通りに必要事項を聴取し書面にした。その内容は、

これまで細目に連絡をくれていた娘がもう5日も連絡をしてこない。

こちらから電話をしても全く出ない。

娘はこの街にあるスナックで働いており、その店に聞いても

『無断欠勤で自分達も困っている』

と言うだけで行先等は分からない。

今日ここに来る前娘の住まいに寄って、大家さんに訳を言って部屋に入れて貰ったが娘は居なかった。

只部屋の家具類が一部無くなっており、大家さんによると数日前から一昨日にかけて、何度かに分けて荷物を運び出しているのを見ているが娘の姿は見ていない。

といった内容だった。その内容で捜索願を受理した旨を御夫婦に伝え、届け出の署名を貰いお引き取り願った。


 一般当直に書類を引き継ぎ、本部の総合当直に家出人登録をして貰うようにした後、班長に聴取内容を報告すると、

「ああ、あそこの店に勤めとるのか。」

班長はその店のことを知っている様子だった。

「店が嫌になって新天地でも見つけたんじゃないか。」

と特に気にする様子も無かったので僕もそれでその件は終わりにした。


 暑い宿直が終わり翌日の日曜日はこの夏買ったばかりのクーラーのある自室に帰り、テレビを見たりビールを飲んだりダラダラと過ごした。月曜日は、ダラダラ過ごした週明けはかったるいなと思いながら出勤して、何時も通り惰性で仕事場の掃除。3年目になるのに掃除を引き継ぐ後輩は来ない。いや一人来たけど一応上司になるので掃除当番はさせられない。その上司が来たので、その上にもう一人役に立たない新人を採用する余裕は無かったらしい。周りの皆は、

「自称後輩なんじゃから手伝わしたらええんじゃ。」

と気軽には言うが、自分の都合丸出しの人間だから、こういう時は急に上司になるに決まっているから言わない。


 朝礼が終わった後、朝礼では取り扱い事項の項目程度しか報告しないので、課に帰ってから、土曜の当直、日曜の日直、日曜の宿直が順に初捜の取り扱い事項の内容を課員に報告した。それが終わると、課長と強行一係長が顔を見合わせ互いに頷きあって僕を呼んだ。課長席の前に行くと強行一係長から、

「防犯行って土曜に土居刑事が書いた家出人捜索願コピーして来て。」

「はい分かりました。」

家出は防犯の仕事なのにどうしてだろう。今度の課長は石原部長の1年後輩で年齢は2歳下らしい。昇任試験は全部一発でクリアした秀才らしく、仕事に厳しくて腕も切れるらしい。強行一係長は30代半ばでこの人も敏腕だと聞いている。


 防犯から帰ると、課長席の周りには鑑識も含めた全係長が集まっていた。課長が、

「土居刑事この家出は危ない。皆で今から手分けして聞き込みに出て貰う。」

と言った後、僕にいくつか質問をしてきたがどれも届出人に聴取して無いことばかりだった。

「土居刑事は石原部長の下で2年やったんよな?」

と聞いて僕の顔を見たが、僕にはその意味が分からなかった。


 行方不明者方の大家、同僚、雇用主等に聞き込みを実施したら、どうしても連絡がつかない同僚が一人居た。市内の引っ越し業者に聞きこむと、家出人の居住するビルから市内の別のビルに箪笥を運んだ業者が判明。課長は業者が行方不明者方から箪笥を運んだ部屋とその周辺を張るように指示した。


 その業者は箪笥を運んだ一度きりしか仕事を受けていない。荷物の搬出は数度と聞いているが、判明した業者以外の運送業者が出てこない。午後遅くなって道路を挟んだ反対側の店舗の経営者から、

『何日か前の夜遅く向かいのビルから出て来た男女の二人連れが、青いビニールシートでくるんだ何かを乗用車に積んでいました。』

との話が出てきた。課長と強行一係長は一瞬苦い顔をしてまた二人で頷いた。


 課長は行方不明者方の検証許可状を急いで取る様強行一係長に指示した。係長は眉間に皺を寄せ自分の係に指示するとともに、他の係のベテランに協力を依頼し令状請求の準備をを急ピッチで進めていった。皆が慌ただしく動いている内に終業時刻が来て、宿直に当たっている者は急いで宿直室に降りて行った。

「すみません、僕今日友達と約束があるんで帰ってもいいですか?」

「誰じゃ!」

強行一係長が怒声をあげた。僕には誰か直ぐ分かった。こんな空気が読めないというか読まない奴は僕の主任に決まっている。一係長もすぐに誰か分かったのだろう。

「周り見てみい、皆が忙しそうにしとるのが分からんのか!」

「でも僕が居ても何の役にも立ちませんし。」

一係長一瞬言葉が出なかった。しかし気を取り直して、

「帰りたかったら勝手に帰れ!その代わり明日から出勤するな!おまえの荷物は全部ごみ置き場に纏めといてやる!」

すごい剣幕で怒鳴りつけた。流石に僕の主任もまずいと思ったのか黙って自分の席に戻った。でも忙しそうな皆を見ても手伝おうとはしない。課長は呆れ果てている。そしたら傍に居た先輩が、

「お前他人事や思うとるみたいやけど、去年のお前も儂らからは同類に見えてたで。まあ、あそこまで非道うは無かったけどな。」

僕が?


 書類ができたので送致係が令状を請求しに行くことになった。課長が僕の主任に、

「お前も付いて行って令状請求の手順知っとけ。ただし邪魔はするな。」

と言うと、嫌そうな顔をするかと思ったのに素直に従った。自分の評価をし、将来この県警のトップに上るであろう相手には従順なんだ。


 送致係には令状請求の進捗状況を連絡する様に言い、それに合わせて現場で落ち合い検証を開始する。一係長には現場に先行し大家と面接し、検証を行う事を伝え立会人となる様要請する様命じ、二係長には検証の予定を伝え待機して貰っている本部の捜査一課と鑑識課に連絡し現地集合をお願いする様に指示した。なんか大事になっている。


 午後7時過ぎに令状が出たので皆で現場に向かった。僕の主任は送致と一緒に課に残り電話番をする様に言われていた。普通本部まで呼んでする検証に連れて行って貰えないのは屈辱のはずなのだが本人は行かなくて良いのを喜んでいるように見える。


 僕達が現場に着くとほぼ同時に鑑識課が到着し、その後直ぐに捜査一課が到着した。機動鑑識班も来ており定元部長が見えた。捜査一課からは強行特捜主任になったコーヒー好きの先輩も。二人に会釈をすると定元部長が、

「立派に独り立ちをなされた土居刑事さんではありませんか。」

先輩は、

「違う違う、独り立ちした気になっとるじゃ、定兄ぃ。」

「え、石やんから免許皆伝許されたんじゃないんか?」

「石やんの指導は気に入らん言うて勝手に一人前宣言したんや。」

「それは凄いな。」

分かってて言ってる。性格良くない。僕が不満そうな顔をしていたら後ろにいた課長が、

「先輩方お世話になります。今日は忙しいからいかんけど、そこらの話今度ゆっくり聞かしてくださいや。ご存じのとおり兄貴はそこに居らん人間の悪口は一切言わん御人なんで事情が分からんのです。」

「ああええよ、課長の奢りで。課長は石やんや無いけん安いとこでええよ。儂は善人やから人の悪口言わんけど、こいつは聞かれんことまで言う奴やから。」

「何言うとん。それは定兄ぃやろうが。」

課長が、

「もう大分前、兄貴と土居刑事で連続放火の張り込みしとる時に

『今連れとる奴が容疑者の素振り見ただけで背筋が寒うなって感じる所が有った言うて、わざわざ休みの日にまで言いに来た。』

言うて嬉しそうに話してくれたことが有ったんですけどね。」

「それから後が続かんかった。」

定元部長とコーヒー好きの先輩が声を揃えて言った。


 検証が始まり、定元部長とうちの鑑識がカラーと白黒で手分けして写真を撮り始めた。検証調書にはカラーを使うが、本庁報告は白黒でなければ電送写真が送れないそうだ。現状の撮影が終わると、まず強い斜光線を当て足跡の検索をした後、室内を10センチ角に区切り入り口側から、普段は採取した指紋を転写するために使うゼラチン紙で床を押さえていった。現場に落ちている、目では見つけにくい植物の種子・動物の被毛等を全て付着させて持ち帰り顕微鏡で調べるらしい。指紋・足跡・痕跡に重きを置いてきた従来の鑑識活動から一歩進んだ微物鑑識と言う考えらしい。


 微物の採取が終わると室内の指紋採取になった。それと並行して鑑識作業が終わった所から室内の計測を始め、広さ、家具の位置等を記録していった。鑑識課の法医係が室内の血痕等を探していたが、ソファーの上から尿班と思慮されるものを発見。室内には赤い一人掛のソファーとベージュの三人掛のソファーがあり、ベージュのソファーの中央辺りに有ったらしい。その位置、広さ等を計測し何カ所かから尿らしき物質を採取した。


 課長と一係長は、

「此処やな。」

と言って。その近辺を再度念入りに調べるよう指示した。最後に窓を塞ぎ光が入らないようにして血痕を探すためルミノール検査をしたが反応なし。帰り支度をしていたら定元部長が僕他の若い所轄刑事に雑巾と中性洗剤を伸ばした水を入れたバケツを渡し、

「現場の復元は大事なことじゃ。」

と言って指紋採取で汚れた家具類を清掃する様に言った。何で僕らがと言う顔をしていたら、

「な、課長。こいつら皆こういう根性じゃ。いっぱしの刑事さん気分で現場の掃除なんかしとれんらしいで。」

課長は苦笑いをしながら、

「成る程。この頃の若い刑事さんは皆偉なったもんじゃ。思い上がるな!手伝え!」

ときつい声で言ったので皆慌てて掃除を始めた。定元部長が、

「一事が万事この調子や。石やんも嫌気がさしたんと違うか。あんたらが石やんの金魚の糞しとった頃とは大違いじゃ。」

「儂等の頃は先輩は怖いし酷かったけんなあ。兄貴は言葉は少なかったけど、理不尽なことも言わなんだ。いつも率先して現場に行って儂らに背中で大事なこと教えてくれた。」

コーヒー好きの先輩は、

「土居はあの頃よりはずっと優しゅうして貰うとったよ。自分の意地でやっとる捜査に巻き込んで悪い思うとったんやと思う。通じんかったみたいやけど。」

「おいそれ以上は言うな。この続きは料理と飲み物付きでや。」

「儂飲み物要らんのに。」

「まあこの事件落ち着くまではいかんけど近々席用意します。」

「石やんも来れたらええのう。」

「石やん来たら他人の悪口言われんなるやん。それに夏休み終わる頃まで親子3人でアメリカ方面行っとるし。」


 深夜に帰署し課長の指示を受けた。

姿が見えないのは店の同僚。

姿が見えない人物と一緒に何かを運んだのはその人物の知り合い。

運んだのは死体だと思う。

明日からはその二人を探して貰う。

忙しくなるが暫く辛抱して貰う。


 翌朝出勤したらもう課長と一係長が居た。挨拶をして掃除をし、石原部長が残していった道具で、退職後も人伝に届けてくれるコーヒーを入れて二人に出すと、

「兄貴程では無いがまあまあや。」

と言われた。

そうする内に皆が出勤し始め最後に僕の主任が現れた。課長が主任を呼び、

「お前はこの刑事一課でも県の刑事部全体でも一番の若い衆で一番の新参者じゃ。そのお前が一番最後に出勤?何考えとるんじゃ。お前にしたらここに居るんはキャリアアップの腰掛気分かもしれんが、儂は今現在役に立たん人間は要らん。明日から土居刑事と一緒に掃除せい。それが嫌ならお前には役に立たん奴いう直径1メートルほどの太鼓判押してやる。」

「いや僕は主任ですから。」

「主任なら主任らしい仕事せい!自分は後輩じゃ言うてみたり主任じゃ言うてみたり勝手な事ぬかすな!今日から儂がお前に直接仕事を割り振る。出来んかったら辞表出せ!」

主任茫然としている。いい気味だ。


 朝礼に引き続き本件捜査の捜査本部が立ち上がった。そこでの訓示が終わった後、先週土曜の当直勤務者が集められ行方不明者捜索願を受けた時の状況を詳しく聴取された。僕以外の全員が、受けたのは土居刑事なので分からないとの回答で、僕が報告した初捜班長は捜索願を受けたことは聞きましたが内容についての詳しいことは聞いていませんとの回答。


 僕は報告したのにと思いながらもこちらを睨みつけている班長の無言の威圧に負けて何も言えなかった。引き継いだ相手の、一般当直だった防犯係も

『書類の引き継ぎは受けたけど切迫する事案であるとの告知は有りませんでした。』

との回答。それはそうだろう。僕がそんな重要犯罪につながる事案と認識していた訳では無いのだから。課長が、

「まあこれだけでは重要事件の始まりと感じるには弱いから仕方が無かったと言えば仕方無かったわけですが。」

と引き取ってくれた。でもその感覚を共有できなかった原因は僕一人と言うことに成ってしまっている。従って初動捜査の遅れを招いたのは僕の責任ということだ。承服しがたいが、誰に責任を持って行くかといえば僕になるかも。


 検証をした翌日、今行方が分から無くなっている、行方不明者の同僚の関係者である男性が判明した。任意同行を渋る同人を、任意か強制か判然としないやり方で攫って取調室に引っ張り込み、強行一係長が調べたら青いビニールシートで包んだ物体を運んだ場所が判かった。その場所に案内させ、日が暮れてしまって被疑者にも正確な箇所が判から無くなっている中、埋めたと言う場所近辺を探したら、最近掘ったばかりと思慮される箇所が見つかった。車1台に被疑者と捜査員が3人。強行一係長が捜査用車のトランクから用意してあったスコップと鍬を出し僕に掘るように命じた。誰か手伝ってくれるのだろうと思ったら、

「儂ら二人は被疑者の守せないかん。掘るんはお前一人じゃ。初動が遅れた原因のペナルティーも兼ねとる。」

判定が覆ることは有りないので黙って掘った。50から60センチ位掘り進むと青い物体が懐中電灯の光の先に見えた。ブルーシートで巻かれた物体だ。引っ張り上げ様としたら、巻かれたシートの隙間から中を確認する様に言われた。でもその塊は人間にしては少し小さく見える。小柄な人だったのかな。シートの隙間を広げると大型犬の死骸が見えた。一係長と先輩は笑いを噛み殺している。不謹慎ですよ。流石に被疑者は笑っていない。埋め戻した後気を取り直して探したらまた最近掘ったと思われる痕跡が見つかった。


 さっきよりも浅い所に青い色が見えた。掘り進むとブルーシートであることが懐中電灯の光ではっきり分かった。包みの隙間を広げると人間の着衣が見えた。端の方まで広げると女性と思われる死体だった。酷く腐敗していて酷い悪臭がした。引き上げなければと思ったら、係長の指示は埋め戻しだった。夜が明けたら検証許可状で掘り出すとの指示。自分達は被疑者と一旦帰署するから僕にはこの場所に止まるようにとの指示だった。

「ええ、一人でですか?」

と抗議の意味を込めて言うと、

「被疑者と運転者だけで帰らすわけにいかんことくらい分かるじゃろうが、馬鹿。」

「馬鹿?」

「馬鹿に馬鹿言うてどこが悪い。仏さん居らんなったらどうするんぞ。その為の番じゃ。」

いや絶対そうじゃない。これは懲罰だ。いや苛めかも。

「苛めじゃないぞ。懲罰の意味は一寸ある。」

あれ、心を読まれてる。直ってないみたいだ。係長達はさっさと帰ってしまった。


 そういう訳で、僕は今人里離れた山中の叢に横たわっている。亡くなった人とは少し離れてはいるが添い寝の様な状態で。持って来ていた水は飲んでしまって残っていない。熱帯夜の中で穴掘りをしたので汗びっしょりだ。気持ち悪いので服を脱ぎ捜査用車のトランクから持ち出した、雑巾だかタオルだか分からない布切れで体を拭いたが、体に万遍無く汚れを擦り付けただけの様な気もする。それにプラスして薮蚊を呼ぶ効果があったかもしれない。去年の夏までクーラーの無い自室を呪いながら寝ていたが、現状と比べればあれは極楽浄土だった。


 夏至を大分過ぎているとはいえ、夏の夜明けは早い。少し明るくなってきたがまだ午前5時にはなっていない。今が一番涼しい時刻かな。暑さはややましだが蚊の勢いは止まらない。それでも短時間ではあるが寝落ちしていた。何時頃迎えに来てくれるかなと思いながら蚊の攻勢を防いでいたら、午前8時を過ぎて、夕べ一緒に来た先輩と僕の主任がやって来た。昨夜掘ったところを綺麗に均すように僕に言いちゃんと出来ている事を確認して、

「帰るよ。」

と言った。


 車に乗ると僕の主任が、

「臭い。」

と言った。その一言で僕は切れてしまった。

「この暑い中一人で2カ所も穴掘ったんじゃ!汗かくし風呂にも入れんのやから臭いのは当たり前じゃ!嫌ならお前が降りんかい!」

「ぼ、僕はあんたの上司だぞ。」

「喧しい。儂が頼んで成って貰うた訳じゃない。上司、上司言うんなら上司らしい事してみんかい!臭いのが嫌ならお前が降りい!」

笑いながら聞いていた先輩が、

「主任、嫌なら降りて。もうすぐ本隊が来るけんそちらに合流して。」

主任が黙っていると、

「降りい言うとんじゃ!」

「………。」

「降りるんが嫌なら、

『一緒に帰らせてください』

言わんかい!」

先輩は日頃大人しい人なのだが今日は違う。その剣幕に驚いた主任は、

「連れて帰ってください。」

と小さな声で言った。


 出発するとすぐに、車列を組んで上ってくる捜査員達とすれ違った。

「あれ何ですか?」

「うん、署長がな報道陣に遺棄した場所を撮影さす言うてな。」

「はあ。」

「それであの車列や。それとな課長が、

『現場に報道の映像に馴染まん汚れが転がっとるから報道陣が着く前に回収せい。』

言うたんで僕等が先行臨場したんや。」

「はあ。」

「課長の言う通りや。人に見せられん。」


 先輩が車の窓をフルオープンにしたのでクーラーの恩恵は無くなったがさっきまでの状況を考えれば上等だ。後部座席に座った僕と運転をしている先輩は、夕べから今朝にかけての署内の動き等を話すが、バカ主任は口を利かない。僕達も無視。


 署に着くと先輩が、

「土居刑事、臭いけん体育館のシャワーで汗流せ。主任と僕で昨日使った道具洗うとくから。」

車のトランクから夕べ使った鍬とスコップを出しても主任は触ろうとしない。

「洗え!」

先輩が言っても動かない。

「洗え言うとるんじゃ!聞こえんのか!」

やっと動いて嫌そうに水道の所に汚物を持つようにして異動した。


 体育館のシャワーを使おうとしたら、

『故障・修理中』

の張り紙。一度帰宅して着替えたいと先輩に申し出たら、

「自己責任でやって。このところの課長と一係長の言動からすると

『職場放棄や』

言われても知らんで。」

御尤もです。変死現場で着衣が汚れることはよくあるので着替えはロッカーに置いてある。でもこの汚さで一課の部屋に帰ると蹴り出されかねない。困っていると先輩が、主任がスコップ等をのろのろ洗っている所に行くように言った。そこに行くと服を脱ぎパンツ一丁になるように言って、洗車用のホースで僕に水を掛けた。丁度出動しようとした交通巡視員さん達がミニパトを取りに来て、

「キャー!!!」

機動警邏の人達が何事かとこちらを見ている。


 先輩が僕のロッカーからタオルと着替えを持って来てくれて車庫の隅に隠れて着替えた。課に帰ると残っていた課員が僕を見て笑っている。夕べのことで笑っているのだろうか。それとも今巡視員達さんにパンツ一丁姿を見られたことだろうか。多分両方だろう。先輩着替えを取るだけにしては帰ってくるのが遅かった。


 先輩がカップラーメンをくれたのでそれを食べてからコーヒーを入れて、僕の主任以外の残留員に配った。先輩が休憩室で少し休む様に言ってくれたのでソファーに横になったらあっという間に寝落ちした。昼に先輩が起こしてくれ、検証に行った人達は、直接司法解剖に行く人達と帰署する人達に分かれて現場を出発したそうだ。


 検証に行かなかった人で、今此処で姿を見ない人達が居るのは、被疑者が箪笥等を運び込んだ先と、昨夜遺棄場所に案内させた男の自宅を張り込んでいるせいらしい。その場所は石原部長が以前勤務していて現在和子さんが勤務する高校が有る街だった。他の課からも応援を得て、張り込みと立ち回り先の捜査をしているらしい。


 暫くすると課長他解剖に行かなかった人達が帰ってきて急に賑やかになったが、課長がこの課に居ると皆が緊張するのが分かる。空気を読まず、読めない僕の主任さえも緊張している。前の課長とは人当たりが違う。前の課長も未解決の長期に渡る連続放火事件と放火殺人事件を解決し十分な評価を得て栄転していったが、周りを追い立てて捜査を進めていくタイプでは無かった。今度の課長は課員をどんどん追い込んで捜査をさせるタイプみたいだ。トロトロしてるとあっという間に見切りを付けられるかもしれない。


 傍に居た先輩にそのことを言うと、

「去年と一昨年は課長は石原部長に好きなようにやらしていたら良かった。どうせ一係と二係は何を言っても何もしない奴等だったから言うだけ無駄だったし。石原部長は前の課長とは古い付き合いで前課長に恥をかかせまいという気構えがあったから、信頼して石原部長が動き易い様にだけを考えていたんじゃない。」

そうかもしれない。今度の課長と一係長も石原部長には全面的な信頼を置いているみたいだし。だったら僕は大変な間違いをしたのかも。

「僕は下手打ってるんですかね?」

「うんそれは間違い無いと思う。土居のこと知らん捜査係でも、石原部長に上等切った奴言うたら通じる。殆どの人が残念な奴と思うてる。」

そうなんだ。

「儂らが傍から見てても、本当に良くして貰ってるように見えたけど。」


 死体遺棄を手伝った男の供述などから、被害者の同僚だった女を強盗殺人被疑者と断定し死体遺棄と併せて全国一種の指名手配をしたが、交通機関の聞き込みをしていた捜査員が月曜日の夕方船でこの街を離れているのを確認した。ということは、土曜日速やかに捜査を開始していれば身柄が捕れた可能性が有る訳だ。増々僕の立場が悪くなりそうだ。


 強行特捜の先輩達は直ぐに被疑者が乗った船が到着した港に飛び、聞き込みを実施したが以後の足取りは掴めないらしい。多分僕のことをドジとか緊張感が無い奴とか言っているんだろうな。


 その日は手詰まりで、することは何カ所かでの張り込みと、指名手配被疑者の交友関係から立ち回り先を捜す位になったので、夕べ酷い勤務をした僕は帰宅を許された。明日は死体遺棄を手伝った男の、自宅の張り込みをしている捜査員と交代するため早朝から出発する様に言われている。


 午前7時過ぎに指定された張り込み場所に着いた。その街の警察署からは少し離れた住宅地の一角で、幹線道路が交差する便利な位置にあった。張り込み場所がよく見える位置に車を停める場所が確保してあって、昨日からそこに居た捜査員と捜査用車ごと交代した。車を停めた場所はまだ新しい3階建てのマンションの駐車場だった。


 そのマンションの出入り口から突然和子さんが出てきた。僕はつい車を降りて声を掛けてしまった。和子さんも驚いた様子だった。声を掛けると、

「この間からそこに停まってる車、警察の人だとは思ってたけど秀明さんの署だったの。それだったら殺人事件で犯人が逃げてる件?」

「うん。逃がしたのは僕に責任があると言われてる。」

「言われてるだけ?」

「若干の責任はあると思うけど、心外だと思う気持ちが強い。」

「ふーん。まあ私には判らないけど。」

言いたい事が一杯有って、何から言おうかと考えていたら、

「私仕事に行くから。」

とあっさり言われ、和子さんは駐輪場に止めてあったスクーターに跨り、

「これママから就職祝いに買って貰ったの。お金出してくれたのは石原さんだと思うけど。それじゃあ。」

と言って走り去った。


 車に戻ったが、相勤者の知能犯係の人は何も言わない。相手にされなかった情無い奴には言葉を掛けないのが情けだと思ったのかも。交代で休憩を取りながら張り込みを続けたが何も変わったことは起こらなかった。夕方になったら和子さん帰ってくるかと思っていたけど、その日は帰ってこなかった。多分僕と顔を合わせたくなかったのだろう。


 翌朝交代が来てくれたので帰署することになって、

「僕が運転します。」

と言ったら、

「心が乱れてる奴に命預ける気はない。」

と言われた。そんなに落ち込んでる様に見えたのだろうか。


 途中朝食代わりに喫茶店に寄った後署に帰ったが、何の進展もなさそうだ。まずいな。皆も自分があの捜索願を受けて課長や一係長の様な反応が出来るとは思っていないだろうけど、現実に捜索願を受けて反応しなかったのは僕だから、この件で忙しい思いをすることの怨嗟は僕に来るはずだ。特に応援の捜査員達の不満は恐ろしい。ただでさえ評判良くないのに。


 係長からの指示は、午後2時まで休め。午後3時に国鉄駅に行き出札口で見当りをする様に言われ被疑者の写真を何枚か渡された。

「どうせ来るまいとは考えるな。必ず来る思うて見張れ。ここは一人でやれ。来たら駅前交番に助けて貰え。」

と言って、交番勤務用の署轄系無線機を送致係から受け取って現場に行く様に言われた。一人ということは係長達も

『どうせ来るまい』

と思っている。でも前に

『どうせ来るまい』

で怖い目に遭っているじゃないか。あの時は石原部長の感で助けてもらったが、石原部長は居ない。真面目にやろう。


 僕が張り込み先で、知り合いらしいまあまあ見栄えがする女性に相手にされなかったという話はあっと言う間に広まった。あの相勤者口数が少ない人かと思っていたのに結構お喋りだったんだ。言い訳も何も冷たくされたのは事実だから何も言えない。思い上がりで、女性にもてない哀れな刑事確定。


 僕の主任は残留員に指名され、次から次に届け出がある、変死・火事・傷害等に追い捲られている。預けられた他の残留員が課長に、

「使い物になりません。足手纏いです。何とかしてください。」

と申し入れをしたらしいが、

「他ではもっと使えん。他所からの応援員に迷惑を掛ける訳にはいかんからうちが被るより他無い。」

と言われたらしい。それでも僕の主任は逃げよう逃げようとしているみたいだ。


 僕はあれ以来張り込み、見当たりと、その合間にはどうにも成ら無くなっている残留員の仕事を手伝っている。相変わらず僕の主任は進んで仕事をしようとはしない。何度も言われてからやっと手を動かす。でも何をやっても満足に出来ない。何も出来ないので手を出せ無いのかもしれない。この事件が起こる前は、相手は一応巡査部長だから、先輩達も巡査長・巡査の階級の者は僕の主任にそれらしく対応していたが、今はもう誰も丁寧な物言いはしていない。というよりも手伝いに来ている留置係や交番員の若い巡査の方が丁寧に扱われている。かわいそうにも思えるが同情はしないし手助けもしていない。


 発生後1カ月位経った頃捜査の縮小が決まった。強行一係長の元、数人の捜査員が専従捜査員に指名され、他の仕事もしながら情報収集と聞き込み等を継続することになった。殆どは一係と二係の中から指名されたのだが、三係からは僕一人が指名された。課長は、

「兄貴が居ってくれたら何か遣り様を考えてくれるやろうけど、居らん御人を頼れんし。」

と言っていたらしい。


 それから暫くした頃、強行一係長から、日時を指定して若竹に行く様に言われた。前に言っていた定元部長達との会合だろう。僕を吊し上げる集まりかな。横で聞いていた僕の主任が、若竹と聞いて反応するかと思ったが

『僕も行きたい。』

とは言わなかった。


 当日若竹に行くと僕が初めてこの店に来た時上がった小部屋に案内された。休みだったらしい定元部長は先に来てもうビールを飲んでいた。

「おお、来たか。」

僕が先に始めている部長を咎めるような目で見たら、

「儂も年を取ったけん、その日によって飲めるかどうか分らんなった。そやけんの、上手いこと飲めるように皆が来る前に練習しとかんとの。お前も練習するか?」

「しませんよ!」

「そんなに怒るな。」

不毛な会話をしていたら、課長、一係長、コーヒー好きの先輩が連れ立って現れた。


 課長が正面に座りそれぞれが自分の席に着いたら、女将さんがシャンパーニュをもって現れた。課長が笑いながら女将さんに、

「儂そんな高いお酒代払らえんで。」

と言うと、女将さんは、

「心配せんでええよ。これは洋美さんから。加えて言えば今日のお勘定は洋美さん持ちやから。」

「兄貴最近来たの?」

「この頃来んから、時々私が押しかけてる。」

「恵美姉さんも兄貴来んと落ち着かん?」

「洋美さんもやけど、今は美佳ちゃんに会わんと手が震えだす。」

「中毒?」

「周りは全員中毒やね。」

何時も丁寧な物言いの女将さん今日は課長にタメ口だ。


 シャンパーニュで乾杯した後飲み会が始まった。

戻り鰹

太刀魚

障泥烏賊

秋鯖

秋鮭

旬の魚が揃っている。それも最高クラスの。

「洋美さんが届けてくれたんよ。二度に分けて届けてくれて、うちで熟成したものと熟成済みで届いたもの、どれも食べ頃よ。」

「それやったら儲けにならんやない。」

「心配せんでええよ。この座敷で使う分の何倍も届いてるから。それを他のお客さんに出して代金を頂くからうちは大儲け。」

「只の物がお金に成るのなら心配要らんな。安心して飲もう。」

「それにこのお座敷の代金は別途で洋美さんから預かってるから。洋美さんうちが損することは絶対せんよ。」

久し振りだ、石原部長の大盤振る舞い。でも喜んでいる場合ではない。必ず僕に対する詰問がこの後来るはずだから。でもなかなか来ない。


 「土居が落ち着かんやろうから早目に言うとく。この間儂と係長で兄貴のとこ訪ねた。土居の事いくつか尋ねる積りで行ったんやけど、兄貴は今まで通りそこに居らん人間の悪口は一切言わなんだ。」

課長じっと僕を見ている。ここで嬉しそうな顔はできない。

「分かっとったことではあったんやが、兄貴がどう思うとるか一応。直接土居の悪口聞こう思うて行った訳ではない。それが無理なことは分かっとる。でも兄貴も察しのええ御人やから、儂らが言いたいことは判ってくれた。」

何と答えてよいのか判らなかったので黙っていると、

「『一回だけチャンスをやってくれ。』言われた。『刑事したかったら自分で先のこと考えさせろ。』『辞めたい言うなら身の振り方考えてやってくれ。』

とも言われた。儂も係長も兄貴がそう言うなら異存はない。ここで返事をする必要は無い。辞めたかったらそう言え。辞める気が無いなら黙って態度で示せ。その態度が及第点なら続けられる様にする。」

「はい分かりました。」

「細かい指図はせん自分が最良やと思うことをせい。」

「はい。」

「今日これからはただの懇親会や、兄貴に世話になってる者同士のな。先輩方から色々過去のお前のことが出るやろうけど、そこはノーカウント。儂と係長は今日以降のことを基にお前の評価をする。」

「それ一寸甘ないか?」

定元部長要らんことを。

「まあ、土居が本当に危機感持っとるかどうかはこれから判る。割と馬脚を現し易いタイプやから。」

先輩も、でも当たっているかも。


 そこからは皆が石原部長と仕事をしていたころの思い出話を披露しあって話が弾んだ。その中で僕の父親の話が出てきた。僕の父親はもう亡くなっているが警察官だった。母とは僕が小学校に入った頃に離婚した。刑事をしていたらしいが母は父のことは話したがらない。祖父から自分勝手で僻みっぽい人間だったと聞いたことが有る。何かの拍子に僕の父の話が出たとたん

『拙い』

という感じになり皆が話を逸らせた。


 僕は父のことを何も知らないので、

「僕父親の警察官だった頃の事殆ど聞かされてないんですよ。皆さんの様子だと余り良い印象がないのは判りました。でも構わなかったら教えてください。」

と言うと、係長が、

「あまり楽しい話にはならんぞ。」

と前置きしてから、

もう15年位前県境にある海に近い風光明媚な警察署に勤務をしていた頃僕の父と会った。

自分は警察学校の頃下手を打って、皆中規模以上の警察署が新任地だったのに自分だけ警察官が25人程しか居ない警察署に行かされた。

そこに勤務して3年目になった時石原部長が転勤して来た。

自分は将来刑事になりたいと思っていた。でも刑事防犯課全体で6人しか居ない署ではとても無理だと思っていたが、所在地勤務の合間に刑事課に手伝いに行って捜査を学んでいた。

石原部長が来てから丸2年経った異動で、僕の父が転勤して来た。その頃の父は酒ばかり飲んでまともに仕事をしてなかった様子だった。

その頃の署長と刑事防犯課長は石原部長の警察学校時代の教官で石原部長を高く評価していた。また部長自身も同規模他署を遥かに凌ぐ実績を一人で上げていた。

捜査係が一人転出し、転入してきた捜査経験者は父だけだったので自分が刑事課に入るものと父は思っていたらしい。

しかし石原部長はやる気のない者よりもやる気が有る新人を入れるべきだと主張したらしい。

その意見が通り評判が悪かった父は署から一番遠い駐在所に配置されたらしい。

父はその異動が不満で、研修会等で本署に来るたび刑事防犯課に文句を付けに行っていたらしいが、ついに腹に据えかねた石原部長からあらん限りの罵倒を浴びせられそれ以後は刑事防犯課に現れなくなったらしい。それ以後も石原部長は若かりし頃の係長を指導し、昇任試験の勉強もさせてくれて26歳で巡査部長の試験にも合格させてくれた。

昇任して今の署の強行主任として赴任したが、周りは、田舎の小規模署しか知らない奴だから大したことないだろうと思っていたみたいだが、石原部長に教えられたことさえ守ってやっていたら問題なく仕事をこなせた。そこからは教えられたことプラス、これも部長の教えである『考えろ』を守ってきて今日が有る。

僕の父は石原部長に罵倒されて以来本署には必要最小限しか現れなくなり酒浸りになっていたみたいだ。勤務時間中に制服も着用せず飲んでいたところを監察に見つかり処分されたり。


 課長が僕の父を知ったのは警部になってすぐの頃、係長が新任で行った署の隣のその地区の中核になる、警察官が130人位居る署の刑事課長の頃だったらしい。

その頃の父は署から離れた駐在所では監督不能だったので留置係になっていたらしい。

朝出勤する度に上司が飲酒の度合いをチェックしてから勤務させていたらしく、時には休みの日に留置場に併設された保護室に入ることもあったらしい。

そんなことを繰り返すので、分限免職になりそうになって、それでは再就職に不利だからと依願退職にして貰ったらしい。

依願退職後数年で肝硬変で死んだらしい。

僕もそのことは知っているが母は葬儀に出なかった。必然的に僕も。


 定元部長も、特捜主任も一緒の署で勤務したことが有るらしいが、

「もうええやろ。」

と言ってそれ以上は言わなかった。この二人が言いたがらないほど酷かったんだなと思った。


 皆も話を変えたかったのか、僕が着ている夏用のコットンスーツの話になった。課長が、

「儂これとよう似たスーツ兄貴が着とったの見たことが有るんやけど。」

「多分これだと思います。舞のママの勧めででサイズを詰めて貰いました。」

「何、儂はこのスーツが欲しかったけど、兄貴も気に入りやって貰えんかった。歳が2歳違いやからこの服が似合う時期が重なるからな。」

「課長諦めたん。」

「欲しそうにしとったら似たようなスーツ買うてくれたけど。」

「それやったらええやない。」

「でも儂これ欲しかった。それを土居が貰うとるのが気にくわん。」

「土居さん他にもいっぱいお下がり貰ってサイズ詰めて貰ってるよ。」

「何!」

女将さん煽らないでください。


 此処に居る人たちは皆石原部長から服や小物を貰ってる。女将さんが、

「この着物洋美さんが買ってくれたんよ。帯も。」

「まあ儂もこの麻のジャケット兄貴が仕立ててくれたんやけど。」

と課長。

「僕のこの時計警部補昇任祝いに貰いました。」

と係長。

「儂も着物仕立ててくれた。」

定元部長。

「儂も今回の昇任祝いにスーツ仕立ててもろうた。」

特捜主任。でも僕の方に向き、

「こいつ今日ええ靴履いとったけど。」

「あれ尚美が選んで洋美さんがお金払った。私はそこに居て褒めてあげた。今してる時計も洋美さんのお古よ。」

言わなくていいのに。


 2時間余り若竹に居て女将さんも一緒に舞に行くことになった。そこからは定元部長の独壇場。チーママ改め新ママは凄く喜んでいた。店はそこそこ繁盛している。

「石原さんがあちこち声掛けてくれてお客さんが来てくれるのよ。でもそのお客さん達に『次も行こう』と思って貰わないといけないけど、尚美ママの様な集客能力抜群の大駒が無いから。」

「和子ちゃんにもそこそこファンが居てこれからというとこだったんやけど、スナックホステスよりは県立高校教師の方がええに決まってるから。」

「………。」

「で、最近どうなの。」

「遠の昔に振られました。」

「御免。」

「いえ、この頃百パーセント僕が悪いと自覚しました。」

「以前は?」

「僕だけが悪くは無いと思っていましたが、完全な間違いでした。」

「ふーん。」


 何か吹っ切れた気分だ。少し寄り道をしてしまったがもう一度初心に帰って学び直そう。


 翌日から掃除も仕事も惰性を排除し、何をするにも考えて考えて行動するように気を付けた。それと僕が陥りやすい『自分は悪くない』と最初に考えるのを止め『自分に落ち度は』と考えるようにした。課長・係長の評価以前にやることを精一杯やれば良いんだと考えることにした。


 事件の解決に明るい兆しは無い。情報が入る度に捜査をするが検挙に結び付く有力なものは出てこない。課長は地味にコツコツやればその内と言っている。




 課長のその言葉が現実になるのは今から15年位先、課長がこの署の署長で、強行一係長が刑事一課長に成った時の事なのだが今は誰にも分からない。





 





 












    


 

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