七章《二節 猟犬》2
それはその兵から見れば、走る馬に跳び乗られた格好だ。
突然の事態に、驚いた馬とクゼリュス兵が悲鳴を競う。姿勢を崩し大きく転倒、倒れ込むのがオルグレンの目に映った。
見届けられたのは、そこまで。
残る二騎が、メーヴの背後に、ひたりと付く。
オルグレンには、その顔に見覚えがあった。
ルキフの街で遭遇したクゼリュスの騎士。
オルグレンを捕らえるような調子で、横柄な態度を取っていた若い赤髪の騎士――アベス。もう一人も、名こそわからないものの、その場にいた鉤鼻の騎士だった。
彼らは、馬に慣れている、オルグレンはそう感じた。
彼らは路地へと入るメーヴを、巧みに追ってくる。
オルグレンは一瞬だけ、橋の方に視線を走らせた。
確認したのは武器だ。
アベスともう一人の騎士、既に転倒した男は、弩や弓矢を構える様子が無い。
あればすでに放っているはず。つまり、矢を放った射手が別にいる。
同時――、オルグレンはロゼの行動の意味も汲み取った。
少年は、弩を潰すつもりなのだ、と。
とはいえ、敵の数が問題だった。
今、オルグレンを追うアベスと鉤鼻の騎士で、二名。
ロゼが向かおうとしている弓を使った者が二名。
白い流れ人に飛び付かれ、転倒した一名。
他に、あの隻腕の騎士、ベイセルがいるはずなのだ。
……ここがつい先ほどまでクゼリュスの拠点であった事を考えれば、増員すらありえる。
オルグレンが透かし見ようとしても、今は建物に遮られる形で、タロトの大橋を見ることはできない。
それを確認し、一度の瞬きで気持ちを切り替える。
自身のやるべきこと、それをオルグレンは思考した。
先ず、と。彼は鞘走らせ、剣を引き抜く。騎兵をどうにかせねばならない。
角を曲がり、倉庫街――木材が乱雑に立てかけられた前を通り、広めの通りへ。
タロト東岸街の地理は、『猛りの尖兵』にいた者であれば、キャリオル卿から聞いている。
籠城するクゼリュスと戦うことも予想されていたからだ。その情報から頭の中に地図を描く。
そして、思考する。
地理、目にしてきた街の状況から、なにか――何か、敵を打倒す術を、と。
アベスともう一人の騎士が馬腹を蹴り、速度を上げる。
追いつかれる。
その中で、オルグレンは、鋭く口笛を吹いた。
――止まれ。賢き馬、メーヴの急減速。
勢いがついたクゼリュスの馬が、オルグレンを追い越す。
この咄嗟の事態に、鉤鼻の騎士だけは対応しようとした。
オルグレンの体を追い抜きざまに、掴もうとしたのだ。だが――、その手は浅い。馬の速度で取り落とす。
一方、アベスは馬を取り回すので手一杯の様子を見せた。
それを観察し、オルグレンは決めた。
好ましくない言動だとは、自身でも自覚する。
だが――、それでも。
手段を選んではいられない。
一言。
「ガレオの仇を打ちたくないのか」
たった一言。オルグレンはその言葉を投じた。
反応は、凄まじい。
アベスが総毛立つ、そのような雰囲気をオルグレンは感じた。
「貴様ぁああ!!」
感情の水面が一息に煮え立つ。
アベスの叫びは、魂からのものであることを感じさせた。
彼らがどのような関係であったのかオルグレンは知らない。それでも、彼らにも絆はあったのだ。
何せガレオは、幾度もアベスをかばうように動き、最後まで彼の屈辱を晴らさんとしていた。
そして、アベスはそんなガレオを信頼していたとも分かる。必ずオルグレンを打ち倒せる男だと、信じていたのだから……。
アベスの絶叫が届く前、オルグレンはメーヴを反転させた。
走り出す。
矢傷はすでに膝下を、水たまりに落としたかのように濡らしている。身に残した鏃が栓となっているが、動くたびに、その周囲を裂き、苛んで赤い血を溢れさせる。
目の前が霞むような感覚を覚え、オルグレンは一度首を振った。
メーヴが走る。すぐ後ろを追ってくるのがアベスだ。
狙い通り。
来た道を少し戻り倉庫街へ、そして左へ、右へ、右へ。
それが正面に見えた時、オルグレンはメーヴの首を撫でた。少し無理をさせるぞ、とメーヴへと謝る。
目の前に迫るのは、目をつけていた場所。
倉庫の壁に、乱雑に立て置かれた木材だ。
元は家屋だったのだろう。加工や、色彩の生々しいそれら。
暮らしの痕跡が、壊され、死屍累々と無惨に立ち並ぶ。
頑丈な建材たち。
重い柱、無数の壁板。
一度、オルグレンはアベスを振り返った。
それを挑発と受け取ってか、アベスが馬腹を蹴る。
速く、速く、と急き立てるように。
オルグレンもメーヴの速度を速めた。
慎重に、速すぎず、かといって追いつかれぬよう。
材木が迫る――直前。
彼は足を動かす。
激痛が奔る。しかしそれでも、脚を使い、手綱を使い、メーヴに命じる。
同時――オルグレンはその馬の上で体重を移動させた。メーヴの動きを阻害しないよう、そして助けるように。
材木の寸前――
指示を受けた黒鹿毛の馬の、後ろ足を沈みこませての急停止。
砂の混ざった石畳の上で馬蹄が滑り、霧よりも濃い砂埃が上がる。
オルグレンは、自身が前へと放り出されるような力に抗う。痺れるような、感じられる上限を超えた痛みに、目が眩む。
だが、その中。次なる指示。
メーヴを後ろへと跳ねさせる。
その弾かれたような後退の最中。
オルグレンは、アベスが息を呑む音を聞いた気がした。
激高の興奮に染まった目が、見開かれ驚愕の色に変わるのを見た。
勢いに乗った赤髪の騎士とすれ違う。
オルグレンとメーヴとは違い、――彼と馬は止まれなかった。
停止の指示は出していたが、速度の乗った馬は勢いを殺すことが、できなかった。
なすすべもなく……
騎士アベスは材木と壁の中へと吸い込まれる。
次に響いたのは馬の悲鳴。壁への衝撃が建物自体を揺らす。鈍い音。潰れた音。
倉庫自体は壊れなかった。だが、縦かけられた建材は別だ。
重音を響かせ木材の倒壊が始まる。重い、重い柱に、馬が、若者の身がつぶされた。
悲鳴は、どれが馬か、騎士のものか判別がつかない。
圧力と崩壊の音の中、オルグレンはメーヴの身を翻させた。
衝撃も冷めやらぬざらついた匂いと粉塵。
倒壊の只中、終いまでを見送ることなく。
残るは……。
彼がそう思考した、――刹那。
オルグレンは、視界に銀色の閃きを見た。
自身のものではない、冷たい鋼の光を。




