六章《二節 霧の未明に》3
……何かある。クゼリュスは何か企んでいる。
その予感がオルグレンの中に濃く立ち込めていた。
探らなければ、と思う。
同時、動かなければとも――。
ウルローグもまた同じ思考であったらしい。
「まずは眼だ。……見通すには、眼が要る」
言葉をこぼし、彼女は顔を上げ、視線を一点に投げる。
それを受け取ったのは、斥候部隊の隊長だ。
とはいえ、彼は肩を竦める。その仕草だけで、言わんとしていることは分かった。
つまり、そんな人手などないぞ、と言うことだ。
彼の部下は、既に各所を走り回っており、傍に副官さえついていない状態だ。
いかんともしがたい。
この事態にあって、
「私が手伝おうか?」
手を振るのはロゼだ。
向かい側では、ウルローグが顔を顰めた。
「言っておくが、……危ない真似はするなよ」
適任だとは思っている様子。そうでありながら彼女が白い流れ人へと向けるのは、半眼だ。
砦のことを思い浮かべて……、と言ったところか。
似た思いでオルグレンも、ロゼを見た。
今の少年の表情に、あの頃ほどの暗色は見て取れない。
河の賢者シルユーノの影響を、彼は自身の中でどうしたのか……。
ともあれ、オルグレンが、――心配した、とはっきりと伝えた後からのことだ。
ロゼはオルグレンの前から姿を、あまり晦まさなくなった。
姿が見えないと感じても、程々のところでは、軽い調子でひょいと顔を覗かせてくる。
戦場でも、普段でも。
その時の彼の、何か言いたそうで……だが、肝心のことは何も言い出さない顔を見、オルグレンは思うのだ。
もっと彼の心の内を聞きたい、と。
そういう時、オルグレンは、自身に語れる過去があれば……と切に願う。
そうすれば、ロゼだけに深いことを吐露させるようなことにはならないからだ。
或いは、自身が確固として存在するものであると、証明できるような自信を、早く取り戻したいと願う。
ロゼが自身を支えてくれたように、俺もお前を支えられる確固とした者であると、受け止められる者だと名乗れるような自己。それが要る。
自身の名を”だと思う”と言うような、今の曖昧な存在では、……何よりもオルグレン自身が納得できない。
「もちろん。無理はしない、無茶もしないよ」
ロゼが言う。
オルグレンはその声に引き戻された。少年の目が、ちらりとオルグレンに向く。
視線を交わす間、オルグレンはウルローグの視線を片隅に感じた。
その視線の意図を問う前。
「……誓って言うか?」
ウルローグが念を押す。
「うん、ちゃんとするよ」
ロゼの首肯。それへウルローグが深く息を吐く。少し、芝居がかって思える程の仕草だ。
そうして周囲の注意を自身へと向けて、彼女が口を開く。
「頼むぞ。なにせ、お前に怪我はさせられん」
そう言いつつ、彼女の真っ直ぐな視線が動く。
傭兵団長の双眸がはっきりと自身へと向き、オルグレンは瞬きした。
鋼のような確かな茶色の双眸。
それがなぜか一瞬、稚気を覗かせ――
「――そうじゃないと、私が彼に叱られかねん!」
オルグレンはむせた。
言葉で反応しかけたものの、それが喉で躓いたのだ。
それでか、ダグエルを含め、幹部の面々がどっと笑う。
硬かった場が、緩んだ。あたたかく、和やかに。
これは間違いなく、口端を笑ませたウルローグの作戦だ。
だしにされてしまった。
だが、オルグレンも思わず笑い半分で顔を緩める。緊張ももちろん必要ではあるが、それだけでは動きづらい。
かと言って緩みきってもいけない。
温度を上げつつ、空気を締める。
「さて――」
ウルローグが続けた。
「歩兵、弓兵諸氏は、このままこの場の守りだ。ただ、各一班程度は自由を保て」
指示を受けた者が、各々のありようで頷いていく。
「それから動きが必要だ。ダグエル、夜でも走れる連中を、北側へ伝令に走らせたい」
「北の部隊に……? まさか」
ダグエルが聞き返す。ここで彼もその可能性に気づいたらしかった。
「ああ、気のせいならいいが、状況が気になる」
ウルローグが、副官へ頷く。
「杞憂でも、笑われて終わりだ。だが、今この時点で身構えなければ間に合わん」
本当は証拠を突きつけて言ってやりたいところだが、という彼女は険しい表情となる。
こういう動きを敵が取っている、それをしかと確認した、故にこういう行動を取られたし……そう言えるのが理想だが、実際はそれでは後手となる。
ウルローグが言うのはそういう話だ。
「承知。なら、オルグレンの兄さんを借りられますかい?」
ダグエルが言う。
オルグレンは、ロゼとウルローグの視線を浴びた。
先に口を開いたのは、傭兵団長だ。
「……できるのか?」
オルグレンは頷く。そして答えた。
「ああ。薄明りであればメーヴは走ってくれる」
メーヴは、いつか交戦したクゼリュスの補給隊、その守備隊長のものだった黒鹿毛の馬だ。
かの牝馬は、実に頼りがいのある性格だった。物おじせず度胸がある。
無論、暗闇を走るようなものではないが、オルグレンが頼みに行けば、明け方でも背に乗せ駆けてくれた。
「俺も、このあたりの道は憶えた。問題ない」
やらせてくれ、と足す。
霧の中、という不安要素はあるが、オルグレンは自身にできることはやりたかった。
――少しでも、一歩でも、進むために。
「……お前の友人は頼りになるな」
ウルローグがロゼを向き言う。
彼女が浮かべるのは、より身内のものに向けた優しげなものだ。
ロゼも少し柔らかく応じた。
「うん」
ロゼが小さく笑う。
そして、
「彼は、私の自慢の友人だからね」
白髪の流れ人がそうと答えた。
思わず息を飲む。そのオルグレンの胸には、眩しいようなあたたかさが満ちた。
そして言葉にできないもので、むず痒く表情が崩れてしまう。
ありがたい、……素直にそう思う。
周囲を囲う『猛りの尖兵』の一同が、各々に表情を緩めるのが視界に映る。
それは見守るような、ほのかな柔らかさがあるものだった。
ロゼのみならず、自身を含めて向けられていることを、オルグレンは確かに感じた。
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