六章《二節 霧の未明に》2
再び眠りに落ち……どれぐらい経ったか。
物音に気付く。
それが何の音であるか判断する前に、オルグレンは眠気を押し上げ目を開いた。
そして勢いのまま、体を起こす。
天幕の中はまだ青暗い。
しかし、黒に塗りつぶされているものの、物の形がわからないほどではない。
ものの見え方と体の感覚から、東の空にわずかに陽の気配が出た頃と、彼は推測した。
「奇襲か」
オルグレンの脳裏に、すぐに思い浮かんだのはそれだ。
とはいえ、かき鳴らされる警鐘の音は遠い。そう天幕の布越しに聞こえる音からも判断を重ねる。
「……ちょっと遠くだね」
ロゼが言う。
やはり彼の声は眠気の濁りがなく、澄んでいる。
しかし、四肢を伸ばす様は、どこか気だるげだ。
オルグレンも手足を伸ばし、体をほぐした。その芯には抜けきらぬ重さがある。
お互いに……いや、この戦場に居るもの皆であろうが、疲れているのだ。
風向きの変化が起こったあの日から、クゼリュス兵は動きを変えた。
これまでアディーシェ軍の物資を狙って行われていた夜襲は、今は止んでいる。
代わりという訳ではないが、タロト東岸街の囲郭の損傷……クゼリュス軍自身が占領の際に崩したものの修復が、以前よりも念入りに行われていた。
また、囲郭に設置された投石器などの補修活動も活性化している。
まるで、我々は籠城を続けると、高らかに叫んでいるような、そんなありさまだ。
対するアディーシェとしては、それらの妨害を行うのが忙しい。
「行こうか」
言って、身体を丸めるように眠っていた姿勢から、ロゼが起き上がる。
それの気配を感じつつ、オルグレンは剣を身に帯びた。
ある程度の装備は身に着けたままだ。剣と上掛けに使っていた外套さえ身に帯びれば、最低限の装備は整う。
そうして、天幕の前幕を持ち上げ――出た外は、やはり、オルグレンが感じた通りの時分だった。
そしてここ数日よくあったように、夜半までのぬるい空気が押し流され、代わりにひんやりとしたものが立ち込めている。
霧だ。風が今は北から吹いている。
その涼風が、あたたかい大河に触れ、白く濁ったのだろう。
傭兵団『猛りの尖兵』の野営地は少し高台にあるため、まだ薄いが……滔々たる大河の付近には、恐らく霧が白布のように濃く立ち込めているはずだ。
ロゼと共に、にわかに騒がしくなりつつある天幕の間を縫って歩く。
オルグレンは柵の方へと歩き、それを認めた。
タロト東岸街に、灯されている篝火が見えない。
見通せない闇が広がるばかりだ。
オルグレンが視線を戻せば、野営地の篝火も離れたところのものは朧気に霞んでいる。そして、まとわりつくような湿気があり、水の匂いが微かに香る。
濃霧……。
ここ数日の朝にも立ち込めていたものが、今日は一段と濃かった。
ふと、オルグレンの腕を小さな感触が引く。
そうするのは、問うまでもなくロゼだ。
高さの差異のせいか……肩を叩くよりそうする方が、少年にはやりやすいと見え、互いに定着したやり取りとなっている。
その仕草に促されるまま、ロゼを見やり彼の視線の先を追う。
そこにはウルローグとダグエルの姿があった。
天幕の路地を抜け、タロト東岸街の確認のために出てきたらしい。
すでに幹部に囲まれた彼女は、見通せない東岸街へと顔を向け、睨むように視線で射抜く。
そして、呼ばれずとも集まってきた幹部を前に、ウルローグが口を開いた。
「襲われているのは、タロト東岸街の正面だそうだ」
つまり、『猛りの尖兵』から見て暫く南の位置に当たる。
彼女が口にしているのは、常に放っている斥候からの情報だろう。
「お前らも起きたか」
ウルローグが口角を上げる。彼女はオルグレンとロゼが現れるのが当然とばかりの笑みだった。
集まった者たちへと、彼女が口を開く。
「攻勢の規模は大きい。だが、うちに援護依頼は来ていない」
あっちは正規軍だから、助けを求めるにしても正規軍の第二陣へ言うだろうと、ウルローグが続ける。
状況は分かった。
しかし――、
「狙いは何だ……?」
なぜ、ここで奇襲に出たのか、だ。
オルグレンは思わず言った。
今までのクゼリュスの夜襲は、嫌がらせと物資の簒奪が目的だ。この流れで完全に籠城の構えをとっていたものの、やはり物資が足りなくなり簒奪しようとしている可能性はなくはない。
或いは攻勢か……。
それにしては、状況がおかしい。
では、今までの籠城の構えは何だったということになる。
加えて、ウルローグは、タロト東岸街の正面だと言ったのだ。アディーシェ正規軍が配されたそこは、予備軍の位置から最も近い。つまり守りが厚いのだ。
そこへ物資不足の軍が、貴重な兵員を賭すだろうか。
固い守りから手足を出してみせた理由は、一体何か……オルグレンは眉を寄せる。
「ああ、そう、それだ。オルグレン」
ウルローグも頷く。
彼女も気になっている様子だ。
「正直にいえば、分からん。だが……」
彼女は細い顎に手を当てた。霧の中を見透かさんとする目に、鋭さが浮かぶ。
あまりに、気にかかる敵の動向。
その意図が気になる。気に障る。




