五章《一節 強さ、とは》1
すでに背後。オルグレンは気配でそれを感じた。
とはいえ、対処する間などない。
ひざ裏を蹴られ、崩される。
次の瞬間には背中へと、半曲刀の先が触れていた。
それは背から胸に入る角度。
――真剣であれば身を貫き、確実な死をもたらすものだ。
「……まいった」
認識し、オルグレンは降伏を告げた。崩された姿勢……地面に片膝をついたまま見上げると、ロゼが構えを解く。
オルグレンの顔を覗き込むようにする少年の顔は、運動によるものか、少し頬が紅潮している。その表情は、どこか川面のような輝きを感じさせた。
西への陸路が閉ざされていると聞いて数日――
オルグレンは相談の末、どうしようかと問うロゼの言葉に、タロトの大橋を渡ると答えた。
海路へと変更もロゼの提案には含まれていたが……商船に乗り込むための銭貨の用意に、どのみち手間がかかる。
加えてアィーアツバスへの道のりが、あまりにも遠回りになる可能性が調べるにつれ濃厚となり、断念となったのだ。
今は、傭兵団『猛りの尖兵』の宿営地。
オルグレンはロゼと共に客将扱いとして、ウルローグに受け入れてもらっていた。
タロト橋通行許可を報酬とした、契約だ。
次第に鬼気迫るものとなっているように見える、クゼリュスの補給隊の妨害の任はあったが、状況は比較的落ち着いている。
それで始めたのが……
「もう一戦するかい?」
跳ねるようにして離れ、ロゼが言う。
オルグレンは頷いて、立ち上がった。服を叩いて整え、数歩の距離を置いて対峙する。
互いに持つのは、鞘に納めたままの剣だ。
つまり、ロゼは白い鞘の半曲刀を、オルグレンは長剣を握っている。
オルグレンは今現在、体に染み付いている感覚で、その鋼を振るっていた。
それではこれから戦いに身を置くにあたって、心もとない。そうと判断し、体を動かしていくことにしたのだ。それが故の手合わせだ。
とはいえ、戦績はあまり良くない。
ロゼが素早いことは、オルグレンもよく知ったこと。
だが、……実際に相対すれば、それは実に恐ろしいものとしか、言いようがなかった。
瞬き一つ。ただそれだけで、見失うのだ。
いったいどれほどの研鑽を重ねればこうなるのか。
オルグレンは胸中で呟く。
『猛りの尖兵』の中にも、他の傭兵団や兵士の中にも、ロゼと同じ年頃の者たちは居る。
だが、いずれもどこか初々しかった。
剣の柄巻が馴染んでいない雰囲気があり、働き手でありながらも、まだ学ぶものである若葉が香る空気があった。模索するような姿勢が見られ、発展を、これから先を感じさせてくる。
だが……ロゼは違う。
半曲刀を含め、彼の武装は神経が通った手のように、その身に馴染みきっている。
動きは、既に習うのではなく、彼が己の腕を研磨する段階にあることを感じさせた。
意のままに四肢を繰り、判断にも迷いがない。戸惑いがなく、慣れている。かといって、気を緩めている訳でもなく、柔軟。
恐らく、とオルグレンは彼と対峙しながら推測を深めた。
ロゼは彼が師と呼ぶ勇士二人に、剣を作るように鍛え上げられ、鋭利に磨き上げられたのだろう、と。
本人も教えを受け入れる意思を持ち、身に刻んだのだ。
そして下手な大人よりも場数を踏んでいる。
……それは、易いものではなかったはずだ。
考えながら、オルグレンは剣を構えた。少年の薄い胸板へ、刃を真っ直ぐ通すように向ける、正眼の構え。
ロゼの動きに対し、応変な対処をするためだ。
始まりの合図は、これまでと同じくない。
それでも互いの息を感じ取っていれば、必要なかった。
息と意識が向き合う、それが始まり――
白い流れ人が動く。オルグレンに対する、円状の動き。
横手に回り込む、とオルグレンは直感した。
数回の手合わせの中でも、ロゼはそういった動きを良くしていた。
横手へ動き、横手からなんらかの陽動を経て、後ろ。
後ろから体勢を崩し、急所へ一撃……といった具合だ。
わかってはいるのだが……彼の動きは素早い。
膝――、体の使い方が上手く、静から動、動から静へ、急激に切り替わる。
現に――上段の構えに入るのも一瞬。
踏み込みも刹那。
正面打ち。
「っ!」
眉間、そうと見るや、オルグレンはとっさに対応した。
剣を斜めに上げる。
そうしてロゼの刀を弾く。
――防いだ。
鞘同士が触れ合う、鈍い掠れた音が響く。
それを聞く間もない。合間から、剣を取りまわす。
だが……一瞬の違和感が、オルグレンの中をよぎった。
とはいえ、意識より先行した体が動いてしまっている。
思考と一致していないことを自覚しながら……かと言って、今更止めることもできない。
体の反応に振り回されるまま――、剣を上段へ。
掲げた剣を振り下ろす、……はずだった。
――彼は再び、自身の負けを悟るしかなかった。
彼の剣の間合いより、さらに内側。
胸の前に、すでに刀を戻したロゼが飛び込んでいる。そうして、低い位置からオルグレンの喉に、刃の切っ先を突きつけていた。
後追いで理解する。
ロゼは本気で打ち込んだわけではなく、防がれることを考慮に入れていたのだ。
一撃にあった、指先一つ分の軽さ。それを違和感として感じながらも、オルグレンは対応できなかった。
「まいった」
幾度目かの宣言と共に、彼は理解する。
ロゼの動きは、ほとんどすべてが奇襲なのだと。
正攻法のつもりで刃を交えれば、たちどころに食われてしまう。
彼の陽動を判断する頭と、対応する体、これらが一致しなければ対処は難しい。
とはいえ、全く勝ち目がないわけではない。
再び距離をとり合い、対峙した。オルグレンは剣を縦て、体の横に構える。
一呼吸。
次には呼気が重なり、互いの意志と意識が繋がった。
わずかな高揚。
そして――
この立ち合い、彼は自身からロゼへと踏み込んだ。
横なぎ。
ロゼが刀を構える。
鞘が触れ合う。一瞬の力の交錯。
向こうからの反発のような衝撃。
ロゼがオルグレンを弾こうとしたのだ。長剣を跳ね除け、退ろうとしたに違いない。
この瞬間。
力を手首で受け流し、オルグレンは強引に足を踏み込んだ。
肩から押し切る格好で、反発を許さない。
つばぜり合いの様相へ持ち込む。剣の角度を調節し、上から圧力をかける。
足で退られることのないよう、深く。
そうしてのしかかる様に少年の重心を、後ろに押し込んだ。
オルグレンの意図通り。
ロゼの体の芯が動く。不安定に、背中で耐える姿勢へ。
これで仮に転んで逃れようにも、尻餅をつく格好しかない。
もしもそうなるのであれば、体勢を立て直すまでに時間が掛かる。十分に斬れる。




