十章《五節 二律背反》2
無数の灯明に浮かび上がった影が震え、オルグレンはロゼが肩を跳ねさせたのだと感じた。
それを視界の端に捉えつつも、オルグレンは狼 竜の方を見た。そして、言う。
「解脱、だな。ザラハから、少し話は聞いているが……貴方の口から聞きたい」
そのオルグレンの求めにキグナが答えた。
話の触りはザラハが語ったものとさほど違わない。
つまり彼が切望しているのは、神が与え給うた役目からの解放。
言葉が続く、
「我達の死は、神に与えられた力が尽きた時と、瘴禍に殺され、魂ごと不純なるものに侵食された場合だ」
キグナは砂のように乾いた、淡々とした口調だった。
「……それ以外の死では解放は得られない。神に与えられたお力が、常に我達を元の状態に保とうとする」
器を失ってなお、魂だけを保たれてしまう。
そして、身体のない仲間たちの物悲しい気配……。それを感ずることがあるのだ、とキグナが話す。
いつかそのお力の加護も薄れ消え去るのだろうが、それまで世に混ざれず、気が遠くなるほど幾年も永く、独りで……、と語る声は静かだった。
「……故に、解脱――つまり解放されることを望んでいる。それは役目を終えたという勲章であり、世に混ざり迎合できるという慶びとなる」
――故に求めている。
そして、求めてしまった。
解放の者――ロゼの意志や願いを無下にし、苛んでも、と。
言い終わったキグナが口を閉じる。
彼らはあまりにも哀しい……、オルグレンの胸にはそんな言葉が浮かんでいた。
無論、それでロゼに対する行いを許容しようとは思わない。
だが……、まるで永遠の奴隷のようだと感じる。
神に仕え、人間に仕え、永遠の奉仕と役割の履行を求められる者達。
オルグレンは、深く息をした。ツァーカの乾いた空気が、息の臓器の中にいきわたる。
いつの間にか息をつめていたのだ。
そうと自覚しつつ――ふと、それが彼の目に映った。
「……ロゼ」
ロゼが自身の両腕を抱くようにして、強く握っている。
「――責める意図はない。……すまない」
キグナの言葉は、まるで自身も痛みを覚えているようだった。
それへロゼが髪を揺らして首を振る。
「違うよ……、……悪いのは、私だ」
「……ロゼ。酷だとは思うが、次にお前の話を聞かせて欲しい」
何故、嫌がっているのか。その理由を、とオルグレンは言った。
そう聞きながらも様子は見る。無理はさせたくないのだ。
……変調をきたすようであれば、その前に休ませたい。
ややあって……
「……私は、ね」
ロゼが口を開く。
少し震えるような声だが、それは確かな言葉を紡ぎはじめた。
「始まりの種族、弟妹なる者――鷲獅子を家族として、育ったのだよ」
話すロゼの目はどこかを見ているようであり、また遠い別の場所を透かし見ているようでもある。
「早くに親を亡くしたから……、彼らが父であり母であり、兄弟だった。私は……鷲獅子が、とても好きだった。あたたかくて、優しくて……」
喉が細るような声となり、少年が息を継ぐ。
広間の中では、どこからか風が舞い込んだらしく、小さな灯火たちがゆらりと揺れた。
「……他の始まりの種族のことも、彼らから聞いた。大事な仲間だと言っていた。思い出を聞いたこともある……」
ロゼの目が、キグナの方を向く。
「だから……。……とても酷いことを言っているのは、わかっている。……教えてもらった。でも、」
どうにか言い出そうとする少年は、自身の腕を握りしめて言う。
「……それでも、生きていて欲しい。消えて欲しくないんだ。生き残った、他の始まりの種族達にも。この集落の人に慕われている、キグナにも」
だから、ロゼは解放の者として振る舞えない。
オルグレンは理解した。
彼の言葉からは、鷲獅子を――始まりの種族達を何よりも大切にしていることが、胸を刺すように感じられる。
その上で、オルグレンは考えた。
始まりの種族の切望も、ロゼの願いも全てわかる。
世を去りたい、解放されたい始まりの種族達と、彼らに生きていて欲しいロゼ。
双方、水と油の様に反して合わさらない願いだ。
であれば、……どうするか。
「……解放の者について、聞いてもいいだろうか。ロゼ以外になることはできないのか?」
オルグレンは問いを、キグナへと向けた。
「難しい、と思う」
一言だけを言い、金色の瞳がロゼを見る。何かを確認するように。
それに答えて、ロゼが唇を開く。
「……私は、」
言おうとしながら、彼はまた少し黙った。
口元が震えるらしく、少年は唇を噛む。
それを見、オルグレンはやめさせようと言葉を口にしかけ――しかし、ロゼが挙げた片手に止められた。
「……私は、五年前。死んだんだ」
「な……」
思わず、声を漏らした。
信じられない言葉に、言葉を失う。
彼が言ったとおりであれば、今こうして存在する少年は一体何なのか。
オルグレンは、ロゼを見た。
その姿には、やはり皮膚一枚違う場所に居るような雰囲気が漂っている。




