四章《四節 傭兵達の晩餐》3
「記憶喪失で、追われ人か、……難儀だな」
ウルローグが眉を顰めて呟く。ダグエルも同じ顔だ。
宴の最中――大騒ぎをしている卓もあるが、さすがにウルローグの卓は落ち着いた雰囲気があった。
元々はもう少し人がいた卓だったが、話がオルグレンとロゼのものへと移ると、二人以外は別の卓へ……或いは、幕舎外の部下と飲み交わすと言って出ていった。
恐らくは、気を使わせてしまったのだ。
「まあ、育ちはいいんじゃねえか、って気がするがね」
ダグエルにそうと顎で指され、オルグレンは首を傾げた。
「麺麭をちぎって食うだろ? それに肉もちゃんとした大きさにして食ってる」
言いながら、傭兵団の副官は他を見ろ、とばかりに周囲を見渡した。
傭兵団の面々は暴れまわりも、走り回りもせずに食事をしているが、柔らかく膨らませ焼き上げた麺麭は、そのまま食いちぎられるか、大雑把な状態で口に運ばれている。
照るまで焼き上げられた、羊の背肉はしたたる油を気にせず、骨を持って齧られていた。
……とはいえ、それを豪快に口いっぱいにほおばる姿は、それはそれで美味しそうなものだ。
その肉を片手に杯を上げ、麦酒を飲み干す。そうして仲間と語らうのは、実に楽しげですらある。
「……確かにな」
ウルローグが、ダグエルに同意を示して頷く。
一方で、肉叉までは使わないまでも、オルグレンとウルローグは小刀を使い、骨から肉を切り離し、口に運びやすい大きさにして食べている。
「……ロゼはサクラスの教育だが、一応こういうのは、貴族かそういった類のものではあるな」
ウルローグが言う。
その言葉から彼女も……加えるならばサクラスも、貴族出身なのだろうと、オルグレンは察した。
「まあ、それは彼の帰るべき場所を見つけられたら、確認するよ」
ぽつりと言ったのはロゼだ。
なぜか少し面白くない事があるような、唇を尖らせたような口調だった。
その彼が匙で口に運ぶのは、こっくりとした柔らかな白い色の凝乳。
少し水を抜いて固められたものらしく、乾酪のような見た目をしたそれに、琥珀色の蜂蜜が、豪勢にとろりとかけられていた。
甘くおいしかろう、それ。だが……オルグレンは苦笑した。肉を切る彼の手元に、ロゼがじっと目を向けている。
祝いの席の豪勢な料理は、唇と口の中が傷ついている彼には向かなかった。故にウルローグが、詫びを兼ねて別のものを用意してくれたのだ。
蜂蜜は嫌いではないと、どこか少しばかり輝くような目をしながら言っていた少年だが……体を作るしっかりとした味のものへの渇望も大きいらしい。
その彼へ申し訳なく思いながらも、オルグレンは羊の肉を口に運んだ。
咀嚼すると、まだ熱いぐらいの肉汁があふれ、岩塩と思われる塩味と溶ける。揉み込まれた焼けた香草が小気味よく砕ける食感と共に香り、肉の独特のにおいを和らげ、香高いものに変えている。
麺麭も柔らかく、野菜を煮込んだ汁物には、しっかりとうま味が溶け出していた。
しばらく携行食だったことを考えれば、信じられないほど豪勢な味だった。
「一応の目標は、アィーアツバスだったか?」
食べながらウルローグが呟く。
軽く話した際、草の民とアィーアツバスについても、彼女に問うていたが……。ウルローグにも、ダグエルにも首を振られてしまっていた。
もともと『猛りの尖兵』はエーイーリィの出身者が多く、他もいるが居てもこの周囲の者が多い。
わかったことは、アィーアツバスは陸路の国で、海路が中心のエーイーリィとは接点が少ない国ということだ。
「とりあえず、少しずつ西に行くつもりだよ」
「……それなんだが、そこが問題だ」
ロゼの言葉に、ウルローグがため息を漏らす。
「お前たち、ここが標星の大国と事を構えているのは知っているな?」
「……タロト近郊の砦を押さえられたと聞いている」
オルグレンは頷いた。ルキフのユドから聞いた情報だ。
「そこから、最悪の進展があった」
ウルローグが語るのは、現在のアディーシェの近況だ。
曰く、タロト近郊の砦を足掛かりに、タロトの街の一つが落とされているのだ、と。
食事をとり終えたウルローグが、卓の天板にある、太い川の流れのような木目を指さす。
そして、彼女はある程度知ってるとは思うが……と前置いた上で話し始めた。
「これを滔々たる大河だとする。タロトの街は、三つの街でできていてな」
木目の川に、彼女は自身の手前側から岸部、中州、対岸に調味料の小瓶を並べた。
そして、杯に残った水分を指につけ、岸部と中州、中州と対岸をつなぐ線を描く。
「街は、このタロトの大橋でつながっている」
彼女が一番手前、つまり岸部の瓶を小突いた。
「で、この街だ。この東岸街が落ちた」
続けてウルローグが示すのは、岸辺と中州をつなぐ水で描いた線――タロトの大橋だ。
「そのせいで、この橋まで連中に押さえられている状態だ」
「ということは、通れないのか……」
瓶を見下ろし、オルグレンは呟くように言った。
滔々たる大河は、すでに遠景からも見た通り、海と見紛う川幅の広い大河だ。
その上、今の時期は雪解け水が流れ込み、一部の街道が浸かり使えないほど増水しているのだと、オルグレンも聞いている。
やはり橋を渡る以外にないのだが……、一番手前の橋は敵国の手に落ちているという。
「砦とここを奪還するために私らも……アディーシェの者たちも動いてはいるが、完全に籠もられていてな。今日に明日にとはいかない話だ」
ウルローグが声を落とした。
彼女が言い終わるとロゼが、ああ、と気づいた声を出す。
「それで、あの場で補給隊とやりあっていたのだね」
立て籠もる敵と、如何にやり合うか。真正面から打ち掛かるのでは被害が大きい。
ならば策が必要となる。
オルグレンは呟いた。
「……兵站攻撃か」
補給を阻害し、敵を弱らせる。これもまた手立ての一つだ。
とはいえ……と、腕を組みつつロゼを見る。そして問う。
「……この辺りは、そういう地理なのか?」
いつか話したエーイーリィの海路のように、ものを持ち込める別の道があるのであればこの策は成功しない。
また、侵攻してきた敵の補給路を断つということは、その後ろ側に回り込まなくてはならないことも意味する。
この辺りは都合のいい土地なのか。
ロゼがええと、とウルローグを見た。
「地図を見せたいところだが……悪いが、この状況もあって余計に禁制だ」
白い流れ人から尋ねられることを察して、ウルローグが言う。
自分たちも雇い主の物を覗き、頭に叩き込んでいるのだと彼女はぼやく。
その話を聞き、オルグレンは小さく納得の頷きをした。
地図は国にとって機密の塊だ。みだりに作る事は禁じられ、処罰もあり得る。
「代わりに説明すると、だ」
ウルローグが言った。
「条件付きで、クゼリュスの補給路は制限されている」
言いながら彼女は、指を二本立てる。
「クゼリュスが補給に使える道は二つ。一つがこの冬のクゼリュスの進軍路彼らの本国にも近い、滔々たる大河とその河沿いの道。もう一つがお前達と出会った北側の街道だ」
指折り彼女が言った。他は白き峰々や、他の山脈が邪魔をし通れないのだとも足す。
「なぜ、本国に近い方……水運も使える進軍路の方が使われていないんだ?」
オルグレンは問うた。
「……これから暑さの盛りまで、河は川下への滑降風だ。そして岸の街道は雪解けのぬかるみで使えない」
ウルローグの手が船を現して下方へ下り、次いで遡ろうとして手段がないことを示し止まる。
「風で船を遡らせれず、往復ができない、か」
オルグレンは呟いた。
「その通り。で、今は全く別……北からの陸路が取られてるってこった」
麦酒を飲み干し、ダグエルが言った。
「で、そっちは、アディーシェの首都アスタに近いんで、俺たちは問題なく補給しながら攻撃ができる、っと」
今日の戦いは、その一端なのだと彼が語る。
「兵站の不安は、兵の力を削ぐ……。それがアディーシェの書いた絵図ということだな」
オルグレンが聞けば、ウルローグが頷いた。
アディーシェは侵入してきたクゼリュスに対し、補給路を断ち、干上がらせ弱らせている最中と言うことだ。
暑さが訪れ、風向きが変わるまで……クゼリュスの進軍路が再び使用可能になる前に決着をつける。
言うは容易い。
だが戦場は見通せないものだ、とオルグレンは胸中で呟いた。
この卓の人間は全員そうであるらしく、目算が立っている等と、浮かれるような空気はない。
それを見て取り、オルグレンは思考を巡らせた。
なにせ今から暑さの盛りまでは、月の形が二度巡るかどうかぐらいだ。
補給能力が低減すれば、士気が低下するはず。
とはいえ、クゼリュスが持ち込めている備蓄資源の量次第では、持ち堪えられる。
アディーシェという国自体が、どこまで一枚岩で動けるかという点もある。
どうなるかは、わからない。
ただアディーシェが勝たねば、タロトの大橋は通れないということだけは、はっきりとした。
「一つ、いいかな」
ふと、ロゼが言った。
オルグレンは思わず彼の方を見た。ウルローグとダグエルも興味をそそられてか、白い流れ人へと顔が向くのが見える。
その中で、彼はぴたりとオルグレンを指差した。
「君、絶対に戦働きの経験があるよね」
憶えてはいないのだろうけれど、とロゼが言う。
そのきっぱりとした物言いに、オルグレンは他の二人と顔を見合わせ――吹き出して笑った。




