十一章《一節 西へ北へ今より先へ》2
目標である、交通の要所リリートゥはまだ遠い。
それでも近づくにつれ、また見える光景に変化が生まれた。
街道には荷馬車や駱駝の商隊が進んでいる。
あるいは背負子で大荷物を背負ったもの達の往来が増えていた。
彼らは武器を提げ、或いは武装した者達が随伴し、装備には魔物避けのきらめきが当然のように輝いている。
彼らの中にそっと混ざるでもなく歩き、目立たぬようほどほどの頃合いを探す。
見定めて、オルグレンはロゼの肩に軽く触れた。彼が小さく頷き、流れからそっと逸れ、共に大きな街道を離れる。
街道から離れて少し、
「一先ず、北か」
外套を目深にかぶったまま、オルグレンは呟いた。
本当であれば先ほどの街道を進み、西に行きたい。
西に行った先にあるリリートゥは、クゼリュスの影響が強いという噂ではあるものの、目標の地アィーアツバスの領土なのだ。
であるが……問題は、いつか遭遇した傭兵団の存在だった。
あれの正体は、キグナの仲間であったザラハからある程度の話を聞けている。
彼は出稼ぎで街の門兵をしていたのだ。
そして街への出入りを司るその立場から、傭兵団の一派から協力を請われ、多少のあらましを聞いたのだと言う。
曰く、リリートゥ経由でやってきた、クゼリュスに雇われた傭兵たちである、と。
いくつかの傭兵団にオルグレンの容姿が伝えられ、確保し届けた者に、高額の謝礼が約束されているとのことだった。
有象無象にまで知れ渡るようなやり方ではないが、腕に覚えのある者たちが、幾組か動いているらしい。
であれば、このままリリートゥへと入ることは危険に他ならない。仕掛け罠にそのまま踊りこむようなものだ。
ならば、街には入らず抜け道を探すしかない。
ここで道は、二択となる。
北側に進路を取りリリートゥを迂回するか、南側に迂回するか。
この状況で北側はクゼリュスに近い。
一方南はクゼリュスからは遠ざかるが、砂漠超えが必要となる。
野営の度に頭を寄せて悩んだ末、進路は北に取ることとした。
やはり砂の海原という歩き方を知らぬ土地を渡るのは、避けたかったからだ。
一路北へ、そこでアィーアツバスへと抜けられる道があるかは、また地道に探すしかない。
西へと抜けるため一路、北へ、北へ。
どこまでも広い景色に、はっきりとした大地の隆起が現れる。
その景色を幾日か進み、――今は空に黒いような雲が広がっていた。
実に久々に見る、雨を思わせる雲。
大筋の街道を離れきった景色には人影もなく、荷駄を満載した驢馬と、それを率いた溌剌とした雰囲気の老いた夫婦が徒歩のこちらを追い抜いていったきりだった。
「……あれ?」
不意にロゼが呟いた。
オルグレンが振り返る間に、ロゼが外套を跳ね上げ顔を晒す。
その上で、風の匂いを嗅ぐように顔を上げた。
ロゼが何を感じたのか……。騒めくようなものが胸に沸き、オルグレンも彼と同じ方へと顔を向けた。
そうして顔に受けた風にあるのは、雨の気配。そして、僅かに据えたような不快がある。
どちらともなく顔を見合わせ、先にロゼが口を開いた。
「瘴気かな? 瘴禍かな?」
「……とりあえず、避けるか」
万が一を考え、顔を寄せ小さな声で話し合う。
曇ってはいるが昼間だから……と、誰しもが考える甘えた見積もりは許されなかったらしい。
そうと踵を返そうとし――途端、風鳴りに人の悲鳴が混じるのを聞いた。
何かが、起こっている。
そうだとして、関わるか否か。瞬時に思考を巡らせる。
躊躇がない、と言えば嘘だ。
しかし、と考えを決め、
「……無視はできない。行こう」
オルグレンはロゼに伝えた。
決めれば、身の軽い彼が先に動き出す。その背を追い、オルグレンも走り出した。
見えていた丘。そこから駆け降りてきた驢馬を避け、入れ替わりに駆け登る。
すると、その光景が現れた。
そこにいたのは、少し前に先に行った夫婦と驢馬の一行だ。
地面に散らばる、驢馬が振りまいたと見える荷駄。
それらに紛れ、夫の方が地面に倒れている。
妻の方は彼を助けようとするが……、近づくに近づけない。
その理由は――老人のそばに黒々とわだかまっている瘴禍のせいだ。
二人は魔物と不意に遭遇したらしい。
そして驚き慄いた驢馬に、地面へと放り出され老人が気を失ってしまったか。
オルグレンの目には状況がそう映った。
概ねを把握し、道の脇に自分の荷物を放る。
「俺が助ける」
「うん。君の身は、私が守るよ」
同じように荷物を降ろしたロゼが矢を構えた。
少年が言ってくれた言葉に、オルグレンは思わず微笑んだ。そうして笑みを交わし合い、駆け出す。
オルグレンは走りながら、自身の剣を引き抜いた。
薄い陽の光を刀身に当て光らせる。とはいえ、曇り空だ。空に広がった雲に遮られ、さほどの輝きとはならない。
魔物を怯ませるほどの光は得られず、ただ闇色の体表がうごめく。
退く気配はない。
ただ……勘であるが、外敵と認識されたような敵意を感じる。
黒の汚泥が波打つ。
倒れ伏した老人に駆け寄りながら、オルグレンは腑に冷たいものが宿るのを感じた。
もしその体表が、槍のように変化して突き出てきたとして……防げるかと言えば、それは運でしか語れない。
槍と見えても、自在に変容するそれが槍のままで居てくれるか分からないからだ。
そして、その漆黒の槍に貫かれた時点で、飲まれることもあり得る。
手足を奪われるのは、丁度そういった場合が多い。手傷を受けた場所が飲まれ、食いちぎられたようになるのだ。
覚悟を胸に溜める間に、黒い塊の表面が蠢いた。
盛り上がり、オルグレンの目の前で変化をする。
と――、弓弦の音。それが力強さをもって鳴る。
風を貫き飛翔した矢が、瘴禍の体表を裂いた。
得も言われぬ、耳を刺す笛のような捻くれた音。
魔物の悲鳴が上がる。
絶叫とともに巨体が震えた。
そして塊の意識が動く。痛みを与えた、白い流れ人へと。
魔物には目も鼻も、頭さえないがオルグレンは、そう感じた。
彼へと注意が向いた、この隙しかない。
駆け込み、倒れ伏した老人の脇に膝を着く。
やはり老人は意識がない。
その翁が身体を打っただけなのか、頭を打っているのか、一見しただけではわからなかった。




