七章《三節 剣と半曲刀》1
跳ぶ。
オルグレンが駆るメーヴの背から、ロゼは跳んだ。
跳んだ先は最も近くにいた、クゼリュスの騎兵だ。
そして、やったことと言えば馬の背に飛び乗っただけ、それだけだった。
だが、馬も、騎手もそうは受け取らなかったらしい。
急に背を踏まれた馬は、慄いて跳び上がる。
片方で、乗り手もまた不用意な体の動かしようをする。それだけで総崩れだ。
ロゼはそれに巻き込まれぬよう、すぐにそこから飛び降りた。
そのまま、転がっての着地。
馬と兵が大きく転倒する様を見届けることなく、音と気配だけを感じるにとどめる。
体が地面を転がる間に、ロゼは背中から弓を取った。
蘭の木など、複数の材料を組み合わせて作られたその弓は、小さくとも強い。
そして、その弓は取ると同時に、矢も一本取れるよう合わせて留めてある。それによって、即座に構えることが可能なのだ。
起き上がる頃には、ロゼはすでに番えた矢を引き絞っていた。
鏃の先には、金髪のクゼリュスの騎士。
整った顔立ちの彼もまた、ロゼへと構えている。
目に映る鏃は点のように見えた。
それでロゼは悟る。騎士の狙いの正確さを。
同時――、射出音と結弦の音が重なる。
矢を放った直後、ロゼは頭を傾けた。
鋭い音と共に矢が、顔の横を抜けていく。
勢いと痛みが耳を引き裂く――実際、耳が千切れたのだろうと、ロゼは少し遠い所で思った。
それよりも、自身の結果の方が重要。
ロゼが放った矢は、吸い込まれるように若い騎士の首へ。
柔らかいそこを貫く、寸で――
黒い騎士の剣によって叩き落とされる。
――ベイセル。
その姿を目にしロゼは、隻腕の騎士の名を思い出した。
猟犬は確かに待ち伏せていたのだ。
苦味を噛み締める間もない。捕えたのは音だ。背後から駆け込んでくる鉄靴。
ロゼは鋭く横に跳んだ。
靡いた髪の一束が、貫かれる。
凶刃は、短槍。繰り手は、金髪の女騎士。
……ノージス、とロゼは彼女の名も記憶から取り出した。弩を放ったもう一人であろうとも推測する。
「狂剣め……」
女騎士が忌々しげに言う。
「やあ、お久しぶりだね」
取り繕って、ロゼは言った。
跳んで距離を取り、弓を背に戻す。
同時にちらりと視線を走らせるのは、オルグレンへと向けて。
彼らの姿はもうなく、入り乱れた蹄の音ももはや遠い。
既に、手の届く距離にいない。
胸に焦慮の感覚がざわつく。
しかし、一旦、ロゼはそれを息と共に吐き出した。
そして判断する。
かの青年を必ず西へと歩ませるために、次にやるべきことを。
自身ができることを。
――それは、弩兵の排除だと。
ロゼはそうと見出した。自身の使い方を。
オルグレンの傷は深いが、幸いにしてメーヴは怪我を負っていない。
どうにか騎兵を振り切り、この通りへと戻ることができたならば敵はメーヴの足で振りきれる。
どうせ歩兵では馬の疾駆に追いつけないのだ。
代わりに脅威となるのは……、弩だ。
そうと思考しつつ、ロゼは腰の半曲刀に手をかけ、じわりと橋の方へと移動した。
意図をもっての行動で判断する。
他に兵はいない。
遮蔽物のない場所に身をさらし、それで他に騎兵も、矢も飛んでこないことをロゼはそう判断した。かといって、安堵はなく……騎士たちに向けて肩をすくめる。
「私としてはもう二度と、お会いしたくなかったのだけれどね」
用事もないし、と。ロゼは続けた。
隻腕の騎士は、笑いもしない。厳めしい表情のままだ。
「お前にはなかろうと、こちらにはある」
言って掲げるのは、肘から先のない左腕だ。
袖が邪魔にならないようにか、結ばれている。
「特にお前には、この返礼も済んでいない」
「あなたの腕を斬り飛ばしたのは、サクラスだよ」
刃を深く突き立てんとする言葉に、ロゼはあえて軽快に返した。
――憶えはあるのだ。
ルキフでこの男と遭遇して以来、ロゼはあの時のことを思い出していた。
霧がかったような過去の記憶。
ゼオンに拾われることとなった日の事を……
あの日、逃げ出す途中だったロゼは偶然ベイセルに見つかった。
当時のかの騎士としては、子供を保護しようとした程度の事だったのかもしれない。
しかし、ロゼはベイセルに抵抗した。当時のロゼには恐ろしかった。
人が。家族以外の姿形をしたものすべてが。
その騒ぎで現れたのが、死神と剣聖だったという訳だ。
その時のいざこざの結果……それが、隻腕の剣士の左腕にある。
ロゼのその言い様にも、ベイセルは無反応だった。
代わりにノージスが噛みつかんばかりに顔を歪め、一歩出ようとする。
それを隻腕の騎士が視線で押し止めた。
「ノージス、いつもの通りに。ジナは下がれ」
言い、ベイセルが石畳に、足裏をこする様に動く。
その彼の失われた左腕を補うつもりか、ノージスは隻腕の騎士の左やや後ろについている。
金髪の騎士……ジナが、二人の奥で弩を構えた。
状況は、不利としか言いようがない。初めでジナを討ち取れなかったことを、ロゼは残念に思った。
しかし、悔いても意味はないのだ。
まず細く息を吐く。
そうして、ロゼが自身に施すのは、死神が死神と呼ばれる所以の技。
サクラスが説いた、深い集中への入り方だ。
心を細く。集中を深く。余念なく。
一心に、一意に、ただ一つを思考する。
――敵を斃すのだ、と。
深くに堕ち、それでいて浮かぶような、視界が広がるような感覚。
それを、ロゼが得た瞬間。
剣が掲げられる。ベイセルの踏み込みざまの動きを、彼は感じた。
素早い動きであるはずのそれらが、今のロゼには緩く遅くさえ感じる。
その感覚の中で、ロゼは少しだけ動いた。
半歩引く。ただそれだけ。
半身横の空間、鋼が空気だけを切り裂く。
それを見送るようなことはしない。ロゼは自身の半曲刀を引き抜いた。
白い鞘から抜き放つ、滑らかな曲線を描く、死神の剣。
それを横への一閃。
狙いは、女騎士。
突きの一歩を踏み込んだノージスが、慌て気味に退る。
その彼女の方へ、ロゼは身を翻した。
右手に半曲刀を、左逆手に山刀を抜く。
そうしながら、ベイセルとの間に女騎士を置くよう足を運ぶ。
盾にするためだ。技量はノージスの方が低い。
そして、彼女の身があれば、隻腕の騎士も自在には動けない。
そういう算段に出る。
だが、だ。
刹那、ロゼはそれを察知した。山刀を盾に構える。
直後、衝撃。ジナの弩から放たれた矢を弾く。
安堵もなく――
すぐに態勢を低く。
横なぎのベイセルの剣が頭上を薙いでいく。
ロゼは、足に溜めた力で大きく退った。寸でまでいたその場所を、ノージスの槍が穿つ。
距離を取らざる得ない。そうしながら、態勢を立て直す。
あまりに厄介だった。
この苦戦は、多対一だからだけではない。
彼らは慣れている。三人で互いを補佐し合う戦術に。
どこかを崩さなければ――、必然的にロゼはそう考える。
考えながらも間合いを取り、動きは止めない。
走る。
二人を迂回し、ジナへ。
オルグレンの活路にとっても、今のロゼにとっても、ジナの持つ弩が脅威だった。
だが――、ロゼは自身に急制動を掛けた。
当たり前と言えば、当たり前。
ベイセルらが、ジナを背後としている分、ロゼの動きよりも彼らの連携の方が早い。
止まり、とっさに体を開く。
そうして身を反らし、鋼を紙一重で避けたつもりだった。
結果は予測と異なる。
「……っ!」
逆袈裟のベイセルの剣が、ロゼの右肩を浅く斬る。
集中の中で、ロゼは見ていた。予想外の長さを見せた刃の切っ先を。
僅かに伸びるような剣筋。それは絶妙なる妙技。
黒い騎士が手の中で柄を滑らせた分を、ロゼは見誤った。
とはいえ、武器を盾にしなかったのは幸いだった。
ベイセルの剣戟に態勢を崩されるようなことはなく、すぐに足さばきでノージスの槍を避ける。
想像以上に手ごわい。
たちまちに上がってしまった息を落ち着けるよう努めながら、ロゼは思う。
どうする。どうすれば、と。
考えながら彼は、顎へと滴った汗を左肩で拭った。




