九章《二節 監視者、そして》2
「ロゼ、そろそろ行くか」
一言。オルグレンはそう声を掛け、薄紅色の双眸と視線を合わせた。
必要な物資は、身軽でいるために最低限でしかないが、もう揃え終わっている。
後なすべきは、追跡者を振り切り街を出ること。
そのために、まずロゼが大通りから別の路地へと身を滑り込ませた。オルグレンもそれに続く。
こちらに気が付かれないためか、追跡者が少し距離をおいていたのを幸いにして別の路地へ。急ぎ過ぎず、見失われないよう、追いかけられなくはない速度で、また別の路地へ。
オルグレンはちらりと後ろを見た。ロゼが言っていた追跡者は、三人のままこちらの後を追っている。
それを見やり、次の路地へは唐突に走り出し駆け込む。
次に追いつかれるまでが勝負だ。
「オルグレン」
呼びかけと共に渡されるロゼの荷物を、オルグレンは自身の荷物と共に、片方の肩へと背負った。
その間にロゼが荷箱と窓枠を足掛かりにし、するりと建物の屋根へと上る。
彼の姿が見えなくなるのを見送らず、オルグレンは数歩進み――振り返った。
人通りのない路地へ、追跡者たちが飛び込んでくる。
彼らは監視の対象を一瞬見失ったことで、焦ったのだ。そして追いつこうとし飛び出してきたと見える。
現れた三人がそれぞれに息を飲んだのを、オルグレンは感じた。
追跡の対象が待ち構えるように振り返っていることに対しての驚きか。あるいは、一人が消えていることに対しての驚きか。
「――俺たちに何か用か?」
オルグレンは静かに聞いた。
「……あんたを保護するように聞いている。ついてきてくれれば悪いようにはしない」
一人が代表し口を開いた。
案の定、そうなのだ、と。
オルグレンは推測が正しいことを確信した。面と向かっては、保護などときれいな言いようをしたが、言葉の通りではない。
少なくとも、オルグレンにとっては保護などというものでは、決してない。
故に、すげなく答えた。
「悪いが、――断る」
ならば荒ことも致し方なし、と言ったところか。
三人がそれぞれに長剣を抜く。
対するオルグレンは、完全に足を止めた。
荷物があるために、剣を引き抜くことはできない。
いざとなれば、荷物を放り出し構えることもできるが……その必要は――
――その時、影が降った。
まず一人目。
男が降ってきた何かに、地面へとつぶされる。
屋根から舞い降りたのは、白燕。手酷く一人を踏み潰し、彼は止まらない。
直後に二人目が、酷い苦悶の声を漏らす。
ロゼに山刀の柄で深く鳩尾を打たれ、苦しみに体を折る。当面は息欲しさに喘ぐことになると見えた。
そうして、三人目。その男はどうにか対応しようとした。
突然の闖入者に、鋼を構えようとする。
だが、ロゼの方が速い。男が向きなおろうとする間には、白い流れ人は長剣の間合いの内側へと入っていた。
低く。
そして、足に溜めた力で伸びあがる。
山刀の柄を押し付けるような、掌底打ち。それを男の下側から放ち、顎を突き上げる。その強い衝撃で仰け反り……男はそのまま踏み固めただけの地面へと倒れ込んだ。
またたく間。
三人の無力化。
「やはり、クゼリュスだね」
ことをしおおせたロゼが言う。
オルグレンに向かっての言葉を、彼も聞いていたのだろう。予測が当たっていたことに満足した様子で、少しだけ頬を緩めた。
彼はオルグレンが返した荷物を負うや、走り出す。
それに合わせ、オルグレンも駆けだした。
路地に苦しむ男たちを残して……
そうして向かうのは、門――ではない。
そんな場所はとうに押さえられている。二人の見解は一致し、ではどうするのが最善かといえば、囲郭以外にありえない。
一応、人が上を歩けられるようにはなっている様子が、ここの囲郭は、どちらかといえば壁といった要素が強い。
そして、今までの他の都市と比べれば低かった。
オルグレンの身長に、あと半身程を足した高さ。
周囲に衛兵がいないことを確認する。
ロゼが囲郭の壁面に背をつけた。彼は、そのまま自身の荷物は降ろし、腰を落として、両の手をしかと握り合わせるようにして組む。
「いいよ、大丈夫」
ロゼが言う。
オルグレンは彼のように小さな手掛かりや足掛かりで、壁を登るようなことはできない。
故に、オルグレンは助走をつけた。
ロゼの前で速度が乗るように調整し、踏み切る。
無論、そこからただの跳躍では、壁の縁にも届かない。
踏み台が必要だった。
それをロゼが担う。オルグレンの足をロゼが組んだ手のひらで支える。
その補助を受け、オルグレンは囲郭の端に手を掛けた。
靴のつま先を壁につけ、腕力とで、壁の上へと乗り上がる。そこに腹這いになり、オルグレンは、すぐにロゼへと腕を伸ばした。
白い流れ人が跳んで、その手をつかむ。
オルグレンは、その手をしかと握って大きく振った。
それを支えに、ロゼが壁面を駆け上がる。そして囲郭に登ったのもつかの間、彼はすぐに外へと跳び下りた。着地と共に荷物を抱えたまま身体を転がし、衝撃を逃がす。
地上へと降り立った彼へ、オルグレンは自分の荷物を落として渡した。
そして苦笑する。自分は彼のようにはできない、と。
なにせそこは、一瞬目がくらむような高さがあるのだ。
かといって降りられないと、ぐずぐずとしている訳にもいかない。
オルグレンは、外へと身体を乗り出した。
一旦そうして、囲郭の外へとぶら下がる。腕いっぱいに身体を下げれば、残るはそれほどの高さではない。
手を離し、地面へと降りる。後は前にロゼから受けた助言の通りだ。深く膝を曲げて衝撃を逃がす。
「大丈夫かい?」
その声はすぐ後ろからで、オルグレンは少々目を見張った。転げてもいいように、ロゼがそこへ移動してくれたのだ。
「大丈夫だ。お前は、どうだ?」
「問題ないよ」
答えてロゼが動き出す。
すぐに街からできるだけ離れなくてはならない。
先程の監視者たちが報告すれば、すぐに追っ手が掛かるはずだ。
さほど長い時間は稼げないだろう。
街の中では互いに人目があり遠慮したが、ここからは鋼を交え合わなくてはならない可能性が高い。
しかし、それは少なからずの消耗を意味する。相手の方が数が多いことを考えれば、確実に不利だ。
できるだけ、遠くへ。新たなる追っ手たちの目が届かない場所へ。
そうしてガマリの街を離れ、乾いた荒野を進み始めた。




