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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
七章〈タロトの大橋〉
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七章《四節 君がために》2


 息が切れる。

 身体が胸の臓器となってしまったかのように、鼓動が身体を揺らし、耳の側で痛いほどの音を響かせる。


 ロゼは、手を伸ばした。

 それは騎兵の体だ。オルグレンの進路を塞ぎに出た騎兵の一人。ロゼが跳び移ったことで倒れた者でもある。


 愛馬に潰される格好で兵士の方はもう動いていないが、馬はまだ動いていた。

 どこか骨でも折れているのか、乗り手を踏みしだきのたうち回っている。

 無抵抗に潰されるそれから、剣を奪いロゼは抜き放った。


 半曲刀は、既に鞘の中。山刀はもう捨てている。

 そうする理由は――他でもない。

 鋼同士がぶつかる。鈍い音が空気を震わせる。

 

 肩から切り落とす格好で来た刃を、ロゼは剣身でどうにか受けた。

 一撃に、呪いが込められているようだ。

 呪詛が固められた、黒い重み。

 ベイセルは右腕一本、それだけで、かくも重く鋭い一撃を放つ。

 仮に半曲刀で受けていれば、数度で折られていた。


 おおよそ片腕とは思えないその力は、隻腕の騎士が一撃一撃に、上手く身体ごと体重を乗せるようにしているためだ。

 加えて、よく見ねば気づかぬほどの有り様で、隻腕の騎士の剣は特殊だった。

 先端の方が肉厚なのだ。それは些細なものであったが、鋼の重みを活かすという点では、重要な工夫であると見て取れる。


 隻腕の騎士は、仲間の死によって動揺した女騎士の参戦を禁じてからが本領だった。

 ロゼは同等の厚さを持つ剣で、ベイセルの一撃を防ぐ他なかった。そして、どうにか離れる。


 既に彼に燕が飛び回るような足捌きはない。

 広く感じる五感も、周囲を遅く見る集中も、もはや尽きた。

 右肩の浅い切創、左肩の矢傷の苦痛が、更に神経をすり減らす。

 口は閉じられもせず、乾いた息を繰り返す。


 すべては、体力によるものだ。

 ロゼには戦士に備わっているべきそれが、欠けている。腕力も他に劣る。

 故に、数多の技術を、武器を用い、それを補うのが彼の常。


 今も距離を取れるならば、ロゼは矢を使いたかった。

 或いは、ジナと矢を撃ち合った際に用いた、早撃ち用の矢が残っていればそれで射掛けたかった。

 また或いは投箭を……。

 

 しかし、ベイセルは十分な距離を取る事を、許してはくれない。

 投箭を放とうにも……と、ロゼは自身の状態を悟る。

 彼は、もう片手で剣を支えられる気がしなかった。 

 一方、ベイセルとて消耗を見せてはいるが、ロゼ程ではない。

 静かに燃え上がる何かが、彼に力を与えている。


 自身を無様だと、ロゼは思った。

 ジナという金髪の騎士を斃し、ノージスの戦意を削いだまではよかった。

 だが、それからし何ら事態を好転できないまま、もはや自身の強みは一つとして使えない状態となっている。


 それでも……、だった。

 彼は重い剣を懸命に支えた。

 オルグレンだ。ロゼの中には彼への思考がある。


 弩の脅威は既に去ったのだ。

 故に、オルグレンであればメーヴの足で駆け抜ける事が出来る。

 彼は西へ、行ける。

 

 しかし……、と。ロゼは胸中で呟いた。

 青年が無事に西の果てへと行くためにはもう一つ、障壁がある。

 隻腕の騎士――ベイセルだ。

 この男はおそらく、オルグレンを諦めない。

 捕らえろと、受けた命令のまま動くに違いない。

 忠実に、猟犬のように、執拗に。

 いつか追いつき優しい青年の、輝かしい旅路を邪魔をするに違いない。


 ならば――、とロゼは思った。

 どのみち、ベイセルは自身を逃がすつもりがない。

 ロゼはそうと確信している。


 現状、もはや一人で逃げ出すことも難しい。

 西へと駆け抜けるオルグレンを見送ったあと、この猟犬の手を掻い潜り逃れる術がない。

 であれば、何ができる。今の状態で最善を打つのであれば、何をするべきか。

 そうロゼは思考する。

 考え始めれば、彼は自身の最後の使い道を、一つしか思い浮かべることができなかった。


 排除する。刺し違えても隻腕の騎士を、と。

 しかし……剣と剣を、打ち合わせる。防ぐ事でロゼは手一杯だった。


「ぐっ……」

 そして……体ごと、隻腕の剣に突き飛ばされる。

 距離を取ろうとして、足が縺れる。ロゼはよろめいた。覚束ない足が勝手に意思なく動いた格好で、ほとんど転倒の様相で地面に膝を着く。

 完全に体勢を崩していた。おかげで思ったよりの距離が空いたものの、意味などない。

 顔を上げる、ただそれだけのことが鈍い動作となった。

 それだけでなく、ロゼの身は一瞬止まった。動けない。いや、動かせない。

 剣を持ち上げようとはするが、その鋼の塊が今は途方もなく重い。


 辛うじて柄はつかんでいたが、腕が伸び切っている。

 剣を持ち上げていられない。

 重い。戦えない。その事実は、何よりも暗くロゼを包んだ。

 

 ……結局、と。自分は何もできないのかと、ロゼの心の中に黒い染みが浮かぶ。

 それは先ほどまでの――オルグレンを西へと行かせるという決意とは、裏腹の心境だった。

 故郷を、大切な物を奪われた苦痛も、恨みも、ただの少しも返すことができない。

 こんなことであれば……、とロゼは胸中で呟いた。


 シルユーノ……、かの存在達の願いを叶えれば良かったのかもしれないとも考える。

 しかし、それは、ロゼが最も行いたくない事だった。

 だが、先ずの悲願である復讐を果たせないのであれば、自身の役目を拒否する事に意義があるのか。

 迷い、揺らぎが、黒くロゼの前を占めていく。


 その前で、ベイセルが、剣を構え直す。疲労か、その動きは緩慢だった。

 とはいえ、一方でロゼはその光景をただ見つめるしかなかった。

 体が、足が、腕が、持ち上がらない。

 息を繰り返すのみで、両膝をついたまま動けない。


 隻腕の騎士が初めて笑った。恐らくは自身とは真逆の心地なのだ、とロゼは思う。

 隻腕と感じさせぬほどの、その動き、その強さ。

 途方もない研鑽により積み上げられた、それの真価が発揮されるのだ。

 そして、親しかったであろうものを失った恨みもまた、今果たされるのだから。


 ロゼは隻腕の騎士を、ただ見た。

 吸えているのかもわからない呼吸で、肩を震わせながら。

 どうせ死するのであれば、こと切れる瞬間までその男を見てやろう。

 叶うのならば、その喉笛にでも噛みついてやろう。

 そうと考える。


 その視界の中で、ベイセルが一度息を整えるようにした。

 駆け寄りざまに切って捨てようと言う算段か。鋼を掲げる。


 その中で――


「――ロゼ!」

 呼ばれ――ロゼは、息を呑んだ。

 馬の蹄の音が迫っている。

 近づくその姿――

「……渡って!」

 ロゼは、オルグレンへ、あらん限りの声で叫び返した。

 先へ、このまま走り抜けて、と。


 しかし、……オルグレンが、馬上から横へと身を乗り出す。

 そうして、低く手を伸ばす。ロゼが立ち上がろうと、立ち上がるまいと届くような高さだった。

 実際、彼は力付くででも引き上げる算段なのだと、ロゼは悟った。

 足に深手を負い、傷ついていようと、疲れていようと、その腕を延べてくれている。


 ロゼは、深く目を閉じた。

 共に行きたい――、どうしようもない気持ちが胸に迫る。

 そのための腕は、すでに差し出されていた。


 目を開くと共に、決める。

 彼を導くと言ったのは、ロゼ自身なのだ。

 オルグレンが、()()であるのならば、彼自身もまた応えなくてはならない。

 

 そうはさせじと、剣を掲げ向かい来るベイセルがいる。

 せめて自身の腕の返礼は済ませる。隻腕の男の動きは、そう声高に叫んでいる。

 ロゼは、はっきりと向きを変えてみせた。

 鈍い砂袋のような全身を、無理やりに動かす。

 

 剣を手放し、投箭を右手の中へ。

 ベイセルも狙いに気づいたのだろう。

 その一瞬、彼が動きを変えた。それへと対応する。


 ロゼが投げる、投箭――それの標的となった、ノージスを庇うように。

 ベイセルが身を盾とする。

 それによって、鉄の胸鎧に弾かれ投箭が地に落ちた。


 元々ノージスに届いたかもわからない、投擲だ。

 だが、用は成した。ベイセルの足が止まったのだ。

 その隻腕の騎士とロゼとの間に、オルグレンとメーヴが滑り込む。

 駆け抜けざま――、彼の傾けた身体にロゼは飛び付いた。オルグレンの腕がロゼを支え、メーヴの背中へと押し上げてくれる。


 最中にロゼの目は、隻腕の騎士を映した。残されたベイセルの形相。それは、あまりにも……

 視線だけで、全身に緊張を覚える。

 あの存在を、なぜ排除できなかったのかと悔いる。

 ……いや、今からでも……

 

「……う、っ」

 ロゼを引き戻したのは、オルグレンの苦痛の声だった。矢傷を負った青年の足は酷い有様だ。のたうつ赤にまみれている。

 引き上げる動きは愚か、馬に乗っている事さえ辛いに違いない。

 それでも、力強い腕がロゼの身を落とさぬように引き留めてくれる。


 優しい青年……優しいオルグレン。

 ロゼの身体を支えてくれる人の腕は、あまりにもあたたかい。

 しかし、そのぬくもり故に、だ。

「ごめん。……オルグレン、すまない」

 ロゼは自然と呟いた。

 あの脅威を排除できなかった、と言い足す。寧ろ手負いとし、余計に恨みを深めてしまったのだ。

 自分は、()()仕出かしてしまった。

 ――役立てなかった、と。

 

「……違う」

 オルグレンが言う。彼の顔には消耗が色濃く、顔色も優れない。

 それでも、彼はロゼの言葉を否定した。

 

 オルグレンが言う。

「――お前が生きていて、……良かった」


 喉が詰まる。

 その言葉に、ロゼは顔を覆った。

 声を上げたい衝動にかられて……

 

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