三章《三節 芽吹く》1
「あまり笑っていると、また傷に障るぞ」
「いや、でも……」
オルグレンは言ってやる。だが、ふふふ、と肩を震わせ笑うロゼは、もうしばらく収まりそうになかった。
ルキフの街から逃げ出してしばし、一つ尾根を越えてからだ。二人は岩庇の下で休むことに決めた。傾斜より迫り出した岩は、大きく屋根のようになっている。
休める場所を見つけてからも、二人は忙しかった。なにせ野営だ、魔物も獣も出没しかねない状況で、無防備に寝るわけにもいかない。
まずは、周囲の細い枝を集めて小さな火を起こし、焚き火作りだ。次にはその明かりを頼りに、薪などまだ寒い夜を超える準備を整える。そして、細い糸に小さな反射板を連ねた魔物避けと、同じく細い糸に鈴のついた鳴子を、周囲に張り巡らせる結界づくり。
オルグレンは知らないこともあったが、ロゼの指示を仰ぎつつ、それらの作業を――主に力仕事を担って準備を整えた。
そうして、荷物なども置いてようやく落ち着き、始まったのが今の状況だ。
いつの間にか、月が真上にある時分となっていた。木々の上から、白い薄明りが覗く。
暗い木々の中は、山の湿気もあって冷気が満ちていた。そのような中、山登りの汗でぬれた服は体を冷やす。このままでいれば、凍えかねない。
服を乾かそうという話になったのだが……オルグレンは、そこでふと思い至ったのだ。
だから彼は、聞いた。
「俺は、一度席を外すべきか?」
オルグレンは、ロゼを少年だと思って扱っている。だが、当人に聞いてみたことはなかった。
白髪の流れ人は、性別を感じさせない容姿をしている。声も高くも、己のように低くもない。改めて見ても、オルグレンの目には、どちらにも思えた。
「……?」
なぜ、とばかりにロゼが首を傾げ、ややあって意図を汲んだのだろう。
吹き出すように大きく笑いだし……、隻腕の騎士から受けた傷に障ったのか、呻いて身を丸めた。
それでも、まだオルグレンが問うたことがおかしい様子で、息を震わせている。
「だって……君が、あまりに真面目に聞くから」
「…………」
ようやく笑いを収め、ロゼが言う。オルグレンは、思わず口を曲げた。
「結論から言うと、同席でかまわないよ。私は、男だ」
そうと見えない容姿でそう言いながら、ロゼが服を乾かす作業に入る。
そう言うのであればと、オルグレンも倣って上着と襯衣を脱ぎ、作業に入った。足の方はさほどではないが、襯衣の方は、背中など乾かさねばどうにもなりそうにない。薪用の枝をひもで止めて三脚を作り、それに広げて火にあてる。脱いで冷える分は、外套を羽織って焚火に寄り、暖を取った。
「まあ、似たようなことを聞いてきた人は、何人か居たね」
ぽつりとロゼが言うので、オルグレンは彼の方に目を向けた。主張した通りロゼには乳房も、女性らしい丸みもない。無駄なものを全て削いで落としたような体つきをしている。
「君、私が何者でもないような……なんだか、不思議な感じに見える時があるんじゃないかい?」
ロゼの言葉はどこか探るような色がある。
オルグレンはそれに気づきながらも、正直に答えた。
「……ああ。初めて会ったときに、そう感じた」
皮膚一枚分、違うところにいるような存在感。それは印象深い感覚だったので、彼は何日も経った今でも覚えている。
「占者曰く、一部の者には私がそう見えるらしいよ。私は人ではないから、とね。作り変えられた者だとか、忌相が見える、だとか何とか」
流れるように言ったロゼが、君は信じるかい?、と問う。
彼の薄紅の双眸が、ひたりと向けられるのをオルグレンは感じた。そして唸った。その話はさすがに眉唾が過ぎる、と。白髪の流れ人は確かに、オルグレンの目にただ人とは違うように見える。
だが、彼が人でなければ何なのか。神が己を慈しむ者として作ったという、始まりの四種族だとでもいうのか、と。
それに、ついオルグレンは眉をしかめた。忌相が見える――それはとても失礼な話だ、と感じたからだ。自身もロゼに違和感……なにか違う感覚を覚えたとはいえ、それを忌相と呼ぶ気は、オルグレンにはない。
「君は、本当に優しいね」
それを透かし見たかのように、ロゼが言う。
そうして、オルグレンが口を挟む前。
白髪の流れ人は、この話は終いとばかりに手を打った。羽織っただけの外套から覗いたその腕――上着を脱いだためにそこに巻いている革帯を解いた肌には、古い傷が幾つも走っている。
そして、脇腹には今日の手傷だ。
逃げながらの道中で、骨は折れてはいないとロゼは言っていた。だが、焚火の明るさが、白い肌に浮かんだ激しい鬱血を照らしている。
「とりあえずは、その傷の手当だな」
オルグレンが指をさして言うと、ロゼが苦笑いを浮かべた。
「それから、襯衣が乾いたら休もう。これからどうするかは、明日でいいだろう?」




