七章《四節 君がために》1
倒壊する木材が埃を舞い上げる。
それらは土石流と呼ぶべき様相を呈した。
圧倒的な質量で、複雑に倒れ赤髪の騎士と彼の駆る馬を瓦礫の一部と化していく。彼らの鍛え抜かれた体も、魂も、断末魔さえ、圧倒的な轟音が押しつぶしていった。
振り返らない。
オルグレンは己が引き起こした結果を、背後にただ感じた。
先ず、一人。
しかし――、安堵するような間などない。
無念の渦を巻く粉塵を裂く、銀色の閃き。自身のものではない、鋼をオルグレンは見た。
察知したのと同時、身を守る。剣を構え、オルグレンはその凶刃を受けた。
空中に粉塵が漂う中、硬質な音と火花が散った。
そして、そのまま刃が組み合う。
耳障りな鋼の擦れ合う音。互いに互いを崩さんと、力でせめぎ合う鍔迫り合い。
正面から間合いを詰めてきた鉤鼻の騎士と、オルグレンは馬上で争う。
「まだ若き方を! 未来あるお方を!」
よくも、と。その騎士の顔を、激情が染め上げていた。
両眼には、血の滾りが浮かぶ。
それでも冷静さは手放すまいとするように、騎士は奥歯を噛み締めていた。
奥から漏れるのは、まさに獣の唸りだ。
言葉の通り、無残な最後を遂げさせられるに至った、アベスを思ってのものに違いない。
恐らく彼もまた、オルグレンを生かして捕らえるように申し渡されているはず。
だが……それよりも優先されるものに覚醒している。
千々に裂いても収まらぬとばかりの、殺意。
そうと感じるのは難しいことではない。
剣さえ交えず、自滅を選ばされた若き騎士の無念。
今まさに受け取ったそれを晴らさんと、鉤鼻の騎士の剣の切っ先が向いてくる。
とはいえ、オルグレンはそれを受け取るわけにはいかない。
帰らなければならない。生きて、帰らなければならないのだ。
どこへ帰り着くべきかはいまだにわからない。
それでも自身が何者であるか、何をすべきか、知らなくてはならないのだ。
だが、状況は悪い。
オルグレンの息は切れていた。あまつさえ、目が霞む。
しかし、それでも……オルグレンは痛む足で、メーヴに指示を送った。
不完全だろうそれを、黒鹿毛の馬はよく拾ってくれる。動き――クゼリュスの騎士から遠ざかるように、足を運ぶ。
逃がすまい、としてか。強い斬撃が来る。
鉤鼻の騎士の攻勢は、メーヴを狙った打ち下ろしとなった。
寸前を、軌道に剣を差し込み防ぐ。
阻止は、できた。
だが、オルグレンは目眩で天地が歪むのを感じた。加えて、鋼のぶつかり合いによる手のしびれが抜けない。
一方で好機と見たか。
反動をも勢いとし長剣を掲げ、柄を鉤鼻の騎士が両手で握り直す。
その形相、その気迫――……。
それはまさしく、かの騎士を刃であると見せた。硬く鋭い、剣であるかのように。
圧力さえ感じる。それに押され意識が遠のく。暗く、遠い、黒い波濤の中に呑まれそうになる。
押し流されていきそうになる精神を、辛うじてつなぎ止め、オルグレンは胸の底に鉛を飲んだ予感を覚えた。
恐らく、と胸に抱く。
受けきれない……、その予測が一瞬脳裏をよぎる。
血が足りず、彼は腕を重しのように感じていた。
だが、相対する鉤鼻の騎士の目は光る。
そして叫ぶ。
唾を散し、叫ばれた言葉は――
「観念されよ! オルグレン・サイラス・レヴァニール!」
それは、その名を持つものを討ち取るという意思表明。
刹那。閃光が、意識を駆けた。
音を、心が捉える。理解よりも早く、脈打つのを感じた。
瞬間、オルグレンは目を見開いた。
そして、理解する。
それが、名なのか、と。
同時、オルグレンを満たしていたのは、単純な思いだった。
歓喜。興奮。そして、納得。
――オルグレン・サイラス・レヴァニール。それが名なのだ。
次にこみ上げる、願いがある。
伝えたい、と思った。
潮騒と共に問われたことが、オルグレンの中に蘇っていた。
――君は?、そうと尋ねた柔らかい声だ。
今ならば、はっきりと答えられる。
他でもない、自身の名を。
誰も知らぬ、何者でもない、名もなき幽鬼などではなく、自分はその名を持つ者なのだと。
確かにお前の前にいる人間なのだ、と。
それを共に歩んでくれた者へ、しっかりと伝えたい。
そのためには――
オルグレンの目は敵を写した。
生き延びなくてはならない。なんとしてでも。この騎士を排除する。
どうしても、どうあっても、絶対に。深手を負い、多くの血を流し、疲弊する中。
強い血潮がオルグレンの中を、鮮烈に巡った。
四肢がよみがえり、充足を覚える。
刹那――、鉤鼻の騎士が鋼を振り下ろす。
動け、と。オルグレンは自身に強制した。
腕が応え、剣を持ち上げる。足は鐙でしかと体を支えた。
待つのではない。受け止めるのではない。
己から、振り上げる。
打ち下ろされる鋼を迎え撃つ。
刃が激しくぶつかり火花が散った。
その衝撃に、オルグレンの腕は耐えた。
対する鉤鼻の騎士は、馬上でよろめく。思わぬ力の衝突に、競り負け押された格好だった。
上の主人の動きにつられ、馬さえ足を不確かにする。
一方、メーヴはオルグレンの意思を汲んでいる。
踏み込む。相手を押しやるように深く。
メーヴに支えられ、オルグレンは剣を持つ腕を引き絞っていた。迷いなどあろうはずもない。
貯めていた力を、体ごとで放つ。
突き。一点を突破する力。
それによって鉤鼻の騎士の喉を貫いた。
ぐっと、その騎士から音が漏れる。
もはや喋れず……だが、まだ足掻こうと双眸がぎょろりと動く。
とはいえ……
鉤鼻の騎士の腕が、操り糸が切れたように肩から下がった。力を失い、均衡を失う。そして、地面へと引かれるがままに、重い音を立て身をゆだねる。
瓦礫と埃に身を沈めた姿にあるのは、失われた気配だけだ。起き上がりはしない。二度と。
一部始終の間、オルグレンはただ荒れた息を繰り返した。すぐに動けない。
身の内からとめどなく熱が湧き出すが、同時に寒いという矛盾した感覚も得る。
その原因は至極単純。
ここでようやくオルグレンは、手巾を取り出し、鏃の残る傷の上の辺りを強く縛った。
処置の合間にも意識が霞みそうになる。
足の惨状に彼は身を巡る命が、だいぶ流れ出てしまっていることを自覚した。
……それでも。
オルグレンはタロトの大橋へと、視線を走らせた。そして震える唇で、口笛を吹く。
メーヴへと、もう少し走ってくれと願う。
駆け出した、その一歩。
伴う振動が、傷に障り途方もない痛みで、オルグレンを襲う。
だが、止めない。止まらない。
強く、強く。そして速く、速く。
駆け抜けさせてくれ、と指示を送る。
今知ったこと――自分の名を、白い流れ人へと伝えさせてくれと、願う。
そして、かの少年へ……
どうか無事であってくれ、と彼は祈った。




