三章《一節 片手に剣を、》
剣を構える。
そうしながら、オルグレンは不思議と落ち着いた心地でいた。
目の前が鮮やかで、握った剣が己の手のように感じられる。
とはいえ、それを振るった記憶は、浮かんでこない。
その剣をいかに扱うかと問われたとて、答える言葉をオルグレンは持たなかった。
だが、彼の手は鋼の支え方を知っている。
腕は、振るい方を覚えている。
身体は、どのように動けばいいかわかっており、考えるよりも先に身構えていた。
「ガレオ! やれ!」
「いかん! 退け!」
クゼリュスの騎士が、それぞれのことを叫ぶ。
「来るならば、断つ!」
オルグレンはそう宣言した。
どこまでこの荒事に対応できるのか、自身でも知らない。
だが、やらなくてはならない、と腹は決まっていた。それに――これは、他でもない己のことなのだから、と。
一方で、ガレオは赤髪の騎士の命に従うと決めたらしい。
睨み合ったのは、一瞬。
騎士が、剣の切っ先を下げる。――陽動、とオルグレンは判断した。
案の定。ガレオの剣が一瞬は下がったものの、一転して動きを変える。
長剣の先を取り回し、彼はまず、オルグレンの剣の先を打つ。それらは瞬きの間の動きだったが、力は十分に込められている。つまり、陽動に乗せられ剣を動かしていれば、支えられなかった。それほどの鋭さ。
実際構えていても衝撃に、わずかにオルグレンの剣は流された。
その隙に長身の騎士が剣を繰る。
踏み込む。そして、水平の突き。
その手管――。
あくまで狙いは白髪の流れ人と、オルグレンは理解した。
切っ先が向かうのはロゼだ。白い流れ人の方はと言えば、立ち上がり切れていない……これは、オルグレンが刃から逃がすためとはいえ、振り回してしまったからだろう。
迫る刃に、もう一度オルグレンは、片腕でロゼを背後へ隠した。
狙うものが横へ避けられ、長身の騎士の一撃が空を突く。
そのまま態勢でも崩してくれれば、御の字であるのだが……ガレオはやはり訓練を受けた騎士なのだ。興奮しているとはいえ、体が泳ぐほどではない。
だから、崩してやる必要がある――今ある自身よりも奥にある己が、そう判断するのをオルグレンは感じた。
近接したまま、片足を踏み込む。
一息の流れ。行うのは簡単な体術だ。
ガレオの踏み込みの脚、その内側から足をかける。そのまま動きを止めない。滑るように次の手に移り、オルグレンは剣を持ったまま肘で――単純に押した。
普通であれば、足運びで耐えるべきところだ。
だが、ガレオの足の自由は、既にオルグレンが奪っている。
つまりは、たたらを踏むことすらできない。片足が脹ら脛のあたりで衝突し合い、ガレオが背中の方へ大きくのけぞる。
この最中、戦う者の誇りか、長身の騎士は剣を手放さなかった。しかし……、手放していればよかったのかもしれない。
オルグレンは更に腕で押しやった。ガレオが軸を失う。
この長身の騎士が崩れる間にオルグレンは長剣の重みに任せて剣身を回し、手の中で逆手へと持ち替えた。
そして――
次の瞬間。
尻から落ちる格好となった騎士が、立ち上がる間も――いや、顔を上げる間も与えない。
胴鎧の首、守られていない首筋へ、オルグレンは剣を突き入れた。
胸は多くの大事な臓器が納められた場所だ。胸骨を避け進ませた刃が、それらを無残に傷つける手応えがある。
苦悶の表情でガレオが、もがく。とはいえ、胸の中を裂かれたのだ。その動きは動作に籠もった無念とは裏腹に鈍い。
腕が何かをつかもうとあがく。その手につかまる前、オルグレンは剣を引き抜いた。
彼の胸には、重いようなものが満ちた。人の死と言う重みだ。
しかし、この騎士は鋼を持って人を制そうと……オルグレンの恩人であるロゼを害そうとしたのだ、と己が内の声を聴く。
ならば、望む望まぬに関わらず、制されることも知っていなくてはならない。無論、同時に――鋼を掴んだ自身も、その覚悟を持たなくてはならない。
人が瞬く間に物になる……それをオルグレンはしかと見た。
「……助かったよ」
オルグレンを引き戻したのは、ロゼの声だ。腕の中の体温を守れたことが、彼に温度を戻す。
「その言葉を言うのは、俺の方だ」
オルグレンは首を振った。とはいえ、のんびりとしている暇などもちろん無い。
ユドがこぼした……朝の方が重労働だ、という言葉から考えるならば、落とし格子の開門は重りか何かを使う。
そうと、オルグレンはロゼと共に推測している。つまり、これから落とし格子を動かすためには、人と力を掛け、重りを積んでやる必要があるのだ。だが、それで稼げる時間など、それほど長くはない。
オルグレンは、白い流れ人を支えていた手を離した。
ロゼは立ったが……、やはり殴打された脇腹は痛むようで、わずかにだが顔を顰める。
しばらくは、広場で見せていたような、見事な動きはできないと感じるに十分。そう察し――オルグレンは、剣の血を払うと二人分の荷物を負った。
早々にこの場を離れる。その必要がある。
「草の民よ、死神の縁者よ――」
一方、落とし格子の向こう、オルグレンとロゼを指し、隻腕の騎士が低く言った。
底の見えぬ井戸のような暗く、深い声だ。
「我が名は、ベイセル・ライア・シルヴァストル」
騎士が正しく名乗る。
年齢はオルグレンよりも、だいぶ上に見えた。黒髪に厳しい顔立ち――そして、双眸があまりに鋭い。
「覚悟するがいい、我らは猟犬だ。今宵から我らの歯牙を思い描き、震えるがいい」
事実、男はまさに死を招く黒妖犬に見えた。
返答はしない。オルグレンは踵を返した。
そうして、ロゼを見やると――彼が走り出す。やはり、どこか体を庇うような動きだ。
オルグレンも走り出す。
背後の格子、その向こうに騎士を置き去りにして……
❖ ❖ ❖
囲郭の中を通り抜けると、すでに辺りは色を失った青暗さに染め上げられていた。
この季節の陽の落ち方は、まだ物を落としたかのように早い。
しばらくは街道沿いを走り、ややあってオルグレンは、ロゼの指示で暗色の外套を頭から被った。そうしてから街道を外れ、暗がりへと、闇に紛れて進んでいく。
月は薄い弓のような形で、空の頂へと向かっていた。
街道を離れ、木々の生い茂る森へと入り……しばらく。立ち休憩をしながらも進み、比較的平坦だった足場はやがて登りとなった。
そして、さほど経たず。
オルグレンが感じているのは、山の辛さだ。
平地では何のことのない距離が、山では違う。登りはじめで、ロゼが外套を脱ぐよう言った意味を、オルグレンは痛感した。
暑いのだ。走っているように体力が焚べられ、減っていくのがわかる。呼吸も自然と荒くなってきていた。
オルグレンは前を見た。ロゼの呼吸が荒く乱れているのが聞こえる。
荒いだけではなく乱れているのは、手傷を負っているのが原因だろうと、オルグレンは思った。
「大丈夫か?」
「うん、……」
オルグレンが問えば、喉の奥だけの声が答える。
ロゼのどこか飄々とした様子が、今は失せていた。しかし、白の流れ人はまだ進むつもりのようだ。
彼の目は奇妙なほど、夜目が利くらしい。木々の間から届のは、薄い月と星の明かりのみ。
暗がりは注視せずに、瞳をよく動かしながら見るのだよ、とのロゼの助言に、オルグレンは従っていたが……数歩前を先導するロゼの背はおろか、自身の足元すら薄っすらとしか見えなかった。
だが、ロゼは、どこに何があるのか分かる様子で進んでいる。
ややあって、登りは唐突に終わり、行き先は降りへと変わった。
一つ尾根を越えたのだ。これで、ルキフの方角からは完全に死角となる。
そうとオルグレンが認識した後に、
「オルグレン、こっちだよ」
下りの方が危ないから注意して、とロゼが手招きした。




