五章《四節 この日よ、ありし日よ》2
「おっさんの顔になっていないか?」
後ろから声を掛けられ、ダグエルは思わず背を飛び上がらせた。
くっと口角をあげて笑むのは、他でもない『猛りの尖兵』団長ウルローグその人だ。
「それはさすがに、ひどくねえか」
ダグエルは口を曲げて言った。
作戦行動中ではないので、無礼講だ。
とはいえ、
「まあ、俺はロゼぐらいの子供がいても、おかしくねえけどもよ」
事実、子供が生きていれば、そうだったのだ。
その子が傭兵団にいる理由であったはずだが、……もはや顔も思い浮かべられない。
嫁の顔さえ……曖昧なのだ。
思い描けない顔の変わりに、自身がウルローグの横顔を見ていることに気づき、ダグエルはじゃれている二人へと視線を戻した。
そうしながら爪を立てるようにして、茂ってきた無精ひげの辺りを掻く。
その落ち着かぬ様子のせいか、ダグエルは視線を感じた。彼女の切れ長の目が見上げてきている。
そのウルローグに何かを言われる前、
「まあ、あのちびが、なかなか大きくなったもんだ」
頭に浮かびかけていたことからは目を逸らし、ダグエルは視界に映ったままのことを口にした。
言葉で指したロゼに、よく生き抜いたものだと考える。
「……ああ、そうだな」
同意を示して、ウルローグが静かに応じた。
「ゼオンがヤツを拾ってきた時は、酷かったからな……」
彼女の目が遠くを見るように変わり……
「私は、獣でも拾ってきたのかと思ったぞ」
ダグエルは思わず小さく吹き出した。
確かに当時、彼もそう思ったのだ。
五年前、剣聖ゼオンが連れてきたのがロゼだ。
当時、ゼオンはサクラスと共に、クゼリュス首都アスデウスに潜入していた。
そこから戻ってきた彼の腕の中には、何故か子供が……、といった具合だ。
ダグエルは今でも思い出せる。ゼオンの元からも何度も逃げ出そうとしたらしい姿は、実に無残。農家で酷使された麻袋のような酷い有様だった、と。
白い手の甲に、何か顔料で描かれたと見える消えかけた精緻な紋様があり、山間民族の子では? と元行商だった団員が言ったものの……正体は何も分からない。
白い髪に薄紅い目の不思議な子供。
少し落ち着く場所が欲しいとのゼオンの頼みで、天幕を一つ貸したが……子供はウルローグの言う通りの有り様だったのだ。
今よりも更に攻撃的で……哀れなほど周りを恐れていた。
「両腕は傷だらけ、その癖に手当ては嫌がるわ。食物出しても食わねえわ」
みんな、嫌いだ。大嫌いだ、近づくな、と。
小さな手で突っぱねる姿を、ダグエルもよく覚えている。
混乱し、怯え、……それで元々現れた時点でも弱っていたその子供は、見る間に衰弱した。
そうして天幕の隅に蹲ることしかできなくなっても、こちらの施しを受け取ろうとしなかった根性は、いっそ見事なほど。
そこを根気強く面倒を見たのが、ゼオンだった。
何もしない。お前が心配なだけなんだと、時間をかけて寄り添った。彼はそういう人間だった。
「あの時、サクラスがなんと言ったか憶えているか?」
ウルローグが言うが、ダグエルには心当たりはない。
首を傾げれば、彼女はお前のいない席だったろうか……、と自身の細い顎を撫でた。
「サクラスは、――何がしたいのかさっさと決めろ。喚いて駄々をこねるだけなら、そのまま死ね。怒りを示したいなら、足掻け。やり方なら教えてやる、とさ」
思わず乾いた笑いが漏れる。
子供に掛ける類の言葉ではなかろうに、とダグエルは思った。
「まさか、そのまま本当に弟子になるとは思わなかったが、ね」
本当にあれは気に入らなかった、と。
ウルローグが憮然と腕を組む。
「私は、サクラスが誰と連れ合おうといい。はじめに結婚した時だって祝福した、……あんなことになってしまったけどな」
ウルローグが思い出しながら言う。
サクラスは、好いて一緒になった相手を失っている。そして自身もひどい怪我を負った。
――クゼリュスの者たちは、死神を恐れたのだ。
サクラスが将を辞して退役したことを、間諜か何かから知ったクゼリュスが、小競り合いにかこつけて隠居していた村を襲ったのだ。
なにせ敵国の事情だけに、真相は分からない。だが、そうだと言われている。
その出来事から、サクラスは変わった。
単独行動の傭兵となり、狂った死神と呼ばれるに至る。名の通りの、クゼリュスへの報復を行う日々だ。
「それから、ゼオンのことも」
ウルローグが言う。
あまりにも痛切すぎる姿に、身内としても少々心配をしていた頃、サクラスはまた少し変わった。
それはクゼリュスを裏切ったと言う、剣聖ゼオンと行動し始めた頃だと記憶している。
何故共に行動するようになったのか、その経緯はダグエルは知らない。
ただ、その頃から悲痛な狂気さえ思わせたサクラスの行動が、落ち着いたことは憶えている。
「……ゼオンと夫婦になるなら、それもまた祝福したさ」
言葉とは裏腹に、ウルローグの口調にはどこか吐き捨てるようなものが混ざった。悔しさのような色がダグエルには感じ取れる。
不本意なのだ。
それでも、ウルローグは女性で、サクラスもまた女性なのだ。
だから、ウルローグが慕おうと、願おうと、夫婦にはなれない。
望めないのだからその立場ならば、譲ってやれるとウルローグは言う。
そしてなによりも重要とばかりに、
「だが、弟子は別だ」
そう彼女が言葉に力を込める。
「姐さん、ついでに、もう一つ酷いことを聞いても?」
「ん?」
ダグエルは改まって聞いた。
ウルローグの喉だけの返答を聞き、言葉を続ける。
「飛び出していかなくてもよかったんで?」
それは、ロゼと再会したあの日の事だ。
幹部の大半は、ウルローグが飛び出して行ってしまうのではないかと、危惧したものだった。
サクラスの仇を討つ為に、クゼリュスへと行ってしまうのでは、と。
傭兵団のすべてを連れては難しいが、少数であれば……あるいはウルローグ単身であれば、関所を掻い潜って移動も不可能ではなかったはずだ。
ウルローグの激情家としての面を知るものであれば、一瞬は考えたに違いない。
「それは、ロゼにも聞かれたな……」
恐らくは、シルユーノと出会う少し前……二人で出かけていた時なのだろう。
「……もちろん、考えたさ」
包み隠さず、彼女は肯定した。
それだけ深く惚れ込んだ相手なのだから、と彼女はあっさりと口にする。
「いつだって、私はあの人のために動いてきた」
ウルローグがほほ笑む。
「けれど、今の私は、あの人の為だけに動いてるんじゃない。お前たちの顔が過った――それだけだ」
そのまま、言い切る。
彼女の表情に、ダグエルは一点の曇りも見つけることはできなかった。
サクラスへの激情を抱いたまま、それでもこの我らが『猛りの尖兵』の団長はしっかりと共に在ってくれている。
それを目に収め、ダグエルもまた口角を上げた。
そうして見つめる彼女の表情は肌に似合う、輝かしい太陽のようだった。
今の空のように。
間もなく、暑さの盛りが来る。
そうとなれば、クゼリュスのもう一つの補給路が動き始める。その前に大きく状況が動くはずだ。
何も不安はない、ダグエルは思った。
ただ、この団長と仲間たちを支えようと胸に刻む。
傍らを吹き渡る風は熱さを孕み、次の戦場を思わせた。




