六章《五節 それぞれの行く路を》2
流水に削られる砂の上。
そんな所に立っている心地だ。
ロゼは揺らぐのを感じた。
心臓が早鐘を打つ。その忙しない臓器からは、冷えた血が絶え間なく送り出され、芯から温度を奪うようだった。
敵に追われ、オルグレンが囮となった。
彼は孤立し、騎兵に追われているはずだ。
どうにかしゃべれる程度となった、ダグエルの話が思考を何処かへと流していきそうになる。
それではいけない。ロゼは一度目を閉じた。
少し離れた長机では、ウルローグが絶え間なく声を響かせる。撤退するクゼリュス兵への対処の指示だ。
彼女は、彼女の領分の采配に忙しい。そして、アディーシェの現状を理解し、出来るだけ足掻き、最善を手にするつもりのようだった。
ややあって、目を開く。
ロゼの目に映るのは、ダグエルの顔だ。大の大人が、本当に悪いことをしたと言わんばかりの表情を浮かべている。まるで宝物を失わせてしまったと言うように。
「困るね、ダグエル。私の友人を、もうやられてしまったかのように言うのは」
ロゼはわざと笑うように言った。
「オルグレンもオルグレンだ。海じゃなく、陸地で遭難してしまうなんて」
「…………」
ダグエルは黙っている。
見透かされたような心地になり、ロゼは短く息だけを吐いた。
ダグエルも、自身もごまかせない。
悪い考えが浮かびそうになり、唇を噛む。
それでも……、ロゼは思う。オルグレンは強い。
思考と体が一致してきたと言う彼の力強い剣技は、いっそう冴えを増している。
剣の強さのみならず、馬を扱うその手腕は『猛りの尖兵』の騎兵部隊と比べ何ら遜色がない。彼ら以上に慣れている様子さえ見せていた。
それに、黒鹿毛の牝馬メーヴも賢く、強い馬だと彼は知っている。
だから、すぐにはやられはしない。
指先が冷たいような感覚を覚えながらも――ロゼは、そう信じることに決めた。
ならば、とロゼは胸中で考える。自分が行うべきことは何か。
己の役割。それとは何か……、
「……私が行って、見つけてくるよ」
芝居がかった取り繕った言葉ではなく、ロゼは静かに言い直した。
「だから、ダグエル。そんな顔はしないでほしい」
自分がオルグレンを見つけ、救ってくる。ロゼはそう告げた。
「別れた場所を教えてくれないかい?」
更に問う。
まず必要なのは場所の情報だ。
ダグエルが頷く。
彼の地理の把握はさすがとも言うべきものだった。
直前までの進路と、自身がもしオルグレンの立場であればとの退路の推測。
一通りを聞き……そして、次。ロゼにはもう一つ借り受けたいものがあった。
「誰か、私を運んでくれないかい?」
ロゼは、声を掛けた。その先は、ダグエルの部下だ。
ロゼも馬には乗れる。
鐙というものが広く使われるようになった昨今、騎乗し移動するだけであれば、それほど難しいものではない。
だが、ただ歩き、走らせる以上のことを、ロゼにはできなかった。
意のままに駆り、その上で戦う、それは、かなりの訓練と技量を要する、特殊な技能なのだ。
その技を、ロゼは持ち合わせていない。
つまりオルグレンやダグエル達のように馬と意識を通わせ、共に戦うようなことはできないのだ。
故に、クゼリュスの布陣が間近にある、いつ戦闘が起こってもおかしくはない場所を移動するには、助力が必要。
人の手を煩わせたくはない。
それでも青年を早く助けるには、手を借りなくてはならない。
どうかと、願う。助けてほしい、と。
ロゼの呼びかけには、思ったよりも多くの手が上がった。
歩兵の者まで、手伝おうかと手を挙げてくれる。オルグレンが大変なのだろうと、彼らが口々言い出す。
戦場で、手合わせで、酒の場で、或いは仲間のとむらいの場で、彼との交流があったからと声が群れる。
オルグレンは慕われている。
ロゼは誇らしいような、喉まで熱いものに満たされる気持ちで彼らの顔を見た。
とはいえ、『猛りの尖兵』は、これから困難な闘いに挑まねばならない身の上だ。
多くの者の力は借りられない。
適任とダグエルが指したのは、オルグレンと共によく馬を駆っていた、中年の騎兵だった。
その人が、任せておけとばかりに大きく頷く。
そして――、
「ロゼ、タロト東岸街からやつらが出たということは、……街は空だな」
口を挟んだのは、ウルローグだ。
大方の采配が終わったのか、彼女が書状筒をロゼへと示した。
それは何かと、問う間もあらばこそ。
投げてよこされ、ロゼは両の手でそれを迎えた。抱えるように受け取る。
「ついでだ、オルグレンを見つけたら、タロトの大橋を通ってしまえ」
ウルローグの言葉に、周囲が僅かにどよめいた。
しかし、彼女が手を上げて制すると、それが静まる。
「私たちの目標はこの戦争で、クゼリュスを叩き潰すことだ。だが、お前たちの目標は、橋を渡ることだったはずだ」
彼女が言うことは真実だ。
ロゼは肯定として、頷いた。
客将として招いてもらい、行動を共にしていたが、至りたい場所は違う。
「戦後処理が始まれば、橋は混乱するからな」
なら、今、伝令の態でさっさと渡ってしまえ。
キャリオルが封蝋印を施した書状が、中には入っていると、ウルローグがそう言う。
彼女と共に長机を囲んでいたキャリオルが、柔らかくロゼへと手を振った。
「君たちへの報酬も入れてある」
その言葉で書状筒の中身には、通行許可証もあるのだと知れた。
それはロゼとオルグレンが戦働きの報酬として、願っていたものだ。
キャリオルは貴族として、タロト三市街の貴族にも交流がある。その伝手を使ったものだと言う。
それで通ってしまえ、と言うウルローグは、暗にオルグレンの無事を信じているということも示していた。
「さて、報酬は支払った。だから、ロゼ。お前たちと私たちの契約は終いだ」
そうと傭兵団『猛りの尖兵』の団長が告げる。
場に少し、寂しげな空気が漂った。
その中でウルローグが、力のある言葉で言い放つ。
「勝手な話だが、一つ願う。お前は友と歩み、サクラスの遺言を果たせ。そしてサクラスが何を思って、お前にそう言ったのか知ってこい」
彼女は更に続ける。
「そしてお前との歩みの果に、オルグレンが彼の求める何処かへと帰れる事を、私も願う」
彼女に、ロゼは深く頷いた。
そして、喉へわずかに詰まるような感覚を覚えながらウルローグと、傭兵団達を見渡す。
「……ウルローグ、そして『猛りの尖兵』の者たち。この戦を最後まで見届けられなくて、申し訳ない」
ロゼは言った。
そして、強く思うと同時に言葉にする。
「あなた達の武運長久を、心より願うよ」
ああ、と応じる強者たちの声が響いた。




