十章《四節 強行》1
巨石が作り上げた迷いの路を抜ける。
さらに洞窟を抜けると、その先には光があった。
砂嵐が去った空から、目を突き刺すような明るさが降り注いでいる。
影から光の方へと歩き出し、オルグレンはぐるりと辺りを見渡した。
ザラハにより案内された集落。
キグナという始まりの種族を信奉するその場所は、独特の有様だった。
大地が陥没した深い大穴と、その壁面を利用した回廊、そして住居となっているという横穴。戸口に掛けられた赤茶けた布からは、住人達が隠れるようにして顔を覗かせている。
それらの視線……
オルグレンには、それが自身に対する怯えのように感じられた。
ロゼを連れ去った先の住人達が、威圧するでも、脅すでもなく、ただ隙間から様子をうかがっている。
そこには敵意のようなものはなく……眉を寄せるしかない。
ここにあるものは、オルグレンが覚悟していた物とは違う。鋼も、血も、暴力もない。
友人を手ひどく連れ去った者たちの仲間であることには、間違いないはず……だが、オルグレンは心に揺れを感じた。
いったい誰に対して、怒ればいいのか。
そう考え――、やがて視線はしかと定まった。
陥没の底――その中央。
上から差し込む日差しを受け、立っている人物が居る。
腕を組んで立つその男は、燃え立つような朱髪をしていた。
槍は持っていない。
それでもまっすぐに立つその姿は、武器を持っているのと同じだ。刃を向けあったときと同じ緊張感をオルグレンに喚起させる。
キグナ――その名を思い浮かべると同時に、オルグレンの手は剣に伸びそうになった。しかし、その衝動をどうにか押しとどめる。
朱髪の男に今のところ、動きはない。
彼の持つ神秘……神に与えられた力。それを行使しようとする揺らぎも見られなかった。
それを使われることがあれば、オルグレンには対抗ができない。
であれば、近づき不意を突くしかない。
とはいえ、キグナの立ち姿に隙はなく、練達した武人のそれだ。
ならば……、何も抵抗ができないにしても間近で、思い浮かぶだけの呪いを視線に込めてやろう。オルグレンの腹積もりは、そうと決まっていた。
故に、少しでも近づいておかねばならない。
オルグレンの内心とは裏腹に、長剣の間合いに入っても、キグナは動かなかった。
ただ視線を向け……
「……よく来た」
一言だけをキグナが発する。
何を、とオルグレンは拳を強く握りしめた。
ザラハの案内を、彼自身が是とした以上返答に間違いはない。
それでも、オルグレンは忘れていない。
あの日以来、片時も。あの光景を。内心を凪がせようと試みるも、オルグレンの目にその男はやはり敵として映った。
キグナという始まりの種族は、こちらを害してきた存在なのだ。
冷静になろうと努めつつ、それでも腹の下のあたりに力が入る。
と―― 、
「オルグレン……!」
その声が聞こえ、オルグレンは息を短く吸った。
判断をする前に、その方を仰ぐ。
そうして、目に映った者……。
オルグレンは目を細めた。
木を組んで作られた回廊の二階に、いつもの旅装束で武装した小柄な姿がある。薄紅色の双眸が驚いたように見開いていた。
オルグレンも同じだ。目を喜びに見開いた。
そして応えて呼ぶ。
「ロゼ!」
後は、走った。この瞬間、敵がいることを忘れた。
ロゼも走り出している。
彼は回廊の階段に視線を向けながらも、手すりを乗り越えて跳ぶ。
いつもするように、うまく地面に降り立った。
だが――ロゼの足がつんのめる。よろけ、それでも走ってくる。
そうして勢いのまま足を動かそうとし……、だが意思に反し、膝が抜けてしまったらしい。その地面に飛び込むように前のめりとなった両肩を、オルグレンは掴まえた。
細いようで、よく鍛えられた肩の感触。
目の前の少年は、確かに手で掴むことができ、両足で立ち――息をしていた。
さほどの距離を走ったわけではないにも関わらず、息を整えるようにしている。上下する肩からは、万全の体調ではないことが窺えた。
それでも、無事で目の前にいる。
ロゼの手がオルグレンの両腕を掴んできた。そこには、存在を確かめてくるような強い感触がある。
オルグレンは深奥から、暗い強張りが抜けるのを感じた。
大きく息を吐く。よかったと、さまざまな感情の果てに、その言葉が胸に滲み出る。
しかし、そうと告げる前、だった。
ロゼの表情が変わる。
「君は――!」
強い語気と共に、掴まれた腕ごと揺さぶられ、オルグレンは目を見開いた。
「なんで……っ」
息が整わぬままのロゼの言葉が途切れる。一瞬、オルグレンは意味を理解しかねた。
ロゼが引き攣れた声で続ける。
「……なんで、西に……! ――どうして、」
なぜ西に行かなかったんだ。
どうして、ここに来たのか。
そうと汲み上げ、オルグレンは手のひらが熱くなるのを感じた。
心音が一つ、強く鳴る。
「お前が……」
オルグレンがそう口にした――途端……
ロゼが強く目を閉じるようにした。
そして、俯く。
「――ごめん」
オルグレンの腕をつかみながら、少年はうなだれるような格好だ。
あまつさえ……
「……私は君の邪魔をしてしまったのだね」
一言。
オルグレンは、強く重くため息をついた。
少年の考え方はそうだ。いつだって自分を気遣い、目的を果せるよう一番に尽力し、何を置いても西に行けと言ってくれる。
だが、――そうじゃない。
違うだろう、と胸から突き上げてくる意志で思う。
オルグレンは息を吸い込むと同時、少年の両肩を揺すり、上を向かせた。
そして、――
そこへ額を落とす。
ごっと、固い音がした。
音よりも痛みが駆け抜け、同時に視界に火花のような光が散る。
ロゼの悲鳴のような声を、オルグレンは聞いた気がした。そうであるものの、額を打ち合わせた衝撃で聞き取れてはいない。
身長差のせいで勢いがついたか、思った以上の痛烈な感覚に、オルグレンは起きながらにもう一度目覚めた心地を感じた。同時、相手へも目を覚ませと望む。
そのまま、オルグレンは黒い旅装束の襟をつかんだ。
引き、強引に自身の方を向かせる。
ロゼは、ただただ驚いたような顔だ。
そこへ、
「馬鹿を言うな! これは俺の意思だ!」
オルグレンは強く発した。ロゼが短く息を吸うのが聞こえる。
「それともお前は俺を、友人を置いて先に行くような者だと思っているのか!?」
はっきりと、感情を乗せ――
「見くびるな!」
信じてくれと、痛烈に、熱感さえ伴って願う。
オルグレンの目の前で、ロゼがもう一度、強く目を閉じた。
「…………」
そして、俯く。
それ自体は先ほどと同じだが、……ロゼが何かを飲み込むように喉の奥を鳴らす。
「……――っ、ごめん。――ありがとう」
少年が顔を覆うのを見て、オルグレンは手を離した。
そして、表情を消しロゼを背に一歩踏み出す。彼は近づいてきた気配に向き直った。
他でもない、狼 竜――キグナに。




