八章《一節 母なる者》2
それを確認したとき、扉が静かに開けられた。
姿を現したのは女性だ。
髪は透き通るような青磁色。肌は、焼かれることを知らぬように白い。
薄い水色の衣を纏うその人を、オルグレンは河の賢者だと察した。
もう一人の河の賢者シルユーノと同じ、自分たちとは違う所にあるような違和感を、その女性からも感じたからだ。
「……挨拶もせず申し訳ないが、先ず説明を頂きたい」
オルグレンは、先に口を開いた。
視線も鋭くする。
「……貴方とお話を、と思いました」
ゆっくりと女性が言う。
「ならば、そうと口に出されるべきでは?」
オルグレンは声に鋼を帯びさせた。硬く、刃のように言う。
「俺に話をするために、ロゼがいることが不都合であれば彼に話しをし、願うべきだ」
彼女がロゼに何かをしたのだ。揺らぎが彼女に吸い込まれていくのを目にし、彼はそう確信した。
「……その通り、ですね。無作法をいたしました……」
寝台に近づいてくる女性は、せせらぎのように静かな歩みをする。
オルグレンはロゼへと伸ばしていた手で、どうにか届く彼の腕を掴んだ。
身体があまりに重く、言うことを聞かない。横になったまま、身を起こすことすらできない。そうであっても、脅威があるのであれば、抗わなくては、と。
警戒を察してか、女性が足を止める。
「いけませんね……、特にその子とは繋がっていると思ってしまう。シルユーノからは、前に聞いていましたのに……つい」
女性はこともなげに言う。
またも、オルグレンには全て分からない話だ。
彼は自然と眉を寄せた。
彼女は大河を経て東側にいるシルユーノと話したように言うが、実に可笑しい話だった。
オルグレンも気を失う前までの状況から、タロトの街は、今頃解放されて居ると推測が出来る。
とはいえ、この女性とシルユーノが直接会話を出来ているか、という点で疑問に思った。
タロトの岸辺間の往来は基本的に橋と船しかない。
広く巨大な橋だが、軍や難民の動きでしばらくは――おそらく一か月以上混乱するはず。
船もまた橋とそう変わらない状態に違いない。
だから、オルグレンはロゼと共に、どさくさに紛れてタロトの大橋を渡り切るという強行にでたのだ。
その混乱の中をこの女性が突き抜けたようには思えない。
……それに彼女は『前に』と言った。
タロト東岸街が占拠されていた時分は、クゼリュスの鷹匠が伝書鳩の往来を阻害しており、手紙のやり取りはあまり現実的ではない。
何より、――繋がるとは……。
オルグレンが考える最中だった。
「――わたくしは、西の河の賢者と言われる者、セラーフィナ」
セラーフィナが口を開く。
「我らが末弟に縁ある方、オルグレン。わたくしは貴方と対話を望みます」
彼女のその宣言に、オルグレンは頷いた。
「承知した。お聞き及びの様子だが、私の名はオルグレン。――オルグレン・サイラス・レヴァニールと言う」
そして正しく名乗る。礼節としてのものであり、同時に彼女と言う存在に対し、相対する者であると意図を込め。
そして続けた。
「……このような格好で申し訳ないが、先ずロゼが無事なのか伺いたい」
「この子に害を与えるようなことを、致してはおりません。……ただ、眠っているだけ。無理をして起きていたので、体を休めるよう導きました」
母が背を撫で、眠い子を眠らせるように、とセラーフィナが言う。
そして、容易く行えることではなく……例えば、ロゼが普段の状態であればできない事だと、言葉を足した。
オルグレンは詰めていた息を吐いた。
ロゼを握っていた手も緩める。
「……繋がる、とは何かお伺いしても?」
オルグレンの問いに、セラーフィナが頷く。
「わたくし達は……、そうですね」
そうして彼女は適当な語句を探るように、繊細な唇に指を当てた。
その様子からは、彼女が確かに口にした言葉の通り対話を望んでいることを汲み取れる。オルグレンにもわかるように説明をしようとしているのだと。
「わたくし達は個であり全、全であり個。こころに結ばれた、紐で繋がっております」
自身の胸を手で示してから、セラーフィナが言った。
「より親しき者、近き者とは深く強く。そして遠き者とは細く淡く……。わたくし達はみな、想いで繋がっているのです」
「それで東の賢者との会話を……?」
確認に、セラーフィナが頷いて返す。
オルグレンは、納得を覚えた。
セラーフィナとシルユーノは、親しく近き者……恐らくは家族か一族とも言うべき、同じ枠の中の者なのだと、素直に受け取る。
同時……相手が我が意を感じていることが当たり前であるからこそ、彼女達は、唐突にロゼに要求や干渉を与えたのだ、とも察した。
「わたくし達――いえ、その子が何者であるか、気になりますか……?」
その問いにオルグレンは、自身が見透かされた気がした。
そうして静かに、眠るロゼへと視線を向ける。
「……はい。嘘偽りなく申し上げるなら」
オルグレンは素直に答えた。しかし、続ける。
「ですが、彼の事は、彼自身に問おうと思います。ただ、貴女達のことは、伺わせて頂きたい。なぜ私との対話を望んでくださったのか、それも含めて」
そうオルグレンはセラーフィナに視線を向けた。
彼女は、白墨の顔に微笑みを浮かべている。
「わたくし達は、精霊母――始まりの種族が一つです」
重ねられた名乗りを受け、オルグレンは肌がざわめくのを感じた。警戒に紛れ薄々あった、張り詰めた糸のような感覚が、恐れと緊張に置き換わる。
始まりの種族――それは、神にまつわる伝承に語られる種族だ。
神が、己を慈しむ者として作ったという、四種族。
父なる者、母なる者、兄姉なる者、そして弟妹なる者。
その、母なる者――精霊母であると彼女は名乗る。オルグレンは瞬きしたが、眉唾であると疑う気にはなれなかった。
「貴方との対話を望んだのは、この子の頼み事がきっかけです」
「頼み事……?」
オルグレンはそのまま問うた。
「貴方を助けて欲しい、と願われました。何でもする、と。あなたの願い――つまり、わたくし達の願いを叶えるから、と」
それを聞きオルグレンは、体に冷たいものが流れるのを感じた。
自分のせいで、ロゼに代償を要する取引をさせてしまったのだと、心の臓から凍てつく感触が沸き上がる。
息を飲んだオルグレンに対し、セラーフィナが片手を上げた。
「……先に申し上げておくべきでしたね」
そして、ゆるく首を振る。柔らかく揺れる長い髪は、まろく流れる水の様子。
「わたくしは貴方を助けるとお約束しましたが、対価はお断りしています」
セラーフィナが続けた。
言葉ではっきりと告げられオルグレンは、生き返る心地だった。
そうであるものの、同時に何故とも思う。
以前、シルユーノは自分たちの役目は終わった、だから――と、何かロゼにさせようとしていた。
それをオルグレンは目撃している。
役目を知っているかと問い、果すことを望んでいた。
つまり、何かを、ロゼにさせたいのだ。彼が、行いたくない何かを。
それを、こころの紐で繋がっているというセラーフィナが、知らないことは考えづらい。
個あり全という言葉の通りであれば、同じ事を考えていても、おかしくはないのだ。
それを断ったのだと彼女は言った。
「失礼ながら問わせて頂く、何故……」
ロゼが差し出す対価を利用しようとは思わなかったのか。




