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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
十章〈兄姉なる者〉
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十章《二節 解放の者》3


 それから、どれほど夢現でいたか分からない。

 だが、ロゼは目を開けた。体中が重い。それでも、体を起こすことはできた。

 ゆらゆらと上半身が揺らぐが、手をつけば支えられる。


 眩暈と、自身の身体ではないような重さ、胸に乗る不快感、それらをしばしの間耐え、

「オルグレン……」

 ぽつりとロゼはその名を呼んだ。声を出すのが、久しぶりのようにさえ感じる。


 ――彼はリリートゥを通り、西に抜けられただろうか。

 そうロゼは考えた。

 そして、追いつかなくては、と思う。そうと浮かべば、彼の胸に迫る焦燥は、まるで燃え上がるようだった。

 なにせ――

 鷲獅子(ルー・ルアハ)、そして……サクラス。

 ロゼはいつだって大事な者を守れていない。

 ただ彼らを害してきただけだ。

 だからこそ――今度は。


 寝台から立ち上がろうとし、ロゼは自身の体を床に落とした。

 まるで足に力が入らなかったのだ。受け身も何も、ままならない。

 幸いにして、寝台の上からだ。さほどの高さはなかったものの、とはいえ強かに半身を打ち付け痛みに呻く。


 そうして蹲る間に、

「……馬鹿者」

 部屋を仕切っていた布がめくられた。

 音に気付いてか、現れた人物。その人が息混じりの言葉を言う。

 それはどこか緩いような響きがあった。


 ロゼは咄嗟に身を固くした。

 うまく動けないながらも、抵抗をしようと。

 一方現れたキグナは、オルグレンより少し低いだけの長身を折って、しゃがみ込む。

 その近付いてきた体の気配……それに気を取られ、結局ロゼは抵抗を忘れた。


 キグナが薬湯と思しき匂いのある器を横に置く。

 ――そうして、彼がしたこと。

 それは、ロゼの想像とはまるで違っていた。

 ただ脇を支えて引き上げられ、寝台の上に戻される。


 座らされつつ、ロゼは瞬きした。

 その体の匂いが、気配が、やはり朦朧としていた間に、薬湯を与えてくれていた者と同じだったからだ。


 まさか手ずから世話をされていたとは思わず、ロゼはただ目鼻立ちの整った顔を見た。

「今日は、自分で飲めそうだな」

 手渡された木の器は、ほんのりとあたたかい。

 そして澄んだ薬草の香りと、甘い匂いがロゼの鼻をくすぐる。

 

 口にすると苦さがあり、それを誤魔化すように果物の果汁と思しき甘さが広がった。

 まるで子供に苦い薬を与えるようなやり方。

 ロゼの脳裏にはそんな考えが過った。


 素直に飲み切り……ロゼは再び瞬きをしてしまう。信じられない、と言った心地が浮かぶ。

 頭を撫でられたからだ。少しぎこちなく、試すようなやり方で。

 そうして、肩を軽く押される。

「……もう少し寝ていろ」

 キグナが言った。


 だが、ロゼは応じかねた。ことの変化についていけず、目の前が行き先を彷徨う風のように巻く。

 なぜ、とロゼには疑問が浮かんだ。

 あれほど望んでいた解放を、キグナは口にしない。

 それどころか、ロゼの世話をし、面倒を見、どこか不器用ながらも気遣いを見せてくれている。


 ――まるで、兄のように。

 そのことがうかぶと同時、内心に痛みを覚えた。 

 もう一度促す手に、従うともなく横になる。

 そこに、キグナが毛布を寄せた。

 それが、確信だった。思わず、ロゼはかけ直された毛布で顔を覆った。


 気づいたからだ。

 精霊母(メム・イマム)と、彼は同じなのだ。

 そうとわかってしまった。


 以前タロトの大橋でオルグレンが倒れた時、ロゼは精霊母(メム・イマム)に、何でもするから彼を助けて欲しいと願った。

 自身の心が死んでも構わないと思い、解放の者としてのことを成すから、と。そう願った。

 それ以外、差し出せるものはなかったからだ。

 だが、精霊母(メム・イマム)は、首を振ってくれた。そうするべきではない、然るべきときまで待つ、と。優しく、母のように。


 そして、キグナもまた兄姉なる者の姿を示している。

 彼が役目を強く押し付けてくるばかりであれば、反発だけを考えていればよかった。


 ところが、キグナは命令ではなく、今顔に気遣わしげな色を浮かべている。同族を――同じ始まりの種族を、気遣う顔。

 兄姉なる者としての振舞い。


 その気遣いに触れ、ロゼは唐突に自覚した。

 酷いことをしている、と。

 胸を裂いたのは、以前のこころの繋がりの中で、なだれ込んできたキグナのこころだ。

 自身のことで手いっぱいだった時には理解できなかったこと。

 目をそらしていた情景。

 それらが途端に理解できる像を結び、ロゼの胸に刺さった。


 浮かんだのはキグナ――いや、幾多もの兄姉なる者たちの姿。

 兄や、姉であることを望まれ、その通り忠実に行う彼ら。

 父を支え、母と弟妹なる者を守り、最も苛烈に瘴禍(ミアズマ)に挑む狼 竜(アダ・エレズ)


 キグナのこころの中には、幾千幾多もの死があった。彼は自身以外を除くすべての同胞の死を体感している。

 生きながらにして、死す者の感情や感覚が流れ込むというのは、一体どれほどのものだろう。

 瘴禍(ミアズマ)に、人間に、害され殺され、追いやられ、何度も何度も生きながらにして殺されている。

 そうでありながら、在り様を変えようとはしていない。

 彼らの永き苦労を終わらせようとしない、身勝手な自身(ロゼ)に対しても兄姉としてのやさしさを向けてくれる。


 ロゼは、喉が締められるような感覚を覚えた。

 思わず口を開く。

「……さい、……ごめん、なさい……」

 ごめんなさい、と。

 それでも……、ロゼは唇を噛んだ。痺れの残る手で、毛布の端を握る。

 

 いつか自らに禁じた通り、泣くわけではなかったがどう表情が歪むかわからず顔は出せない。

 そうして毛布の中で感情の震えに耐える中、ロゼは動きを感じた。

 小さく寝台が軋み、端が少し沈む。

 寝台の端にキグナが座ったと思う間に、ロゼは丸めた背に手を感じた。


 緩く背をたたく、優しいような、少し強いキグナの手。

 それは幼い頃に、お前が心配なだけだと寄り添ってくれた、ゼオンと同じ血の通った手だった。

「……あと、三日待て。それまでに、ちゃんと動けるようになれ」

 彼が静かに言う。


 ロゼはそれを聞きながら、言葉を口にした。

「……ごめんなさい……。でも……」

 どうか……


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