放火(エピローグ)
人事異動は栄転もあれば左遷もある。また個人の事情もあって、傍目に良い異動でもその人にとっては不満な異動もある。三係長とコーヒー好きの先輩は喜びを隠さない。課長も栄転だが、喜べない異動だった課員もいる手前なのか極平静だ。石原部長は内示の次の日には机とロッカーを完全に空け、その翌日からは休暇を取っている。給貸与品もすべて返納済みだそうだ。もう署に来ることは無いと言っていたと聞いた。娘さんが春休みに入るとすぐからヨーロッパ旅行に行くそうだ。
舞は2月末でいったん閉店。模様替えをして3月10日からチーママが経営者となって開店するらしい。ママは引退。若竹の女将からそう聞いた。部長親子のヨーロッパ旅行にはママと女将が同行するらしい。
定年退職したバカ係長も年休消化に入った。バカ係長は定年退職後の再就職先に遊技場組合を希望していた様だがその望みは叶わなかったらしい。警察許可対象業者の組合ならやり易いし給料も良いからと思ったらしいが組合から拒否されたらしい。その業界のボスは部長の友達の専務さんのお父さんらしいから当然と言えば当然。
異動が終わり新体制での業務が始まった。課長と係長も全員代わってしまったのでどういうやり方になるのか分からない。石原部長だったら誰が上司になろうと関係無いのだろうけれど、僕はどうなるのかが心配だ。課長・係長もだが、それ以上に僕の上司が。今度来た僕の上司は僕より一つ年下で初任科も1年後輩だ。機動隊で昇任試験を一発でクリア。刑事経験は当然ながら無し。着任して一発目の言葉は
『僕は警察行政を管理する仕事がしたくて警察官になりました。刑事になったのはそのためのキャリアを積むためです。』
だった。
課の歓迎会とは別に、強行三係の懇親会兼歓迎会を企画しようとしたら、
「この署の刑事一課がよく使うと聞いている若竹が良いです。」
「一寸無理です。」
「どうしてですか。」
「あそこは高級店で予算的に。」
「でも使ってたんでしょう。」
「それは石原部長が自分のお金で皆を呼んでくれていただけですから。」
「でも僕はそこがいいです。」
機動隊を出る前に送別会とは別に、同時に除隊する者だけでお別れの懇親会を開き自分が幹事をしたらしい。
「いつもお世話をしてくれている石原部長さんはどの人ですか?ここに来ることが分かっていたので請求書持参したんですが。」
「石原部長は主任の前任者です。今月末で退職します。もうここに来ることは無いそうです。」
「ええ、ああそれなら部下だった土居さんが連絡とってこの請求書処理して貰ってください。」
「はぁー。」
常識が通じない。僕が困っていると先輩が、
「上には上が居るもんじゃのう。土居が呆れとる。」
皆笑ってる。
「僕は階級的には土居さんの上司だけど、警察官としても刑事としても土居さんの後輩ですよ。」
「それなら僕は何でも部長のお世話をするべきなんですか。」
「先輩ってそういうものじゃないんですか。」
何処かで聞いたことが有る科白だ。
皆笑いをこらえきれずにいる。ここは全て断固拒否。1ミリでも譲ったら一気に侵略されそうな気がする。先輩達は、
「石原部長が、懐が広い人だったいうのを今更ながらに痛感するな。」
「ああいう人こそが上に立つべきやったな。」
「あれは土居に嫌気がさして退職したんやないか。」
皆他人事だと思って勝手なことを言っている。しかし現実として明るい未来は見えてこない。困った。
和子さんは教員採用試験に合格し、以前部長が勤務していた署がある城下町の県立高校に赴任することになった。僕が石原部長に
『自分は一人前の刑事だ』
と主張したことを話した頃から僕を見る目が冷たくなったような気がする。そのことに気が付いた僕が、
「石原部長から僕のことを聞いた?部長が僕の悪口を言ったので嫌になった?」
と尋ねたら、
「石原部長がそんなこと言うと思うの。一緒に居て、ずっと可愛がって貰っていてそんな事も分からないの。」
と寂しそうに言われた。
「石原さんそんなこと一度も言ったことないよ。ママもチーママも若竹の女将さんも専務さんも石原さんを知ってる人は皆、
『石原さんはその場に居ない人の悪口を言わない。それ以前に偶にしかその場に居ない人を話題にしない。稀に居ない人のことを言うのは褒める時だけ。』
って言ってる。秀明さん石原さんがそこに居ない人の悪口言ってるの聞いたことが有る?」
確かに無い。前強行一係長について注意をする様に言ってくれた時、悪口とも取れるようなことを言ったことが有りはするが、今考えると必要最小限で積極的に相手を貶めるような言い方では無かった。
その後距離ができ、舞のママが一度二人を食事に誘ってくれたことが有ったが、それ以来会ってない。
上手くいかないことばかりだ。でもよく考えれば全部原因は僕だな。何でこうなったのかな。
『考えろ!』『考えろ!』『考えろ!』か。




