五章《一節 強さ、とは》3
傭兵団副団長の、その顔にオルグレンは笑って見せた。
――自身の名前さえ、いまだに確信を持てていない。
焦ってはいる。欲してもいる。不安でもある。
しかし、とオルグレンは思う。
心を俯かせる必要はないのだ。思い直すと同時に、いつかの夕暮れに聞いた言葉を思い出す。
「これから探すのだから、問題ない」
そう――ロゼが言ったのだ。
これから探せばいいじゃないか、と。
分からないと、いつまでも失った方を向くのではなく、 前を見る。
言ってオルグレンは、白い流れ人の姿を思い浮かべた。
今日はウルローグに連れ出され、彼は出かけている。
――一人にするけど、大丈夫かな?、と。
離れる前の、いたずらめかした顔と言葉を思い出し、オルグレンはくすぐられたような心地で口元を緩めた。
同時――あの少年は、ああしているぐらいが丁度いいのだとも声に出さず呟く。
そう、ついオルグレンが表情を緩めたのを、どう感じたか……
ダグエルの表情が、曇りを帯びた。
彼は陰から日向を見るような顔だ。
「――ああ、兄さんも、強いんだな……」
ぽつりと、ダグエルが言う。
その声はどこか重い。引き戻され、オルグレンはダグエルを見た。
彼の言葉には納得と、僅かにだが自嘲の色があった。
自分はそうではない、とばかりに。
「いや、俺は……」
そんな大層なものではない、オルグレンは否定した。
彼は、今ここに在れるのは、縁に恵まれたからだと思っている。
確かに、使命は自身で持った。帰らなくてはならない――その何処かへと帰ろう、と。
だが、ここへ来たのは、ある意味ではクゼリュスの騎士を含め出会いがあってこそだ。
それらがなければ使命を思い出せもせず、彷徨っていたに違いない。
思い出したとて、ロゼとの出会いという幸運がなければ、少年の友人という今の居場所もなく、旅の歩み方も知らなかったのだ。
恐らく、長く足踏みをしていただろう。
自身は何者であるのか、どこに居ればいいのかも分からぬまま……。
「それでも、諦めようなんざ思っていないんだろ?」
オルグレンはその問いに、首肯を返す。
そもそも思い出していない場合を除けば、自身はいつか歩き出していたと、彼は思った。
己の生命が続く限り、一歩でもどこかへ、と。
「そういうのが、強いというんだぜ。そこから、諦めねえのが本当の強さだ……多分、あんたらはそうやって進み続けられるんだろうさ」
きっとそうだ、そうに違いない、とダグエルが言う。
「気持ちを忘れず、ずーっと先を見て。俺は、凡人だから忘れちまうし、気持ちも変わっちまう」
話すダグエルは遠くを見ていた。
遠景に見える鮮やかな緑の山脈ではなく、もっと遠い白き峰々へと心を飛ばすように。
その様子に、オルグレンは静かに思った。
これは自身が親しい部外者だから、聞ける話だと。傭兵団の副官は、団長にも配下にも、決してこのようなことは話さないに違いない。
「俺は、クゼリュスと……ある意味じゃ、エーイーリィのお偉方の連中に女房と子供を殺されていてな、一矢報いてやろうと傭兵になったんだ」
その言葉で、オルグレンには脳裏に蘇る言葉があった。
傭兵団の副団長はいつか、焦土作戦しか、とる気のないエーイーリィの軍とおさらばして……と口にしたことがある。
傭兵団『猛りの尖兵』の団員は多くがそうだと、ダグエルが言った。
エーイーリィは焦土作戦をとり、強固な守りを固めて籠城作戦をする……いつかロゼが語った話だ。だが、それで守れるのは首都と、その中に避難できた者のみ。では、それ以外は……。
ダグエルが息を吐く。
「……もう、声も顔も思い出せねえよ。何年も経っちまうと、な」
オルグレンは、己の中心に冷たいものを流し込まれたような心地を覚えた。
あきらめないと、今ははっきりと言える。
だが……ダグエルの言う通り、これから先強く在りつづけられるのか。
ロゼと交わした一年という約束の期間は、きっとどうにかなる。
彼との歩みは、オルグレンに友人だと言う立場をくれ、支えてくれるものだからだ。
では、その後は、どうなる。
それを超えて同じ意思を持ち続けていられるか。
幾年かは、大丈夫かもしれない。
しかし――……。心臓がどくりと脈打つ。
オルグレンはダグエルの横顔に、視線を移した。
そうして、だが、と彼は思う。
傭兵団の天幕群を見る、副官の目に対して。
忘れてしまったと悲しむダグエルの眼差しは、もの悲しくもあるが、天幕の群れを柔らかく包むようにあたたかい。
どうとも言葉にできず、オルグレンは口を閉じた。
「ははは、変な話をしちまったな。男同士の秘密ってことにしてくれや」
酒でも飲もうぜ、と野太い腕に肩をたたかれる。
オルグレンは、ああ、と応じたが――ふと気づいた。
傭兵団の団員と思しき一人が、大きく手を振り駆けて来ているのが見える。
その彼は、ダグエルの名を呼ばわっていた。




