一章《二節 故郷を想う》1
船の難破から数日。結局……、海から生き延びることが出来たのは、オルグレン自身を含め四名だけだった。
その彼らは、いずれも急遽の雇われらしく……彼らの主であるはずの船頭は行方不明、その女房役は昨日見つかったが、それは海中だ。
つまり船について要領よく話せる者はいなかった。
それでもわかったのは、船は商船ということ、彼らが白き峰々の国エーイーリィの船人であること、主に食料の買い付け目的で南下していたこと、だ。
それから――、記憶をなくし自身の名前さえ曖昧なオルグレンについて。彼を知る者はいない、ということだった。
無論、大きいとはいえ所詮は船の上だ。ちらりと顔を見かけたことがあるという者もいた。しかし、どうもオルグレンは生き残りの者たちとは、異なる行動をとっていたらしい。
故に彼について、彼自身も含め誰も、何もわからないのだ。
「帰りてえな」
「おれたち帰れるのか……?」
海の男たちが、牛車の荷台で囁き合う。
そう、牛車――。そのゆっくりとした歩みで、ごとごとと音を立て道を進む。
先日人買いが言っていたように、村には余人を長期間養えるような備蓄はなかった。
難破船の船人達も、ただ飯食らいにはならぬ気概は持ち合わせている。だが、あるものは腕を、あるものは足を折っており、あるものはその両方だ。命を失うほどではなかったものの、切創や打撲も多く、とても働けるような状態になかった。
故に、牛車が道を行く。
この点において、人買いの言ったことの内一つは外れていた。もともと根拠もない脅し文句だったのだから当然だが……村を管理する領主は、伝書鳩での連絡を受けるや、きちんと返答をよこしてきた。もちろん、ただの親切心などではなく、船荷への興味があってのものと思われる。しかし、それはそれだ。
ともかく領主の指示で、一行は街へと向かっている。
御者と船人が乗り込んだ、普段は生活の道具に使っていると思しき荷車。
それは男たちが乗り込んでも余裕があるほどに広いが、幌もなく質素だった。飾るように外周に取り付けられた、魔物避けの板は、どうやら二枚貝を磨いて作ったものらしく、用は成すだろうが、実に素朴な輝きをしている。
「領主様がエーイーリィに向けて、伝書鳩を飛ばしています。きっと大丈夫ですよ」
牛車の御者が言った。
彼は村長の手伝いを行っている、カマスという名前の中年男性で、とても穏やかそうな顔をしている。性格もそうらしく、大変な目にあった船人の不安を拭おうとしてくれているらしい。
エーイーリィに連絡が届けば、迎えが送られ、何事もなく今までの暮らしに戻れるはず。きっと伝書鳩が届けてくれる、と言った調子だ。
伝書鳩――。村や街など人の住まう場所をつなぐのは、よく訓練された鳩の役目だ。
なにせ囲郭や柵、城壁で囲んだ人の領域の外は、一見自然豊かで美しいが、瘴気の吹き出しがあり魔物の跋扈もあって大変危険だ。
最近では、それらの発生が落ち着き、特に明るい日中であれば人々が行き交うようになったが、それでも村人にとって数日の行程を行くなどはなかなかに覚悟のいることだった。
ふと、オルグレンは隣を見た。
そこにいるのは荷車には乗らず、悠々と牛車の横を歩くロゼだ。
村長の頼みでカマスが御者に決まった。それから、そのカマスがせめて誰か護衛が欲しいと言ったのだ。
それに名乗り出たのがロゼだった。片道でよければだけどね、と。
なお、帰りは冬の間街に勉強に出ていた村長の息子が、多少心得があるという。その人が里帰りついでに、代わるという話に決まった。
故に、流れ人のロゼはすっかりと、旅人の出で立ちとなっている。
黒い旅装束に外套、腰には二振りの剣があり、背には弓と矢筒。大腿の位置にも山刀と思しきものが留められている。旅の荷物は牛車に預けている為、幾分か軽減されているはずだが、その姿はオルグレンの目に少々物々しく映っていた。
「迎えが来てくれりゃいいんだが……」
「あれがまだ続いてんなら、伝書鳩が届くかもちと怪しいかもな」
荷台で船人がぼやくように言う。
それを聞いて、オルグレンとカマスは首を傾げた。
確かに、伝書鳩は必ず届く、と断言できるものではない。何かの拍子に他の鳥や魔物に襲われないとは、言い切れないからだ。とはいえ、長年培われた工夫を駆使しており……伝達の信頼性は、悲観するほどのものではない。
オルグレンとカマスの疑問の顔に、
「ああ、いや。知らんかもしれんが、俺たちの国は去年の夏ぐらいから戦争してんだよ。ええと、何とかって国と……」
「クゼリュスだ、標星の大国。あきらめてくれてりゃいいんだが、今回のはなかなか引かなくてよ」
世情に詳しくないと見える一人が答え、別の船人がつぎ足す。
それを聞くとカマスは穏やかそうな顔を上げ、ああ、と記憶がつながったように言った。
「そういえば、流れ人さんが、村長さんに話しておられましたな」
旅人が立ち寄った村で世情を話し、一宿一飯を得るのは珍しくない。流れ人もそうとみえた。
「でも、戦時でもまるで情報が届かない、なんてことはないのでは?」
カマスが聞いた。
「いいや、あいつらの鷹匠はすげえんだよ。ぴゅっと行って鳩を落とすんだ」
「普通なら戦場避けて飛ばすんだろうが、周りの砦も全部落とされて、街の外は全部囲まれてっからなぁ」
次なる言葉に鳥の話どころではなく、カマスもオルグレンも目を開いた。
それは、のんきな口調で話すような事柄には思えない。
一大事ではないですか! と、言わんばかりにカマスは目をむいている。
「ああ、いやいやいや。大丈夫なんだよ。エーイーリィは。前にもあったんだ」
船人の言葉に、あっていいことではない、とオルグレンは思った。
「こもって過ごすんだ。閉じこもってりゃ、大丈夫だろ?」
その話は、確かにそれはそうだとは言える。だが、近隣の砦などからの援軍のない籠城戦は難しいのではないか、とオルグレンの脳裏には疑問が過った。
そもそも王都など人口の多い場所で、籠城を行えばどうなるか……
「補給はどうするんだ? ……あ、いや」
オルグレンは思わず問い――、間もなく恥じ入ったように自身の言葉を打ち消した。
「そう、君たち船人の出番だよ」
この話になってから黙っていたロゼが、小さく笑って言う。
「……エーイーリィは、白き峰々と呼ばれているけれど、海に強い国でね。クゼリュスの船より強いし、操船も巧みで、数も多いんだ」
彼の言葉に船人が胸を張り、大きく頷く。ロゼが続けた。
「冬に凍らぬ自慢の港から、補給はあなた達の活躍で。そして村落に自身の田畑を焼き払うことを厳命して、エーイーリィは城に籠る」
ロゼがゆっくりとした口調で話す。
彼の言葉に、オルグレンの脳裏には言葉が過った。
「焦土作戦、か」
と、浮かんだ言葉を思わず呟く。
「うん。簒奪できなくて、クゼリュスは自前で補給するしかなくなるね。そして、かの国の港は冬には凍る。つまり、」
ロゼの返答を聞き、オルグレンは顎に手を当てて、彼の言葉を継いだ。
「かの国の方が補給問題に陥るという訳か」
頭に巡ってくるのは物流の事だ。
物を多く運ぶ手段は、水運が最も優れている。それが使えないのであれば、陸で馬匹を使う以外にない。それは兵員を割くことになり、さすれば攻撃力の低下が確実となる。
そうと考えていくうちに……なぜ己はこのようなものの考え方をするのかと、オルグレンは輪郭に手を当てたまま、内心で首を傾げた。




