表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
十一章〈過去からの〉
98/123

十一章《二節 消え去る》


「おーい! 離れろ!」

 深く、しっかりとした男の声だった。

「投げ入れっから、火を頼む!」

 それでいて緊迫感をほどよく緩和する、どこか軽い調子がある口調。

 

 それが何者の声であるのか、オルグレンにはわからない。

 それでも、直感だった。その言う通りに瘴禍(ミアズマ)から離れる。

 

 現れた男は人の頭ほどの大きさの何かを提げていた。

 それに結わえた紐を回転させ、勢いをつけている。

 オルグレンが十分な距離をとるのを見定めて、

「そらっ」

 それが投げ込まれた。

 放物線を描く物に、ロゼが放つ炎の矢が正面からぶつかる。

 

 瞬間――、それの表面を火が舐めあがった。

 オルグレンは腕を上げ、顔を庇った。

 地に落ちるや、男が投げ放った物が大きく燃え上がったのだ。

 恐らくは先ほど火矢に使った火口に近い物。

 ……こちらは、松明(たいまつ)の芯でも束ねたものか。熱波には灯油(ともしびあぶら)の獣臭さと、つんと鼻を刺す松脂の匂いが混じっている。

 

 一方で瘴禍(ミアズマ)は、荒れ狂った。

 明るく燃え上がった炎に慄くように、そそり立つ。

 そして、まるで恐ろしいものを打ち払うようだった。鞭のようにその身をしならせ、炎をその身で打ち据える。

 

 打ち散らされた火に目を細めつつ、オルグレンは鋼を構えた。

 黒い汚泥は、駆けてくる男を狙い、体表を変化させようとしている。彼を害させまいと、オルグレンは判断した。


 しかし、同時に魔物の体表が、もう一箇所変化を起こす。

 自分への攻撃、そうと悟る間には、――風切りが彼の耳元を駆け抜けた。

 変化し波打っていたところへ矢が突き立ち、それを潰す。


 その援護を見終わることなく、オルグレンは動いた。

 鋼を振り抜く。そして、瘴禍(ミアズマ)が、駆け寄ってきた男へ、伸ばそうとしていた触腕を刈り取る。


「いいぞ! 青年」

 駆けつけた男は、やはり場違いなほど、明瞭で朗らかな声だ。

 続けて、しゃがめと声は言う。オルグレンは従った。


 すると鋼が猛威を振るう。

 それは、長大な剣だった。魔物と戦っていた頃の特徴を残す、鋼の大剣。

 それが腰を落としたオルグレンの頭上を過ぎていく。

 そして――鈍く濁った音を立て、魔物の本体を深く切り裂く。

 大きな開口。それを塞ごうと瘴禍(ミアズマ)が身を波立たさせる。とはいえ……、空いた穴はあまりにも大きい。


 あまつさえ、

「ほーれ、オマケだ!」

 実に威勢良く。

 体液を避けて退った場所から、男が間合いに戻り、取り回した大剣で逆袈裟に切り上げる。

 刀身に設えられた持柄(リカッソ)に手を添えた、全身の力を感じる一撃。


 それが不浄の塊を大きく断つ。漆黒の汚泥があふれ出る。

 それを見て取りつつも、オルグレンは動いた。

 大剣を構え直す男へと腕を出し、彼が再度斬りかかる前に押し止める。 


 予感の通り――、目の前に黒が広がった。

 また、しな垂れかかろうというのだろう。一転して廃屋の襤褸布のように、不気味な軽やかさをもって広がる黒。

 斬りかかっていれば、呑まれていた。

 いや、今もまだ危機は去っていない。退ってはいるが、瘴禍(ミアズマ)はこちらが稼ぐ距離よりも広がりを見せていた。


 だが、火が降る。曲射された火矢が天から、魔物の体を打ち抜いた。

 そこが限界だったのだ。

 黒い形状が、瞬く間に崩壊した。

 一つの崩壊が他に伝播し、形を保てずに崩れていく。

 オルグレンと大剣の男に届くことなく、黒い汚泥がくずれ落ち、その場に降り注いだ。

 これが、――瘴禍(ミアズマ)の死。


 オルグレンは、ゆっくりと息を吐いた。

 雨か、汗か、判別のつかぬ雫が伝う顎を拭う。

 草地を燃やさないか気がかりだった炎は、魔物に叩き消されたおかげか、雨でその光と熱を失いつつあった。


 大剣の男も大きな息をつく様子だ。

 ロゼの身長ほどの長い大剣を地面に突き立て、手を振ってほぐす彼はオルグレンよりも背は少し低い。

 とはいえ、肩や胸は程よく厚く、体格はその男の方が勝っている。

 風貌は幾つも年上と見えた。しかし、表情と仕草は若々しくオルグレンの目に映った。

 麦藁のように明るい金髪に、やや緑がかった青の目。

 どこか印象的な、堀の深い顔立ちの男。


 その彼が、軽い調子に振り返る。

「いやあ、助かった。お前さんが、じいさんの命の恩人だな」

 ばあさんが呼びに来た時は本当に焦った、と続けた男が右手を差し出す。


 握手の意、そうと悟りオルグレンは剣を払って鞘へと戻した。

 手袋を取って、その手を握る。男の手のひらは、固く厚みがあり、大きい。

「感謝する。ありがとな」

 そう言って、握り返す手の力はとても強い。


 オルグレンは答えた。

「とんでもない。こちらこそ、ご助力に感謝します」

 と――、オルグレンはそれに気づいた。

 男の手の感触が、少し歪なのだ。

 それに思わず視線を落とせば……ああ、と男が気づく。


 そうして、見せられる手。

 滑り止めのさらしを巻いただけの剣士の右手には、小指の第二関節から先がない。

「半年ほど前に、ちと大怪我をしちまってな」

 そのうちの一つだと、男は言う。それは、大剣のような両手武器を扱う者にとって、あまりにも痛々しい傷のように、オルグレンは感じた。


 男の方はと言えば口元を緩めて、そして首を巡らせる。

「じいさんに聞いたんだが、連れがいるんだろ?」

 オルグレンは、はたと気が付いた。

 自分が障害物となっているのだと気付き、一歩横へと移動する。


 答えながら振り返り、紹介を口に上らせ……

「ええ。――もう一人」

 その先ではロゼが目を見張り、立ち止まっていた。

 男の方も、息を飲む音を漏らす。

「ロゼ……」

 それはかすれた、低い声だった。


 その声を聴き、ロゼが表情を崩す。

 彼は、一度強く目を閉じた

 少年が強い感情を覚えたときに見せる仕草。その後に一瞬だけ見せる、泣きそうな……だが、決して、一度として涙をこぼしたことのない、その顔。

 しかし、今は開いた目の淵が赤く染まった。

「……――っ」

 少年は一度唇をわななかせ、それでも言葉が出ない様子で口を閉じる。


 それで構わなかったのだろう。剣を置いたまま、男が駆け出した。

 そして、飛びつかんばかりの勢いで腕を広げ、彼をかき抱く。

「っ、……ゼオン」

 男の腕の中で、ロゼがどうにか呼ぶ。


 それを聞き、オルグレンは薄く息を飲んだ。

 剣聖ゼオン――それは記憶がないオルグレンでも、おぼえていた人の名だ。そして、西へと行く旅路の中で世話になった、傭兵団『猛りの尖兵』の馴染みの人物でもある。

 死神サクラスの相棒であり、ロゼのもう一人の師。そして養い親。

 白き峰々の国エーイーリィと標星の大国クゼリュスの戦争。

 その戦争で傭兵として活躍した人物であり、かつてのクゼリュスの一将……。


「よかった……。お前は、生きてたんだな。ロゼ、生きてたんだな」

 強くロゼを抱きしめ、ゼオンが言う。

 その声は震えていた。

「ゼオンも……よかった。でも……」

 父親とも呼ぶべき人からの抱擁を受けながら、ロゼは腕を下ろしていた。


 何かに耐えるように、手を握りしめている。

 それがオルグレンの目にも映った。

 でも、でも、と彼は子供のように言う。

 その先をオルグレンは知っていた。ロゼは、伝えなくてはならないことがある。相手が、サクラスの相棒であった人物であれば、尚のこと。


「でも……、ゼオン……」

「いい、知っている。大丈夫だ、知っているから」

 かつての縁で聞いているから、とゼオンが言う。

 その声はやわらかく、落ち着かせようとしてか、ロゼの背を二度叩いた。


「それに、……お前は守ってくれたんだろう? 彼女を」

 その言葉に、ロゼの肩がはっきりと跳ねた。

 オルグレンはその理由を知らない。知らないことだったが……今はただそっと見守った。


「ありがとうな。一番、辛いことをさせてしまったな。でも、お前は……あいつを最後まで守ったんだ」

 クゼリュスは結局、それらしい遺体を見つけたものの、それがサクラス当人だとは断定できずにいるのだと、ゼオンは言う。


 だから、ありがとう。

 きっと、サクラスもそう言う、と。

 ロゼが震えた息を吸うのが、オルグレンにも聞こえた。


 そうして、少年の喉から言葉にならない声が上がる。

 何にも縋らず耐えていた手が上がり、……ゼオンの背を強く、握りしめた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ