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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
四章〈傭兵団『猛りの尖兵』〉
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四章《一節 アディーシェへ》1


 シェリンダーとアディーシェ。

 この二つの国を隔てる山脈を行く道程は、決して容易なものではなかった。登り下りは激しく、獣道さえない。 

 切り立った崖や、急傾斜、木々の倒壊、崩れた跡、これらは崩落の危険があった。雨は体を冷やし、霧は道を惑わせる。


 無論、地形や道迷い以外にも危険があった。

 昼であるにもかかわらず、薄暗く感じるような感覚。

 すえた不快な匂いや、纏わりつくような湿気。それらが、獣の死骸や山の毒気など、瘴気がたまっている兆候だ。

 その気配を感じるたびに迂回を選ばねばならない。


 最後に、もう一つ。瘴気を感じた付近では、更なるものに注意を払わなくてはならない。

 これが最も大きな脅威だ。

「…………、」

 先頭を行くロゼが、片手を挙げる。それが意味するところに気づき、オルグレンは静かに足を止めた。


 ロゼが挙げた手で、少し前の藪の辺りを指さす。オルグレンも指された方を見、それの姿を目に映した。

 すでに、何度目かのことだ。そうであっても、体の芯に冷たさが流れ落ちる。

 視線の先では、黒い塊がうごめいていた。

 

 魔物――

 正しくはそれを、瘴禍(ミアズマ)と呼ぶ。

 それは神が、父なるもの、母なるもの、そして自身の兄弟を作った際、使わずに捨てた不浄の汚泥が溜まり集まって()でた物とされる。

 黒く淀んだ水を内包した、不定の形の存在だ。長年人間を苛んできたそれは、時に鉄よりも硬くなり、剣よりも鋭利になり、重くも軽くもなる。世界の理に反する存在だった。


 「このまま静かにしていよう」

 潜めた声でロゼが言う。 

 オルグレンは同意を示して頷いた。息を潜め、自分たちの気配を殺す。瘴禍(ミアズマ)に捉えられれば、何が起こるか分からない。

 ロゼの脇腹の傷も落ち着き、彼も動けると言っていた。

 とはいえ……お互いの見解として、かの魔物とやり合う気はなかった。

  

 なにせ魔物は、人を呑む。瘴禍(ミアズマ)という存在の最も恐ろしい点はそこだ。

 あの黒い表皮に触れ、中に引きずりこまれたが最後、骨も残らず、ただ消えてしまう。一片も残さずに。

 現在でも、手や足を失った、あるいは人が呑まれて消えたという話は、枚挙にいとまがない。

 

 幸いにして――

 その瘴禍(ミアズマ)は、少しあって何処かへと去っていく。

「多いな……」

 オルグレンは思わず言った。

 山脈の大きな尾根を越え、滔々たる大河の国アディーシェに入ってから、遭遇の頻度が増えていた。

 

「クゼリュスとアディーシェの小競り合いのせいだろうね」

 ロゼが答える。魔物は不浄、不吉、血、災禍を好む。戦で血が流れたのであれば、それに呼び寄せられるか何かしている様子だ。 

「兵士に騎士、それに傭兵か……」

 オルグレンの言葉には、ため息が混ざった。それらの命が、今この地で血を撒き骸となっている。

 

 ロゼが頷き……そうだ、と少し低いような声を発した。

「これから、アディーシェの土地を行くにあたって、もしも褐色の生地に白い槍の旗を見かけたり、噂を聞くかしたら教えてくれないかい?」

 

「……知り合いか?」

 オルグレンが聞くと、ロゼが少し目を伏せて言う。

「うん、エーイーリィで、とても世話になった傭兵団でね。私が知っている最後の連絡が、クゼリュスの手勢に包囲されそうだから南下する、だったのだよ」

 そうと答え、彼は行く先の地の方へと視線を落とす。

 

「とても盛況な傭兵団だから、クゼリュスが相手となればこの戦に参加しないわけがないかな」

 戦に負けて占拠されたエーイーリィには、検問もあり戻れないだろうから、きっとそうするはずだ、とロゼは言う。

「わかった」

 オルグレンは深く頷いた。

 

 ロゼが微笑む。

 そうしながらも彼は、黒い鞘の半曲刀の柄に手を置いた。

 表情こそ取り繕われていたが……、オルグレンは何かある、そうと感じた。実に些細なものだったが、柄に触れたロゼの手は、強く掴むような形だ。

 まるで握り縋っているようにオルグレンには感じられた。

 だが、わずかに迷う。

 どうしたと聞いていいものか、自分は関わっていいのだろうかと。

 

 オルグレンとしては、ロゼに多大な恩義を感じている。

 記憶を失い、何処に居ればいいのか、強い衝動はあれど何をすればいいのかわからぬ状態の彼が、路頭に迷い、彷徨い歩かずにすんでいるのは、すべてこの白い流れ人のおかげだ。

 そしてオルグレンにとってロゼは曖昧になった世との関わりを、繋ぎなおしてくれた存在だった。

 もしも彼があの少し突拍子もない提案をくれていなければ……、オルグレンは今のようでは居られなかったと断言できる。

 故にこの恩義を返すためなら、何でもしようと誓えた。

 

 だが、オルグレンは考える。

 何もわからない自身が、己の名前さえ曖昧な自分が、この少年に踏み込んでもいいものだろうかと。

 

 なにせ、ロゼはどことなく自身を素直に表していない節が見られる。

 先日の忌相の話といい、なぜエーイーリィから危険な道を通って南下してきたのかも、なぜ流れ人となっているかもオルグレンはまだ知らない。

 友人となることを約束したとは言え、今はまだ互いに霧の中を手探りするようなものだった。

      

 オルグレンは一呼吸の間ほど迷い……それでもと心の内を決める。そして、口を開いた。

 

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