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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
八章 〈癒しと思い〉
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八章《三節 この先へ》2


 ノージスは、ただ暗い場所にいた。

 膝を抱え、口を噤む。

 ただ、視線を動かすだけ、ただ心を動かそうとするだけ……。ただそれだけで、彼女の目からはとめどなく涙が落ちた。

 口を開けば、嗚咽が漏れる。喉を締め上げられるような苦痛が占める。


 彼女のこの苦みは、あの日から始まった。

 タロト東岸街から船に乗り辛くも逃れ……、そこから幾日も経った今でも、変わらず痛みの中にいる。

 あの時、タロトの大橋。

 そこで見た恐ろしい出来事は、ノージスの目に、心に、深く残っている。

 罪人に押した焼き印のように、焼けついていた。

 

 目を閉じれば、ゆっくりと転がる、自身の半身の顔が浮かぶ。

 彼女の弟は、死神の狂った剣で刈り取られた。

 魔物を切るために生まれた武器ではなく、純粋に人を斬る為に生まれた(いびつ)な禍々しい鋼で……。

 

「ジナ……、ジナ……」

 ノージスは小さく呟いた。また涙が溢れる。

 ずっと共に生きてきた、双子の片割れ。その彼の名を、何度となく呼ぶ。


 ノージスの目から溢れる熱い涙の中には、思い出が浮かんだ。

 貧しい村の光景だ。

 朽ちる寸前の色あせた木で作られた家々。硬い土、隙間だらけの細い農作物が並ぶ畑。

 薄暗い貧村。いや、クゼリュス自体が貧しい土地なのだから、ノージスとジナの故郷も標星の大国では、ありふれた水準のものにしか過ぎない。

 

 作物を作るのに適した土地も、森も少ない。クゼリュスはそういう国だ。

 なけなしの土地に蕎麦や菜を植え、あばら骨の浮いた家畜に、なけなしの雑草を食べさせて育てるのが精々の国。


 国土の大半は、冷涼な荒れ地。そういう場所を除けば後は、沼だ。

 冷たく重い沼に足を埋め、時に腰まで水に浸かりながら棒を刺して鉄、――沼鉄鉱を採る。それが主たる仕事だった。

 ノージスの家も……、ひいては村もそういう生活を営んでいた。

 

 それでも、昔に比べればまだましなのだ。彼女はそう幼いころに聞いたものだった。

 確かに、貧しかったが双子が双子のまま、家で育てられたのだ。

 ノージスとジナはどちらも欠けることなく、売られることもなく共に大きくなった。

 始終お腹を空かせ、満ち足りることのない生活ではあったが、ノージスはジナがいるだけでずいぶん幸せだった。

 そう、幸せだったのだ。

 製鉄に薪が必要であるため、家の中はいつも寒かったが二人で居れば暖かかった。 

 大寒波で村が凍りつき、ゆっくりと皆が死に絶えていった間も、ノージスはジナが居たから生き残れた。


「ジナ、……ジナ」

 また、ノージスは呟いて泣いた。

 しかし、ジナはいない。

「ジナ。ねえ、ジナ……」

 涙を流しながら、彼女は手元に視線を落とした。

 そこにある鏡をみる。覗き込めば、それには『ジナ』が映った。

 体を動かすことがさほど得意ではなかったものの、ノージスにはない賢さを持っていたジナ。

 彼女はどうしようもなく、今彼と話をしたかった。


 「ベイセル様が、アーベルト様から罰を受けるの……」 

 タロトの大橋の袂で、命を失ったものはジナだけではない。

 ベイセルに国家の災いを捕えよと命を与えた軍閥貴族アーベルト。その息子、アベスも倒れた者の一人だ。

 これにアーベルトは(いた)く立腹している。

 なぜ、息子を死なせたのだと。あまつさえ、これを捕えよとした者を捕まえることもできず逃している。

 これに赤の軍人貴族と呼ばれるその人は、激怒していた。

 

 そのアーベルトは、ベイセルの後ろ盾だ。隻腕となり表舞台から転落した、ベイセル。

 実の家族さえ保証しなかった彼の騎士としての立場を、保証していた人物それが赤の軍人貴族なのだ。

 その彼が、怒り、失望し、ベイセルを裁くと言っている。


 ノージスは思う。ベイセル・ライア・シルヴァストルその人のことを。

 彼女にとって、ベイセルは希望の人だった。

 すべてが凍てついたあの後、領主から視察の命を受けたと現れた騎士の一人。

 冷えて固まった両親の遺骸の下から、連れ出してくれた人。

 薄汚れ、あかぎれだらけの自分たちを、両腕で抱きしめてくれた人。

 その人が、酷い目にあわされてしまうかもしれない。

 考えるだけで、ノージスの胸は幾万もの鋼に刺されたように痛んだ。

 世の無常によって腕を奪われながらも、自分たちを守り育ててくれた人が死の処罰を受けるかもしれない。

 

「ベイセル様は、心配するなと、言われていたけれど」

 ノージスは喉を震わせて言った。

 単純な力押しであるのならば、彼女も不安ではない。

 隻腕の騎士、ベイセルは他の騎士を超える『武』を有している。


 しかし、貴族との争いはそんな単純なものではない。立場がものを言うのだ。

 その立場を、ベイセルは持っていない。

 心配するなと言いう人が、一体どうするつもりなのか。

 ノージスには敬愛する騎士がどういう心積もりで、どう対処するのか、その手段を察する知識はなかった。

 ただ愛する養父であり、唯一の家族であり、心から慕う人が、酷く危ない立場にいる。

 そのことが彼女の心を寂しく凍える場所へと連れ去っていく。

 

「ジナ、どうしよう……、ジナ」

 ノージスは、歪んだ鏡に向かって問いかけた。

 だが、鏡の中のジナは答えない。

 答えてくれない。

 なぜならば、ジナには首がないのだ。石畳の上に転がしたままなのだから……。

 無残なまま残してきた最後の光景が、ノージスの尽きない涙の中にぼやけて浮かぶ。

 

 次いで彼女の脳裏に姿が過った。

 白い髪をした死神の剣の姿。

「…………っ!!」

 ノージスは鏡を強く抱きしめた。半身の泣き別れになっと頭部であるかのように、強く強く腕を占める。

 ジナをこんな無残な姿にしたのは――

 敬愛するベイセルをあんなにも、苦しめているものは――


 虚空を見つめるノージスの目には、深い色が宿っていた。

 まだとめどなく涙が流れる。しかしそれは、悲しみがあふれたものだけではない。


 彼女の目には、形を成す前の激情が混じっていた。

 

 ✒ ✒ ✒ 

 次回 土曜日 更新

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