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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
十章〈兄姉なる者〉
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十章《三節 キグナ》1


 神――すなわち、幼 神(エル・ツァイル)

 彼女の遊び場であるこの世は、やはり不完全なのだ……

 キグナは胸中で呟いた。


 それは本来、憚らなくてはいけない言葉だ。他の始まりの種族が聞けば、不快を覚えるだろう。

 だが、こころの繋がり――精神感応があったとしても、もはや彼の内心の小さなつぶやきが、他に伝わることはない。


 彼自身に最も近き者、同体である者達――狼 竜(アダ・エレズ)は、キグナ自身を除きすべて滅びた。

 半年前までは、もう一人いたのだ。

 このツァーカの南の端で、ひっそりと隠者として暮らしていた。

 しかし、その女性は、殺された。

 ただの飢えた人間の強盗によって、ただの錆びた小刀に裂かれて……


 狼 竜(アダ・エレズ)の能力をもってすれば、決して後れは取らなかったはず。

 本来の姿を現せば、尾の一振りが、爪が、牙が、自身の全てを武器とできる。

 あるいは、神から与えられた縛りの力を以てすれば、逃げることは容易だっただろう。

 だが、彼女はそれを良しとしなかった。

 人間が中心となって久しい世に、混乱を招くことになる、と気遣って。

 彼女の最後の意志を、キグナはしかと聞いた。そして、鋼に割かれる苦痛を、仔細まで共に味わったのだ。彼女が息絶えるまで。


 悲しい事に、これは珍しいことではない。

 瘴禍(ミアズマ)の数が減り、人間たちの動きが活発になった百数年ほど昔から、よくあることとなっていた。

 時に化物として、時に畏怖の対象として、果ては瘴禍(ミアズマ)として、始まりの種族は人に狩られた。


 これは――、とキグナは思う。

 幼 神(エル・ツァイル)は自身を慈しむ者として、特別な力を与えて始まりの種族を作り、自身と同じものとして人間を作った。

 そして始まりの種族に、人間も自らと同じように慈しむように命じたのだ。


 その通りに従ってきた。

 それでも……これは、その報いとして、当然のものなのか。

 取り留めもなく考えながら、キグナは回廊を歩いた。


 集落の者が、落とし穴と呼んでいる住居群。

 ここは幼 神(エル・ツァイル)ではなく、キグナを――始まりの種族を崇め奉ってくれる、人間の小さな集落だ。


 地上にできた巨大な陥没を利用して住まうそこは、特別街道から遠いという訳ではないものの、地平より低いために人目につかず、また巨岩に囲まれ隠されている。隠れ住むには都合のいい土地。


 自身の家であり庭である集落の底へとたどり着き、キグナは首を巡らせた。

 その視界には、壁面を横に掘って作られた人々の家々が見える。


 戸板の代わりに掛けられた土染めの布は、今はめくられていた。

 涼やかな風を通すためだ。

 穴の底には大地の奥の方に通じる洞窟があり、湧き水が流れている。そこから吹き出てくる風は、外の温度とは無縁で、適度な湿り気と冷たさがあった。


 乾き切ったこのツァーカの地では、稀なる風が吹きあがる。それに髪をなぶられて、自然とキグナの目は風が吹き抜けていく空へと向いた。

 かすみ、濁った空模様。

「砂嵐……」

 キグナの口には、誰へとでもないつぶやきが乗る。

 すでに何度も、何前年も見慣れた光景に、何の感慨が浮かぶでもない。彼はただ見上げ、間もなくそれが去るだろうことを悟った。


 数日間昼間すら夜の色に塗り潰されていたが、今日の空は頼りなげな太陽の輪郭が見て取れる程度には明るい。

 とはいえ、外はまだ強い風が吹き荒れている。キグナは経験でそう推し量った。

 この集落では大穴と言う立地と、水と共に吹き上がる風で、砂嵐を防いでくれている。それがためにほとんど影響はないが、他の場所はそうはいかないのだから。


「キグナ様」

 声をかけられて、キグナはその方を見た。

 小さな娘を連れた女性が籠を提げている。


 キグナは自然と微笑んだ。そして先ず片膝を下ろし、小さな娘と握手を交わす。

 手と手を握り合い、暖かさを交わし合う。人の姿形……始まりの種族が、器の姿と呼ぶ格好だからこそできる、この挨拶をキグナは好んでいた。


 小さな手が、自身の大きな手を握る様には、胸の中に明るいものが浮かんでくる。

 その度にキグナは思うのだ。人間が嫌いな訳では無いのだと。

 しかし……と、浮かびそうなことを振り払う。そうして、キグナは女性と向き直った。


 そして籠を受け取る。

「いつも、すまないな」

「いえ、キグナ様のお役に立てるのであれば、何よりです」

 女性が丁寧にお辞儀をし、微笑んで辞していく。


 その女性のことを、キグナは彼女がその娘ぐらいの頃から知っている。人買いに追われていたのを助けたのだ。

 ここはそういった者たちの集まりでもある。


 小さな異端というべき信仰と、他に行く場所もない者たちの集落。

 キグナは自身の気が遠くなるような生のなかで、培った知恵や技術をこの集落の者たちに伝え、手の届く範囲の者を守り過ごしている。


 幾年も幾年も、任が解かれ静かに去ることを望みながら――

 いつか不意なることで鋼に滅ぼされるのではないかという心地に、吹き散らされる砂の心地を思いながら……

 

 彼女を見送り、キグナはここ数日のいつもの通りの場所へと足を向けた。

 

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