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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
五章〈砦奪還戦〉
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五章《二節 まれびと》2


 急な来訪者は、今は幕舎の中だ。

 オルグレンは、静かに座るシルユーノの姿を見た。

 

 戻るまで話を、と彼女に言われ同席したが……話せることもない。

 故に、今あるのは沈黙だ。所在なさげなキャリオルが、幕舎の中を歩く音と、シルユーノの侍女が扇で主人にそよ風を送る音、それらだけがかすかにある。

 

「シルユーノっていうお人で……。お前、知り合いなのか……?」

 ぼそぼそとした小声が、幕の外から届く。

 オルグレンがいるのは、丁度出入口を背にした位置。

 中の方では聞こえない、かすかな音や声が耳裏に届いた。


 漏れ聞こえた声からオルグレンは、ロゼがウルローグと共に戻ってきたのだと察する。

 先ほどの声は、ダグエルからロゼへの問いらしい。

「……知らないよ」

「お前を訪ねてきて、しかも末弟と言ったんだぞ?」

「そう言われても……、心当たりもないね」 

 私は独りだよと、ロゼが言う。

 

「本当に、私の事なのかい?」

 確かにシルユーノは、名指しをしていない。

 だが、彼女の到着時には不在でオルグレンと強い縁がある人物……その条件に当てはまる人物が、ロゼ以外いないのも確かだ。

 その問答と、ウルローグが吐く深い息の音が聞こえた。

 

 ややあって……

「傭兵団『猛りの尖兵』団長、ウルローグだ。対面の許可をいただきたい」

 らちが明かないと判断したと見え、傭兵団長の低いきっぱりとした声が響く。

 

 それに幕内のキャリオルが、ほっとしたような顔を見せた。

 オルグレンが聞く限り、彼もシルユーノの行動に巻き込まれた人物なのだという。

「――許可する」

 キャリオルが答えた。


 垂れ幕を払い、ウルローグが姿を現す。

 それにダグエルとロゼが続いた。

 それぞれが礼を取り合い、先ずの一言はキャリオルだ。

「『猛りの尖兵』先駆ウルローグよ、突然押しかけて申し訳ない」

 

「お気遣い、痛み入ります。さて、……私の身内を、お呼び立てだとお伺いしておりますが」

 単刀直入。ウルローグが問うた。

「ああ、こちらのお方だ」

 そうシルユーノを手のひらで指し、キャリオルが紹介を始める。 

 曰く、東の河の賢者シルユーノ様である、と。

 

 アディーシェの首都アスタの外れに作られた、庵の古くからの住人。タロトの大橋に関する知恵――修繕や、改修に関するもの――をもたらしてくださるお役目だと語る。

 

「シルユーノ様は人の縁……とやらが見えるそうでな。今日、お前とその子供が……」 

 キャリオルの言葉の途中で、シルユーノが立ち上がった。

 

 そして、一同へ深く礼をする。

「近づいて、ようやく縁が見えました。それで、一目お会いしたいと、……」

 どうすれば接触を持てるか、困ったところで、ウルローグとキャリオルの縁が見え、それで願い出たのだと河の賢者が説明する。

 

 わかるような、わからないような話だとオルグレンは腕を組んだ。

 だが、疑うにしても、一応の辻褄はあっている。

 そして、彼らに偽りを演じる理由など、見当たらない。困惑しかない。

 

 そして、――当人だ。

 ロゼが驚くような目で、シルユーノを見ている。

 彼は外で知らないと言っていたが、その視線は見知らぬものを見ているというふうではない。

 相対するシルユーノは、何も見ていないようでいて全てを見透かすような目をロゼへと向ける。


 二人の間にオルグレンは不可思議なものを感じた。……いや、見たと言った方が正しいか。奇妙な感覚を得た。

 違和感の揺らぎ、そうとしか形容できない不可視の何か。シルユーノから音もなく染み出たそれが幕舎の中を満たし――その内、本流とも言うべき大きな揺らぎがロゼへと伸ばされる。

 

 その()()が身に触れた途端、ロゼが嫌がるように首を振った。少年の表情が歪み、身を竦める。

 その彼へシルユーノが、水が流れるかのような歩みで寄り、そっと細い腕を伸ばす。

 

「我らが末弟よ」

 彼女は、水に誘い込むように囁く。

 河の賢者が口にする呼びかけの意味は、オルグレンにはまるで分からない。

 だが、彼は胸に重石がのしかかったような、奇妙な圧力を感じた。


 シルユーノの腕が、凍ったかのように動かないロゼを抱きしめる。

 河の賢者の抱擁は、どこか母性を感じるような優しげなものだ。

 そうであるのだが、オルグレンの目には全く違うように映った。薄氷が崩れ去る前のような、脆いもののようにみえる。

 

「現れし子よ、解放の者よ。……永く、永く、待っておりました」

 シルユーノが囁く。ロゼに吹き込むような囁き声だった。

 オルグレンが聞きとれたのは、たまたま近くにいたから、という偶然だ。他の面々には、聞き取れてはいないだろう。


 同時……気づき、彼は目を瞬いた。シルユーノから少年へと、のばされていた揺らぎの大河。それが一層濃くロゼへと向けられている。


 その中で、大きな流れが細い支流をのむように、シルユーノの腕にロゼが溶け込んで見えた。

 いや、現実にはそうなっていない。だが、オルグレンにはそう感じられたのだ。


 ロゼはもう、先ほどのように身を竦めてはいない。手がだらりと落ち、奇妙なほど無防備な様子となっている。

 

「……わたくしたちの役目は終わりました」

 この世ではない場所からの声で、シルユーノが言う。

 彼女の言葉と共に、オルグレンは胸が騒ぐのを感じた。

「ですから――……」


 ゆらゆらと常世と隠世の間に在るような、ロゼ。

 シルユーノと繋がりかけたその幻視の姿が、砂の川辺りが削られていくように、境界線が曖昧となっていく。

 そして、――揺らぐ。

 河の賢者に近い方……。隠世へと。


 途方もなく、遠く。

 オルグレンが居るただ人が立つ場所とは、異なるどこか。

 もう二度と戻れないだろう、ところへ。


 ――消えてしまうのではないか。その危惧がオルグレンの中を奔った。


 のまれて、消える――

 

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