十章《四節 強行》3
「ロゼ、お前が願ってくれていることを、嬉しく思っている。それでも――」
強制をもって自身の方から働きかけ、解放の者の力に手を伸ばす。
そうしながら、キグナは言葉で言った。
「一つ、知ってほしい。確かにお前の力で、我たちは消える。しかし、それが齎すのは死だけではない」
慶びなのだ。
神から賜った役目を確かに終えたという。
そして、神から与えられた力からも解き放たれる。
そうすれば、地に還り、いつか野の花や木、虫、そして獣、何より人間に生まれ直せるかもしれない。
自分たちがただ遠巻きに見ることだけしかできなかった、あの生き物たちの輪に入れるかもしれない。
生まれて、成長し、老いて、死ぬ。
……今の在り様のままでは、近づけぬその輪の中に。
「い、……、」
嫌だ、と体ごとで逃れようとしてか、体を折ったロゼが言う。
拒絶は繋がりからも感じられた。
拒否と、始まりの種族こそ生きていて欲しいという切望。
その願いと、想いの中――
幼い頃に実の家族を失った、その子供のこころが伝えてくる。同郷の者に育てられながらも、どこかにある凍えるような心地。
それを癒した弟妹なる者の、白銀の翼。
この鷲獅子は思い出であるために、そのこころを汲み取ることはできない。
だが、キグナには分かった。
弟妹なる者達が子供に対し、どれほどの想いを持っていたか。
無償に自分たちを慕ってくれる子供。
その存在を、どれほど愛おしいと感じていたか。
小さな存在への態度がすべてを物語っている。
子供を包む翼、鋭すぎる鉤爪に決して触れさせまいとする態度、子供の一挙一動を見守る、春の木漏れ日を宿したような瞳。
こころを読み取らずとも、 悲しいほど穏やかに感じられる。
姿形の異なる家族――
キグナは思った。
与えられた役割からではなく、自分も本当に兄弟――家族として在りたい、と。
胸の奥底からの願いの中、こころの繋がりの中で手を伸ばす。
その先にある、白い子供の核――魂とも言うべき部分。
それは、キグナにじんわりとしたあたたかさを感じさせた。
人と始まりの種族の魂が混ざり合ったことで、神の理が刻まれてしまった魂。
触れようとかざした手の輪郭が曖昧に滲んだ。
これに溶けて消える。解放される。キグナの胸には一抹の悲しみと、歓喜が沸き上がった。
そして――これは、恐らくは、つながりを通してロゼにも伝わることだろう。
悲しみだけではないのだと、自身の消滅を通してキグナはロゼに伝えたかった。
だが――、
「ロゼ!」
その声。
力強く打つような声の響き。
途端、繋がりの世界に亀裂が走る。
同時、有無を言わせぬ現世の荒々しさ。それがキグナに襲い掛かった。
腹を打つ、重み。
予期していなかった力に大きく体勢を崩す。
どうしようもなく地面に座り込み……キグナは見上げた。蹴り飛ばした足を戻しオルグレンが、ロゼを庇うように立っている。
それに顔をしかめつつ、キグナは次に両手を見た。座り込んだ際に地面と擦れた、手のひらが痛む。
つまり――自身はまだ存在してしまっている。
キグナは、四肢から力が抜けるのを感じた。腹を決めて成した結果が、……これなのだ。
何ということだと、息を吐く。
キグナは、もうこれ以上先のことなど考えていなかった。
この先も続く永劫の苦しみのことなど、考えたくもなかったのだから……。
「……キグナ様!」
ふと、呼ばれてキグナは顔を上げた。
いつの間にか、だった。
「ああ……、キグナ様」
「キグナ様」
家の中に控えていろと命じたはずの住人達が、いつの間にか大穴の底に出てきてしまっている。
まだ、幾人もがこの場へと駆け寄ろうとしていた。
彼らとは、既に密かに別れの挨拶を交わした後なのだ。
互いに納得していたはずが、皆それぞれに顔を覆っている。
口々に、よかったと囁いて――。
面持ちを暗くしながらも、解脱の意思を尊重していてくれていた者たち。
彼らが、キグナが存在し続けていることにあたたかい涙と、喜びの声を漏らしてくれている。
しかし、不意にざらりと地面を踏みしめる音が鳴った。
「……」
音の主はオルグレンだ。
苦し気に肩で息をするロゼを支え、その青年は厳めしい表情だった。
今までにキグナが解脱を得るために強行したこと。
これに対し、彼は強い苛立ちと怒りを持っている。そうと読み解くことは難しくない。
現に今も……。ロゼに何か無理強いをしようとしたことを理解しての事だろう。オルグレンの視線は鋭い。
「……すまなかった」
その彼とロゼへと向け、キグナは正直に言った。
やるべきではないことを、犯してしまったのだから。
一方で、オルグレンは目に強い色を浮かべたままだ。
――当然だ。キグナは思う。何をされても文句は言えない。
そうと思えば、青年が提げる長剣が目に入った。
いよいよと、自身もそれの錆となるときが来たのだと思う。そして、解放は永遠に来ないものとなるのだと悟った。
鋼に裂かれた始まりの種族には、安寧は訪れない。その事をキグナはよく知っている。
「……ありがとう。下がってくれ」
キグナは自身の存在を喜んでくれた者達に言った。
集落の者たちには悪いが別の終わりを迎え、自身がしでかしたことの罰を受けなくてはならない。
青年との間に立とうとする者たちに、キグナは不要だと首を振った。
大人しく、斬られよう。
だが……青年は、握りしめた手で剣を取ることはなかった。
感情を押し殺そうと言うように、一度深く息をする。
「オルグレン……」
そんな青年の様子に向けてか、ロゼが自身の足で立ちながら小さく名を呼ぶ。
その子供へ気遣うような視線を送ったあと、オルグレンがキグナを見た。
「……事情は少し聞いている」
彼は言葉を続ける。
「それでも俺は、ロゼがああまでして嫌がることをさせたくない」
言って、青年が無造作に近づいてきた。
「そして彼が悲しむことを知っていて、貴方を排除することもしたくはない」
青年が手を差し出す。
それをキグナはただ見つめた。手を延べているのだと気付き……ただ戸惑う。
「対話を。何かより良き道を探る手だてはないか、探り合うことはできないだろうか」




