十章《三節 キグナ》3
「――そういえばさっき」
ロゼが言う。
「鷲獅子のことを思い出していなかったかい?」
子供は茶を飲み、少し落ち着いた様子だった。
「分かったのか?」
逆に問う。思わずそう口にした。
キグナは今、ロゼに心を落ち着け、集中することを教えている。
まだ体の調子が戻りきっていない状態で、できることなどたかが知れているからだ。
故に、きちんと教えることにした。
精神感応と、鷲獅子から受け継いでいるかもしれない力の使い方を。
ロゼはキグナが思う以上に、集中する事に慣れていた。
心をどこまでも細く尖らせ、その中へと落ちていくことは、人間にはできないと考えていたことを、改めざるを得ないほどに。
「少しだけ、だけどね。……感じられたよ」
「……そうか。ならば、少し試すか」
ロゼの返答を聞き、キグナは居住まいをただした。
胡坐を組み、背を伸ばす。
その仕草で察したらしいロゼも背を正した。
「無理はするな、落ち着いていろ」
言ってキグナは自身も心を落ち着けた。
そして見えざる意志をロゼへと向ける。
こころの繋がり――、精神の糸を繋ぐ。
その中で心を凪がせようと言う試みが、キグナにはっきりと伝わってきた。
だが、
「……、……っ」
すぐに子供は苦しそうに眉を寄せる。どうにか堪えようと身を強張らせるのを見て取り、キグナは接触を解いた。
「負担になるようだな。やはり……我達とは異なるから、か」
或いは慣れていないからか、と考えつつ腕を組む。
思い返せば、ほかの始まりの種族との精神感応にはない違和感があるのだ。
なにが異なるのか、その考えと共にキグナは口を開いた。
「お前はどういう風に感じて……、なんだ?」
問いかけようとし、途中で片眉を顰める。
見れば鷲獅子と同じ薄紅色の瞳が、少し開き加減となっていた。
表情を見ずとも、こころを繋げずとも、近さ故にこころの表面は伝わってくる。
そのこころにあるのは、小さな驚きだ。
「……その、……考えてくれるんだな、と思って」
ロゼが言う。キグナは更に眉を顰めた。
「当たり前だろう。お前がどこかで、他の始まりの種族と会えば、当然これを使われるぞ」
お前はその度に苦しみたいのか。
耐えたいのか、馬鹿者が、とキグナは唇を曲げた。
とはいえ、ロゼから湧き上がるのは軽い否定だ。
事実、白い髪を揺らして首が振られる。
「そうではないよ。あなたたちは、もっと超然として叡智ある人だと思っていたから……」
なるほど、と思いつつキグナは小さく笑った。
ロゼが直接に対面した始まりの種族は、幼いころに交わっていた鷲獅子と、最近接触したというタロトに住まう精霊母だ。
彼が鷲獅子を家族と慕い暮らしたことは、以前にこころの繋がりから垣間見ている。幼い時分に見る長命の種は、さぞかし全能として映ったことだろうとキグナは察した。
そして、精霊母……彼女たちは世俗に身を寄せながらも、あまり世と交わらないため浮世離れしたところがあると知っている。
「あまり人と変わらんさ。笑いもすれば、泣きも、悩みもする……無論、失敗もな」
俺の失敗は体験したな、とキグナは言った。
そしてロゼの同意と否定の間のこころを感じつつ続ける。
「こうして、器の身の姿でいるときには、よけいに人間と同じだ」
そう言って、自身の胸を示した。
「確かに、神より頂いたお力は、この器の姿であっても、我たちの身を強く一定に保たせようと作用する。それでも、怪我もするし、病みもする。力も技も体力も、すべて人と変わらん」
研鑽すれば伸び、怠ければ衰える。
そして、キグナは口にしないままに思う。
鋼に斬られれば、赤い命を流し死ぬのだ、と。
すると、ロゼが顔を顰めた。
やはりただ浮かべたものを感じ取るだけの、淡い感応であれば、負荷は軽いらしい、とキグナはその反応から、心の端に思いつつ……
「無論、得手不得手もある。しかし、頂いたお力以外は、何も変わらん」
言い終わると、ロゼが滴下のように言葉を落とした。
「違うのは、幼 神から頂いた力のみ……」
「……ああ。恐らくだが、それに耐えられるように多少は器の形が違うのかもしれんが、それほどは変わらんだろうな」
キグナは肩をすくめて頷いた。
鷲獅子の生き写しの子供は、視線を落とす。
頭の中で何か思いを巡らせているのだと、キグナは感じた。
それは、ロゼ自身がまだはっきりと捕えきれないもののようで、霧のようなもやもやとした手探りの感覚を彼に伝えてくる。
こころを繋げれば、この子供が何を考えているのかわかる……そうと知りながら、キグナはそれはしなかった。
繋げれば、先ほどの二の舞だ。思考の方を消し飛ばしかねない。
口元に手をやり、ロゼは黙っている。
その顔をキグナは目に映す。そうしながら、彼もまた思考を巡らせた。
思い出すのは精神感応の際の感覚だ。キグナは子供とのそれに違和感と、抵抗を感じていた。
違和感は他の始まりの種族との交信にはない、水が移動するような感触だ。
満たされた器同士がつながろうと、中の水がさほど動かないのと同じように、多少の揺らぎはあれど凪いでいるはず。
それが、まるで空の器の中に水を注ぐような、どこまでも吸い込まれてしまうような危うい感触がある。
それが何を示すのか、キグナには心当たりがなかった。
そして、抵抗。ロゼから感じる心の気配だ。子供の気配は身を固くし、消える前の蝋燭のように明滅する。これをキグナは、他の始まりの種族達との交信では感じたことがない。
いや……、とキグナは顎に手をやった。
精神感応の感触には、種族によって僅かに差異がある。
癒しを持つ精霊母は微睡むように心地よく、浄化を持つ鷲獅子は澄み渡った新緑の様な清浄を感じさせる。
そして、父なる者――万象父との際には、硬さが感じられた。
この中で、キグナはぐんと後ろに突き飛ばされるような感触を覚えることがあった。
それは、万象父と精神を繋げる時のものだ。
同じ始まりの種族ではあるものの、父なる者には、その性質からか他にはない圧力のようなものがある。
その圧倒的な存在感に身構えて、こころを繋げると立てた衝立を吹き散らされるような感触があるのだ。
これを万象父側から見るのであれば、狼 竜が明滅とまで行かずとも揺らいだように見えるのではないか……。
キグナは思考を探った。
子供は異様と思えるほど、精神感応に対して身構えている節がある。
先ほど露呈した特別な存在であると言う、神聖視にも似た感情もあるのだろう。
それ以上に……、恐らくは怯え身構えすぎている、そうと至る。
「…………」
気付き、口を開きかけ――、キグナは一度唇を結んだ。しかし、ロゼの方が揺らぎに気づいたらしく、視線を上げる。
その鷲獅子に似た瞳を見、
「……いつか」
キグナは、ぽつと言った。
「いつか、この先でいい。お前が親しく感じる者のように、始まりの種族のことを受け入れてくれ。恐らくは、それで負荷が少しは変わるはずだ」
必死に身を守ろうとしなくとも、自身を害さないのだと受け入れてくれればいい。
キグナはそう言いつつも、顔に苦いものを浮かべた。
見上げてくるような、何か問うような薄赤い目から、視線を逸らす。
見ることはできない。
キグナが己の中で決めている事は、この末弟の望みに反することだと分かっていた。
とはいえ、一瞬の裏切りとなったとしても、伝えたい。
だから、この先、起こす出来事の後で構わないから、と。
言葉には出さず、彼は胸の奥底だけで呟いた。




