十章《五節 二律背反》1
「……もう我の方から、解放の力に触れないことを誓う」
キグナが、先ずそう言った。
大部屋……集会場と言ってもいい。
壁に掘られた小さな穴や、台の上にある灯明皿、蝋燭に火が灯されていく。灯油も蠟燭も、植物から作られたものらしく、わずかな白煙と共に、温度を感じる香りが揺らいだ。
小さな明かりたちに照らされたそこは、広く静かな空間。
床は色彩こそ乏しいものの、丹念に織られた毛織物の絨毯が敷かれている。
大穴の底――その周囲の横穴にある部屋だ。
対話を、と。
オルグレンは自らそう言った。
そして自身の提案であるそれを行える場所を求めて、住人たちに願った。
その結果、案内されたのが、集会に使うというこの部屋だ。
そこにあった座を寄せオルグレンは、キグナとロゼと共に車座となって腰を下ろした。この場へと案内をしてくれたザラハは、明かりを灯したあと、いつの間にか静かに部屋を辞してくれている。
そうして落ち着いて――まず、口をきいたのがキグナだった。
ロゼの意志を無視し、役目を果たさせるようなことはしない、と。
それを聞き、オルグレンは少し肩の力を抜いた。
先ほどは止めに入ることができたが……キグナが本当に、無慈悲に振る舞うのであれば、やりようなどいくらでもあるのだ。それを自らの口で行わないと、誓ってくれた。
もちろん、口ではそう言いながら……という疑念もないではない。
オルグレンがちらりと目を向けると、ロゼが小さく頷いた。
「彼は、もうしないよ。……その、……君は精神感応、こころの繋がりを知っているんだね……?」
僅かに口ごもりながらロゼが言う。
オルグレンが頷けば、少年が目を伏せた。
そして続ける。
「……私はそれをうまく扱えないけれど。……ここ数日少し練習したおかげで、こころの雰囲気みたいなものが分かる。彼が言っていることは、本当だよ」
やはり明かすことは躊躇う調子だが、ロゼが言い切る。
それを感じつつ、オルグレンは彼に顔を向けた。
「……わかった、俺もそう信じる。だが、話す前にまず聞きたい。ロゼ、お前は元気か? 苦しくないか?」
問う。
それへの返答は、案の定……
「……大丈夫だよ」
何でもないよ、問題はないと、ロゼが答える。
聞いて、オルグレンは少し沈黙を置いた。
再開時点でも優れなかった顔色は、ここまでの出来事での疲れが出たかさらに悪くなっている。明かりのせいか、頬が少しやつれた印象だ。
オルグレンは言った。いや、言い直す。
「悪いが……今日から、今ここから、誤魔化しはなしだ」
これには、ロゼが眉を寄せた。
構わず続ける。
「今回の件で、俺はお前とちゃんと話せていなかった事を悔いた。お前の事を、何も知らなかったんだとな」
「…………でも、……」
短く、ぽつりと言ったままロゼが黙る。
「言ったところでどうにもならない。きっと重荷になる、迷惑をかける……」
オルグレンはぎょっとその方を見た。それを言ったのはロゼではない。キグナだ。
「――意趣返しだ」
彼はそれ以上口を挟むつもりはないらしく、肩だけをすくめる。
オルグレンは、一度息をついた。
ロゼが思わぬところから受けた反撃に、顔をしかめている。
ロゼとキグナを視界に映し、オルグレンは始まりの種族の意思のやり取りの仕方を、少し恐ろしく思う。
とはいえ、今はこの上ない助けであることには違いない。
「――もしも、彼が言った通りなら。ロゼ、それは違う」
オルグレンは告げた。
少年がそう感じているのだと、ようやく知ることができたからだ。
「確かに、わからないかもしれない。あるいは、共に苦しむだけかもしれない。――だがな」
オルグレンはしかとロゼを見て言った。
「分かち合いたいんだ。それに、俺は、無手だ。帰りたいという衝動はあれど、過去も何も……荷物を抱えていない」
一度言葉を切り、ゆっくりと告げる。
「だから――、分けてくれてもいいだろう?」
オルグレンはそう伝えた。
「すぐにすべてを言ってくれ、とは言わない。だから、まずは小さいことで構わないから聞かせてほしい」
ロゼは、やはり沈黙する。
唇を内側から咬むようにして黙り……長いような短い時間の後、彼は大きく息を吐く。
「……三日ほど前まで、熱がでて寝込んでいたのだよ。もうだいぶ良くなったけれど、まだ前のように動けないね」
キグナ達に介抱をしてもらった、とロゼが言う。
どこか報告のような言葉だった。
「すこし体に重さがあるけれど、辛いというほどではないよ」
言い終わって、ロゼが視線を上げる。こういうことかと、尋ねるような少し頼りなげな顔だ。
それへ、オルグレンは大きく頷いて返した。
「ありがとう。――これからしばらく話をしたいが、体が辛いようなら言ってくれるか?」
ロゼが頷く。それを見やり、オルグレンはキグナへと向き直った。
キグナの方も僅かに居住まいを正す。
そうしてまず、オルグレンは先に口を開いた。
「初めに聞きたい。狼 竜キグナ」
対話をと向き直ったものの、呼びかける声は隠しきれない硬さを帯びてしまう。
それを承知でか、だが構うことなくキグナが応じた。
「――何なりと」
「ロゼの事は、解放してくれるということでいいか?」
もう危害を加えないか、と。
オルグレンが初めに問うべきと、考えたのはそれだった。
問われたキグナは、金色の瞳を床の方へと這わせる。
その沈黙は迷いよりも、何か整理をつけるようなものを、オルグレンは感じた。
「解放する。そして、約束しよう。危害は加えないと」
しっかりとした言葉。
それを言い、キグナが顔を上げる。
「だが、我たちにも事情があった。それだけは言っておきたい」
静かな、だが深い意志のある言葉。
その中で無数の灯明に浮かび上がった影が震え、オルグレンはロゼが肩を跳ねさせたのだと感じた。




