六章《一節 待ちて望む、あるいは臨む》1
タロト東岸街。
陽光に温められ、部屋の中はぬるい熱気が満ちていた。
それを幾分化和らげるのは、北風だ。
開け放った窓から入り込むその風が、滔々たる大河の音と共に窓布を揺らして抜けていく。
その中で――
長くは保つまい……、隻腕の騎士ベイセルはそう胸中に呟いた。
それは、先程得た情報を判断してのものだ。
彼の副官である、ジナがもたらした情報。
それは、北の砦が落ちた、と言うクゼリュスにとっての凶報だった。
標星の大国――クゼリュスによるアディーシェへの侵攻作戦。
その、足掛かりとなった砦は、補給隊の阻害による物資不足に苛まれた挙句、しばしの籠城戦の後、アディーシェに奪還された、と。
それが意味することは、
「クゼリュス軍は、このアディーシェの地にて孤立しております」
ジナが言う。
現在位置であるタロト東岸街。これを占拠するクゼリュス軍が、言葉の通り完全に孤立したということだった。
冬季には、アディーシェを代表する滔々たる大河を使用し、大規模な物流によりクゼリュス側が勝利を収めた。
そうであるものの、春が過ぎてから戦況は、坂道を落ちるようなものだったとベイセルは聞いている。
季節による風向きの変化により、船は遡行不能になり、春の訪れによる雪解け水と、その増水によって街道は通行不能となったのだ。
これにより補給路を変更せざるを得なかったという。
だが、この路の位置だ。
これが悪く、クゼリュスは長くアディーシェに兵站を絶たれる結果となっていた。
結果、砦の兵は腹を空かせ、矢弾は尽き、ついには命運まで……。
「天の時は、地の利に如かず、ということか」
ベイセルは言いながら息を吐く。この地というものを深く理解せず、己の利のみを追った結果だろう。
本国――標星の大国クゼリュスにとっては損失以外何者でもない。
しかし、
「我々にとっては、よい知らせかもしれんな」
おいそれとは口にできない内容ではあるが、ベイセルは低く呟いた。
タロト東岸街の一軒を接収した部屋でのことだ。ジナを除けば他に耳はない。
ベイセルは、タロト東岸街を占拠する自軍とは距離を置いていた。自身たちが帯びた命を優先するためだ。
これにはここの指揮官と一悶着があったのだが……、最低限の支援のみで人員は貸さないという辺りで落とし所をつけた。
この時ばかりは、赤髪の騎士アベス――彼自身と言うより、彼の父親アーベルトの名前が役に立った形だ。
おそらくは、政敵である彼への貸しにでもするつもりなのだろう。
ともかくとしてベイセルの言葉に、ジナがはい、と応じる。
「そして、……やはり彼らは来ているようです」
砦の敗残兵より、聞き出しましたと若き副官が続けた。
「敗残の者が、砦の将を打ち破った場に、黄金の髪の青年と白い髪の子供がいた、と」
ジナが言う。ベイセルが彼に目を向ければ、続きが紡がれた。
「エーイーリィの狂剣を見たとも言っている者がいたので、まず間違いはないかと」
抜きん出て剽悍な傭兵団と行動しており、多くの戦功をあげていると、ジナはそう報告する。
「――オルグレン・サイラス・レヴァニール……」
ベイセルは口に出した。それは捕えるべき者の名だ。
「死神の狂剣――ロゼ」
次に口にしたのは、殺すべき者の名。
ベイセルは腕に手をやった。
彼の左腕は、肘から先がない。ありし日に、死神と裏切者の剣聖――そして、後に死神の狂剣と呼ばれることとなる白髪の……死神の縁者によって与えられた傷だ。
煮えるように腹の底から湧き上がる感情を、今は堪える。
彼らは、ともにいる。
ルキフの街から逃げおおせた二人は、ベイセルが思い描いた通り、他所へ赴くことはなく、西へと移動している。
間違いなく、タロトの大橋を越えようとする。
故郷に帰らんとする男の意思によって、一日でも早く、と。
「では、――おそらく、このタロト東岸街が落ちる日、だな」
ベイセルは言った。
クゼリュスが占拠する限り渡れない橋。
これを彼らが渡ろうとするのであれば……それはアディーシェ軍がこの街に流入する間際。
そうとなるはずと、ベイセルは踏んだ。
完全に解放された後では、難民の動きとクゼリュスの敗残を排除する動きで橋が混乱する。それでは通り抜けることが難しくなるからだ。
この間際が勝負――。
ベイセルへ、ジナが再び肯定で応じる。
「アベス様の脚の傷も癒え、十分に動けるようになっております」
任を果しましょう、とジナが言う。
ベイセルは頷き、日没の薄暮に染まる方を睨んだ。
その視線の片隅で、風見鶏が踊るように回る。
鳥が向く。それが風向きを知らせた。
風は南から吹いていると――
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